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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
12章 弘治2年(1556年)侵食する毒
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116話 毒の蔓延

遅くなってしまいましたが116話を投稿します。

【山城国/旧三好館 六角義賢】


 厳しい冬の寒さが和らいで、春の気配が感じられる様になった頃。

 京と近江での足利義輝と六角義賢の争いは、本格的に泥沼化の様相を呈していた。


「ゴトー、シンドー、ガモー……? ……え? 痛ッ!」


 俄かには信じ難い伝令の報告に、六角義賢は一瞬、感情を失い床几からずり落ちた。


「周辺地域はどうなった? 観音寺城は? ……損害は!? 一体何があった!?」


 地面に落ちた衝撃で尻と手首が痛んだが、お陰で目が覚め、また、痛がる状況では無い事に立ち上がって叫んだ。


「か、観音寺城は織田に占拠され、拠点として扱われている模様です!」


「そんな馬鹿な! 奴らは何故簡単に降伏した!?」


「それは、その、いくら御三方が指揮に優れていても、兵無しでは抵抗のしようがありません……」


 伝令が言い難そうに言葉を選んだが、伝わる真実に変化は無かった。

 伝令の言う通り、義賢は観音寺城周辺の守備兵も、根こそぎ動員してしまっていた。

 全くもって伝令の言う通りで、兵無しで守れと言う方が無茶である。

 将軍弑逆という一世一代の賭けに打って出るあまり、普段ならありえない、しかも余りにも準備不足の致命的な命令をしてしまっていた。

 もう完全に後の祭りである。


「……わ、わかっとる!! そうだとしてもだ! 脱出してこちらに合流しても良いだろう!? 完全包囲でもされてたのか!? むしろ、あの3人なら危険を察知して早々に脱出を図ってもよかろう!?」


 守れなかったのは仕方ないとしても、完全包囲でもなければ落ち延びるのは不可能ではない。

 勝手な言い分に聞こえるが、確かにその通りである。


「それはそうなのですが、その……」


 伝令は言い淀む。

 主君の疑問に対する答えを示せるが、示して良いか迷ってしまったからだ。

 だが示さない訳にもいかない。

 震える手で忍ばせていた書状を取り出した。


「こ、これをご覧ください。これは織田が我らを糾弾する書状です」


「糾弾!? 見せろ!」


 ひったくる様に書状を奪うと義賢は目を通した。

 みるみる内に顔が赤くなり肩がワナワナと震えだす。

 そこには、以下の内容が書き綴ってあった。


 ・六角義賢は、恐れ多くも足利義輝公に対し、反逆を企て実行に移した。

 ・しかも失敗すると、朝廷を脅し新将軍を擁立し世を混乱に貶めた。

 ・一方、家臣の命を軽んじる無茶な命令を下し、領地を危険に晒した。

 ・以上の事から、歴史ある六角当主の資格無しと判断し、六角亀松丸を当主として認め、織田が後見する。


 後藤賢豊

 進藤賢盛

 蒲生賢秀

 織田信長


 織田に下った三人の名前と連名で信長の署名があり、天下布武印がこれ見よがしに押されていた。


「か……クッ……なッ……!!」


 義賢は怒りのあまり、声が上手く発せなかった。

 しかしその怒りも当然であろう。

 代弁するならば『どの口でそんな事を抜かすか!』であろう。

 信長は、天下布武法度で将軍家から離脱を明言し、三好と連携して将軍と敵対しているのに、この言い分である。

 二枚舌にも程がある内容で、無茶苦茶極まりない理論で自分たちを糾弾したのである。


「防御を固める……! 義輝への攻撃は控え、領地の混乱を鎮める。まもなく米を作る時期になるしな」


 あまりの怒りで感情が裏返ったのか、義賢は六角軍の方針を転換した。

 怒った所で今すぐにはどうにもならないし、東西北と同時に対応するには足元が崩れかけて不可能である。


「前線に撤退命令を出せ! 朝廷と近隣の守備兵以外は近江に戻す!」


「はっ!」


 伝令は一礼し退出した。


「……」


 メキメキと何かが破壊される音が響く。

 義賢が握る軍配が妙な形で折れ曲がっていた。


「必ず殺してやる……信長!」



【近江国北西部/朽木城 足利義輝】


 六角義賢の襲撃から、脱出する事に成功した足利義輝一味は、とりあえず身の安全の確保に成功していた。

 そんな中、急報が飛び込んでくる。


「織田が六角の領地を奪った!?」


「はっ! 織田の意図は分りかねますが、六角は我らと織田を同時に相手する事になります。これは千載一遇の好機かと思われますが、いかがしますか?」


「好機か……。確かに六角は勢いを失い背後を気にしなければならぬ。故に好機には違いないが……」


 細川晴元の報告に、義輝は鼻に手を当てて考え込む。

 その顔は渋面で歪んでいる。


「織田の手助け……かどうかは判らぬが、六角が我らを攻めない保証はない。万が一奴らが攻めてきたら今度こそ我らは終わる。まずは態勢立て直しに全力を注ぐ」


 義輝達は、京の御所から身一つで脱出したので、命令系統がズタズタになっており、すぐに兵を揃えて反撃とはいかなかった。


「しかし、親衛隊だけは集めておく」


「親衛隊ですか? しかし現状ですと500集められたら良い方ですが……。そんな少数で攻めてもタカが知れているのでは?」


「タカが知れててもいい。これも防御の戦法じゃ。斎藤義龍から学んだであろう? 斎藤家と浅井朝倉家の争いを。朝倉宗滴の戦法を。攻撃は最大の防御と言う奴じゃ」


 朝倉宗滴は斎藤家に対抗する為に、散発的な襲撃を昼夜問わず行い斎藤軍を疲弊させる事に成功していた。(65話参照)

 その経緯を、当時三好長慶から京を追放された義輝は、義龍に乞い学んでいたのであった。(72話参照)

 織田家でも、自ら泥と汗と血と涙に塗れて修行し、学び知った専門兵士の存在。


「とにかく手薄で脱出が簡単な所を狙い、可能な限り六角に迷惑を掛け続ける」


 義輝は、今こそ学んだ全てを駆使して、迷惑を掛ける手段に打って出るべきだと主張した。


「め、迷惑……? 攻撃や撃破とかではなくて?」


 その力強い決意とは裏腹で、慎ましやかな『迷惑』という言葉に細川晴元は困惑した。

 しかし義輝にとって晴元の反応は、織り込み済みであった。


「損害が出なくてもいい。打撃を与えられなくてもいい。打ち破れなくてもいい。重要なのは態勢を整えさせない事だ。奴らに防御させる事、即ち兵を農村に帰還させない事、それが兵糧減に繋がる。奴らは農兵だからな」


 これから、水田の整備に人手を割かなければならない時期なのに、それが出来ないのは、義輝の言う通り大迷惑に他ならない。

 六角にとって、多方面を相手にしなければならないのに、兵糧不足に陥るのは最悪の事態である。


「ただ、迷惑を掛け過ぎて、堪忍袋の緒が切れても困る。六角に総攻撃をかけさせず、しかし、農作業をさせない境界線を見極めねばならぬ」


「なるほど。藪をつついて蛇が出ない程度の迷惑具合ですな」


「そうじゃ!」


 妙に余裕のありそうな主従のやり取りであるが、九死に一生の危機を脱したは良い。

 だが、この先の逆転に悩む中、まるで暗闇の中に差し込む光の様な、しかし、蜘蛛の糸の様に簡単に千切れそうな、希望的観測が強い策だ。

 それでも辛い現実を忘れる、希望を感じ取れる手段だった。


 しかし、その考えは三好長慶の思惑通りであった。


 お互いが、徐々に強くキツくなる毒に打ち勝とうと、現状を打破しようと足掻く。

 何とか自分だけは、生き残る様に立ち回るべく。


 そんな中で両陣営の生き残り条件、つまり勝利条件は似ている様で違う。

 お互いを討伐し滅ぼすのは同じだが、守るべき物の有無が勝利条件の厳しさを変化させていた。


 足利陣営は、相手を滅ぼせば良いのだけの単純明快な条件だが、六角陣営は相手を滅ぼした上で、朝廷も守り通さなければならない。

 しかし六角軍は専門兵士を揃えていないので、兵糧確保の為には軍の兵に農作業をさせなければならない。


 この点は足利義輝の指摘した作戦通りである。


 その結果、六角にはどうしても防御が疎かになる時期ができてしまう。

 しかも、六角の中心人物だった3人が、織田に寝返り勢力の根幹を揺るがしている。

 六角は前途多難の問題だらけで、今の所は優勢なのに風前の灯でもあった。


 ただし、条件が単純明快な足利陣営も、最大の協力者(六角)に裏切られ、14代将軍の存在を許してしまい、求心力がガタ落ちしている。

 敗色濃厚な勢力に手助けしてくれる御人好しもいないし、そもそも包囲が効いて助力を得られる状況ではない。


 特に義輝陣営は真の意味で完全包囲されている。

 六角は南方に中立陣営が多数あるので、何とか手札として利用できる余地はある。

 しかし義輝陣営は、延暦寺こそ中立だが足利義教の比叡山焼き討ちの恨みがあるので、真の意味で完全包囲をされている。

 己が作り上げた三好包囲網が完全に跳ね返された結果だけに、厳しい状況に追い込まれていた。

 唯一の好材料は、少ないながら専門兵士を揃えており、そろそろ稲作がはじまるこの時期、主導権は握れそうな点であろうか。


 両者共に共通しているのは、自分が招いた状況で窒息死しそうな程、苦しい状況に追い込まれていた。



【尾張国/人地城 織田家】


 六角の反乱を起こさせて失敗させる。

 家臣との溝を作り離反させる。

 将軍義輝陣営も疲弊させる。

 お互いを争わせる。


 西側の状況が狙い通りに進んで信長は上機嫌―――と言う訳でもなかった。

 西側が思い通りな分、バランスを取るかの様に東側が全く思い通りになっていなかった。

 東側とは武田家の事であるが、杭の流出が契機となったのか、武田晴信は完全に侵略路線を切り替えてしまった。


 晴信にとっては全くそんなつもりは無かったが、この焦らし戦法は信長に精神的タメージを与えまくった。


《大人しいのですから良い事なのでは? そんなに武田に来襲してきて欲しいんですか? 気持ちは理解できないでも無いですが、別次元とはいえ一度は倒した相手じゃないですか》


《あ、ソレは私も聞いてみたいです! 何をそんなに恐れているんですか?》


 落ち着かない信長を見かねて、帰蝶とファラージャが聞いた。


《そうじゃな。奴の戦の巧さは群を抜いておる。あの貧相な甲斐を拠点にしているクセに国家として体制を整えておる。戦においては卓越した読みの鋭さ、食糧難による死兵を活かした破壊力……》


《それは何度も聞きましたが、前々世はともかく、現時点では既に織田は武田を上回ってますよね? 全てにおいて》


《!? 上回っている!? まさか! ハハハ! ハハ……え?》


 帰蝶の慮外すぎる言い分に、信長は乾いた笑いが出てしまう。

 しかし他人から見たら、信長は勝手に武田毒に苦しんでいる様にしか見えなかったのである。

 事実として領地の面積は当然、食物の生産量も資源も経済も人口も上回っている。

 信長の個人的能力も晴信より優れてはいても、著しく劣るというのは考えにくい。


《信長さんは既に魂は65歳です。油断している訳でもないですし、ならば強くはなれど、弱くなるなんて考えにくいんですが……》


《そうですよ。今川殿に対しても、前々世では奇襲で偶然に倒してしまったので自分の成長と強さが解らぬと言ってましたよね? それで、今回は互角の条件で真正面から殴り合って勝てたじゃないですか。強さと成長が証明できたって喜んでたじゃないですか》


 信長は、今川義元ともう一度桶狭間で戦う時、自分は本当に今川義元を超えているのか不安で仕方がなかった。(47話参照)

 しかし、その不安は払拭された。


《さっき信玄を褒め称えた文言は、そっくりそのまま殿にも当てはまるんじゃないでしょうか?》


《まさか……》


 信長自身がソレを確認できるのは来年である。

次回は今月中を目標にしております。


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