75話
森は静かで、魔物が全然出てこない。
ちょっとだけ拍子抜けするけど、面倒がないことはいいことだ。
両脇に続いた木々がなくなり、ぽっかり空いた空き地に出た。
気温も森の中よりも低いのか、ここだけすごく爽やかな場所に感じる。
奥に一軒の古い家があった。
「あそこに、魔女がいるのかしら」
「たぶんそうだろ」
どういう系の魔女なんだろう。
童話系の老女な魔女なのか、RPG風の悪女的な魔女か……。
出来れば後者でお願いしたいところだ。
おれたちが近づいていくと、家の扉が開いて女の人が出てきた。
夜明けの海みたいな藍色の長い髪を振り乱し、慌てた様子だった。
気の強そうな切れ長の瞳とすっと通った鼻筋。
クイナとリーファの体型の良い所を合わせたような、セクシーな体つきをしていた。
この人が魔女なのか……?
「ザイード! ザイード・ランクス!?」
そう言っておれたちを見て、人違いだとわかったようで小さく肩を落とした。
誰だ、ザイードって。
「何だ、ザイードではないのか。……誰だ、そなたらは。どうやってここまでやって参った」
抑揚に富んだ色気のある声だと思った。
「おれたちは冒険者で、この島を調査しに来たんだ。おれは風見仁太。……この島に棲んでいるのはあなただけですか?」
「だとしたらどうした。……精工物の結界を破るとは、そなた、何者だ」
「何者って……フツーの冒険者ですが」
「はぁぁぁぁぁ!? 普通の冒険者風情に破られるほど容易い結界ではないわっ!! 嘘をつくでないっ!!」
「いや、これマジの話なんで。嘘とかそういうんじゃなくて……」
「妖精文字ぞ!? よーせーもじっ! 妖精とその認められた者にだけ読めるとされる文字であるぞ! 読めまい、読めまい、フフン」
「であるぞ、とか言われても。おれからすれば漢字とひらがなだしなあ……そんなドヤァな顔されても……」
「では、何と書いてあった? フフン。大方、石板を適当にイジくり倒して、そなたらはここに辿り着いたのであろう!」
「『迷宮 の門 常世入口』」
「きっちり読んどるぅぅぅぅぅぅううううっ!?」
「あれ、あなたが書いたんですか? それならもうちょっと述語をですね、しっかりしたほうが命令もきちんと伝わりやすいんじゃないかと……あのこれ、国語の話ですからね? 別にディスるとかそういうんじゃなくて」
「えぇいっ、やかましい! 用がないのならとっとと去るがいい! …………あの、ちなみに何と書けばよかっただろう……」
魔女さんは意外と真面目だった。
おれはリーファからメモとペンを借りて彼女の所へ行く。
「ええとですね……ここをこうして……」
「ふむふむ……なるほど……。――はっ!? この異常なほど高い妖精語力……そなた、もしや妖精の類か!?」
「だから、冒険者だっつーの」
全然話が進まない……。
おれが困ったように頭をかいていると、リーファが本題を切り出した。
「もしかして、あなたが魔女?」
「だとすればどうした。ミズラフ島の魔女シャハルとは妾のことぞ」
戦闘も覚悟していたけど、この調子なら普通に話が出来そうだ。
「シャハル、でいいかな? 実は、魔女のシャハルに訊きたいことがあって来たんだ」
「ふむ、スリーサイズか?」
思わず目がいく。
クイナ以上ではないけど、豊満な胸。
しなを作ると出来る、見事な曲線を描くくびれ。
つんと突き出たお尻に長くて細い白い美脚。
我がままボディを所持した、抜群のプロポーションを誇る魔女さんだった。
「……………………。ち、違う、ですヨ?」
にい、とシャハルは口だけで笑う。
「見事、サイズを言い当てることが出来たら――」
「出来たら?」
「好きに触ってよい」
「上から92、51、88!」
「――ぶっぶー」
「シット!」
「触らせると言っても、手だがな」
「弄ばれた!」
くすりと妖艶に笑うシャハル。
つつつつ、とおれの喉から胸を人差し指でなぞり上目づかいをする。
「ジンタと言ったか、そなた、なかなか可愛いところがある」
「ど、どもです……」
何だろう、蛇に魅入られたような気分だった。
クイナがしょんぼりとしている。
「そんなに触りたいのであれば、わたくしに言ってくださればいいのに……」
リーファは唇を目いっぱい引き結んで、涙目でおれのほうを見つめている。
「あら、リーファさん? 何を泣いているのです?」
「泣いてない、泣いてないわよっ」
「あぁ、ジンタ様をポっと出の魔女に取られてしまうかもしれない、と心配に」
「な、なってない、なってない、違う……っ」
ぶんぶん、と子供みたいにリーファは首を振る。
くすくす、とシャハルはまた楽しそうに笑う。
「戯れはここまでだ。……して、訊きたいこととは何だ」
「そう、本題。勇者のことと、勇者が持っていた剣について聞かせて欲しい」
「勇者……? とは、ザイードのことか」
あ、そっか。おれは、勇者は勇者としか知らない。
当たり前だけど、普通にちゃんと名前があるんだ。
てことは、さっきシャハルが出てきたときに呼んでいたのは、勇者の名前だったのか。
リーファがうなずいた。
「そう。勇者ザイードのことを教えて欲しいの。会ったことがあるのよね?」
「べ、別に、あ奴と妾のことで、は、話すことなぞ、何もないが……?」
さっきまでの艶然とした様子はなくなり、小声で自信なさそうにぼそぼそと言う。
「し、強いて言うのなら、少しの間ここに滞在した、くらいぞ……。魔神を倒すために妾の力が要ると言われたが……、うううう、嬉しかったなぞ言っておらんであろうっ!」
顔を赤くしてシャハルはそう叫んだ。
「……みんな、一旦集合しよう」
シャハルから離れてみんなを集める。
「どう思う?」
「間違いないです、ジンタ様」
「わたしも、間違いないと思うわ」
二人はうなずき合う。
「「あれは、恋する乙女の反応」」
「聞きたいのはそういうことじゃなくって。本物と会ったかどうかってことだ。ニセモノが勇者を騙るってのは、ありがちだろ?」
「しかし、ジンタ様。魔神を倒して勇者と呼ばれるようになったので、当時はまだ勇者と呼ばれていなかったはずです」
「それに、わざわざ魔女に会いに来てるのよ? パンピーはそんな勇気ないと思うわ」
「ここに来るのは一般人じゃ難しそうだし、本物に間違いないってことか」
……ん? 後世になって勇者と呼ばれるようになった――?
シャハルの最初の反応からしてもそうだ。
『勇者……? とは、ザイードのことか』
だから、当時は勇者とは呼ばれていなかったんだろう。
クイナの口ぶりからして、魔神を倒したことで勇者と呼ばれるようになったんだ。
でも今、勇者=ザイードの図式は、世界的な常識だろう。
じゃあシャハルは、どうしてそのことを知らないんだ?
千年以上を生きる、ミレニアムな魔女なんだろ?
こんな孤島に引きこもっているから、外界の情報が入ってこない……?
そりゃそうだ。
来客がいたとしてもあんな古代妖精文字で結界を張ってちゃ、誰もここに来られない。
「ざ、ザイードはそれなりに名を上げたようだな、う、うむ。妾も知人として……あ、あくまでも知人として、鼻が高い。そ、そなたら。ちょ、ちょうどよい。……あ、あ奴のことを何か聞いておらぬか」
やっぱり……!
リーファもクイナもひーちゃんは不審そうに首をかしげた。
「ねえ、ジンタ、これってどういうこと……?」
おれはリーファに手で待ったをかけた。
「……なあ、シャハル。落ち着いて聞いてほしいんだけど――」
「あ、あ奴、事が済めばまたここに来ると、ぬかしたのだ……ずいぶんと待っているのだが、い、一向に姿を見せぬ……。ここへの途中で出くわす番人にやられたとは思わぬが……、その、何か、知らぬか……?」
……それなりに名を上げたようだ――?
後の勇者だぞ、名を上げた程度の騒ぎじゃない。
……ずいぶんと待っているのだが――?
いつからだよ、いつから勇者がここに帰ってくるのを待ってるんだよ。
……何か知らぬか――?
知らない奴なんていねえんだよ……。物語にもなってる、世界を守った超有名人だぞ……。
不安と期待の混じるシャハルの視線に耐えられなくて、おれは目をそらした。
孤島の魔女は、時間が止まったようなこの空間で。
外界の情報が入らないまま、たった一人で、千年を生きていたんだ。




