104-3話 願証寺 滅
104話は3部構成です。
104-1話からお願いします。
今回の話は『R15』に抵触する可能性のある話です。
R15表現の加減には配慮しましたが、小説家になろうガイドラインに対して良いのか悪いのか判断がつかない処もあります。
ご注意の上お願いいたします。
【包囲25日目】
一部の信徒兵が暴動を起こした。
一揆内一揆である。
理由は使者がいつまで経っても交渉成果を出さない不甲斐なさ、長期に渡る飢餓、何より信徒に対する裏切りにである。
裏切りとは何かと言えば、使者が織田本陣で腹一杯食事をしているのがバレてしまったのである。
切っ掛けは兵糧攻めが続いている中で一部の者が『快便』というあり得ない健康状態である事に不審を持った事である。
不審に思えば使者達の普段の行動や言葉に疑惑が出てくる。
僧侶も護衛達も織田本陣での食事は己だけの秘密にしていたが、次第に気が緩み、『食事が旨かった』と口を滑らしたり、あるいは『今日は何も出なかった』と愚痴をついついこぼしたり、更に普段のマズイ食事を食べなかったり、極めつけに以前に比べて格段に健康に見える顔色に、我慢を続ける信徒の疑惑が限りなく『黒』になる。
止めは信長による流言である。
協議の為に何度も願証寺と織田本陣を往復させ、間者が忍び込み易い環境を作り出した。
こうなれば後はやりたい放題である。
織田本陣で食事をもらっている、と噂を流したり、上層部の不甲斐なさをそれとなく煽る。
元々肉体も精神も限界の状態である。
信じ込ませる要素も山程ある。
後は勝手に蝕んでいくだけである。
全てはこの決起を起こさせる為。
長期に渡り使者と護衛に食事を与え、または与えずに焦らし、不平不満と満足幸福の差を産み出したのである。
なので願証寺との交渉は形だけに過ぎず、協議と称して、答えようが無い事をズバズバ切り込む事で時間を稼ぎ続け、一揆内一揆が起きるのを待ち続けたのであった。
【伊勢国/願証寺 本堂】
突如本堂に押し入る信徒達。
仰天する僧を後目に一人の僧、それも、ひと際満腹感を満喫していた僧が目に入る。
「な、なんじゃ!? ここをどこだと……げぇぇっぷ」
慌てて口を押える僧侶。
「……ッ!?」
しかし手遅れであった。
怒り狂った信徒は、豪快なゲップをした僧侶に喰らいついた。
これは比喩でも何でもなく本当に噛みついた。
信徒の武装が乏しいのもあるが、裏切りに対する怒りと空腹で、文字通り食い殺してしまったのである。
耳を、鼻を、指を、喉を、腿を、腕を、脹脛を―――
血すらも貴重な水分として啜った。
引きずり出した内臓も食べた。
「うまい……」
味など理解できる精神状態では無かったが、一人の信徒が狂乱の形相でそう呟くと、その状況から我に返った別の僧侶が薙刀で首を撥ねた。
ゴロンと本堂に重たい音が響き渡ると同時に、別の信徒達も一斉に襲い掛かる。
あっという間に本堂が血の匂いでむせ返り人が人を喰らう地獄が誕生した。
よりによって信仰の聖域たる寺院に。
空腹も破傷風も腐乱死体も激烈な腐臭も足元に及ばない地獄の本番、餓鬼地獄である。
願証寺は僧侶とまだ正気を保っている信徒が応戦し、あっという間に願証寺全域が制御不能の大混乱に陥るのであった。
あちこちで僧侶と信徒、あるいは信徒同士が衝突し、多数の信徒や僧侶が喰い殺され、また、人食い餓鬼と化した信徒を比較的健康な僧侶や信徒が懸命に応戦した。
この異常事態は離れた織田軍にも直ぐに伝わった。
【織田本陣】
「ようやく成ったか! 全軍に徹底させよ! これより願証寺には絶対に手を出すなと! 万が一囲みを突破しようとする一揆兵がいるなら道を譲れ! 逃げても構わないから絶対に関わるなよ!」
遠目に見える願証寺の喧騒を感じつつ、信長は厳命した。
《こ、これを待って……いたのですか……》
信長の視界を通して異変を見ているファラージャが、1億年後にも勝るとも劣らない光景に絶句した。
《そうじゃ。前々世では一揆軍の恨みを織田とワシが受け止めた結果、大損害を受けた。考えたよ。どうすべきだったのかを。狂おしい程考えてようやく辿り着いたよ。奴らの行いは基本的に自業自得。ならばその恨みは自分達で消費してもらうのが筋であろう》
史実では、狂乱の徒と化した信徒に、取り返しのつかない大損害を喫した信長である。
その反省を活かすべく、桶狭間の戦いの後の包囲から徹底して直接的な決戦を避け、可能な限り搦め手で願証寺とは争う政策を通した。
全ては歴史を覆すために。
《な、成る程……それにしても……》
《酷いと思うか? ……ワシも思う。だからこそ今まで散々に願証寺領民の脱出を促してきたのだ。数万単位で討ち取った前々世を思えばこそじゃ。これがワシに出来る、織田の武将を討ち取らせずに、かつ、信徒の討ち死にも極力減らす、現状で出来る精一杯の策と配慮じゃ》
史実では5万以上の死者を出したと言われる願証寺。
今回では順調なら1万以内の死者で収まると信長は予測している。
しかし史実に比べて大幅に死者を減らした事を評価すべきなのか、非道な干殺しを敢行した戦略を非難するべきか?
別の歴史を知るファラージャならば、歴史を覆し死者を減らした事を評価するであろうが、この歴史しか知らない今を生きる人々には悪鬼の所業と映るかもしれない。
ファラージャはコメントに困り、一つどうしても気になる事を尋ねた。
《でも……凄く危険な策ですよね?》
《あぁ。ギリギリの勝負じゃったと思う。ある意味、僧侶の傲慢と信徒の我慢強さに助けられた形じゃ。僧侶がもう少しでも謙虚で、信徒がもう少し我慢に弱かったら、こうはならず、前々世と同じ結果になったであろう》
包囲を続けた織田軍も相当に恨みは買っていたはずで、一歩間違えば結果がどうなるか本当に不透明な策である。
願証寺側が『以前の歴史に比べて温情ある戦いだった』などと理解する事はあり得ない。
だからこその長年の丁寧な願証寺対策と、意図的に食事を不公平に与え不満を煽り、恨みの矛先を願証寺内部で暴発させる事に腐心したのである。
ある意味、危ない綱渡りであったが、最後の最後で破滅の天秤は願証寺に傾いたのである。
「内乱が収まったら降伏を受け入れる! 生き残りは誰であろうと保護せよ!」
結局、日が落ちるまで願証寺の内乱は続き、生き残りは1000、五体満足に限定するなら500にも満たない数であった。
こうして願証寺との争いが終わりを告げたのであった。
【26日目】
信長は生きている信徒を願証寺から全て退去させると、損壊と腐臭の激しい死体が山積みになる現場を歩いて回って、同行させた軍の指揮官達に言って聞かせる。
「これが一向一揆の恐ろしさじゃ。対応を間違えれば、ここに転がっているのは我らだったかもしれぬ」
死体など珍しくもない戦国時代。
死体など慣れ親しんだ存在といっても過言ではない武士達。
しかし、今はまだ数千の死体が発生する戦場など稀も稀な戦しか経験していない織田軍諸将は、吐き気の込みあげる凄惨な現場に戦慄する。
時代が時代なので、腐乱死体も見た事が無い訳では無い。
しかし、ここまでの惨状を引き起こす破壊力が、自分たちに向けられていたらと思うと『ゾッとする』などと言う言葉では到底足りない感情が沸き上がる。
包囲前半で相撲をとって楽しんでいた事など、すっかり忘れてしまう程の衝撃であった。
「よし。では兵を入れて解体作業にかかれ。この長島から願証寺の痕跡を完全消滅させる!」
信長は包囲に使った逆茂木や柵、あるいは砦の残骸を願証寺に運び入れさせると火を放った。
多数の死体を巻き込んだ火は、見た事のない程に高い火柱を作り天を焦がす。
浄化の炎でもなく、かと言って地獄の業火でもないが、何故か厳かな炎を作り出す願証寺は3日3晩燃え続け長島から姿を消した。
【信徒の収容場所】
(証恵上人)
命からがら奇跡的に願証寺から脱出する事に成功していた証恵は、生き残った信徒に紛れ込んでいる所を呼び止められた。
捕まったら処刑は免れない立場の証恵。
偽装にと、ボロを着込んで泥と血で体を汚したのであるが、それを嘲笑うかの様な呼びかけ、と感じてしまう程に精神を衰弱していたので、本当に口から心臓が飛び出るかと思う程に驚いた。
(本願寺より帰還いたしました)
その声に証恵が振り向くと、3人の少年がボロに変装しつつ背後に控えていた。
本多正信、渡辺守綱、蜂屋貞次である。
彼らも含めた多数の使者が証恵が派遣した本願寺への使者で、今ようやく織田包囲網を潜り抜け帰還したのだった。
順に16歳、12歳、15歳の少年は織田信友と織田寛貞が『小僧共(102-1話参照)』と呼んだ者達で、三河で上げた唯一の成果にして松平家から出奔させた少年たちである。
信友達は彼らの一向宗に対する良心の呵責を突きまくり、元服したとは言えまだまだ世間を知らぬ子どもを惑わしたのである。
最初、証恵はこんな子供を送り付けた2人を恨んだが、今ではその感情は無く、むしろ絶体絶命の地獄で仏を見た気持ちであった。
全てが遅すぎた本願寺に対する怒りも忘れてしまう程に憔悴していたので、立場も忘れて嗚咽を漏らした。
端から見ても命が助かって泣いている様にしか見えず、偶然にも証恵は最高の偽装をしたのであった。
(よ、良くぞ戻った。して返答は? 援軍はいかに?)
(はっ。上人はこう仰られておりました『願証寺を放棄して帰還せよ』と)
証恵に希望をもたらした少年たちが、あっさりと絶望の一言を述べた。
今まで頑張って抵抗してきたのに、本願寺本家はとうの昔に願証寺を切り捨てていたのである。
(……!? お、お主たち、間違いは無いのか!?)
(はい。顕如上人が下した判断にございます)
(顕如上人? 証如上人ではないのか?)
(顕如上人に間違いございませぬ。証如上人は体を壊しており、実質的指導者はすでに顕如上人です)
(ば、ばかな! 確かまだ子供ではないか……)
顕如はこの時11歳。
史実でもこの年に父の証如から本願寺を継職している。
そんな子供が本願寺の運営を担うと共に、証如が重体である事も把握できていなかった事に愕然とし、織田の包囲が思いの外に厳重であった事を思い知らされたのであった。
(某は顕如上人のご尊顔を拝謁賜りましたが、あの方の判断ならば間違いなかろうと思います)
正信がそう言って他の二人も追随した。
(わ、わかった。本願寺の意向に従おう……)
己の才覚では万策尽き果てた証恵。
少年達に導かれ、後ろ髪を引かれる思いで証恵は自分の王国であった願証寺を後にする。
史実で証恵は長島一向一揆に敗れ木曽川に身投げしたと言われるが、信長の歴史改編が響いたのか命を繋ぎとめるのであった。




