後日談4 息子の妻
リクエストをいただいた、ヴァニィの父親視点です。
「産まれてくる子が女の子なら、ベルのところに嫁がせたいのだけど、いいかしら?」
妊娠したばかりの妻が、突然そんなことを言い出した。
ベルというのは、妻の学院時代からの親友のベルセレス・バラード伯爵夫人のことだ。
たしか、先日嫡男が産まれたはずだ。
正直、バラード領はジェラード領からは遠く、うちの主力である農産物の販売先には向いていないので、嫁がせたところで旨味は少ない。
とはいえ、特に誼を通じたい相手がいるわけでもないし、そもそも娘が産まれるとは限らないので、
「構わんが」
と答えておいた。
妊娠初期の情緒不安定な妻をイライラさせる必要はない。
予想どおりというか、ありがたいことに、と言うべきか、産まれたのは嫡男だった。
これで跡継ぎは心配いらない。
妻は、残念がっていたようだが。
「ベルが女の子を産んだの。
ヴァニィに、どうかしら?」
妻がまた唐突にそんなことを言い出した。
1歳違いの伯爵令嬢なら、問題はなかろう。
特段の旨味はないが、考えてみれば、あちらは鉱山を持っているから、鉄の買い付けに多少の便宜は図ってもらえるかもしれない。
まあ、損はないからよかろう。
今日、妻が帰ってきた。
危うく伯爵令嬢を殺しかけたらしい。
よく婚約話が流れなかったものだ。
「ヴァニィはすごく気に入ったようでねえ。
あちらもそうみたいよ。
なにしろ、命懸けでヴァニィを救ってくれたんだから」
10歳の少女に助けられるのはどうかと思うが、互いに気に入っているというのなら、問題ないだろう。
「では、先方に正式に婚約を申し込むぞ」
「飛び級? 誰がだと?」
「セリィが、よ。
ヴァニィからの手紙にあったわ。
3科目飛び級の快挙ですって。
経営学と算術と植物学って書いてあるわ」
「3科目もか!? それも女子が…」
飛び級と言えば、2~3年に1人出る程度だ。
飛び級した者は、いずれも王城に官吏として入っていたはず。
私の記憶に間違いがなければ、女子での飛び級など例がない。
「大丈夫なのか? それほどできるのであれば、王城で官吏を目指すのが普通だろう。
たしか、バラード伯爵も官僚だったはずだが」
「大丈夫よぉ。
セリィは、ヴァニィを手伝うために領地経営に必要な科目を取ってるんですって。
相変わらず献身的よねぇ」
「まあ、領主の補佐ができるのならありがたいな」
経済は生き物だ。なまじ成績がいいと、頭でっかちの理論馬鹿になりかねんから、手放しでは喜べんがな。
私自身がかの令嬢を見たことがないというのはもどかしい。
「あら、また飛び級ですって! セリィ、すごいのねぇ」
「なに!? 二段飛び級など、例がないはずだぞ! そんなになのか!?」
「植物学の研究室に入って、第3王子殿下と一緒に研究するらしいわよ」
第3王子と言えば、たしか花を育てるのが趣味の変わり者ではなかったか?
しかし、王族と一緒となると…
「婚約はそのままで大丈夫なのか? 王族と懇意にするのだろう?」
「あらぁ、大丈夫よ。
セリィはヴァニィと毎日一緒に登校してるそうよ。
殿下の婚約者のランイーヴィル公爵令嬢と一緒にいることが多いんですって」
「公爵令嬢の取り巻きに入ったか。社交のバランス感覚は良さそうだが」
しかし、それは側室狙いでやるようなことだろうに。
杞憂ならいいが、息子はちゃんと捕まえておけるのか?
どうやら杞憂に終わったようで、第3王子は臣籍降下して公爵令嬢と結婚したそうだ。
息子は、無事伯爵令嬢を捕まえておけたらしい。
「あらあら大変、結婚式の準備しなくちゃ」
「結婚式? 誰の?」
「いやねぇ、もちろんヴァニィのよ。
来年卒業したら、セリィを連れてくるんですって」
「バラードの令嬢は、1歳下だったはずだが?」
「飛び級してるから、一緒に卒業するんですって。
戻ったらすぐに結婚するって言ってきてるわ」
「卒業は来年だろう。そんなに焦らずともよい」
「あと、新規に開墾したいから土地を見繕っておいてほしいですって」
開墾? 農作業のまねごとでもする気か?
どういうわけか、結婚式には第3王子だった公爵が列席した。
しかも、乳飲み子を連れて公爵夫人まで。
通り一遍の挨拶の後、公爵はとんでもないことを言い出した。
「突然のことで申し訳ない。
バラード、いやセルローズ夫人は形式上私の部下ということになるもので。
それと、妻にとっては親友とも言える存在でして、ご迷惑とは思いましたが駆け付けた次第です」
公爵夫人の取り巻きをやっていたという話だから、気に入られているのは確かなんだろう。それにしても、「部下」?
「失礼ですが、部下とは?」
「セルローズ夫人は、王立研究所の在外研究員という立場にあります。
彼女からの条件で、ジェラード領で研究してもらうということになっておりますので、ご迷惑とは思いますが、こちらから作業員兼護衛と連絡員を派遣しますので、領内に住まわせていただきたい。
彼らの給与は研究所から支払います。
それと、必要な経費は研究費として給付します。
あと、これがそちらにとって一番大切な話になるでしょうが、まだ王家直轄領以外では栽培できないアライモについて、こちらの領内での栽培は解禁されます」
「アライモというと、噂の高級品ですか?」
私の疑問に答えたのは、公爵夫人だった。
「高級品というわけではありません。
ただ、今のところ機密保持のため直轄領でしか栽培していないというだけです。
護衛が付くのも機密保持のためです。
栽培方法などはセリィがよく知っておりますから、彼女が指揮を取れば問題ありません」
「どうもお話が理解できないのですが」
「アライモは、私とセルローズ夫人との共同研究です。
彼女には自由に栽培する権利があるのです」
息子は、随分とおまけを付けた令嬢と結婚するらしい。
「ヴァニィ、ここはもう少し大きな橋を架けた方がいいと思います」
「なぜだ?」
「ここは、雨が続くと水量が増えます。それに、ここを交通の要所にして街道を整備すれば、輸送量を増やせます。
小さな橋を架けて何度も補修するより、最初にお金を掛けて大きく頑丈な橋を架けた方が経済的です」
息子を領地経営に参画させるようになってから、嫁も手伝うようになっていた。
飛び級をして公爵令嬢の取り巻きをしていたくらいだから、さぞかし鼻っ柱の強い娘かと思っていたが、意外なことに全てにおいて息子の意見を尊重して出しゃばらない。
かといって唯々諾々と流されることもなく、要所を締めるように意見は言ってくる。
あくまで息子の方針に微調整を加える程度の意見だが。
意見を聞くと、なるほどその方がいいだろうと思わせる説得力もある。
おそらく息子の意見を聞いてから考えるのではなく、あらかじめいくつか腹案を持っていて息子の意見に合うものを出しているのだろう。
いったいどれだけの腹案を用意しているんだ?
よくわからない研究をやりながら、領地経営もこなせるというのはただごとではない。
おまけに、アライモだ。
あれは王家の独占販売で市井にはほとんど出回らないから、我が領で栽培したものはかなり高く売れる。
たった2年で税収が倍だ。何の冗談かと思う。
潤沢な資金が入ったことで、領内の大規模な整備ができ、それによりまた収穫が上がるという好循環が起きている。
私が20年掛かってできなかったことが、たった2年でできてしまった。
これが飛び級する者の実力か。
それだけの力を持ちながら、息子を立ててくれているのは間違いないし、我が妻との関係も良好なようだ。
ここらが引き際かもしれんな。
跡継ぎが産まれた。
潮時だろう。
私は、息子を呼び出した。
「跡継ぎも産まれたことだし、爵位をお前に譲ることにする。
お前も2年経験を積んだし、力強い助言者もいる。
少し早いかもしれんが、いい機会だ。私は隠居する。
と言っても、この屋敷の中で隠居させてもらうがな」
新しい感覚で領地経営した方が、きっと領地が発展するだろう。
私は、楽隠居させてもらおう。




