91話
◆Side クイナ◆
――南側。林の中にある小屋――
耳に挟んだ情報をクイナは反芻させた。
リーファたちが用意してくれた食事を口にしても、やはり気持ちは非道なことを繰り返す兄のことでいっぱいだった。
申し訳なさと怒りと悲しみが頭の中で渦を巻いた。
あまり食が進まず、リーファやジンタに心配をかけてしまった。
どうしてこんなことをするのか。
どうして『あのとき』立ち去ったのか。
訊きたいことは山ほどある。
王都に士官しに行くとその背中を見送った。
あれはもう三〇年ほども前のこと。
以来、会話はもちろんのこと、顔を合わすことさえなくなっていった。
四年前の『あのとき』見かけた姿は、見送った背中と寸分たがわず、兄のものだった。
クイナはジンタに相談したのち、家を出る。
自然と足は南門へむかっていて、夕日の落ちる王都をあとにした。
弓をきゅっと握りしめ、足早に情報の林を探す。
薄暗い林を見つけ、迷わず中に入る。
目的の小屋を見つけ出すのにそう苦労はしなかった。
少しだけ新しい不自然な床を一枚見つけて、隙間に爪を挟み持ちあげる。
聞いていた通りの隠し階段が現れ、クイナはそれをくだっていった。
心細い。
いつもはジンタがいて、リーファがいて、ひーちゃんがいて、シャハルがいるのに。
「わたくしは、強くなった……もう昔のわたくしじゃない……お兄様――」
自身を励ますように口にして、通路を奥へ奥へと進む。
ガラス窓が並ぶ大部屋がいくつかあり、その中に数人の子供たちがいた。
あれが、おそらく勇者候補生なのだろう。
止めなければ。
兄の愚行を、妹の自分が。
それらしき扉を開くと、怜悧な眼差しがクイナを貫いた。
久しぶりに目にした兄は、何も変わっていなかった。
血のつながった妹を見るには冷た過ぎる眼差し。
機嫌悪そうに出来た眉間の皺。
気難しい気性を表すような細い眉。
「……ここの場所は、クリスティにでも聞いたか」
クイナが現れたことは些事だとでも言わんばかりに、ジギーは手元の書類に目を落とした。
「お前に用はない。出ていけ」
「お兄様! どうして――どうしてあんな酷いことを! 子供たちにあんな真似をさせて……」
はぁ、と大きなため息をジギーはついた。
「スラムで盗みばかりしていたような、身寄りのないガキたちだった。衣食住を与え『教育』を施してやっている。私の指示に従って行動するのは当たり前だろう」
淡々と事務手続きのように何の感情もなく言うジギー。
「上手くいけば世界を救うことの出来る勇者様になることが出来る。どうせどこかで野たれ死んでいたような輩だ。感謝されこそすれ恨まれる筋合いはない」
書類をぱさっと机の上へ放り出して、言った。
「それは――クリスティとて例外ではない。使い道がなくなれば処分する。それだけのことだ」
「変わらないのですね……」
「お前もな。相変わらずどうでもいいことに対して執着する」
「どうでもよくない! 今すぐ馬鹿な真似をさせるのをやめてください。魔神対策機関だなんて……いつ現れるかわからない敵の対策をして何になるというのですか」
「関係のないお前に開示してやる情報はない。もう一度だけ言う。――出ていけ」
「いいえ。わたくしは、お兄様――あなたを止めるためにここに来ました」
「お前に何が出来る。無能が。族長の娘というだけで大した才を持ち合わせない、我らエルフの恥が!」
「もう――あの頃のわたくしじゃないッ!」
悲壮な叫びが部屋の空気を切り裂いた。
「だったら何だ。力づくでも止めてみせるか?」
弓も、魔法も、記憶にある限りでは一度だって兄に勝ったことはない。
だが、ここで引くわけにはいかない。
「最後にひとつだけ聞かせてください……。あの日……四年前、リヴォフの里がベヒモスの襲撃に遭いました。お兄様は、あのときあの場にいましたよね?」
「ああ。それが?」
やはりそうなのだ、と思うと、怒りと悔しさに涙が滲んだ。
あの背中に、間違いはなかったのだ。
「どうして――どうして何もせずに立ち去ったのですか! 里のみんながベヒモスにやられたのですよ。里を守ろうと必死に戦いました。お兄様が加勢すれば、被害はもっと少なかったかもしれない! 長年住んだ森を離れずにすんだかもしれない!」
「――――お前の無能を私に押しつけるなッ!」
小さく息をつくと、ジギーはまた落ち着きを取り戻した。
「私の仕事は戦うことではない。…………古代から綿々と続く森の地下には、魔石が埋まっているという仮説があった。魔石や永晶石から抽出した魔力は、魔力器官を大きく成長させることが出来る」
「……それが、リヴォフの里だったと言うのですか」
「結果的にはな」
自然とクイナの声が低いものになった。
「仮説を証明するために、家族同然の仲間を見殺しに……?」
「当時すでに私は、リヴォフの里のエルフではなく、魔神対策機関の所長だった。取るべき選択肢はひとつだろう?」
パン、と何かが爆ぜる音が頭の中でした。
怒りで視界の端が赤く染まった。
ノータイムで構えた弓を限界までに引き絞った。
キュン。
風の矢がジギーへ放たれた。
大きな破裂音とともに風の矢は壁に刺さって消えた。
頬を切ったジギーは眉ひとつ動かしていなかった。
手を細かく動かす。
魔力の流れまではわかったが、それが何なのかまでクイナにはわからなかった。
突如、巨大な空気の塊がクイナの体を打った。
簡単に足は地を離れ、気づいたときには背を壁に打ちつけていた。
痛みは全身に走り息が詰まった。
「――――っ……」
へたりこむクイナに冷たい声が降ってくる。
「私はお前のことが嫌いだった。才能も力も何もないくせに、やたらと正しいお前が嫌いだった。これ以上私に関わるな」
「わたくしは、そうでもないですよ……お兄様」
弱いままでは、いられない。
クイナは、歯を食いしばり立ちあがった。
「ジンタ様がいれば、魔神なんて……すぐに倒してくださいます……だから、こんなことをするのは、もうやめてください。やめると言うまで、わたくしはあなたを攻撃します」
「彼が強いのは認める。だが、どこまでも強くなれたクリスティよりも強いと言うのか。答えは否だ。……まあいい。死んだときは、無能な自分を呪うんだな」
ジギーがイスから立ちあがると同時に、足元に緑色の魔法陣が広がる。
氷柱のような風の矢が数十、一斉に放たれた。
クイナも即座に風魔法を発動させる。
風圧の壁を展開。
これで防げるはず――。
安堵もつかの間。
数十あった細かい矢がひとつにまとまり、巨大な矢となってクイナの壁を貫いた。
「――!?」
ドズ、という音がどこか遠くで聞こえたような気がした。
腹部に突き立った風の巨矢はすぐになくなった。
鋭い痛みが意識さえも焼き切りそうだった。
「まだ…………!」
負けたわけじゃない。
今からだって、兄を止めることくらい出来るはず――。
ガチガチと鳴る奥歯を潰すように強く噛みしめた。
ドスン、とジギーのつま先が傷口にめり込んだ。
「――――ッ~~」
意識が白濁しはじめた。
魔力をかき集め攻撃魔法を発動させる。
風の矢はあっさりかわされてしまった。
いつだって敵わなかった。
何をしたって敵わなかった。
ジンタのように強かったら、もっと何か変えられていたのかもしれない。
ベヒモスを撃退することだって出来ただろう。
子供を集めて非道な真似を続ける兄を止めることも出来ただろう。
「まだ――まだ諦めるわけには……」
「無駄なことにだけ執着するな、お前は」
クイナは再び立ちあがった。
死力を振り絞ってありったけの魔力を注ぐと、風属性の細剣が出来あがった。
周囲の景色は何も見えない。
ただ、許せない兄が目の前にいるだけだった。
この兄は躊躇いなく自分を殺すだろう。
――それでもいい。
刺し違えられるのなら――。
それでいい。
「っっはぁああああああああああああああ――ッ!」
気迫をこめて細剣を突き出す。
風よりも疾く切っ先が宙を走った。
キィン、キィンキィン――。
腕を伸ばす瞬間だけ、最大限の風魔法を発動させる。
ほんの指先程度の小さな切っ先に収束させると、より一層速度が増した。
音を置き去りにした細剣の五連撃。
無音のまま繰り出される必殺の刺突はジギーに反撃を許さなかった。
クイナは左足を振りあげた。
今度はつま先に風魔法を収束。
側頭部に叩き込むが、ドォオン、と言う音とともにジギーの腕にガードされる。
「まだ――まだです――」
勢いそのままにくるりとその場で反転し、今度は右足を胸に打ち込む。
ドス――ッ。
手応えは十分。
「クッ――」
一瞬、ジギーの表情に苛立ちが見えた。
「もう一度ぉおおおおおお――!」
再び、音速の刺突がジギーを襲う。
鼻先でかわされ続けるが、じりじりと後退していく。
壁に背をぶつけたジギーはちら、と背後を一瞥した。
――――捕まえた!
千載一遇の好機。
「これで――――っ! あなたを止める――ッ!」
自分でも何と言っているのかわからないような雄叫びをあげた。
命を削るほどの魔力を消費する。
美しささえ兼ね備えた流麗な一閃。
しかしそれは、愚鈍なほど一直線な刺突と言えた。
だからこそ、何よりも疾い――。
ゼロ距離で放たれた射撃に近い細剣の攻撃。
刃の軌跡が色濃い白の尾を引いた。
だが。
――いつの間にかジギーの顔がクイナの眼前にあった。
「ここぞという好機こそ人間は力んでしまう。やはり凡俗でしかないようだな、お前は。……振りの動作がわずかに大きい」
懐に入り込まれた――そう思ったときにはもう遅かった。
下顎をジギーの掌底が強打する。
前進し続けたクイナの運動量をすべて跳ね返すカウンターとなった。
風魔法を合わせた強力な打撃に、クイナは弾かれたように吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。
痛みすらもう意識の外側にあるようで、どこか遠くに感じる。
ぼんやりとしたぬるま湯の中にいるようだった。
温かくて眠くて――。もう目をつむってもいいような気がする。
もしかすると、ジンタが見せた手紙に兄の名を見つけたときから、こうなることをどこかでわかっていたのかもしれない。
最後に、ジンタに想いを伝えられてよかった。
勇気を出してよかった。
キスは……欲を言えばしたかった。
「愚かな妹だ」
兄が自分を嫌うほど、自分は兄を嫌いにはなれなかった。
優秀で、強くてカッコいい、自慢の兄だった。
どれだけあしらわれても、後ろをついていった幼い記憶。
転んで泣きだしたとき、黙っておんぶをしてくれた。
優秀で、強くてカッコいい、自慢の兄だった。
好きだった兄が、あんなことをしているのが許せなかった。
自分の理想を押しつけただけの、単なるエゴだったのかもしれない。
欠片程度の優しさしか持っていなかったけれど、やはり、この人を嫌いにはなれなかった。
ジギーは表情なんて何もない、ただただ冷たい顔でクイナを覗きこんでいた。
風魔法が剣を形作った。
ジギーがそれを逆手に持つ。
「父には私から言っておこう。妹は冒険の中で、無能ゆえ命を落とした、とな」
最期に見る顔は、大好きなジンタの顔がよかった。
それだけが心残りだった。
クイナがまぶたを閉じると、つ、と涙が流れた。
「……私は、才能の無い者が嫌いだ。だから死ね」
「――あんたにはあるのか? その才能ってやつは」
軽い足音が響く。
心地よいかすかな風がクイナの頬を撫でた。
ジンタの持つ黒く黒く燃える魔剣が、ジギーの風魔剣を叩き折った。




