103-2話 願証寺攻略 織田軍南方部隊
103話は3部構成です。
103-1話からお願いします。
【伊勢国/織田軍 九鬼定隆】
九鬼水軍衆の棟梁にして九鬼志摩守定隆は、願証寺を滅ぼせる機会を得た事で、高揚する気持ちの逃がし場所に困る程に興奮していた。
「ククク。亀のように固まっておるわ。ここまでくると憐れみすら覚えるわ!」
現に陸からでも弓矢が届く位置に船団を近づけても、一揆軍は砦に籠って固まっている。
兵力も僅かで砦としての機能もおざなりで、固まるしか無いのも仕方ない話であるが、こうまで決定的な差だと、官位を持つには相応しくない邪悪な笑顔がつい漏れてしまう程に、攻める手段が有り過ぎて逆に困ってしまう。
「せめて船で向かってくれば船団で相手してやれるものを……」
そう嘆いても一向一揆軍が自由に使える船は数える程、しかも精々が小さな漁船であり、戦船には到底及ばない。
「まぁ贅沢を言っても仕方ない……。ようし手前ぇら! 今こそ奮起する時じゃ! ワシらの積年の恨みをクソ坊主共にブチ撒ける! ヘマしたら魚の餌するぞ!!」
「へぃ! お頭ァッ!!」
最近では陸でお行儀良く過ごす機会も多かったが、織田に与して初めての本格的な水軍運用の機会に、年甲斐もなく言葉使いも荒く大声を張り上げる定隆だが、配下の水軍衆も負けずと張り合う。
九鬼水軍の士気ははち切れんばかりに高揚していた。
九鬼水軍、かつての九鬼海賊衆―――
海賊と表現すると、商船を襲い沿岸部に襲撃をかけたりする略奪集団というイメージが強い。
確かに現代ではその意味で間違いない。
しかし戦国時代の九鬼一族や村上一族ら戦国時代の海賊衆は、海の男らしく荒くれ者集団には違いないが、その仕事は商船、漁船の警護や関銭徴収など、陸地における武家の仕事と殆ど変わりはない。
無論、陸における野盗や山賊に相当する、本当の意味での海賊も跋扈しているのは間違いなく、沿岸部の住民や船を守るのも仕事である。
そんな海賊を生業とし伊勢湾を活動拠点にしている九鬼水軍にとって願証寺は本当に邪魔な存在で、昔から海上の利権を争っていたが、立場は海賊と寺院であり、どちらが世間的に顔向けできる勢力であるかは言うまでもない。
それに現在はともかく、織田家に組み込まれる前は小さな志摩国の中では大きい勢力ではあるが、九鬼一族以外の志摩の地頭と北畠氏に押され劣勢の消滅間近の勢力で、願証寺からしたら取るに足らない勢力である。
九鬼一族がどれほど自分達に正義を信じても、願証寺側に強く出られたら泣き寝入りするしかない。
何故なら勢力としての差も大きいが、どれだけ邪魔な存在でも神仏に対する反逆など以ての外である。
それがこの時代に生きる人間の常識である。
それに陸よりも危険で、天変地異に見舞われやすい海で活動するが故に、海の男は信心深いのである。
しかし、それも今は昔の話で、今は強い勢力に成長した織田家の一翼担う九鬼水軍衆である。
信長の目の鱗を落とす方針『邪悪な偽僧侶の排除』の下、今の九鬼水軍は願証寺に遠慮する立場ではなくなった。
若干『虎の威を借る狐』状態であるが、人は誰しも誰かの威を借りて生きる存在であるし、一々恥じていては戦国時代など到底生きていけない。
武士とは図太い存在でもあるのだ。
「ようし! 潮目、風向き全て良し! 帆を上げろ! 櫂を出せ! 一気に川を遡り岸に接舷! 奇襲をかけるぞ!」
川の最下流、ほぼ海に布陣している九鬼水軍。
川の流れに逆らって遡上し、一気に手薄な砦へ攻め入る戦略を選んだ。
川下流の海側の拠点には兵を多数配置しているとの判断である。
「船が……川を!? ……しまった!」
船に疎い一揆軍の指揮官武将が驚きの声を上げる。
最南端で待ち構え睨みあっていた一揆軍にとって、上げ潮に乗り、海からの風を帆で受け、櫂で力強く漕ぎ川を遡る船団はまるで現実を感じられない光景であった。
帆が無い舟が川を上るには、陸から縄で人と舟を繋ぎ、人力で上流まで川伝いに運び上げるしかない。
しかも、一向宗は敵が来るなら南方と決めつけており、いきなり奥から攻められるのは想定外で、複雑な流れを見せる長島の流域を船で遡るのも想定外である。
また、歴戦の武士や戦術を心得た指揮官がいるならともかく、指揮経験のある武将は北勢四十八家の敗残兵であり、全体を統括できる戦略眼を持つ訳ではない。
兵の質も個々の信仰による底力はあれど、かと言って信仰が頭脳を補える訳ではない。
お陰で九鬼水軍は、手薄な拠点を選り取り見取りの選び放題で、長島を荒らす海賊の如く暴れまわるのであった。
「伊勢守殿は……活き活きしておられるな。水を得た魚と言う奴かのう? いや、まだ船は移動手段としてしか使っていない。船対船の構図になったら……恐ろしい! お主等もしっかり学ぶのじゃぞ?」
九鬼水軍に同行し、自身も船団を率いる河尻秀隆がぽつりと感想を漏らす。
「お……をぁ……」
「うぇ……げ……」
「お主等……情けないのう? 九鬼殿のご子息はあんなに元気だというのに」
まだ幼いながら潮の読みに関して天才的な冴えを見せる嘉隆は、船の先頭に立って海面の情報を読み取っていた。
しかし『お主等』と一括りにされた佐々成政と前田利家は、言い返そうにも船酔いが酷く立ち上がる事すら出来ていない。
今回、船を経験する為に九鬼水軍に組み込まれたが、今のところ役に立っている様子は無かった。
「ま、お主等は陸で暴れてくれれば良い。……暴れられるか?」
「……」
二人は真っ白な顔で横たわりながら、動く死体の様に緩慢に手を挙げて返事の代わりをしたのだったが、それも空しく、パタリと力無く腕を落とす。
「死んだか……。ま、船を操り戦う為の通過儀礼よ。頑張るのだな」
「……」
二人は『死んでない!』と抗議しようと思ったが、思っただけだった。
【伊勢国/織田軍 森可成】
「九鬼水軍が動いたな。これで南方に位置する砦の連中は慌てふためくであろう。その隙を突いて砦を攻略する。機会を逃すなよ! 藤吉郎(史実の豊臣秀吉)と小六を呼べ!」
可成がそう命令を出すと、即座に陣幕の外から返事が上がった。
「はッ! 藤吉郎めはここにおりますぞ~!」
「蜂須賀小六、参りました」
打てば響くが如く返事しながら駆け足で現れる藤吉郎と、影のように藤吉郎に追随する山賊と見まごう大男が可成の前に現れる。
(それにしても、こんな水と油の様な者同士が、こんなに意気投合するものかのう? しかも年下の藤吉郎に小六が入れ込んで居る。不思議な縁もあったモノじゃのう)
可成は疑うが、二人は水と油どころか水と魚を体現する程に仲が良かった。
史実の豊臣秀吉と蜂須賀小六正勝の出会いは様々な言い伝えがある。
伝説的な所では、正勝は愛知県の矢作川を拠点とする野盗の親分で、若き豊臣秀吉との出会いが面白おかしく伝わっており、現在も矢作川に両者の出会いを表現した石像が飾られている。
だが、これは『太閤記』を記した小瀬甫庵の創作であるらしい。
では真実はと言われると、イマイチはっきりしない。
資料の一つ『武功夜話』では、川並衆と呼ばれる美濃と尾張を結ぶ水運業を生業としていた説、父親の代から美濃斎藤家に仕え、斎藤家が親子で争った後に織田家に仕官した説がある。
秀吉との関係も、先述の矢作川の伝説以外に、秀吉の父が小六の父の配下だった縁、秀吉の推薦で小六が信長の配下になった説、小六と信長の側室吉乃が同郷で、小六が織田家に誘った説、他にも珍説奇説盛沢山である。
この歴史では信長周りの歴史が大幅に変わっている結果、藤吉郎が願証寺に間者として潜入している時に二人は出会い、そのまま引き抜いてきてしまった。
その経緯は、小六が生業の水運で願証寺の要求に苦しんでいる時に、助け舟を出した藤吉郎の鮮やかな弁舌に惚れ込み、結果、年の差身分差を一切無視して付き従うようになった。
(しかし……色々凄いな! 一体何がどうなったら苗字もない藤吉郎に従う関係性になるのやら? 織田軍らしいと言うか何と言うか……藤吉郎は化けるかも知れんな)
実際、一人でも有能な者が、手足となる者を得たならば飛躍的に活動の場を広げる事も可能である。
可成は二人の顔を見ながら、凄すぎて呆れそうになる己の顔に何とか威厳を出しつつ指示を出す。
「よし。これより我らは川を横断し最南端の砦から順に攻略する。渡河が可能な地点は……」
「はい! ございます!」
可成が『調べはついておるな?』と聞こうとした所、食い気味に藤吉郎が答える。
本来なら人の話を遮る鼻につく藤吉郎の対応も、愛嬌ある不細工な顔が中和してしまう。
「よ、よし、では藤吉郎は我らの部隊を先導せよ。小六は金森殿に付き同じく先導せよ」
総計2000人の規模の軍ではあるが、2000人が順番に一つのルートを渡って居ては時間が掛かって仕方がない。
時間短縮の為に別動隊を金森長近に任せると川岸に軍を進めた。
「どこを渡る?」
「はっ! この地点とこの地点、あとこの場所とこの場所に対岸まで縄を通しました。目印に赤い布を石に巻いて置いてあります。ここを目印に縄を辿れば安全に通過できます!」
「対岸までって……あの距離をか!? 何本も!? 複数の渡河地点があるのか!? 小六の案内する方もか!? 縄はどこから調達した!?」
可成としては藤吉郎と小六の2ルートの渡河拠点あれば上出来と思っていたので、その場まで案内してくれれば良く、それ以上の成果を出してくるとは予想外であった。
その反応を半ば予測していた藤吉郎は朗々と語った。
「はい! 願証寺から拝借してきました! 殿の政策と作戦、森様達の包囲で一向宗は砦から出て来ないので楽な作業でした」
あくまで『自分の手柄』ではなく『上位の者があってこそ』と持ち上げ、下に位置する者として完璧な模範解答を藤吉郎が行う。
(嘘だ!)
嘘というのは藤吉郎が虚偽の申告をした事を疑っているのではなく『楽な作業だった』と言う部分である。
(幾ら殿の作戦が完璧に決まったとしても、一向宗が誰一人として警戒しない何て事はあるまい! この川幅を対岸まで通す縄の準備、縄の重量も半端ではあるまい。それを敵に悟られず安全地帯を調査し複数の道を作り成し遂げるとは! 小六の水運衆の力もあろうが、この手際の良さと気の使いよう……何と使える男よ)
流石は史実で信長の草鞋を懐で温めた実績のある、藤吉郎の本領とも言える気遣いである。
(しかも戦略眼も備え、この作戦を速度重視と気づいておる! 素早い渡河を何より優先している事を把握しておらねば、ここまで気の利いた準備はできまい!)
並の者なら、渡河可能地点まで案内するだけで終わるだろう。
少し気の利く者なら、数か所の候補箇所を用意するかもしれないが、その場所まで先導する行為を手間とは考えないだろう。
しかし藤吉郎は小六と合わせて8ヵ所もその場所を作った挙句、自身の案内が無くても通過可能な下準備までした。
仮に戦略眼故の判断ではなく、本心からの気遣い立ったとしても合格点を遥かに超える成果であり、与えられた命令をただ実行するだけの兵には出来ない行動である。
だが、史実での伝説である墨俣一夜城の実績から考えれば、川の安全地帯に縄を通すなど、藤吉郎には楽では無いにしても十分に達成可能な仕事である。
「よくやった! 藤吉郎よ、この戦が終わったら殿には我が軍の武功第一位と報告しておく!」
可成は藤吉郎の功績を正確に評価した。
イチイチ手柄を自慢げに語らないのも、上役への感謝を語るのも好印象である。
しかし、ここで可成が藤吉郎の『楽な作業でした』と言う報告を真に受けてしまうと、下に就く者の心は離れてしまう。
隠された苦労と困難な仕事の成果を、正確に拾い上げてこそ上役は務まるのである。
それが出来ない上司につく部下は功績を1から10まで説明しなければならず、聞く側も自慢話を延々聞く羽目になり両者にとって良い関係は築けない。
逆に上司が全てを察せるのに部下が一言で済む成果報告に自慢話を重ねてきても、お互い良い関係は築けない。
その点、可成と藤吉郎の関係性は百点満点の関係であった。
「ありがたき幸せ!」
ポテンシャル溢れる藤吉郎は、不細工な笑顔で返事をし、その笑顔を見て可成はこの作戦の成功を確信するのであった。
その後、あらゆる中洲に対する多数の上陸地点を事前に知る可成軍は、電光石火の早業で砦を落としていくのであった。
【伊勢国/織田軍 北畠具教】
「九鬼水軍が動いたな? よーし、それでは我らも進軍を開始する! 北で待っている殿の下に合流するぞ!」
森可成軍と同じく、九鬼水軍の奇襲を陽動とした南西側の砦攻略を北畠軍は開始した。
そんな進軍開始命令を輝く笑顔で具教は下し、その光景を見る3人は何とも言えない顔をした。
「殿は変わったなぁ」
「本当にな」
「兄上は実に活き活きしておられましたな」
そう話すのは、織田家に組み込まれる前から主従関係を結ぶ、藤方慶由、鳥屋尾満栄と、弟の木造具政である。
具教の変わり様、特に大木砦でのはしゃぎ様は、単独勢力として伊勢に居た頃には考えられない驚きの姿であった。
屈辱の臣従から格の差を思い知らされた桶狭間、果てしないスケールで押しつぶされそうになる政策。
具教は信長と己との力の差を見せつけられ、かつては悔しくて悔しくて眠れぬ日々もあった。
しかし今では、嬉々として大木砦では挑発の限りを尽くして大はしゃぎするまで様変わりしており、家臣と弟は信じられぬ光景を見る思いであった。
「兄上、織田の殿に対する蟠りは解けたようですな?」
周囲の目もあるので気を使って囁き声で兄に確認する具政。
しかし―――
「ば!? 馬鹿を申す出ないわ! いつか必ず奴にワシを認めさせてやるわ!」
「ッ!? し、失礼しました!(認めさせる……ね)」
その気遣いも無駄になり、憤怒の形相と大声で具教は否定した。
かつては、隙あらば裏切り寝首を掻こうと画策していた北畠具教も今は昔で、今ではすっかり織田の一翼を担う重要ポジションに収まっている。
一見すると具教の言動はアレなのだが、よくよく聞くと、昔なら『倒す』とか『逆襲』、あるいは『殺す』など物騒な言葉が並んでいたが、具政が感じた様に今出てきた言葉は『認めさせる』である。
それは親や主君に功績を認めてもらいたい忠臣の様に見えなくもなかった。
(これは……逸る心を抑えられない初陣の武者と言うべきか?)
(いやいや、振り向いてくれない美女に対する男の嫉妬では?)
(うーん、自分の作品を認めてもらいたい弟子と厳しい師匠の関係では?)
具教が更に激高するとマズイので、ヒソヒソ声で話す三人であった。
実際の所、具教はもうすっかり信長に対する牙は抜かれてしまっているが、代わりに強力な対抗心、しかも好意的な対抗心が芽生えており3人の推測もあながち間違いではなかった。
知らぬは具教本人ばかりで周囲の者達にはバレバレであり、まるで恋心を隠すのが下手クソな子供の様な具教に変貌してしまっていた。
「大体! ワシより上に立つ男が無位無官と言うのも気に入らん!」
「は……え!?」
突然の具教の怒りに、家臣達は言葉が続かなかった。
織田家における具教は元々任じられていた『従五位上 侍従』の官位から『従五位上 伊勢守』となったが、これは織田家における二番目に高い官位を持つ事を意味する。
では一番目は誰か?
それは信長ではなく、『正五位下 治部大輔』の今川義元である。
しかし義元は対外的にはまだ同格の同盟関係で例外なので、依然として具教は織田家最高官位の持ち主なのである。
対して信長は無位無官であり、主従で身分が逆転しているのに信長は是正しない所か頑なに官位を名乗らない。
これに対して当初の具教は『低い身分のまま自分の上に立つ事で北畠家を馬鹿にしている、つまり『うつけ』なのだ』と思ったが、信長の兄の信広も九鬼定隆も具教と同格の身分に据えられており、その考えは否定された。
じゃあ『理由はなんだ?』とどれだけ考えても真相は分からない。
「殿の考えは訳が分からぬ」
結局こう結論付けるしか無かった。
むろん、信長なりの考えがあるのだが、これを理解できているのは織田家でも信長だけで、帰蝶もファラージャも知らない。
そんなモヤモヤを抱えている内に、目標地点の砦に到着し攻略を開始する北畠軍。
しかし攻略と言っても粛々と乗り込んでいって敵を蹴散らし追い出す、どちらかと言うと戦いより作業と表現した方が正しい様に錯覚する程、手応えのない戦いであった。
「飯尾殿、滝川殿!」
具教が、軍目付として同行している二人を呼んだ。
「はっ、何でしょうか?」
今後の方針を確認する為に呼ばれる―――と思っていた二人であったが、具教の口からは全くの予想外の言葉が飛び出してきた。
「ワシは今回の戦が終ったら、北畠の総力を挙げて殿の為に朝廷から官位を授かろうと思う。最低でも正五位上を貰わねば織田家としても示しが付かぬと思うのじゃが?」
「は? え……そ、そうですな」
「よ、良い考えですな」
尚清と一益は具教の申し出に、どう対応したものか困ってしまった。
確かに具教の言い分は正しい。
2人も信長の官位に対する方針は理解が出来ない。
ただ―――
具教のこの申し出も、イマイチ理解できない。
言っている事は正しい。
ただ、感情が正しく無い様に見えて仕方ない。
以前の具教は、織田の下に付く怒りと屈辱を原動力にしていた―――と思っていた。
しかし、今は出てくる言葉は一見挑発的に聞えるが、本心がまるで逆に聞えて仕方ない。
しかも逆方向の意味が、足を引っ張るようなマイナス面ではなく、憎さが反転して好意に転じているプラス方面なのである。
「あーッ!! 兄上ッ!? その為にも……えーと、今回の戦で手柄を立てるのが宜しかろうと思いますぞ!?」
「そ、そうそう! 何はともあれ、まずは目の前の敵!」
意味の分からないタイミングで謎の気遣いを見せた具教に対し、慶由と弟は懸命に誤魔化す様にフォローした。
「うむ、そうよな。来年の話をすると鬼が笑うとも言うしな。まずは目先の願証寺よ」
(も、申し訳ござらん! 殿の発言は織田の殿を思えばこその申し出!)
満栄が声を潜めて軍目付に弁明する。
(わ、分かっておりますよ)
(北畠殿の能力には何の疑問も持っておりませぬ。はい)
軍目付の2人も具教の能力に不満を持っていない。
むしろ具教の采配を学ぼうと思う程に、戦巧者と認識している。
実際に具教は、落とした砦の数と速度は織田軍随一の成績を叩き出したのであった。
「あ奴には正三位以上が相応しかろうて! ハハハ!」
北畠軍の本陣に具教の笑い声が木霊するのであった。




