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外伝18話 滝川『変幻自在』一益

 この外伝は5章 天文18年(1549年)の伊勢侵攻が終った頃の話である。



【伊勢国/長野城 織田家】


「もう一つ、滝川一益と言う中々の人物が近辺にいるらしい。何としても登用し味方に引き入れよ。伊賀忍者を使って探らせるのじゃ」


 信長から滝川一益の捜索を命じられた飯尾尚清は、伊賀忍者衆や親衛隊を使って付近や六角領まで範囲を広げて捜索を行っていた。


「ふむ。どうやら殿の仰る通り、名前は売れている様じゃな。良くも悪くもッ!!」


 尚清は一益についての集まった情報に目を通し精査して―――ついに床を叩いて文句を言った。


「なる程……解らん! 滝川なる者の評判……殿が逸材とは言うが、耳に入る情報は良い物もあるが……全く逆の物も少なく無い……名家の家系で? 鉄砲技術? 忍者で? 博打に? 酒に? 殺人? 訳が解らん! 殿の言う滝川一益と我らが捜す滝川一益は、同姓同名の別人ではあるまいな!?」


 尚清がそう愚痴を漏らすのも仕方のない話であった。


 史実の滝川一益は、織田家に仕えるまでの経歴に不明な点が多い。

 滝川家は由緒ある家系であった。

 父が甲賀忍者出身で、自身も忍の技術を習得していた。

 六角氏に仕えて鉄砲射撃の腕前と製造技術で名を挙げた。

 一族の者を殺して追放された。

 酒に博打と言った素行不良で追放された。


 全部正しいと仮定しひっくるめれば『由緒正しい名家なのに、忍者で鉄砲の扱いに長けるも、素行不良で追放された』となる。

 100人が100人とも『なんじゃこりゃ?』となってしまいそうな経歴である。


 素行不良で追放されたのは、まだ理解できなくも無い。

 しかし、当時最高機密の鉄砲技術に、これまた厳しい掟があるとされる忍者の情報を持つ者が、五体満足で追放されるとは思えない。

 良くて情報を流出できない状態で放逐されるか、追放など許されず抹殺されるのが普通である。

 それなのにも関わらず、集まってくる情報は、悠々自適の追放生活と来ているのである。


「この情報の主が殿の探す滝川一益として、正直あまり関わり合いたくない種類の人間としか思えないのじゃが? 殿は随分評価しているのがまた謎じゃ」


 尚清が理解できないのは当然である。

 史実にて織田四天王の一角まで上り詰め、武田征伐後は関東及び奥州との対応を担当する滝川左近将監(さこんしょうげん)一益の真の実力は、現状では転生した信長しか知らない。

 当然と言えば当然である。


「……何が正しいのか見極めなくてはならんのか。面倒な事にならない様に祈るばかりじゃ」


 現代と違い、ハイテク機器など望むべくもない戦国時代では、情報収集は人力が全てである。

 しかしその情報は清濁併せ持ち、一歩取り扱いを間違えれば、虚報や偽情報を掴まされて、致命傷を負ってしまう事態に発展する事もままある話である。


 技術の発展した現代でさえ(情報の氾濫した現代だからこそとも言えるが)フェイクニュースや出所不確かな噂話に踊らされるのが人間である。

 ならば、現代に比べて遥かに脆弱な国家体制の戦国時代。

 現代より穴や虚偽満載の情報の見極めに、神経を擦り減らすのは止むを得ず、統治を行う者には判断がを下すのに四苦八苦するのであった。


 そんな訳で、尚清も四苦八苦しつつ真偽の見極めを行っていたのだが、面倒な事にならない様に願った、ささやかな祈りはあっさりと裏切られた。

 情報収集に当たっていた伊賀忍者が戻ってきたのである。


「申し上げます。滝川殿と思わしき者を見つけました」


「そうか。して何処におるのじゃ? あっ……」


 忍者の困惑した表情で、尚清は色々察してしまった。

 正に『目は口ほどに物を言う』を体現した忍者は、自身がこの目で確認して来た事を詳細に話し始める。


「それが……その―――」


「は? 何だってそんな所で?」


 余りの予想外の答えに、尚清は嫌な予感が的中した事を悟った。


「アレは本当に、織田様の探し求める人材なのでしょうか?」


「と、とりあえずはその現場に向かおうか。実物を見て判断するしかあるまい……」


 尚清は報告をした伊賀忍者を伴い、現場に向かった。



【近江国/繁華街】


 その現場は近江商人が活動を行う町で、大変な活気に満ち溢れており、此処彼処で人と人の喧騒が起こる繁華街であった。


「アレです」


「あ、アレか……アレなのか……」


 忍者が視線を向けた先には、酒を提供する店が立ち並び、とある店先にはやたらと体格の良い若者が呼び込みを行い、せっせと給仕をこなして働いていた。

 その若者こそが、尚清と忍者の捜索していた滝川一益であった。


「……無銭飲食をしでかしたそうで、返済の為に働いているとの事です」


「何と無様な……。しかし人相は殿の申した通りじゃ。……仕方ない。接触を図るとするか……ん? お?」


 その男は情けない働く理由とは裏腹に、仕事に対して何をするにも無駄が無い。

 何かをするついでに、別の何かを行う効率を追求したかの様な、いわゆる『出来る人間』の動きであった。

 これは、たかが酒屋と言えど、無視できない雰囲気を醸し出していた。


「ほう。これは意外と……。しかし、ますます事前情報通りじゃな。良い悪いが両極端じゃ。しかし藤吉郎もそうじゃが、出来る人間は雰囲気を持って居るな。よし」


 そう言って尚清は接触を試みた。


「もし? 失礼じゃが―――」


「へい、らっしゃい! これはお武家様! 2名様ですか?」


「う、うん? あぁ、そうじゃ。空いておるか?」


 声を掛けようとしたところ、尚清と伊賀忍者は一益に客と勘違いされたが、間近で仕事振りを見るのも悪くないと思い直して、酒屋に入るのであった。


「……どう思う?」


 尚清が忍者に一益について尋ねる。

 尚清自身の考えとしては、探し求める滝川一益に違いないと思っているので、聞きたいのはその先である。

 即ち忍者としての素養があるかどうかを、同伴した忍者に尋ねたのである。

 どんなに巧妙に振舞っていても、見る人が見れば見抜ける物もあるし、どんなに隠していても、つい仕草や癖が出てしまう物である。


「……給仕の動きだけで忍者と断定するのは難しいですが、足運びや気配りの仕方は並ならぬ物を感じます。少なくとも全くの無能という事はありますまい。現時点でなら下働きの者としては間違いなく合格でしょうな」


「なるほど。読み書きと計算……計算は店で働く以上、基本は問題なかろうし読み書きは後でも良かろう」


 現在の日本は99%の識字率を誇り、余程のやむを得ない事情や不幸な生い立ちが無ければ、生活に困らないレベルで文字の読み書きは可能である。


 だが戦国時代ではそうはいかない。


 文字の読み書きが可能と言う事は、戦国時代に履歴書があるのならば、特技の欄に『文字が読める、書ける』と記載できる位にレアスキルであった。


 では町や村に法令の施行や、情報提供の立て札を立てた場合はどうするかと言うと、立てた所で読める者が少ないので、村の知恵者や長老と言った人達が住民に読んで聴かせるのが一般的であった。


 小学生で習う四則演算も同様で、扱える者は商人や武将といった、生きて行く上で、絶対に必要な人種以外に知りえない知識であった。


「ならば、緊急時の対応で見極めるとしようか」


 そう言って尚清は立ち上がると、千鳥足を演じつつ、徳利を運ぶ為に通りかかった一益に倒れ掛かった。


(避けるか? 支えるか? 見せてもらおうか!)


 だが一益は尚清と共に組んず解れつ、見事に巻き込まれて倒れていった。

 だが―――


 地面に激突する間際、尚清に覆いかぶさる位置にいた一益は、強引に体を入れ替えて自ら下敷きになった。


(!!)


 これには見ていた忍者も尚清も驚いた。

 並の者には到底できない動きもさる事ながら、徳利を落としたり中身を零す事もなく、見事な体捌きで人も酒も守ったのである。


「お武家様、大丈夫ですか!?」


「お、おぉ……すまぬな。ここの酒は強いのう? 滝川殿、そうは思わぬか?」


「……やはり某を試されていましたか」


「なんと! 気づいておったか! 店主!」


 無駄のない動き、効率性を追求した考え、咄嗟の判断と体捌き、武士であっても下働きも可能な柔軟な思考に、周囲からの視線や違和感に対する察知。

 仮に読み書き計算が出来なくても、スカウトしたい人材である事は間違いなかった。

 尚清はそう判断して酒屋の店主を呼び、一益の無銭飲食代金と迷惑料を込みで支払い、身柄をもらい受けたのであった。


 こうして、とりあえず仮宿に招き入れた尚清は、上記の理由を並べ立て褒め称え、是非織田家に仕えて欲しいと申し出た。


「某をそこまで評価して頂けるとは望外の喜び! それにしても織田家ですか! 成長著しい力ある家ですな。短期間で伊勢を制した腕前と『うつけ』と名高い当主。興味は尽きませぬなぁ」


 本当は興味が尽きないどころの話ではない。

 実は織田家には、仕官候補先の第一候補として入りたいと一益は願っていた。


 ただ、自分を安売りしたくないし、自分から仕官を申し出るのも足元を見られそうで嫌である。

 そこで考え付いたのが、信長の真似である。

 ようするに一益流に『うつけ』を演じ、獲物が掛かるのを待ったのであった。


 その為に、良家や忍者や鉄砲から、少々やんちゃな素行不良な噂まで自ら流して織田家が食いつくのを待った。

 辛抱強く『うつけ者』なら『うつけ者』に通じるモノがあるはずだと睨んで。


 そんなこんな思惑を心に押し込めて、滝川一益は大した事ではないと演じつつ、満更でもない顔をしていた。


「ただ一つ、どうしても分からぬ事があるのじゃが、……それ程の器量を持ちながら何で無銭飲食を?」


「うぐッ!」


 一益は痛いところを突かれた。

 実は負のイメージに繋がる情報は、敢えて流した情報である。

 そんな情報に引っ掛かり、手を引いてしまう様な懐の狭い勢力にスカウトされない様に。


 だが無銭飲食は本当に偶然が重なり、本当にタイミングの悪い時に銭を失い、それに気づかず酒屋で羽振りの良い噂でも作ろうと豪遊してしまい、結果店主に平謝りする羽目になってしまっていたのである。


 良い噂を作ろうとして悪い噂が作られてしまい、今まで故意に作った物とは違って、正真正銘の悪事を働いてしまった事になったのである。


「そ、それは……こんな状況の某であっても誘ってくれる懐の深い家を見極めるためにですな……いや正直に申しましょう。某がうかつだっただけでござる! ……こんな某ですが是非とも織田様に仕えとうございます」


 一益は正直にスカウトを待ち続けた策である事を白状し、無銭飲食の代金を払ってくれた尚清に対して地面に頭をこすり付けて感謝し、改めて仕官を願いでた。


「まぁ、あれしきの事ならば我が殿に比べれば可愛いもの。それよりも悪い噂は意図的として、良い噂はどうなのじゃ? 鉄砲や忍術あれも意図的か? できれば殿に披露する前に腕前を見せてほしいのじゃが?」


「わかりました」


 自信満々に答えた一益は庭先にでると、懐からクナイをとりだした。

 どうやら庭先の木を狙っているようである。


(クナイですか。忍者ならば扱えて当然の道具。噂の真偽も確かめられましょう)


(そうじゃな。滝川殿と木の間は約10間(約18m)。腕の立つものならどれ位の精度で命中させられる?)


(そうですな。上級者ならば百発百中、2本に1本当たるなら中級者といったところでしょうか?)


 忍者が尚清にそう耳打ちした。


「えいッ! そらッ!」


 そうこうしている内に、一益は5本のクナイを投げると2本は木の幹の端ギリギリに当たり、3本は逸れて壁に突き刺さった。

 一益は振り返り『どうだ!』と言わんばかりに尚清達を見た。


「う、うむ、お見事。(……下級者か?)」


(そ、そうですな。むしろ、忍者の訓練をせずに当てたのなら、それはそれで大したものとも言えますが……。ただ、それにしては堂に入っているというか……?)


 尚清も忍者も、微妙な顔をしたいのを懸命に我慢しつつ、一益の腕を褒めた。


(こうなると鉄砲の腕も眉唾か?)


(否定はできません)


「よ、よし! 次は鉄砲の腕前を見せて頂こう」


 同じ距離で木の幹を狙った鉄砲は、今度は見事に幹のド真ん中に命中した。

 身長3mの人間がいれば、確実に仕留めていたであろう場所であったが。


(鉄砲も忍術も出来なくは無い、と言ったところかのう?)


(器用貧乏、とまでは申しませぬが、自ら流した噂に尾ひれがついたのでしょうな)


(まぁ無能な者よりは断然マシじゃて。織田家において何か一芸を身に着ければ良かろう)


「うむ。滝川殿、腕前はしかと見せてもらった。明日にでも尾張に向かう故に今日は休まれるが良かろう」



【尾張国/那古野城 織田家】


 尚清は滝川一益を引き連れて那古屋城に向かうと、任務達成の報告として信長と引き合わせたのであった。

 滝川一益の到着は信長も待ち焦がれていた様で、尚清を激賞するのであったが、余りの褒めっぷりに尚清が不安を覚えてしまっていた。


(と、殿が言う人材で間違いは無かった様じゃが、殿が期待する能力かと言われると疑問が……しかし)


 喜ぶ信長に、尚清は口を挟む事が出来なかった。


(まぁ後は滝川殿の責任。ワシは間違いなく任務をこなしたのじゃ。戦や任務の時はそれとなく注意して補佐しよう)


 そう言って改めて尚清は信長を見ると、一益に対して早くも役割を申し付けていた。


「――—そんな訳で、じきに今川との戦いが予想される。お主にはワシの密命を遂行したり、謀略の為に働いてもらいたい。とりあえずは決戦場所と目される桶狭間の地形を頭に叩き込んでおけ」


(器用貧乏なら適任の役割か? ビックリする程信頼しておって逆に怖いが)


 尚清は一応の安堵をしつつ、無事任務が終わった事を実感したのであった。



【尾張国/滝川屋敷】


 その日の夕方―――

 一益の与えられた屋敷にて。


 一益は縁側の庭に生えた木を確認すると、目にも止まらぬ早業と言うべき身のこなしで懐からクナイを取り出し、5本連続で木に投げつけた。

 尚清と忍者に対して披露した時とは雲泥の差がある程の早業であった。


 先に投擲した4本のクナイはサイコロの『4の目』の様に突き刺さり、最後の5投目はド真ん中に命中しサイコロの『5の目』を完成させた。

 尚清の屋敷にて披露した距離よりも、遠くの木というオマケつきである。


 一益も己の技に満足げに頷くと、今度は鉄砲の準備に取りかかる。

 先ほど投げたクナイに照準を定めると、轟音と共に発射された弾丸が『5の目』のクナイに命中し弾いた。


「ホッ! 何と今日は絶好調であったか! 道理で驚ほど順調に仕官が叶う訳よ!」


 尚清に見せた忍術と砲術は、実はカモフラージュであった。

 仕官を希望したとは言え、まだまだ織田家において立ち位置を確立していないので、手の内を明かさずにいただけである。


 所謂『能ある鷹は爪を隠す』とも言うべきか。


 器用貧乏ならぬ器用裕福(?)にして変幻自在の柔軟性。

 これが滝川一益の神髄であった。

 仕官前に自ら流した噂も含めて(少し失敗したが)、滝川一益は自分を演出する方策に長けていたのであった。


「飯尾殿には悪い事をしたなぁ。じゃが、織田家は信頼できそうじゃ。いずれ折を見て謝罪をしなければな」


 いずれは能力を全開にするにしても、今ではない。

 それは今川家との戦いで、縁の下の力持ちとして発揮してから、徐々に披露していく事である。

 滝川一益は隠した爪を発揮する日を今川家との戦いと定め、信長を自分が仕えるに値する人物として認識した。


「それにしても我が殿となる織田信長なる人物。計り知れない深さを感じる。あんな10代の若造が出せる雰囲気ではないぞ? 今まで見てきた誰よりも大きく感じる。ワシの事も全て見透かしているかの様な言動と言い、仕官に浮かれて失態でもしようモノなら大変な事になりそうじゃて……」


 信長が転生したなどとは、夢にも思える事ではないので仕方がないが、解らないなりに感じる事ができるあたり、やはり滝川一益も一流は一流を知ると言うべき存在であった。


「さて、明日より桶狭間の下見じゃ。磨いた忍者の腕前を発揮するかのう」


 ところで肝心な事である、何故滝川一益は忍術と砲術の腕を持つに至ったか?

 前述の通り、戦国時代に現代のハイテク情報セキュリティは望めない。

 更に蛇の道は蛇とでも言うべきか、乱世故にアンテナさえ張っていれば情報は転がっている。

 そこに強烈な上昇志向を持った人物がいる。

 そうなれば、後は火を見るより明らか。

 貪欲に学んで吸収し、才能を磨くのである。


 ただ、そんな努力が必ず報われる訳ではない。

 主君への裏切りも、奉公も、家臣の思うが儘であった乱世であっても、血の繋がりや長年の奉公だけで、重要な地位が占められる家が99%以上である。

 しかし、織田家だけが乱世において真に実力主義を導入し、農民の羽柴秀吉、浪人の明智光秀、氏素性が分からぬ滝川一益が、歴史に名を残す事に成功した。


 織田信長という異端者が居てこそ、才能を発揮できたとも言える。

 その幸運を噛み締めつつ、桶狭間の地を調査し地形を叩き込んだ一益は、決して派手では無い物の、確かに信長の戦を助け勝利を呼び込む一因となる事が出来たのであった。

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