後日談3 あなたの隣に立つために
後日談、今回はノアのお話です。
遂にこの日が来た。
王立学院に入学する日。
父上と母上が卒業した学院。
正直言って、少し怖い。
否応なく母上と比べられるのは、目に見えているから。
十数年前、母上はここで二段飛び級をした。
ドロシー様のお話では、飛び級自体は数年に1人は出るけど、二段階はその後出ていなくて、母上は半ば伝説になっているらしい。
しかも、母上は、王城からの官吏にとの要請も断って父上と結婚し、領地に引っ込んでしまった。
年に一度、王都を訪れる程度で、表舞台に出てこないものだから、勿体ないと言われているそうだ。
一部では、母上を外に出さないのは国家の損失だなんて、父上が悪者のように言われてたりもするらしい。
実際には、母上は王城の研究員として領地で色々と研究しているし、その資料も王城に送っているんだけど、そのことは極一部の人しか知らない。
わざわざそんなことをしている理由は、母上が父上の傍にいたいからという、それだけのことなんだけど、母上としては、そこは譲れないんだそうだ。
母上のその拘りは、近くで見ていた僕が一番よくわかっている。
父上と母上は、息子の僕が嫉妬するくらい仲のいい夫婦だ。
おばあさま同士が友人だからと、親が決めた婚約だったのに、実質は恋愛結婚だったという話も聞いている。
母上は、父上を助けて領地を富ませるよう頑張っていて、研究も、うちの領地で作れる作物という前提でやっているそうだ。
僕が小さい頃、父上の書斎で、大切にしまわれている箱を見付けたことがある。
父上に聞いたら、子供の頃の宝物が入っていると教えてくれた。
何が入っているのか知りたくて、父上の留守の時にこっそり開けてみたら、母上からの手紙だった。
父上と母上は、10歳くらいの頃に婚約してから、学院で再会するまで手紙のやりとりをしていたって聞いてたけど、まさかその当時の手紙が取ってあるとは思わなかった。
何度も読み返したらしく、紙ががさがさになっていて、本当に宝物だったんだとわかる。
好奇心から読んでみて、後悔した。
そこに綴られていたのは、幼い母上の切々とした恋心だった。
内容は、父上からの手紙に書いてあったであろう狩りの成果などに対する大げさな賞賛と、今自分が学んでいる事柄の報告などだけど、そこからこれでもかと想いが伝わってくる。
2通目以降では、「領主の妻になるには必要かと思いまして」とか「あなたの隣に立つに相応しい淑女になるために」とか、花嫁修業の最中かと思うような言葉が並んでいる。
どうして10歳の女の子が経営学を学んでいるんだろう? というより、どうして理解できるんだろう?
僕も、領地を継ぐためってことで、母上の手ほどきで経営学とか簿学とか学んでいるけど、さっぱりわからない。
小さい頃、母上に、いつから父上を好きだったのか尋ねた時には、「いつからだったかしらね。覚えてないわ」とか笑っていたけど、初めて会った時からだったんじゃないか?
その後、母上の実家のバラード伯爵領に行った時にも、使用人達から、母上が父上に出会ったことで見違えるように積極的になったという話も聞いた。
元々計算とかは苦手だったとか、とても信じられない。
同じレベルを僕に求められても、無理だからね?
領地貴族ながら王城で働くおじいさまに代わって領地経営している伯父上からは、学院時代の母上のお話を教えてもらった。
前代未聞の二段飛び級を果たし、伯爵令嬢でありながら、まだ臣籍降下する前のゼフィラス公爵と対等に話すことを許されていたこと、その共同研究が認められ、王城に研究所ができたことなどなど。
伯父上は、
「君の父上もなかなかの成績だったからね、不世出の才媛の兄でありながら凡庸だった私は、随分と肩身の狭い思いをしたものさ」
と笑っていた。
笑っていたけど、妹の方が数段出来がいいっていうのは、すごく辛いことだったに違いない。
父上にも、母上の方が成績が良かったことをどう思うか聞いたことがあるけど、母上が父上のために努力してくれた結果だし、領地経営でも助けてもらっているから、ありがたいと思っているって言ってた。
まあ、父上はいいとして。
母上の成績と比べられる僕は、どうしたらいいんだろう。
気にしないのが一番だってことは、わかってるんだけど。
まして、ねえ。
「ノア、待っていましたわ。
さあ、校内を案内して差し上げますわ」
「ドロシー様、あなたがそんなに暇がある方とは思えないんですが」
「ドロシーとお呼びなさいといつも言っているでしょうに。
婚約者に、何を遠慮することがあるのです」
僕のもう1つの頭痛の種が、このドロシー様だ。
今や王城でも最も重要な部門とされている王立研究所の所長を務めるゼフィラス公爵の長女。
お母上である公爵夫人譲りの輝くような金髪と蒼い瞳、女性らしい起伏に富んだ肢体と、誰もが一目置く令嬢の中の令嬢。
飛ぶ鳥を落とす勢いのゼフィラス公爵との繋がりを求める家だけでなく、ドロシー様の美しさに、妻にと求める方も多いと聞いている。
それなのに、この方は、たかが田舎の侯爵家の嫡男でしかない僕の婚約者なのだ。
頭に「仮の」と付くけど。
「『仮の』ですよ、ドロシー様。
僕は、しがない侯爵家の跡取りにしか過ぎません。
王家の血を引く公爵令嬢を娶れるような立場ではありませんよ」
僕は、何度目になるかわからないお断りを入れた。
どういうわけか、ドロシー様は、昔から僕のことを気に入ってらして、母上が王都に来る時は、大抵僕も連れてこられたんだ。
ドロシー様の父君は、現王陛下の三男でらっしゃる。
母君は、ランイーヴィル公爵家の出身で、ゼフィラス公爵家は、お2人が結婚される際に興した新しい家だ。
対してジェラード侯爵家は、母上のお陰でめざましい発展を遂げはしたけれど、所詮は侯爵家だ。
どう考えても家格が合わない。
「ならば、早く『仮の』をお取りなさい」
また始まった。
ドロシー様は、公爵家令嬢という高い地位にありながら、基本的に誰にでも優しく接する寛大な方だ。
母君似のややツリ目がちな眼差しから受けるきつそうな印象に反し、物腰も柔らかい。
唯一の例外が僕に対する時で、色々ときつい物言いをされる。
僕らが初めて会ったのは、僕がまだ2歳で、母上が僕のお披露目のために公爵家を訪れた時だそうだ。
当時5歳だったドロシー様は、随分僕を気に入って、放してくれなかったとか。
もちろん、僕は覚えていない。
その時に、ドロシー様が僕と結婚したいと言い出して、さすがに2人ともまだ小さすぎるからと、「大きくなったら」という話にしたそうだ。
まあ、幼児を気に入っただけのことだし、親の側は、すぐに忘れるだろうと高を括ってたらしいけど、1年後にまた母上に連れられて僕が顔を出したら、見るなり
「ノア、久しぶりね、大きくなったわね」
と抱きしめて
「ノアが大きくなったから、結婚できますか?」
と公爵夫人に聞いたそうだ。
細かいことはともかく、僕もドロシー様に抱きしめられたことは覚えている。
僕からすると、初めて見るお姉さんがすごい勢いで駆け寄ってきて抱きしめられたわけで、正直、あの時よく泣かなかったものだと思う。
その時は、帰るまでずっとドロシー様に手を引かれて歩いたり、お菓子を食べさせてもらって楽しかった。
結局、僕は毎年公爵家に連れて行かれ、その度にドロシー様が
「もう結婚できますか?」
と聞くのがお決まりになっていた。
そして、僕が5歳になった時、3年間揺らぐことのなかったドロシー様に根負けした公爵夫人は、母上と話し合って、僕らを仮に婚約させることにしたそうだ。
「結婚はまだ無理だけど、婚約することにしましょうか」
「婚約?」
「大人になったら結婚するという約束です」
「じゃあ、ノアと結婚できますか?」
「ええ、できるわ。
ただ、大人になる前に別の人を好きになったら、結婚できませんよ」
「大丈夫です。
私はノアと結婚します。ノアじゃなきゃ嫌です」
貴族同士だから、5歳で婚約することもあり得るのだけど、仮の婚約ということで、おおっぴらにはしていない。
というのも、さすがに8歳では、ドロシー様の気持ちが本当の恋愛感情かわからないし、思春期になったら本当の恋をするかもしれないからだ。
たとえ気持ちが変わらなかったとしても、僕が学院を卒業する頃には、ドロシー様は20歳、貴族令嬢としては嫁き遅れと言われかねない年齢だ。
そういった事情から、婚約は内々の「仮の」ものとして、ドロシー様の気が変わったら取りやめられるようにしてある。
ちなみに、公爵家は、長男であるガーベラス様が継ぐから、その点は問題ない。
ガーベラス様にも何度かお会いしているけど、
「まあ、大変だろうが姉上を頼む」
と言われている。
で、ドロシー様は「早く『仮の』を取りなさい」と再三言ってくるけれど、どうすれば取れるのか、僕にはわからない。
ただ、それをドロシー様に聞いてはいけない。
聞いたら、ドロシー様の機嫌が大変なことになってしまうから。
多分、言われなくてもわかれ、ということなんだろうけど、これに関してはガーベラス様にも
「そりゃあわかるが、私の口からは言えないな」
と言われている。
正直言って、こうやってドロシー様と連れだって歩いているだけで、何人の人から恨みを買っているものか想像も付かない。
母上と公爵夫人が友人関係ということは有名なはずだけど、公爵家の令嬢ともなると、友人同士で子供を結婚させるなんてことが通るとも思いがたい。
「僕程度が婚約者だなんて、誰も納得しませんよ…」
「納得しないって、誰がですの?
ノアのご両親も私の両親も納得してますわ」
しまった。
これは、機嫌が悪くなるパターンだ。
「ノアは、私と結婚することに納得できませんの?
他に誰か想う方ができましたの?」
「そんなことありません。
でも、わかってるでしょう? ドロシー様を妻にと望んでる人は多いんです。
そんな方は、政略としての価値も乏しい僕が婚約者では、納得できないでしょう」
「ノア。いい加減にしないと怒りますわよ。
政略結婚というのは、互いの家に利益があるから結ばれるものです。
外野から見て面白くないことなど、いくらでもあるでしょう。
そんなものをいちいち気にする必要がどこにあるというのです。
お父様にとって、セリィおばさまとの結びつきが強くなることは、玉座よりも魅力なのですよ。
今はお母様とセリィおばさまの友誼によってのみ結ばれている両家が、婚姻によってより強く結びつくことは、政略としての価値十分です」
「そうかもしれませんが、それは母の価値です。
僕の価値ではありません」
母上の研究者としての価値は、確かに計り知れない。
公爵家にとっては、母上と親戚になることに価値があるし、ジェラード侯爵家にとっては、大きな後ろ盾を持つというメリットがある。
でも、ドロシー様のメリットは?
ドロシー様は、何のために僕と結婚するんだろう。
「僕と結婚しても、ドロシー様には何の得もないじゃないですか」
遂に言ってしまった。ずっと我慢していた一言を。
引く手数多なドロシー様には、僕と結婚するメリットがない。
僕は確かにお気に入りだろうけど、それはあくまで弟分とかオモチャの域を出ない。
僕に対して恋愛感情を持つような機会はなかったはずだ。
「僕は…ドロシー様が政略のコマとして嫁いでくるなんて嫌です」
我ながら、情けない。
僕には、ドロシー様を繋ぎ止めるだけの力がない。
母上の威光でドロシー様と結婚するようなマネはしたくないんだ。
うつむいてしまった僕の両頬を、ドロシー様が両手で挟み込んで引き上げた。
目の前にあるドロシー様の顔には、怒りの色があった。
僕もほとんど見たことがない、不機嫌を通り越して怒っているドロシー様。
その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「何を1人で納得しているのです。
私に得がないなどと、どうしてノアが決めるのです。
あなたに価値がないなどと、誰が決めたのです。
私があなたと結ばれる日をどれだけ待ち望んできたと思ってるの!
あなたを愛していると、どうして信じてくれないのですか…」
初めてだ。
ドロシー様から、愛しているなんて言われたのは。
「僕は…お気に入りの弟分で…どこに恋愛感情に繋がる要素が…」
「ノアは、私をただのドロシーとして接してくれる、それが理由ではいけませんか?
何の打算もなく私を見つめてくれるノアの優しい瞳に惹かれるのはおかしいですか?
ノアの価値がセリィおばさまの子であることだけというなら、私の価値だって王族の血だけではありませんか!
あなたは、私自身を欲してはくれないのですか?」
ドロシー様の目から、涙が溢れている。
「ドロシー様の価値は、血や身分だけじゃありませんよ。
ドロシー様ご自身を欲している人なんかいくらでもいます。
僕だって、あなたが欲しい。
でも、僕程度じゃあなたと釣り合わないんです。
僕は、あなたの隣に立てる自信がない」
「自信なんていりません。
私は、ノアがいいのです」
僕は…
「ドロシー様。あなたが卒業するまでに、僕はあなたの隣に立てる男になれるよう頑張ります。
だから、それまで待っていただけますか?」
ドロシー様は、涙でいっぱいの目を瞬かせると、勢いよく僕を抱きしめた。
「待ちます。
ノアが私と結婚してくれるなら、いくらでも」
「ドロシー様。
きっとあなたの隣に立ってみせますから」
僕は、初めて自分からドロシー様を抱きしめた。
後から思うと赤面せずにいられないような告白をしてしまった僕だけど、院生の身でできることといえば、母上の子に相応しい成績を取るくらいしかなく、勉強に精を出した。
とても驚いたことに、母上から受けた「手ほどき」は、手ほどきなんてレベルじゃなかったらしく、講義が復習にしかならない程度に感じた。
1か月後、僕は母上と同じく3科目で飛び級した。
科目は、母上と違い、経営学、簿学、算術だったけど。
それでも、不世出の才媛の息子だけのことはあると、初めて僕自身の成果が評価されたのは嬉しかった。
もっとも、その後も頑張ったにもかかわらず、二段飛び級は果たせなかったけれど。
僕は結局、母上という巨大な壁を越えることはできなかった。
でも、胸を張ってドロシー様の隣に立てるくらいには自信が持てた。
そして2年が過ぎ。
卒業するドロシー様に、僕は跪いてプロポーズした。
「永らくお待たせして申し訳ありませんでした。
ドロフィシス・ゼフィラス様、僕が卒業したら、結婚していただけますか?」
見上げたドロシー様の目には、涙が溢れていた。
でも、今日の涙は、あの時とは違う。
喜びの涙だ。
「はい、喜んで」
今日、僕達は、婚約者になった。
「ところで、いつになったら『ドロシー』と呼んでくれるのかしら?」
「すみません、努力しますので、もう暫くお待ちください」




