68話
難なく門を通り、クイナはまたあの生理的嫌悪を催す領主の館にやってきた。
執事がお待ちくださいと領主に取り次いで、すぐに中へと案内された。
部屋へ通されると、領主は脂ぎった笑みでクイナを迎えた。
「気が変わったのかね? フフ、なかなか殊勝じゃないか」
「ええ。先ほどのお詫びとして手作りのお菓子をお土産として持って参りました。お口に合うといいのですけれど」
手渡したのは、例の特製クッキーだ。
作ったとき、味見をしたひーちゃんとリーファは、一口かじってどこかへ行ってしまったが、ジンタは死にそうな顔で「うん……、う、美味い……」と言ったので、死にそうなほど美味しかったのだろう。
和やかに領主とお茶をして、適当に会話をしていくクイナ。
(領主の裏の顔がわかる証拠のようなものがあればいいのですけれど……)
さりげなく周囲に目をやるが、すぐにそれとわかるような物は置いていない。
「わたくし、少々お手洗いに……」
「では案内させよう」
「いえいえ。場所はわかりますので、お気遣いなく」
そうか、と領主はうなずいて、それから一度執事に目をやった。
席を立ち部屋を後にする。
もちろん、トイレなんてただの口実だ。
(何かないのでしょうか……)
館の中をうろうろしていると、窓の外に裏庭が見えた。
綺麗に整えられた花畑に目を奪われていると、使用人の男が、パンの入ったバスケットを手に花畑の中へ入っていく。
(お花畑にパン……?)
外に出て使用人の後を追う。
もう姿はなく、使用人が消えたあたりの地面に小さな扉があった。
ぱっと見、それとわかりにくいように草や土で扉は覆われている。
音を立てずに扉を開けてみると、地下へ続く階段があった。
(地下……? 館の裏庭に――?)
背後に迫る影に気づかないまま、クイナは息を呑んで階段を静かにおりた。
小さく話し声が聞こえ、足を止めてそおっと陰から盗み見る。
牢屋のようにいくつも檻があり、中にはボロを着た少女たちの姿があった。
先ほどの使用人が檻の中にパンを投げ入れている。
『そういう奴隷を飼っているって話を出入りしている商人にちらほら聞くことがあります。聞いたっていうだけで、見たこともないらしいんですが』
(亭主さんがおっしゃっていた噂は、どうやら本当だったようです)
「――何をしているのですか」
「っ!?」
突如背後から上がった声にクイナはビクりと肩をすくめた。
振り返れば、領主の部屋にいた執事がニコニコ顔で立っていた。
「あ、あの――えと、これは、その」
クイナは執事に腕を取られ、カチャン――と手錠をはめられた。
「余計な何かを――見てはいけない何かを見てしまった場合はこうするようにと、我が主から仰せつかっておりまして」
身の危険を感じて魔法を発動させようとするが、上手く魔力が集まらない。
「どうして――魔法が――」
「魔力を拡散する特別な手錠です。無駄ですよ」
そういった効果を持つ鉱石があると聞いたことがある。
執事はクイナの髪の毛を掴んだ。
「――離してくださいっ」
檻のひとつにクイナは放り出され、すぐに鍵をかけられた。
執事と使用人が地下を去り、外に続く扉が閉められる。
周りをよく見ると、若い女の子が十人ほどそれぞれ檻に入れられていた。
ボロを着せられ、髪もボサボサ。例外なく痩せ細っている。
一度クイナのほうを見て、みんな目を背けた。
「アナタもさらわれて、ここに連れて来られたの?」
隣の檻の少女がボソッと話しかけた。
「いえ。わたくしは、さらわれたというわけではないのですけれど……」
「私はニーナ。ザガの町で盗賊に捕まって、目隠しされてここに連れて来られたの」
「え、ニーナさん……? 自警団のアベルさんの恋人さんでしょうか?」
「うん、そうだけど、どうしてそれを?」
話が少しおかしい。
このニーナさんは盗賊にさらわれた。それは自警団の青年も言っていた。
では、どうして領主の館の地下に……?
「わたくし、クイナと申します。ニーナさん。ここがどこかご存知ですか?」
「ううん。盗賊が管理しているどこかの地下じゃないの?」
他の子に話しを訊いても、ここがどこかもわからないらしい。
共通するのは、盗賊にさらわれたこと。
ザガの町出身者の数を確認すると、十人中七人。
ここに来たのも最近。
他の子も、近くの町や村出身のようだった。
全員、領主の顔はあまり知らないらしい。
――領主と盗賊が通じているのでは……。
そう仮定すると、色々と辻褄が合ってくる。
町の娘を盗賊にさらわせ、それを秘密裏に屋敷に運んでいた。
強引に拉致したのですから、そんな子が領主の館にいては不自然。
だから地下に隠した。
盗賊は、領主が指名した少女をさらうかわりに報酬をもらう――という関係だとしたら。
(このことを、何としてもジンタ様に伝えないと)
だが、脱出しようにも手錠のせいで魔法が使えない。
「はぁ……困りました……」
「今日は、クイナさんの番よ……」
「番というのは?」
「仮面をつけた変態がいつも夜になるとやってきて、誰かを選んで……そこの奥の部屋に連れて行くんだけど、ここに来た初日は、必ずそうだから……」
しばらく時間が経ち、誰かがやってきた。
来たのは、仮面をつけたあの領主だった。
「クイナちゃぁ~ん、いっぱいお話しようか」
ゾゾゾゾゾ、とクイナの背に悪寒が走る。
檻を開け、やってきた領主がクイナの髪の毛を掴んだ。
「きゃ――」
「さあ、いっぱい楽しもうねぇ~」
「や、やめてください」
ブアハハ、と大きな笑い声をあげ、クイナを引っ張り奥の部屋へ連れて行く。
「どうしたぁ? 昼間の威勢はどこにいった? んん~?」
仮面をとるとあの脂まみれの顔が現れる。
ガクガク、と何をされるのかわからない恐怖に、自然と体中が震えた。
「震えてしまって可愛いねえ~。エルフだから私が死ぬまで一生ここでこうしてやっていくんだ。せっかくなら楽しもうじゃないか――ブアハハ」
そんなとき、外から何かの物音が聞こえた。
徐々に、徐々に、大きくなっていく。
「【ガチャ荒らし】は来ない。館の裏庭にこんな場所があるなんて、知りもしないだろうからねえ」
ガァン――。
「ジンタ様……っ」
「――来ないと言っているだろうッ!」
ガァァアアアン――ッ!
目を瞑って祈ると、涙がつ、と流れた。
「助けて、ジンタ様――」
「だから来ないと――」
爆音がすると出入り口の扉が吹き飛んだ。
そこにいたのは、黒髪で、黒い焔を操り、黒い焔をまとう剣を持った人物――。
凄まじい殺気に空気が張り詰め凍った。
「おい。……言ったよな? 仲間に手ぇ出したら殺すって――」
「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃ――っ!? ど、どうしてここが」
ザ――と影が動くと、
「クイナに手ぇ出してんじゃねぇよ――ッ」
ジンタの拳が領主の顔面を撃ち抜く。
鈍い音をたて領主が吹き飛ぶと、反対側の壁に叩きつけられた。
べちゃ、と領主は床に倒れてカニみたいに泡を吹く。
「ジ、ジンタ様ぁ……うっ、ふぅぅえ~」
「よしよし。良く頑張ったな、クイナ。偉い偉い。本当にギリギリだったな」
「どうして、ここが……?」
「ああ。商人のおじさんがな、見てたんだと。クイナとその後をつけた執事の二人が、裏庭から消えたところ。で、執事は出てくるのにクイナが全然出てこないから、何かあったに違いないって思ったらしい」
ジンタに肩を抱かれて安心すると、またさらに涙が出てきた。
「きっと、来てくださると、わたくし、信じてましたぁ……」
こうして、愛するジンタによってクイナは間一髪のところで守られた。




