表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
8章 天文21年(1552年)老いてなお鬼神なり
103/447

81話 高時川砦攻防戦

挿絵(By みてみん)


【近江国/高時川砦 斎藤義龍軍】


「殿! 織田殿の堰攻防で決着がついた模様です! 浅井軍は壊滅、堰は破られましたが遠藤直経を捕縛したとの事!」


「ようし! やったか! 義弟の鉄砲隊がこちらに援護に来たら斉射を行い、怯んだ朝倉軍に突撃をかけて追い払う! 先日の借りを返すぞ!」


 砦での斎藤軍と朝倉軍の攻防は一進一退、と言うよりは、やや膠着状態に陥っていた。

 朝倉軍は砦にて防御を固める斎藤軍を攻めあぐね、斎藤軍は朝倉宗滴を警戒して積極的な攻勢に出られなかった。


 そこで朝倉、斎藤の双方が期待していたのが、堰の攻防で決着がついた後での援軍である。

 朝倉軍は堰を破壊した浅井軍の横やりを当てにし、斎藤軍は織田軍の鉄砲隊に打開の期待を寄せていた。

 結果は浅井軍の壊滅であり、攻勢の機会を得たのは斎藤軍であった。


 斎藤義龍は、積年の恨みを晴らさんとばかりに突撃の準備をさせて、織田軍の鉄砲隊を招き入れる。


「義兄上、待たせしましたな。鉄砲隊いつでもいけますぞ」


 側にやってきた信長が、鉄砲隊の準備が完了した事を告げた。

 整然と並ぶ300丁の黒光りする銃身。

 散々に聞こえてきた轟音。

 飛来する赤熱の弾丸。

 これらは、敵味方共に威圧するに十分の迫力を備えており、戦場に一種の緊張感が走った。


「義兄上、号令を」


「うむ。この一撃をもってして北近江は我らがもらう! 鉄砲隊放てぇッ!」


 義龍の号令の下、300丁の鉄砲から今回の戦で、散々死を振りまいてきた轟音が響き渡る。

 通信機や電気的指令で行う一斉射撃ではないので、どうしてもタイムラグが発生してしまう。

 だが、却って(かえ)そのタイムラグが、義龍と信長を中心に、中央から両端に向かって順に放たれる轟音を奏で、左右対称の一瞬の芸術を思わせる美しさがあった。


 その死の芸術による効果は、残念ながら黒煙が遮って目視は叶わなかったが、効果抜群である事は十分に伝わってきた。


 何故なら、前方の朝倉軍からは多数の悲鳴が上がって、射撃の効果を自ら教えてくれたのである。

 人が痛みに耐えかねて口から吐き出される絶叫は、鉄砲の轟音にも勝るとも劣らない脳裏にこびり付く、おぞましい悲鳴であった。


「ようし! この煙を煙幕として利用し突撃をかける! 鉄砲隊は次弾を装填し待機! 義弟よ、援護の時期は任せる!」


「はい。お任せを。宗滴との決着をつけられませい!」


「うむ! 斎藤軍出るぞ!」


 簡素な砦の門を開け放つと、斎藤軍は昨年からの鬱憤を晴らすかの様に戦場に雪崩れ込んだ。

 所々にある煙の切れ目からは、呻き倒れ、統率の取れていない朝倉軍が右往左往しているのが目に入る。

 正面に見える宗滴軍は、浅井が敗れた事、鉄砲の掃射によって混乱し、宗滴の背後に陣を構える朝倉延景(義景)などは早々に退却準備に入っていた。


(どうやら宗滴は、延景を逃がす為に踏み止まるようじゃな。よし! 望む所じゃ! 奴さえ仕留めれば、どんな結果になろうと釣りが来る! 昨年の恨みを晴らしてくれるわ!)


 退却する延景軍と宗滴軍と、猛追する斎藤軍。

 上空から見た戦場は中央の宗滴軍が退却した分、陣形が()()綺麗なVの字を描いていた。

 今までの膠着状態が嘘の様に動き出し、燻っていた戦場の殺気とでも言うべき種火が一気に燃え上がり、熱を撒き散らしながら天に昇る。


 その熱と勢いは―――


 斎藤軍ではなく、何故か朝倉軍全体が、一気呵成と言うべき勢いを発揮していた。


 何故ならば、朝倉軍が放った火矢が、織田軍の鉄砲隊兵士の火薬や鉄砲の火皿に命中し、多数の暴発事故を発生させていたのであった。


 義龍は後方から聞こえる火薬の轟音と共に、何故か喧噪や悲鳴に違和感を感じて振り返った。


「義弟の援護がやけに早い……? 違う! 襲撃を受けておるのか!?」


 確かに援護の要請をしたが、まだ自分自身も砦を少し出たところであった。

 効果的とは言い難いタイミングの援護を不審に感じ、周囲を見渡すと、織田軍が混乱に陥っており、右往左往する信じ難い状況が出来上がっていた。


「火!? 火矢か!? クソッ! 先日に続いてまたしても! あのジジィは化け物か!? クソォ!! この状況を狙っておったのか!? と言う事は……!!」


 狙って作り出した状況である以上、相手が朝倉宗滴である以上、この後に何も無いハズが無い。


「ジジィが退いて我らが突っ込んで……!? この形は鶴翼陣か!!」


 これが意味する事は―――


 斎藤軍は鶴翼陣の翼に突っ込む形になっており、義龍は、鮮やかにも程がある宗滴の手腕に戦慄を禁じ得なかった。

 ついさっきまで膠着状態で、それを打破する為に鉄砲隊の斉射を行ったのだ。

 それで勝機を掴んだと思ったら、一瞬の内に形勢逆転となっていたのであるから当然と言えば当然である。


(今更砦に引き返すわけにもいかぬ! 退けば敵も砦に雪崩れ込んで来る事は必定! どうする!? ……待て待てどこかで似たような状況を聞いたか知ったか見たか体験したか……その時の勝ち筋は―――!!)


「全軍……! 宗滴に対し突撃! ワシも出る! 死中にこそ活路がある!」


 義龍は下手に流れを変えるより、罠に飛び込んで強引に突破する道を選んだ。


 これは、かつての桶狭間での、義元の判断と同じであった。


 挟撃に合った義元は、背後を相手にするよりも、無理やり正面を突破していく道を選んだ。

 ただ、義龍は緊急事態故に失念しているが、義元は負けた側の判断である。

 ただし、結果的に負けただけであって、決して完全に間違った判断でもない。

 あとは、罠に押しつぶされる哀れな獲物となるか、罠を突き破る獰猛な獣となるか二つに一つ『神のみぞ知る』である。



【近江国/高時川砦 織田信長軍】


「鉄砲隊は今すぐ後ろに下がれ! 砦の最後部だ! それ以外の織田軍は突撃する斎藤軍を援護する! 鶴翼の翼を閉じさせるな! 権六(柴田勝家)、三左衛門(森可也)は朝倉軍の両端を狙え! 侍従(北畠具教)とワシの部隊は弓で援護! グズグズするな!」


 義龍の意図を察した信長は、素早く指令を出すと共に、勝ち筋を援護するべく攻撃に移る。

 一方で、改めて今の事故同然の惨状を振り返る。


《こんな偶然が、いや、必然なのか!? だとしてもだ! ……理不尽すぎやせんか!? 戦とは何と難しき事か……! 前々世のワシは宗滴と争う事が無かったが、それは本当に運が良かった事なのじゃな!》


 前々世でも、こんな火薬を狙われての自爆など、許した事は無かった。

 当然だが、決して油断もしていない。

 先日許した敵中突破を鑑みて、宗滴の実力の高さを上方修正して臨んだ戦であった。


 そんな前々世の覇者の予測を、軽々と上回ってくる朝倉宗滴に対して、信長は舌を巻いて称賛するしかなかった。


 運も実力の内と言うが、強い武将は例外無く運も強い。

 火矢を撃ち込まれて鉄砲隊の兵士に当たり、尚且つ、所持する火薬に引火するなど、信長の記憶に無い。

 宗滴は運が強すぎる。

 信長は、改めて誰を相手にしているのか思い知った。


《朝倉宗滴の武勇伝は色々伝わってますけど、どうやら控えめに伝わっていたみたいですねぇ……》


 ファラージャも信長の目を通して見る惨状に、伝説の武将の実力や運を思い知るのであった。


《まぁ良い。これも経験じゃ。火薬を扱う上での火の扱いを、全軍が身に染みて思い知ったじゃろう。そう言う意味では宗滴に礼を言わねばならぬわ。……出来れば今日以外が良かったのじゃが》


 信長は、改めて後方で()()うの(てい)で醜態を晒す鉄砲隊を見やり、(まま)ならない転生の人生に愚痴をこぼすのであった。



【近江国/高時川砦 朝倉宗滴軍】


 斎藤軍の突撃と、朝倉軍の弓による射撃はほぼ同時であった。

 半ば浅井軍が壊滅し、こうなる事を予期していた宗滴は、自軍の両端に陣を構える部隊に火矢の準備をさせていた。


 織田軍の鉄砲隊はいつ火薬切れを起こすかわからないし、自分達に射撃を浴びせない理由も無い。


 射撃が無いなら無いで構わないが、火薬の残量を読み間違えた以上、『無いはず』と思うのは危険と判断したのであった。

 その結果、火矢を射かけて火薬を扱うのを躊躇させる事ができれば上出来であったのに、暴発事故まで引き起こす事に成功していた。


「ようし! 砦から釣り出す事に成功した! 鐘を鳴らして鶴翼の翼を閉じさせよ! 我が軍は突撃を仕掛ける斎藤軍を中央で受け止める! 良いか! ()()()()()()()()()()! 機を逃さず討ち取れい!」


 宗滴は予知に等しい指令を下した。


「え! 総大将自らですか!?」


 昨年に続いて、宗滴の補佐をする山崎吉家が驚いた。

 起死回生を狙って突撃して来るのは分かる。

 敵の中でも武勇に優れた武将の誰かが、自軍の大将わ狙うのも分かる。

 しかし、総大将自ら出てくるなんて、あり得るのだろうか?


 こんな逸話がある。

 川中島の戦いで上杉謙信の一騎駆けは真偽不明の伝説であるが、他にも豊臣秀吉が、かつての主君信長と蒲生氏郷の比較を行った話がある。


『蒲生氏郷軍10万と、織田信長軍5千が争っても、勝つのは上様の軍であろう。仮に氏郷が4千人討ち取ってもその中に上様は居ない。必ず脱出して逃げているだろうが、逆に上様の軍が氏郷の軍を5人討ち取れば、その中に必ず氏郷が居るはずじゃ』


 これは信長の強さ、しぶとい性格、迅速な決断を表した話である。

 だが、もう1つ氏郷側から見れば、戦術として総大将の突撃はあり得る話しであると分かる。


 勿論、何でもかんでも突撃では単なる猪武者。

 なるべく避けるべき愚策であろうと、何事も臨機応変、あえて選ぶ事もある。

 信長自身も必要と感じれば、先頭切って戦った実績もあるので、戦術的に有効であれば、大将突撃は実行される策なのである。


「奴らが逆転するにはワシを倒すしかない! それに、総大将自ら死地に飛び込まんで誰が付いてくるか? 奴は意図的にその状況を作った! それに義龍が気付いているか知らんが、敵軍の精神的な総大将は信長じゃ! 義龍の奴は捨て駒になる事も厭わん!」


 宗滴はそう断言し、防備を固めるのであった。


 こうして、織田軍が横槍を入れて鶴翼が閉じるのを妨害し、斎藤軍が一丸となって中央を掻き分け、朝倉軍がそうはさせじと応戦し―――


「やっと捉えたぞ朝倉宗滴! ここで会ったが100年目! 昨年の屈辱、先日の雪辱、今ここで晴らしてくれる!」


 とうとう朝倉宗滴を肉眼で捉えた義龍は、そう吠えて宗滴の陣に雪崩れ込んだ。


「殿は安全な場所まで退いておるな?」


「はっ!」


「ならばこれは千載一遇の好機! 奴を討ち取って参れ!」


「はっ!!」


 山崎吉家とその一党が、槍を持って駆け出した。


(やれやれ。しかしまぁ、本当にこの窮地に中央突破を選ぶとは。退いてくれれば楽なのじゃが、思い通りに行かんのぅ)


 これだけ斎藤織田両軍を翻弄して尚、まだ『思い通りにならぬ』と愚痴を溢す宗滴。

 信長が聞いたらひっくり返りそうな事を思いつつ、宗滴は槍を準備して立ち上がった。


(まぁ良い。蝮の子よ。ここまで来たら相手をしてやろう!)


 一方、義龍は側近の仙石久盛に指示をだす。


「治兵衛(仙石久盛)! 馬周りを率いて奴を止めよ! ワシは宗滴を討つ!」


「はっ! ご武運を!」


 主君を一人送り出す事は、本来は馬周衆の役目としては有り得ない。

 だが、これから相手をするのは、幾ら伝説的な武名を誇るとは言え、そこは老境著しい朝倉宗滴。


 対して義龍は桶狭間の戦いで、地黄八幡の異名を持つ北条綱成と互角に戦う武力を有している。

 対峙できた時点で最早勝敗は決した様な物である。


 無論、万が一の危機的状況になれば身を挺して庇いにいくが、久盛は勝ちを確信して主君を送り出すのであった。


「待たせたな! ここで貴様を討って決着を付ける!」


 馬から下りて槍を構えつつ義龍が大身槍を振り回して構える。

 回転させた重量のある大身槍を腕力でピタリと静止させ、義龍の膂力が尋常では無いのが容易に読み取れる。


「よう来たな小僧。ワシの武勲の一部となる事を光栄に思うが良い!」


 宗滴はそう言うや否や、義龍と全く同じ様に槍を回転させ腕力で止めた。


(化け物め!)


 義龍は、首筋にピリピリと寒気と殺気が刺激するのを感じた。

 一方、吉家と戦う久盛は、自分の判断が間違っていたのを悟って焦りだした。


「あれは化け物だ! 殿!」


 久盛が叫んだ。

 周囲の人間がほんの一瞬、久盛に注意を傾けたその瞬間、宗滴は老人とは思えぬ勢いで駆け出し、大上段から槍を振り下ろした。

 先日の戦いでは、信長に対して不安定な馬上からの攻撃で膝を付かせ、地面を爆散し抉った宗滴の剛槍である。

 それが大地に足を付けた状態で、走った勢いをそのままに義龍に襲い掛かった。


「ぬッ! ウオォォ!?」


 不意を突かれた義龍は、急いで槍を頭上で倒して防御体制をとる。

 間一髪防御が間に合って防いだ打撃は、槍と槍が激突した衝撃とは思えぬ程の、身を(すく)める様な嫌な音が周囲に響き渡った。

 その聞いた事も無い衝撃音に、周囲で戦っていた者が思わず手を止める程であった。


「ほう! ワシの一撃を受けて怯みもせぬとはな。良く鍛えておるのう?」


 宗滴は痺れた手に顔を歪めつつ、義龍の兜に隠れた顔を見ると、義龍はニヤリと笑って槍を横に薙いだ。

 しかし、宗滴はそれを難なく避けると、嬉々として笑った。


「カッカッカ! 長生きしてみるものじゃのう。ワシの一撃を微動だにせず受け止めしかも反撃する奴は初めてじゃて!」


「フン。ジジィ。長生きしすぎて耄碌したか? これしきの攻撃など何ともないわ」


 義龍は勇ましい言葉と体格に似合わない小声で、声を搾り出して言葉を返す。

 実は義龍は、全身を襲う衝撃の痺れで、体が思う様に動かないのである。

 先程、横薙ぎに払った槍も、本来なら必中の距離なのに避けられたのは、宗滴の一撃が効いていたからであった。


 それでも隙も見せず怯まなかったのは、己に課した厳しい訓練と恵まれた肉体の賜物であった。

 だが、そこが限界で足が一歩も動かせず、目線で牽制するのが精一杯であった。


「……? どうした? 攻めてこんのか? ……! あぁ、なる程! ハッハッハ! 良い演技じゃて! 良いぞ。腕力だけが戦ではない。武士たる者、どんな手を使おうとも勝たねばな!」


「ぬぐッ! ジ、ジジィ! 貴様、歳を偽っとるじゃろう!?」


 義龍は地面に己の槍の石突を突き刺し、その反動で一歩後退し間合いを取った。


「いいや? 恐らく後10年以内には死ぬ予定のジジイじゃて。まぁ冥土の土産に体感していくが良い。ワシの戦いを存分に刻み込んで進ぜよう!」


 そう言ってユルリと動き出した宗滴は、無駄の無い動きで進み出ると、槍を腕で抱えたまま、体全体で回転させて横薙ぎに斬り付けた。


 先程の一撃に比べれば幾分遅いスピードで、義龍の防御は十分に間に合った。

 槍が来る方の地面に槍を突き刺し、防御の体制を取る―――のだが、また強烈な衝撃音と供に、義龍の巨体が浮いて横に飛ばされた。

 地面に突き刺さった槍が1m程線を引いて、義龍は着地こそすれど規格外の攻撃に戦慄するしか無かった。


「あ、あと10年!? いつまで生きる気じゃ!?」


「褒め言葉と受け取っておこうか。さぁ小僧、ここまで来て防戦一方か? この戦いはワシを倒せば終ると踏んでおるのじゃろう? その為に危険を冒して突撃してきたのじゃろう? こんな機会は二度とないぞ?」


(ぬっく! 何と言う怪物じゃ! どうする!? 力では圧倒的に向こうが上! ……決まっておる! 力で勝てないなら速度で勝つしかない!)


 覚悟を決めた義龍は雄たけびと供に、握り締めた柄を力の限り握って矢継ぎ早に槍を繰り出す。

 しかし宗滴は、ヒョイヒョイと避けて払って、的確に捌いていく。


「……ッ!!(正真正銘の妖怪じゃ!)」


「何じゃ。遅い槍じゃのう? ハエが止まるわい。突きとは……こうするのじゃッ!」


 そう言って瞬く間に三閃した槍は、辛うじて後方に飛びのいたお陰で甲冑に阻まれたが、狙いは眼球と脇と内腿を狙った、刺されば勝負が決まったであろう連突きであった。


(化け物め!! 力でも速度でも勝てぬとは!? どうする!? どうすればこの怪物を倒せる!?)


 全体的には一進一退の戦場で、大将の義龍だけは風前の灯まで追い込まれていた。


「殿!」


「行かせるか!」


 久盛が救援に駆けつけようとするが、吉家がそれを許さず外部の援護も期待できない状況であった。


(ジジィに大の男が太刀打ち出来ぬとは! 相手は老人じゃぞ!? 70過ぎの生きてるのが不思議で、本来なら女子供よりもひ弱な存在じゃろうに! これではまるで……? そうか―――)


 義龍は何かに気付き、宗滴も義龍の雰囲気が変わった事に気が付いた。


「ほう。面構えが変わったな? 何を見せてくれるのやら?」


「帰蝶! ワシに力を貸してくれ!」


 義龍はそう叫ぶと、ユルリと動き出して槍を大上段から一閃した。

 宗滴はその動きに即座に反応し、最初の義龍の様に槍を頭上で倒して防御に徹する。

 その一撃は、最初の宗滴の攻撃で響いた衝撃音が再現され、周囲に耳を(つんざ)くような打撃音が響き渡った。


「っく! 気付きおったか! ならばここからが本当の勝負じゃな!」


「おうよ! 気付いた以上、帰蝶の為にも負ける訳にはいかん!」


 義龍の変貌とは如何なるものなのか?

 それは余分な力を極力抜いた、脱力にあった。

 老人の宗滴や女の帰蝶が成人男性と渡り合えるのは、脱力の使い方が抜群に上手かったからであった。


 宗滴は長年の経験で、帰蝶は未来での訓練で、それぞれ身につけたのである、

 だがそれは『言うは易く行うは難し』を地で行く様な、超技巧による武術の真髄の一端であった。

 それを義龍は土壇場で気付いて、見よう見真似で再現して見せたのである。


 それからの二人の戦いは、まさに激闘であった。

 連続して激突する槍と槍の衝突音は、鉄砲の轟音に勝るとも劣らない炸裂音を奏でる。

 周囲の兵の戦いが、二人の戦いを観戦する為に次第に収まって行き、二人の槍の激突音だけが、戦とは思えない程の静寂の中で繰り広げられていた。


 決着の瞬間は唐突に訪れた。

 今迄響いていた音とは別の、明らかに槍が折れる音が響いた。

 空中を回転して飛ぶ槍の穂先が地面に突き刺さる。


 折れたのは―――


 義龍の槍であった。


 自分の戦いに合わせた特注の槍を準備している宗滴に対し、義龍は通常の大身槍の上に、やはり戦い方と槍の扱いにおいては宗滴に一日の長があったのである。


「ふぅ~! 手こずらせてくれたが不運も実力。勝負アリじゃな?」


 義龍の足を払い転倒させた宗滴は、喉元に槍をつきつけて決着の宣言をした。

 義龍は何とか挽回しようと隙を伺うが、肩で呼吸をしつつも全く隙の無い宗滴の『残心』がそれを許さなかった。


「斎藤、織田軍に告ぐ! 今すぐ兵を退かねば、この男をこのまま討ち取―――」


 その時、轟音が響いて宗滴の甲冑を弾いた。

 如何な宗滴と言えど銃弾の衝撃には体勢を崩し、その隙を突いて義龍は脱出に成功した。


「新九郎様(斎藤義龍)! こちらへ!!」


 鉄砲を撃ったのは滝川一益で、明智光秀が朝倉宗滴に照準を合わせて告げる。

 混乱を収めた鉄砲隊をそのまま砦に置いて、精密射撃に優れる二人が信長の命令を受けて、義龍の援護に向かわせていたのであった。


「斎藤、織田軍は一端退きます。朝倉軍もそうなさいませ!」


「クッ! ……仕方ない。潮時か」


「朝倉殿、これは我が殿からの書状です。これを持ち帰り対応を協議してもらいたい」


「……信長から? 良かろう」


 光秀は信長からの書状を渡すと、退却の号令を下した。

 同時に朝倉軍も退却を始めた。


 こうして高時川砦の戦いは、両軍引き上げる結果に終わったのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ