77話
魔女の家だからと言って、別におかしな大釜があったり、変な生き物の死骸があったり、黒猫が棲んでいるなんてことはなかった。
リビングには暖炉とイスがいくつか。小さめのキッチンとダイニングがあり、奥にある部屋が寝室のようだった。
思った以上に質素な家だ。
寝室に入って、おぶったシャハルをベッドへ寝かした。
「リーファ、念のため治癒魔法を頼む」
「うん」
水とタオルの準備をするため、クイナとひーちゃんはキッチンのほうに行っている。
治癒魔法を受けてもシャハルに変化は見られない。
「……魔女だけが使える固有魔法ってのが、ステータスにあったんだ。召喚魔法の一種だと思う。召喚魔法ってのは、普通の人間にも使うことって出来るの?」
「ううん。隷属させたり、無理やり言うことを聞かせたりする魔法はあるけど、あんなふうに魔物を呼び出して使役する召喚魔法はないわ。おまじないとか儀式やオカルトめいた召喚ならなくもないけど、魔法としては確立されてないの。出来たとしても、あんな巨大な魔物を呼び出すなんて無理よ」
「そっか」
「わたしも、シャハルが意識不明になったのは、ジンタが予想した反動のせいだと思う。……何にしても本人が目を覚まさないことには、確かめようがないんだけどね」
クイナとひーちゃんが桶に水を汲んで来た。
おれは水に浸かっているタオルを絞り、シャハルのおでこに乗せる。
聞きたいこともあるから、おれたちは目が覚めるまでシャハルの家にいることにした。
「……ザイード……」
ぼそぼそとシャハルがうわ言をつぶやく。
目尻からは涙が流れていた。
◆Side シャハル◆
育ての親であり魔法の師である彼女もまた魔女だった。
シャハルという名をつけてもらい、自分が魔女であることを教わり、人間とは別種の存在であることを知った。
『いいかい、シャハル。魔女は一人で死んでゆかねばならないんだよ』
『どおして?』
間延びした幼い自分の声。
ああ、とシャハルは無意識の中気づく。
昔の夢だ。
『人間とは違う、魔力と魔法の塊が妾たち魔女だというのは説明したね? 妾たち魔女は、無尽蔵の魔力を溜め込んだ塊でもある。死ねば肉の体は腐ることがない。もしこれを魔法知識のある人間が見つければ、きっと肉の体は利用されてしまう。有り得ない魔法を創造することも、もちろん世界を滅ぼす魔法だって創り出すことが出来る』
だから、誰にも知られず一人で死ななければならないのだと言う。
実を言うと、自分がもうどれだけ生きているのかわからないのだと、皺を深く刻みながら彼女は笑った。
『人間のいる世界では、妾たち魔女は異質で、困った存在なのさ』
『こまったそんざい……じゃあ、わらわたちはどおしていきているの?』
素朴で率直なシャハルの質問に、お師匠は、にっこり笑って言った。
『それを見つけるために生きているんだよ』
幼い自分には難しい答えだった。
やがてお師匠は自分の前から姿を消した。
一人で死を迎えるために、森か沼か谷かどこかへ行ってしまったのだろう。
それとも、自分のことを一人前として認めてくれたからだろうか。
家を継ぎ、島で孤独な時間を過ごした。
来客と言えば魔物か妖精が大半だったが、その日は違った。
『おまえ、魔女なんだって?』
やってきた人間の少年は、会うなり不躾に言った。
話を聞くと、世界を支配しようとする邪神と人間は戦っているそうだ。
だから力を貸してほしいのだと、ザイードと名乗る少年は言った。
『面倒ぞ。どうして妾がそなたのようなガキに付き合わねばならぬ』
『ガキって、シャハルだっておれと似たような歳だろ?』
そう見えるらしい。
歳を訊かれた。
……が、答えることができなかった。
わからなかったのだ。
――自分が、今どれほどの時間を生きてきたのか。
その日からザイードは付きまとった。
勝手に家事を手伝った。
島の外の話を聞かせてくれた。
次第に打ち解け互いの話をした。
ザイードは剣のことを自慢げに話した。
『いやぁー、あんなおっかねえ邪神倒せる自信なんてねえけど、この剣もあるし、おれには仲間もいるから、案外、なんとかなるんじゃねえの?』
しししと笑う、屈託のない笑顔に心惹かれた。
ザイードと過ごしたのは一週間ほどだった。
その時間は、魔女にすればまばたき一度にも等しい時間だ。
だが、過ごしたどの時間よりも色鮮やかに記憶している。
……それでも、ザイードの誘いは断った。
自分は魔女なのだ、と。一人で死なねばならない、と。
『妾とそなたでは、住んでいる世界が違うのだ……外でもし死んでしまえば、そなたに迷惑がかかってしまう……妾は、それが怖い……』
長命であることは知っている。
が、何歳まで生きられるのかは知らない。
知っていたとしても、意味はないだろう。
――自分の歳がわからなくなるのだから。
きっと、どの魔女も同じだったのだろう。
そっか、と少し寂しげに笑った彼の顔は、今でもまだ憶えている。
『わかった。あんまりしつこくすると嫌われる……らしいからな。何年かかるかわかんねえけど、邪神を倒したとき、またここに来るから』
『え?』
『島があったけえから、バカンスに来るんだよ。別にシャハルに会いに来るわけじゃねえから。……え、何? 何か期待した? ぷぷ』
『~~ッ』
『――おっ、怒るなよ、冗談だ、冗談』
ザイードはシャハルの小指に自分の小指を絡めた。
『約束。邪神倒して、ここに戻ってくる』
『うん。……ま、待っている』
わしゃわしゃと頭を撫でたザイードは背をむけ、『じゃあ、またな』と言い残し去っていった。
一人になって酷く後悔をした。
不意に涙が出る夜がたくさんあった。
独りはこんなにも寂しかったのだと、はじめて知った。
ザイードが戻ってくるのを待つこと――それが自分の生きる意味だと理解した。
つ、と涙の流れる感触がする。
シャハルは薄く目を開いた。
「お。気づいた。大丈夫か、シャハル? いや、焦った焦った。急にぶっ倒れるんだもんなぁ」
からりとした笑顔が重なった。
「ザイード……」
「おれはジンタだ。まだ寝ぼけてんのかな……? 何にせよ、目が覚めて良かったよ」
わしゃわしゃ、と頭を撫でられた。
いつの間にか出ていた涙を指でぬぐってくれた。
きゅ、と胸の奥で音が鳴った。
◆Side ジンタ◆
「見るでない」
目が覚めたと思ったらシャハルが毛布の中に隠れた。
泣いているところを見たのがマズかったのか?
それとも寝顔のほうか?
つっても、それなりにおれも責任感じてるんだよな……。
「なあ、どうして気絶したんだ? 痛かった?」
「そなたが、妾の使い魔をギタギタにするからぞ。契約主の妾にも精神的な被害はある」
予想した通りってことか。
落ち着きを取り戻しているので、おれは丁寧に魔焔剣のことをシャハルに教えた。
毛布の中でシャハルは静かに聞いていた。
「であったか……取り乱してずいぶんと迷惑をかけてしまったようだ」
「いや、混乱しても仕方ないと思う」
急に現れた奴に、もう千年経ちましたよって言われても信じられないだろう。
「戦っているとき、魔焔剣のことで何か言ったよな? どういうことなんだ?」
そっと毛布から顔を出して、シャハルは一度魔焔剣を見る。
「ザイードが持っていた当時、一度だけ使っているのを見たが、あのような恐ろしい炎ではなかった。黒ではなく真っ赤な炎だった」
「……それ、もうちょい詳しく」
「それ以上は妾もわからぬ」
「そっか……」
「しょ、しょんぼりするのをやめよ……。わ、妾とて情報があれば教えてやりたいのは山々なのだ」
「妙に協力的だな。どうかしたのか?」
「どうもしておらぬ」
さっとまた毛布を被ったシャハル。
いいにおいが漂ってくる。
リーファが食事を作ってくれているんだろう。
「シャハル、立てるか? おれの仲間がご飯を作ってくれているみたいだ」
毛布からシャハルが出てくると、ゆっくり体を起こしベッドから降りる。
ふら、と倒れそうだったので、肩を掴んで支えた。
そのままシャハルは頭をおれの胸に預けた。
「二人はあったかい」
「……なあ、ほんとに大丈夫か?」
「フフ、久しく嗅いでいなかったオスのにおいがする……」
「お酢……? おれ酸っぱい??」
何で酢のにおいがしているのかはさておいて、シャハルからはすごくいいにおいがする。
「はァ……嗅いでいるだけでおかしくなってしまいそうぞ」
艶っぽい眼差しでシャハルはおれを見つめてくる。
目をそらしたら、何されるかわからないからそらせない……。
誰かに見られたら、確実に勘違いされそうだ。
ギイ、と扉から音がして振り返ると、ひーちゃんが隙間からじいっとこっちを見ていた。
「がう……ご主人様が『オトナ』しているの……」
ば、ばっちり見られとるぅうううううううううう!?
「ひーちゃん、違うんだ、これは」
「ご飯が出来たから呼びに来ただけなの。……ボク、何も見ていないの」
「そ、そう。それでいい。ひーちゃんは何も見ていない」
ぱたり、と扉を閉めた後、
「リーファ、クイナ、たいへんなのぉ――っ」
「報告するのやめぇええええええええい!」
シャハルの手を引っ張って、ひーちゃんの後を追いかけ捕まえる。
パインゴ一個で買収し、口封じに成功した。
「賑やかだな、そなたらは」
くふふ、とシャハルは小さく笑った。
おれは別に賑やかにしてるつもりはない。たぶん、ひーちゃんたちもそうだろう。
でも、シャハルにはそう見えるらしかった。




