86話
遅めの朝食を食堂で食べていると、バルムント家のメイドさんがやってきた。
「カザミ様にお客様がいらっしゃいました」
「お客様? おれに?」
訝っていると、隣に座るリーファが言った。
「もしかして、勇者ちゃんじゃないの?」
「あぁ。早速か……」
昨日の今日でお盛んですこと。
リーファの声が聞こえたようで、紅茶を楽しんでいたシャハルもほんの少し興味を示した。
遅くに起きたせいで、シルヴィはもう仕事に行っていた。クイナとひーちゃんは、二人で先に図書館に行っているそうだ。
よくここにおれがいるって勇者ちゃんはわかったなぁ。
席を立ってメイドさんに案内されるがまま進むと、
「こんにちは、ジンタ君っ。えへ……来ちゃった」
玄関口でジェラールが爽やかな笑顔で手を振っていた。
おれは中指を立てて応えてあげる。
「『来ちゃった』じゃねえよ、変態眼鏡」
「うんうん、いいねえ。愛しくて愛しくてたまらなく愛しくて、もう憎らしいくらい愛しいって意味だろう?」
「ポジティブが半端ねえ! どうしておれがここにいるってわかったんだよ」
「ホモの情報網を甘く見ないで欲しいなあ!」
「なんかすごそうだな!?」
離れた場所でメイドさんがひそひそ話をしていた。
「カザミ様がホモと何かしらのご縁が……?」
「シルヴィお嬢様の片恋相手であるカザミ様も、それでは――?」
「いや、違いますから! 一方的にこいつが――」
ジェラールを指差して弁解しようとすると、がしっと手を掴まれた。
「もういいじゃないか、ジンタ君。バルムント騎士長にもきちんと僕たちの関係を説明しよう。それで、彼女には……きっぱり君のことを諦めてもらおう?」
「「きゃぁぁああ――っ!」」
メイドさんたちが嬉しそうな悲鳴をあげた。
シルヴィ? お宅のメイドさん、腐ってますよ?
「きゃぁじゃねぇえ! おい、変態眼鏡、おれを巻き込むのはやめろっ!」
ばっと手を離しておれは距離を取る。
「用件は何だよ? これ以上変な真似するんなら、塵にすんぞ」
「あははは、そう怒らないでおくれよ、ジンタ君。こんなの、冗談と真剣の割合0:100の話じゃないか」
「ガチだからタチ悪ぃんだよ! だからキレてんだよ、わかれよ!」
ぜえはあ、とツッコミ疲れをしていると、廊下からリーファとシャハルがやってきた。
「あ。また来たのね、変態ホモ眼鏡……!」
「勇者ちゃんではなく、魔法使いのほうであったか」
二人に気づいたジェラールは嫌そうに唇を曲げた。
「また僕とジンタ君の逢瀬に邪魔が……。まあいい。用件というのはね、クリスティが君との決闘を所望している。町を出てすぐの平原に来て欲しい」
「おれは別に、勇者ちゃんと戦いたいわけじゃない。そもそも戦う理由もないし」
スキルを覚えて対策はしたけど、なるべくなら無意味な戦いはしたくないってのが本音だ。
「……確かに、君にとってはそうなんだろう。けれど、彼女にとってはそうじゃないんだ。きっとこれは、僕たちの勝手な都合で我がままみたいなものなんだろう。…………最強であることが、彼女の存在証明なんだ」
いつになく真剣な口調に、おれもリーファもシャハルも聞き入った。
「このままじゃ、いずれ『勇者』の肩書に彼女は潰されて壊れてしまう。……背負うには重すぎたんだ、『勇者』も『世界最強』も……。だから、これは僕からのお願いだ。決闘で――クリスティを倒してあげて欲しい。普通の女の子に戻してあげて欲しい」
おかしなお願いだ。
仲間を倒して欲しいなんて。
昨日と比べて、ジェラールはワケ知りな様子だ。
あの三人の間で、何かあったんだろうか。
おれが戦うのを拒否ってたら、何にも解決しないってことか……。
「わかった、わかったよ。やりゃあいいんだろ? ……何か勇者ちゃんの事情がわかったんだな?」
「昨日、本人から聞いたよ」
おれが歩き出すと、ジェラールが横に並ぶ。後ろからリーファとシャハルがついてきた。
「ジンタ君と戦うことになったのは、指名クエストが来たからなんだよ」
「おれを倒せって?」
「そう。以前から不定期ではあったけど、強いと噂される人物を倒せ、というクエストがあったんだ。今回はそれが君だった――」
後ろからリーファが尋ねた。
「誰がそんなクエスト依頼を……? あんまり穏やかじゃないわよね、そんな依頼」
「名義上は『アルガスト王国』となっている。クリスティは、機関からの命令だと言っていた」
「機関?」
「それが何なのか、詳しくは教えてもらえなかったけど、孤児だった彼女はそこで育てられたらしいんだ。勇者育成プログラムって言うとわかりやすいかな。……だから、クリスティは人の手で作られた人工勇者なんだ」
人工勇者……。
『私は――私は負けられないんです――誰にも――それが私の全部だから――ッ』
だから、最強にこだわるのか。
勇者であることが唯一のアイデンティティで、それがよりどころで、誇りなんだろう。
スキル欄の『勇者』や他のスキルは、勇者育成プラグラムの英才教育か何かで後天的に身についたスキルってことか。
「聖印があるのだろう? それは何なのだ?」
シャハルが訊くと言いにくそうにジェラールは顔をそむけた。
「それも例のプログラムの過程で出来るそうだ……詳しくは教えてもらえなかった。……何も知らないイチ冒険者が、あまり首を突っ込んではいけないことらしくて、それ以上は教えてくれなかった」
首を突っ込んじゃいけない、ねえ……。
つーことは、勇者ちゃんは量産型勇者なのか。
となると、他にも人工勇者がいるって思っていいのか……?
何でそんなことを――と口にしかけて止めた。
魔神復活――。
その機関とやらでは、それが確かな情報としてあるから、人工勇者を生み出しているんじゃないのか。
そうなってくると、強いと噂される奴を倒すっていう武者修行みたいなクエスト依頼にも納得がいく。
格上を倒せば、成長も早いだろう。
実戦経験も積める。
それに、いい宣伝にもなる。
おれたちは城門を出て、昨日スキル習得の特訓をした平原にやってきた。
そこにはすでに、剣を抜き放っている勇者ちゃんと人化ゴーレムことミカエルがいた。
「よ。剣、新調したのか?」
おれが気軽に訊くと、よっぽど屈辱だったのか、昨日のことを思い出した勇者ちゃん――クリスティは顔をしかめた。
「ええ……! もう一本予備がありますから。昨日はただ油断しただけです。いい気にならないでください」
「世間じゃ油断大敵って言うんだけどな」
むっと眉間を寄せるクリスティ。
「何だ、勇者勇者とは言うが、やはりただの小娘ではないか。本物は、もっとこう、オーラというか、そういうのがある。聖印もニセモノのようだし……といっても、本物は単なる火傷なのだが。……ジン君の敵ではないだろう」
シャハルは、いつの間にか召喚していた蛇王をソファ代わりにして座っていた。
つまらなさそうにあくびをしている。
怒りを抑えているせいか、クリスティの片眉がピクピクと動いていた。
ジェラールとリーファがやる気満々って感じで睨み合っている。
「――良い機会だ。僕と君の因縁にも決着をつけようじゃないか」
「望むところよ! 魔法使い風情が、女神に勝てると思わないでよねっ」
「ジンタ君を懸けて勝負だ――!」
「あんたなんかに、ジンタは渡さないんだからっ!」
「いいかい? 貧乳ちゃん。そもそもの話をしよう――ジンタ君が女を好きとは限らないだろうッ!」
「限るわ! 『僕にもワンチャンある』みたいな言い方やめろッ」
一生ノーチャンスです。
それを聞いたリーファが弱っていた。
「うう……そ、それは、そうかもしれないけどぉ……」
「きちんと否定しろ!」
そんな素振りなかっただろう。
おれたちのやりとりにシャハルは爆笑している。
くそ、高みの見物はさぞ楽しいだろうな。
シャハルと同じで、ミカエルも戦うつもりはないらしい。
付き合っていたらキリがない。
青筋をビキビキ立てているクリスティにおれは向き直った。
「さ、馬鹿二人は放っておいて、こっちもやろう。昼飯前のいい運動になりそうだ」
「無事に昼食を食べられたらいいですね?」
軽口を叩き合った瞬間。
おれたちは互いに駆けた。
『下降線』のスキルは、発動するまでに二〇秒ほどかかる。
そのタイムラグと相手の力量、あとは効果が出るまでにかかる時間を考えたら、やっぱりクリスティを戦闘不能にするのが確実だろう。
斬り込んできたクリスティに応戦する。
ガギンッッ――、
「っ」
弾けない。想像以上に剣が重い。
『勇者』と『ジャイアントキリング』のスキルのせいか。
「不意を討った昨日と同じだと思わないことです――」
「ジェラールから聞いたぞ、あんたのこと」
「おしゃべりな人です。それで何ですか、同情してくれるんですか? だったら、大人しく倒されてください」
バヂバヂ、と不穏な物音がすると、クリスティの剣が雷をまとった。
電流が剣伝いに走る。
体重をかけ、おれはつばぜり合いを押し切った。
雷迅魔法か。焔よりも使い勝手良さそうだ。
なんてことを呑気に考えていたら、間合いの外からクリスティは突きをする。
切っ先からバリバリ――と雷の槍が伸びおれを襲う。
「【灰燼】ッ」
黒い焔をまとった魔焔剣で雷槍を両断する。
さて。
おれからもいっちょ反撃を――て、あれ。いねえ。
さっきまでいた場所にクリスティの姿がない。
頭に「?」を浮かべた直後。
ふ、と足元に陰が落ちた。
チッ、上か――。どんなジャンプ力してんだ、量産型のくせに。
「はぁああああああああああああああ――ッ!」
空から降ってくるクリスティは、気合いとともに剣を振りおろす。
魔焔剣でそれを受けると、ズシン、と立っている場所が一段低くなり、衝撃波が原っぱを走った。
「……ジェラールの奴は、あんたのことを心配してた。クリスティには、最強も勇者も荷が重いって。普通の女の子に戻してやってくれって、頼んできたぞ」
「――余計なお世話ですッ!」
クリスティがヒステリックに叫んだ。
「それが私の生きる全部だった、荷が重いなんてことは関係ないッ! 魔神が復活するまで世界最強であり続けること、魔神を倒すこと――それが勇者としての使命なんですッ」
カチン、と頭の中で何かが鳴る。
「あ~あ……、これは怒るやつぞ……」
シャハルがボソッと言ったのが聞こえた。
「――おれを倒すのもクエストらしいじゃねえか、命令があれば誰でも倒すんだろ? ずいぶんとご立派な勇者様だ」
「貴方に勇者の何がわかる!」
「――知るか! んなことッ!」
おれの大声に、ビシッ――と一瞬だけ空気が張り詰めた。
クリスティがほんの少しひるむ。
その隙におれが足払いをかけると、簡単に転んだ。
「勇者だとか使命だとかクエストだとか、くだんねえ建て前だけで勝負仕掛けてきやがって。おまえの糧になるためにおれたちは冒険者やってんじゃねぇんだよッ! せめておまえの意思で戦ってみろよッ」
クリスティは、おれの言葉に戸惑ったような顔を見せる。
ああ、そうだ、ずっと釈然としなかったことが、少し晴れたような気がする。
クリスティは、勇者っていう役割を与えられただけの人形なんだ。
自分の意思があるとすれば、「勇者を演じる」というものだけだろう。
「う、うるさいうるさいうるさい、うるさい! 復活する魔神に備えて、私は最強になる必要があるんです――最強で居続ける必要があるんです――!」
振りあげられたクリスティの剣を、おれは渾身の力で弾き飛ばす。
「…………軽いんだよ、おまえの剣。物理的な話じゃなくて。……その一撃には、何もこもっちゃいない。死にかけのゴブリンのほうがまだマシだ」
「じゃあどうしろって言うんですか! 私自身の意思なんて言えるわけないじゃないですか、勇者じゃなくってしまいます。そうなれば私は独りになってしまいます」
「勇者が嫌なら、辞めればいい。たったそれだけのことじゃねえか」
勇者じゃなければ独りになる――本当に嫌なのは、独りになるってことじゃないのか?
膝をついて項垂れるクリスティに、おれは『下降線』のスキルを発動させる。
足元に紫色の魔法陣が広がり、MPを消費させる。
対象をクリスティに定めると、淡い光がふわりと飛んでいきクリスティの体を包んだ。
「これは……?」
「今まで頑張ってきた努力をパーにする呪術だ。……『世界最強』はおれに預けてもう休め」
「そんな……。私はこれからどうすれば……」
「人生相談は受け付けてねえんだ。……ちょっとは自分で考えろ。きちんと頭があって、前に歩くための足がついてんだろ?」
顔を伏せたまま、クリスティは肩を小刻みに震わせ嗚咽を漏らす。
「ジン君は、シリアスな場面だと厳しいからなあ。普段は優しいのに。まあそのギャップがよいのだが」
大蛇の上で頬づえついて一部始終を見守っていたシャハルが言う。
リーファVSジェラールの対戦は、痛み分けで終わったらしくお互い全身をプスプスに焦がしていた。
「貧乳ちゃんもなかなかやるじゃないか」
「当たり前じゃない。……あと、もう一回貧乳って言ったらぶっ飛ばすわよ」
なんて会話をしながら握手していた。
ゆ、友情が芽生えとる……。
ミカエルがのしのし、とやってきて、まだ泣いているクリスティの隣に座り込んだ。
やれやれ、といった様子でジェラールもやってきて、クリスティの肩を叩いた。
クリスティ。お前は、勇者じゃなくなったら独りになるって言ったけど、たぶん、そうならないと思うぞ?




