78話 雨森城攻防戦
「あ、あのクソジジイッ!!」
雨森城周辺に斎藤義龍の咆哮が木霊した。
【近江国/雨森城外 朝倉延景(義景)軍】
信長が攻撃合図を送る前よりも、義龍が叫ぶよりも前に遡る。
雨森城北東に陣を構える斎藤軍の更に北東に朝倉軍は着陣していた。
「あれが雨森城と敵か。城と我等の挟撃じゃったな?」
「はっ。しかし、城の戦力は当てに出来ません。義父上に全てが掛かっておりますれば……」
朝倉軍総大将の朝倉延景が側近の朝倉景紀に尋ねる。
一応総大将は延景となっているが、実際の延景軍の指揮は景紀が采配を振るう。
景紀は宗滴を義父に持ち、同じく武勇に優れた朝倉家の次世代の武を担う武将である。
とは言え朝倉景紀は人間50年の時代で既に47歳。
義父がいつまでも現役で常に永遠の全盛期なので、景紀も永遠の次世代の担い手である。
最近の悩みは『次世代のまま先に死ぬかもしれない』であるのは、墓まで持っていくつもりの悩みであった。
「うむ。爺の戦いを勉強させて貰うとしよう! 先陣部隊は敵先陣に弓を射掛けよ! 始めるぞ!」
「はっ! 陣貝吹けぃ! 先陣の斎藤軍に矢の雨を降らせよ!!」
法螺貝の合図と共に朝倉軍の攻撃が始まった。
戦力差は斎藤織田連合軍が総勢10000であるのに対し、浅井朝倉連合軍は6500。
数で劣り、質も劣り、最初から劣勢が確定している戦いであったが、武将たちには悲観に暮れた顔色は一切なかった。
何故なら、朝倉家には絶対的な守護神が存在するからである。
【雨森城外 斎藤義龍軍】
「来たか。城は義弟に任せて我等は奴等を食い止める! 応戦せよ!」
斎藤軍の役目は明確である。
とにかく朝倉軍に織田軍の邪魔をさせない事である。
その為には兎にも角にも朝倉宗滴への警戒である。
「あのジジイの動きを絶対に見逃すな!」
昨年痛い目を見た朝倉宗滴への最上級の警戒は、斎藤軍の共通認識でもあった。
斎藤義龍は去年の戦いにて、朝倉宗滴の神懸かった読みによるピンポイント射撃で散々な目にあい、本当に運良く生き残っただけである。
ただでさえ厄介な相手であるからして、警戒するなと言うのは無理がある。
兵を束ねる将は目を見開いて宗滴の動向を警戒するのであった。
【雨森城攻防 浅井軍 雨森清貞】
織田軍の雨森城の攻略は淡々と始まった。
防御の弱い平城に質の低い兵士。
なけなしの資金と人材で改修したであろう城門と堀。
四方に配置されていたであろう城門は、北東の2箇所だけに橋が掛けられた状態であったが、政治利用が主な平城で通行可能な城門が一方向だけというのは利便性が悪すぎる。
これは急遽、戦に対応できる城にする為に不要な門を潰し、敵の侵入を一方向に限定させて敵を門に集中させて、質の低い兵士でも防御が楽に出来るようにと考えた策である。
少ない兵力と資金で確実な防衛を期すのであれば、現状で考えられる最適とも言える対策を雨森城では取っていた。
城主の雨森清貞は悲壮な覚悟で防衛に当たっていた。
(この城では1日持たず落城するだろう。ならば機を見て乾坤一擲の一撃を狙うしか無い!)
清貞は、もはや自身の生還を想定していない。
可能な限り損害を与えて散る事しか頭に無かった。
不幸だったのは、浅井軍の予想が斎藤織田連合軍の思惑とズレていた事であった。
何とか時間を稼いで可能な限り城を奪われない様にと考える浅井軍に対し、斎藤織田連合軍は城の奪取を目論んでいる訳では無かった。
斎藤織田連合軍の目的は雨森城の破壊と殲滅である。
徹底的に破壊し尽して、力の差を見せつけて浅井の魂を木っ端微塵にする力業である。
しかも全軍で攻め立てるので無く半分だけである。
手加減した上で木っ端微塵にすると言う屈辱にも程がある戦略をとった。
そんな戦略を取った斎藤織田連合軍は、柴田勝家と北畠具教による火矢の猛射を浴びて雨森城は大炎上を起こしていた。
どんな拠点でも火災に対する備えはちゃんとある。
雨森城も例外ではない。
しかし4000の火矢による猛射撃は、只でさえ烏合の衆の低質な兵の上に守備兵の少なさも相まって、とても全ての火種に対応できず、徐々に火災の範囲を大きくしていった。
加速度的に大きくなる火の勢いは次々と建物に引火していき、もはや建物に残る事は焼死を意味する事でしか無かった。
事ここに至っては覚悟を決める時が来たと感じた清貞は、比較的火の勢いが弱い場所へ全兵力を集め最後の命令を下した。
「これより動ける者全員で突撃を敢行する! 動けぬ者はこの場に留まり我らが出撃した後に降伏せよ! ここなら焼け死ぬ事はあるまい」
斎藤や織田の領民保護政策は敵国の領内でも噂になっている。
状況にもよるだろうが、降伏しても根切(皆殺し)となる事は無いのは充分に可能性があった。
「動ける者で農兵の目標は敵陣を突っ切っての田部山城への到達じゃ! 全速力で駆け抜けよ! ……士分の者はワシと共に死んでくれ! 以上!」
戦いである以上死は避けられない。
作戦上、どうしても犠牲が必要な時はある。
突撃命令、撤退命令、各種の指令の中で敵味方問わず沢山の兵が犠牲になっていく。
だが、それでも生き残った者が奮闘して命令を達成する為に全力で動く。
しかし清貞は『死ね』と命じた。
死ぬ事が命令として成立するのは、余程の主への忠誠、主への恐怖、自身の誇り、信仰する教え等、命を長らえる事よりも上回る何かが無ければ成立しない。
江戸時代では武士の主君への忠誠は美徳でもあり絶対的な教えでもあったが、戦国時代は全くの逆である。
嫌な命令など拒否してしまえば良いのである。
武田信玄の若い頃は、言う事を聞かない家臣の統制に悩み苦労した事実がある程である。
「ハッハッハ! あの世までお供いたします! 最後に奴らの慌てる顔を見て笑って逝きましょう!」
一人の兵がそう豪快に笑いながら言った。
今この場に残っている兵や家臣は『死の命令』を受け入れた。
元々、どんなに弱体化しても逃げ出さなかった忠臣達である。
農兵も浅井久政の善政に感謝しており逃げ出さずに残った者である。
「感謝する。仕掛ける時は朝倉軍が敵の先陣と交戦をし始めたらだ。もう間もなくであろう」
そんなある種、爽やかな気持ちで一致団結した雨森部隊は、朝倉軍が斎藤軍と交戦を始めた情報を掴むと、城門を開け放ち手あたり次第噛みつく獰猛な狂犬の様に駆け出して―――
―――次々と射殺されていった。
【雨森城攻防 織田信長軍】
300丁の鉄砲隊が城門に狙いを定め、待ってましたと言わんばかりに準備万端で構えており、明智光秀と滝川一益の号令の下一斉射撃が敢行された。
突如戦場に鳴り響いた300発の鉄砲が奏でる轟音は、落雷に匹敵する、少なくとも鉄砲以上の轟音を聞いた事のない者にはそう感じ、訳も分からず敵味方区別なく倒れていった。
浅井側は射殺されて。
斎藤織田側はあまりの轟音に腰を抜かしたり、驚いた馬から振り落とされて。
当の鉄砲を撃った者も、少人数の射撃訓練で慣れたつもりでいたが、規模が文字通り桁違いの今回の攻撃には驚き泡を食って腰が砕けていた。
「何をしておるか! 火縄を起こせ! 次弾発射準備! 鉄砲の清掃開始!」
そう激を飛ばす一益も若干声が上ずっているが、そこは鉄砲指揮官である。
何とか威厳を保ちつつ指揮を執る。
一方、従う兵達は一益の号令で我に返って思い出した様に、しかし、あたふたとしながら意志通りに動いてくれない体を無理やり動かして鉄砲の清掃を始めた。
「玉薬を注いで玉を入れろ! 槊杖で突き固めろ!」
懸命に兵達が準備をするが、如何せん遅かった。
別に怠けている訳ではないが、衝撃と動揺で震える手を制御する必要があり、貴重な火薬が銃口から零れ落ち、それがまた貴重品を無駄にしたプレッシャーとなり悪循環に陥っていく。
「次! 火皿に火薬を注げ! 火蓋を閉じよ!」
一益も光秀も、指揮をしながら自身に与えられた鉄砲の発射準備をしていく。
「構え! 目標は先ほど同様城門! 火蓋を切れ! 撃てぇーッ!」
若干のバラつきはあったが、また300丁の鉄砲が火が噴き、城門から突撃する兵がバタバタと倒れ伏していく。
第1射から2射までの間隔は、およそ50秒と言った所であった。
《まぁ……。最初はこんなモノか》
《凄い間隔が空きましたね。弓隊がフォローしてましたけど、火縄銃ってこんなに発射間隔が長いんですね……》
信長は成果を確認するが、特に驚くでも無く冷めた目で見ていた。
信長の前々世の記憶と比較するならば、とんでもない遅さである。
《遅いには違いないが、本番特有の緊張感と、あの轟音がそうさせるのだろうな》
熟練者になれば、1分間で3発の発射が可能となる。
しかし初めての運用で、そんな早業を求めるのは酷と言うものであるし、訓練では貴重な火薬を潤沢に使う訳にもいかず、砂を代用してひたすら繰り返し練習させるに留まったが、その結果、訓練では1分で2発打てる部隊が完成した。
だが、初めて実戦で経験する300丁の轟音は射手すべての度肝を抜いて動きを鈍らせた。
本来なら3発撃てる速度で発射準備する者もいたが、散発的に撃っても効果が薄いので、どれだけ早く準備が完了したとしても、発射のタイミングは全員が揃った後である。
《そう言えば、全体射撃練習はしませんでしたね》
《まだ鉄砲の大量投入を他国に悟られたく無かったからな。どこに間者が潜んでいるか解らん。少数で散発的に体感させるしかなかった。じゃからまぁ腰を抜かすのも仕方ない》
秘蔵の戦力の上に、大量投入を悟られて戦術の優位性や理論を敵に気付かれる事を、信長は最大級に警戒していた。
散発的に訓練をしているなら、辛うじて間者の警戒ラインに触れないと信長は踏んでいたが、少なくとも浅井朝倉連合軍には察知される事なく効果を発揮していた。
《早く撃つ手段はある。しかし今必要では無い。未知の轟音と共に人が死ぬ。これが敵味方共に理解できれば良い。今はそれよりも、この鉄砲の情報を持って田部山城に逃げ込んでくれる者が居ないと困る》
殲滅を目標としているが、逃げ延びた者の深追いを禁じていた。
恐怖と破壊力を伝えてもらう為であるので、ワザと逃げ道は用意してあったが、それは何十人に一人生き残って脱出できれば上出来な厳しい攻撃であった。
その攻撃を敵が城から出てこなくなるまで城門に向かって繰り返し打ち続けた。
その光景に雨森清貞は愕然とするしかなかった。
次々と射殺されていく味方。
それに対し的確に指示をする事が出来ない己に歯噛みする。
「くそ! 何たる事じゃ! まさか敵陣にたどり着く事も出来ん―――」
その時、清貞は見た―――
轟音と供に巨大な火球が唸りを上げて、自分を押しつぶす様に真っ直ぐ迫ってくる様を。
かつて体験した事の無い猛烈なスピードで飛来する火球に、清貞は本能的に今この場所から避けねばならないと察し避けようと試みた。
しかし―――
どうしても動く事ができなかった。
(足が動かん―――手―――遅い―――動―――!)
必死に手足に『動け』と念じるが、ピクリとも体は動かなかった。
視線を火球に戻すと、猛スピードから一転して、ノロノロと先程見た場所から少し動いた場所で、モグラが土を掘り進むかの様に、空気を削り取って進んでいた。
(避け―――殿に―――!!―――!)
これだけ考えて行動する時間があったのに、清貞は避ける事も出来ず、巨大な火球に顔面を焼かれながら浅井久政の今後を心配した。
(――――――もっと―――浅井を――――――殿―――――――)
巨大な火球に押しつぶされた清貞は、眉間に小さな穴を開けて倒れた。
本人が感じた火球程に大きくない弾丸が空けた穴は、鉄砲に打ち抜かれたにしては綺麗な顔のまま、他の兵の上に重なって倒れたのであった。
雨森城の攻防は決したも同然であった。
出てくるものは射殺され、城に残った者は闘う意思が無い者達である。
早々に城を片付けた信長は、全軍に後方の朝倉軍に対面する様に命じた。
「全軍反転! 後方から斎藤軍を援護する!」
(あの時、死を覚悟した浅井朝倉との戦いも、今回は楽ができそうじゃな)
信長はかつて絶体絶命の危機に陥った金ヶ崎の戦いを思い出した。
数十年越しに戦うあの時とは面子は違えど、宿敵の一つである浅井朝倉軍には特別な思いがあった様で、信長は苦笑しつつ違和感に気が付いた。
(……。何故あの時を思い出した? 何故……金ヶ崎なのだ?)
どうせ思い出すなら、小谷城や一乗谷城を攻め落とした事を思い出しても良いはずである。
何故、選りに選って金ヶ崎なのか?
(前にもこんな感覚で思い出した事があった様な……? 前ってなんじゃ? 前……前? ……本能寺……!?)
信長は2回も経験してしまった本能寺の襲撃を思い出した。
1回目の明智光秀の時も感じたが、2回目の羽柴秀吉の時にはより一層強烈に感じた厄災の予感を。
(何か途轍もない危機が迫っておるのか!? どこじゃ!? 何が起こる!?)
急いで周囲を見渡すと東南の方向に、それもすぐ目と鼻の先に位置する場所に、こちら向かってくる一軍を見つけた。
斎藤家の支配地域からやってくるその軍は、斎藤家が用意した援軍かと思った。
何故かと言えば、織田家では援軍を用意していない。
であれば、残りは斎藤家しか無い。
しかし、そんな手筈がある事を信長は知らない。
「これか!? あれはどこぞの軍だ!? 誰ぞ何か聞いておるか!?」
そう聞いた所で、信長が知らない事を他の者が知る義もない。
配下が返答に困っている所に、一騎の騎馬が信長の陣に駆け込んできた。
「で、伝令っ! あそこに見える軍は朝倉宗滴です! 大至急迎撃の手筈を!!」
「な、何じゃとッ!?」
「織田殿は織田全軍に伝令を! 某は斎藤軍に伝えます!」
朝倉宗滴は、何と斎藤家の支配地域を突っ切って戦場に来襲してきたのである。
【朝倉宗滴軍】
朝倉宗滴は大胆にも斎藤家の領地を通過して奇襲する戦略を取った。
この戦場において一番有り得ない方向からの奇襲であるので抜群の効果が見込めるが、しかし、それ故に実現も難しいルートなのであるが、宗滴は難なく成し遂げてしまった。
それもこれも宗滴の綿密な作戦と、浅井久政の長年の善政と、信長のお陰である。
宗滴は織田の専門兵士を見抜いており、兵の質で劣る自軍の戦力で勝つ事が難しい事を充分理解していた。
だからと言って『負けました』では済まされないので対策を考える必要が生じたが、生来の研究熱心な性格が策を容易に導き出した。
織田の真似をすれば良い、と。
真似する戦略は今川義元と戦って引き分けた桶狭間の戦いである。
帰蝶の一軍を海を利用し、義元にも察知できない程の超大回りで迂回し軍を戦場にたどり着かせた信長は、首の皮ギリギリ一枚残る所で勝利を収めた。
この海上輸送戦略を真似たので、信長のお陰と表現する所以であった。
史実でも『うつけ』全盛期の信長の実力を、遠くの越前の地で見抜く程の事情通である。
既に明確に興味を示している今回の歴史では、信長はより一層の研究対象となっていたのである。
それ故に桶狭間の戦略は誰よりも情報を仕入れて研究を行ってい、宗滴はすぐに信長の戦略が真似できると気が付いた。
近江には海と見紛う巨大な湖である琵琶湖があるので、ここを通過すればダイレクトに斎藤家の領内に攻め込む事ができる。
信長の戦略を真似するには十分すぎる位の条件が整っていた。
ただ、斎藤家も湖岸を軽視していた訳ではない。
配下を配置し近隣住民も手なずけた―――ハズであった。
ここで効いたのが浅井久政の長年の善政であった。
領主に対する恩義を忘れていなかった住民は、積極的な援助こそ出来なかったが、宗滴とある密約を交わしていた。
約束はたった一つ。
それは『戦に巻き込まれる可能性があるから避難する事』である。
琵琶湖から上陸する場面を目撃しなければ報告のしようもない。
嘘を付く訳でもない。
避難する事も別におかしな行動ではない。
言わば積極的な消極的行動であった。
これで琵琶湖を通過して斎藤家領内を通るルートを作った宗滴は、斎藤織田連合軍の一番注意が向いていない方向からの奇襲に成功したのである。
「これより横腹を突いて、内側から奴らを食い破る!」
「宗滴様! 敵には鉄砲が多数備わっている様です! 迂闊に近づいては危険です!」
「問題ない! あの鉄砲隊は我らに撃つ事は出来ん!」
遠くからでも聞こえた轟音は、すぐに鉄砲の存在を宗滴に教えてくれた。
しかし近づいて確認すると敵の陣形がお互いを邪魔をして、自分たちが絶対安全な場所にいる事を見抜いた。
信長の鉄砲部隊は城の城門に向かって平行に構えている。
これを宗滴の軍に銃口を向けようと思ったら、大幅な陣の移動が必要となる。
まず鉄砲隊はその場で個人が方向転換しても意味がない。
そんな事をしたら銃口の先にあるのは自分の隣にいた兵の頭である。
だから城に対して平行に構えている部隊を垂直になる様に移動しなければならないが、それは時間がかかる上に、仮に出来たとしても、そうすると今度は味方部隊が射線上にでてしまう。
明智光秀は滝川一益の部隊が、滝川一益は北畠具教の部隊がそれぞれ邪魔になってしまう。
弓矢の様に弧を描いて攻撃が出来ない銃の弱点の一つであった。
ただ、流石の宗滴と言えど信長の鉄砲の運用方法までは見破れなかったので、今の状況は完全な偶然であるが、名将の名将たる条件の運も味方につけて突撃を開始した。
「天は我らに味方した! このまま敵の中枢に突撃を掛ける! 首は打ち捨てにせよ!」
こうして斎藤織田連合軍にとって悪夢の突撃が開始された。
宗滴軍の数は多くない。
船を大量に調達出来なかったのもあるが、奇襲と言う事で素早く動く為に500人の部隊である。
しかし、それでも破壊力は絶大であった。
宗滴は最初に信長の部隊に襲い掛かると、馬に乗ったまま縦横無尽に引っ掻き回して大混乱を引き起こし、中央で懸命に立て直そうと奮闘する信長に襲い掛かった。
「貴様が尾張の『うつけ』か! 会いたかったぞ!」
「ッ!? そう言う貴様が越前の妖怪朝倉宗滴か!? せっかくの鉄砲隊お披露目を台無しにしてくれた礼だ! 受けとれぃッ!」
信長の振り下ろす槍を70過ぎの老人とは思えぬ膂力で払い落とした宗滴は、悠然と構えながらお返しと言わんばかりに槍を振り下ろす。
その襲い掛かる宗滴の槍を、信長は自身の槍を頭上に掲げて両手で防御するが、まるで落石を受け止めたかの様な衝撃が体中を駆け巡り膝をついてしまった。
「き、貴様! 本当に老人か!?」
「ファハハッ!! そうとも! 老い先短いジジイじゃ!」
そう言って宗滴はもう一度、今度は両手で槍を振り下ろす。
その馬上からの攻撃は間一髪躱した信長のお陰で、地面が爆散しただけ(?)で済んだ。
「ッ!? おのれ…!!」
信長は地面を転がり辛うじて躱し馬の脚を狙って槍を薙いだが、もう既にそこには宗滴の姿は無かった。
慌てて周囲を探るが、当の宗滴は既に信長の陣を離脱しようとしていた。
「お主とはじっくり語り合いたい所じゃが、残念ながら時間切れじゃ! また会おう!」
いくら成功した奇襲とはいえ、いつまでも留まっていては数の上では圧倒的に不利である。
態勢を整えられる前に、宗滴は一撃離脱の形で早々に信長の陣を後にしていた。
「朝倉宗滴……! 何という怪物じゃ! 前々世で奴が生きておったら……!」
3回目の人生で初めて対峙した朝倉宗滴の実力に、身震いするしかない信長であった。
しばらくすると同じく態勢を立て直せなかった前方の斎藤軍の本陣では、斎藤義龍の良く通る声が響き渡った。
「あ、あのクソジジイッ!!」
「どうやら義龍も弄ばれたか……」
こうして朝倉宗滴は真横から襲撃し信長の陣を突っ切って、そのまま義龍の陣を破り、斎藤利三、不破光治の陣も敵中突破し、悠々と味方の軍の中に消えていった。
前々世の信長でも経験した事の無い、屈辱的な敵中突破を許した斎藤織田連合軍は、雨森城こそ落としたが、それ以上の進軍は敵わず、退却を余儀なくされた。
「また朝倉との泥沼の攻防が始まるのか……」
昨年も従軍し痛い目を見たある兵士が呟いた。
朝倉宗滴が縦横無尽に暴れ回る事など、最初から想定済みであるにも関わらず良い様にやられてしまった現状を鑑みれば、気持ちが暗く澱んでしまうのも無理からぬ事であった。
【斎藤軍本陣】
安全圏まで撤退した連合軍は一旦全ての兵を休息させて、武将たちは今後の計画の見直しを計るべく軍議を行っていた。
「良い様にやられましたな……」
斎藤軍の武将がか細い声で呟いた。
しかし義龍は極めて明るい声で不安を吹き飛ばす様に笑いながら言った。
「案ずるな! 確かに2年連続で痛い目を見るとは思わなんだ! 万全の態勢で戦に臨んだハズであった! 自分で言う様な言葉ではないが勝負は時の運とも言う!」
義龍の言う『勝負は時の運』とは、どちらかと言うと他人に掛けてもらう言葉であるが、今回の緒戦は誰もが予想できなかった事なので、責任の所在を求めて雰囲気を悪くするよりも、『仕方ない』で済ます事にしたのである。
「それにやられっ放しではない! 義弟が敵の拠点を一つ潰した! 雨森城に関して言えば、敵は為す術無く散っていった! これは快挙である! 我らも宗滴に為す術なくやられたが、しかし決して負けてはおらん! そうだな? 義弟よ!」
「はい。皆の者、確かに予想外の事に面食らって手痛い損害を受けたが、明日からは奴らに目にモノを見せてくれよう!」
信長はそう断言して自信を覗かせるのであった。




