98話
「ジンタ様、ジンタ様、起きてください」
体を揺すられて、おれは目を覚ました。
ベッドの脇にはクイナが立っていて、心配そうな表情をしている。
何度か見たことのある寝間着に、上着を羽織っていた。
「……クイナ? おはよう……どうした?」
「おはようございます。……リーファさんが、どこかへ外出したのです。行き先は教えてくれなかったのですけれど、悲しそうな顔をしていたので……」
昨日の話が脳裏をよぎった。
おれはベッドから飛び降りて上着を羽織り、剣を佩いた。
「リーファどっちに行った?」
「何か、あったのですね?」
「うん。……ごめん、説明は後でちゃんとするから」
夜明け前のこんな時間にわざわざ一人で外出するなんて、例のこと以外にないだろう。
おれは急いで屋敷を出て、クイナが教えてくれた方角へ走った。
さっきのことらしいから、そう遠くへは行ってないはずだ。
城門の門兵にリーファを見なかったか訊くと、ちょうどさっき通したという。
城門はまだ開けられないから、専用の小さな扉から外に出してもらいった。
まだ薄闇の残る平原はどこか寂しい。
その中で、ゆっくり動く背中を見つけた。
「リーファ――――!」
立ち止まったリーファは、おれを見るとうつむいた。
走って追いつくと、息を整えて訊いた。
「どこ行くつもりなんだ?」
「天界に戻らなきゃいけないから。わたし帰るって言ったのに、全然信用してくれなくて。……だからもうすぐ、少し先の丘に迎えの神様がやってくるの。天界でね、上司だった神様なの」
明るい口調が痛々しくて、おれは聞いてられなかった。
「どうしてだよ。嫌だって言って泣いてただろ?」
「それは…………でもどの道、わたしが帰らなきゃ、この世界で捜索がはじまる。女神の力があるからすぐ見つかっちゃう。…………それに、みんなが大変な目に」
「――なんかあんだろッ! リーファが帰らなくてもいい方法!」
リーファは苦しそうに首を振った。
「もう、女神の力が戻ったときから、これは決まっていたことなの」
おれは両手を広げた。
「行かせられない」
「ダメよ、そんなの」
「ちょっとくらい話は聞いてくれるだろ? それがダメなら、まあ、やるしかないけど」
覚悟を決めているのか、リーファはもう昨日みたいに泣かない。
「そもそも神様相手に人間は戦えない。ゲームで言えば建物やNPCに攻撃するようなものなの……。倒せもしないし傷つきもしない。神っていうのはそんな相手なのよ!?」
「相手が誰でも関係ねえ! 助けるに決まってんだろッッ!!」
夜明け前の平原におれの声がやたらと響いた。
「……じゃあ何で――、何で昨日おれにあんなこと言ったんだよ!?」
「わたしの、最後の我がまま。……ジンタには、知っておいてもらいたかったの、わたしの気持ち。何がどうなろうとも、天界に行ってもそれだけは変わらないから。……わたしをこのままにしておけば、みんなが大変な目に遭う。それだけはどうしても避けたいの」
だから、わかって。とリーファは訴える。
大変な目に遭うっていうのが何なのかさっぱりわからないけど、リーファにとってもおれたちにとっても最悪の事態なんだろう。
「何かおかしいだろ。どうして? リーファはこの世界に来て神様に適用される法律でも犯したのか? そうじゃないだろ?」
「おかしいのは最初から。……女神はここにいるべき存在じゃない。間違っているのは、わたしたちなの……」
正しい在り方に戻ろうとしている。
それだけなんだ、とリーファは言う。
「どいて、ジンタ。わたしが帰らないと、みんなが、みんなが死んじゃう――――ッ」
そういうことかよ。
おれたちを人質にされたのか。
戻らない、戻りたくないリーファを動かすために、そんなことを……。
「なんだよ、神様ってのは結局そんな程度なのかよ。ずいぶん傲慢なんだな」
それで、ウチの女神様は私情を殺して天界に戻ろうと覚悟を決めた、ってところか。
「神の力を持っている存在が下界にいてはいけない、ってのはわかる。でも、いたとして、何か弊害があるのか?」
リーファはおれから目を逸らして考える表情をする。
訊けば何でも即答していたのに、こう答えに詰まるところをみると、たぶん、知らないんだ。
もしくは弊害なんてものはなくて、ただルールとして決まっているとか、そんなところか。
「……どいて。じゃないと神光を撃つから。わたし、本気だから。今の力なら、当たれば一瞬で蒸発するわよ」
「やってみろよ。おれはどかない」
何でそんなことをわざわざ宣言するんだろう。
もうリーファはおれ以上の戦闘力を持っている。
戦わなくても、おれを避けて目的地に行くなり何だって出来る。
鋭い白光が視界を刺す。
神光がすぐそばを通過する。
耳の近くで炸裂音が連続で聞こえて、風圧でおれは簡単にぶっ倒された。
「次は当てる。本当なんだから! わたし、もうジンタ以上に強いのよ!? どうして止めようだなんて真似するのよ!」
「おまえが、昨日泣いてたから。だから止める」
「だったら何よ……! みんなが死んじゃうんだから。ジンタはそれで満足なの? でも、わたしが帰れば全部丸く収まる。もう、それでいいじゃない!」
リーファが放った神光は、おれの反応速度を上回っている。
一歩動く前に凄まじい音をあげて直撃した。
面白いように吹き飛ばされ、宙を舞って、高い位置から地面に叩きつけられた。
全身に痛みが走る。
一瞬息が出来なくなり、おれは思わずせき込んだ。
「ジンタが止めるって言うんなら、わたしは、クイナやひーちゃん、シャハルを守るために、ジンタを倒さなくちゃいけなくなる――」
何回同じことを言うつもりなんだよ、この女神様は。
おれは歯を食いしばり立ちあがる。
「イヤならイヤって言えよ……! いつもはすぐ言うくせに。肝心なところでどうして隠そうとすんだよ」
「……何も言わないままいなくなれば、わたしは後悔すると思った。きちんとジンタに話して、それでようやく決心がついた。…………でも、昨日、あんなことを言うべきじゃなかった。こんなことになるんだったら、わたしは、嫌だなんて言ってあなたの前で泣くんじゃなかった!」
涙が出ないだけで、リーファは今でも十分泣いている。
見ているだけで胸が痛くなる。
どうにか出来ないのかと自問したとき、ふっとおれとリーファの間に人間が現れた。
「遅いと思ったら……こんなところで何をしているんだい? リーファ」
リーファの表情が硬くなる。
「ジルエル様――」
ジルエルと呼ばれたそいつは、中性的な顔立ちで声も男とも女とも取れる不思議な声だった。
長身ですらりとした体には、リーファが前に着ていたようなゆったりしたローブをまとっていた。
迎えの神様がこいつか。
クソ、ステータスが見えねえ。
「お別れはもう済ましただろう? さあ、天界に戻ろう」
「…………」
ぽん、と肩に手を置かれたリーファは、唇を噛みしめてうつむいた。
「……さあ」
促すようにジルエルが言うと、細い肩をギュッと力を入れて掴んだ。
「おい。リーファが嫌がってるだろ。それ、やめろよ」
おれが顎をしゃくって言うと、冷たい眼差しがこちらにむいた。
「風見仁太………フン、貴様か。リーファを巻き込んで転生した男は」
「だったら何だ」
高慢に顎をあげてジルエルは笑う。
「悪事には罰が必要だ。迷惑料として貴様の命をもらおう」
「は、話が違います、ジルエル様――ッ。わたしが帰るならそれでよかったはずです!」
つまらなさそうな顔でジルエルはリーファを見おろす。
「話は、そうだな、確かに違う。だからどうした。致し方ないだろう。なぜなら私の気が変わってしまったのだから。それとも何か、かばうつもりか?」
神様からすれば、おれたち人間の命ってのはそんなレベルなんだろう。
気が変わった程度で消されるものらしい。
でも、リーファは違ったぞ。
いつだって対等だったし、人間だからっておれを見下すことはなかった。
「約束を反故にするのであれば、わたしも態度を変えざるをえません。神の力を持つ者同士が争えば」
「よほど大切な男と見える。よいよい、リーファと戦えばこの世界が滅んでしまう。……クククク」
何かを思いついたように、ジルエルは嫌みな笑い方をする。
「しかしここで見かけてしまった以上、何もせず見逃すということは出来ない。……罰として、風見仁太の中にあるリーファの記憶を消すこととしよう。それでよいだろう」
「え――? それはどういうこと、ですか……? わたしのことを、ジンタが忘れる……?」
「ああ、言葉通りの意味だが」
おれの記憶、しかもリーファに関するものをピンポイントで狙ってくる。
陰険なやつだ。
「なぜ顔色を変える。よいではないか。どうせもう二度と会うことがないのなら、この風見仁太が覚えていようがいまいが、お前に関係ないだろう」
「それは、でも……」
リーファの明るい笑顔。いつも作ってくれた料理。一緒に魔物と戦ったこと。みんなと楽しく過ごした今までの日々。
全部全部、ジルエルの気分が変わったからって、それだけで消されるってのか……?
何だよそれ、何の冗談だよ。
「リーファ。おれは正義の味方でも悪の化身でも何でもないフツーの人だけど……少なくとも、おれはおまえの味方だ」
少し嬉しそうな顔をしたリーファは、すぐ複雑そうな表情をして首を振る。
そのまま両手で顔を覆ってしまった。
小さく肩を震わせて、泣いている。
そんな様子を愉しんでいるのか、ジルエルが小さく笑うのをおれは見た。
「風見仁太。神の事情に無関係な上、こうして私に罰を下されようとしている。解せない。打算でもあるのか? 不思議なこともあるものだ。どうしてそこまでして我らと関わろうとする」
何言ってんだ、とおれは怒りを抑えながらまっすぐ睨んだ。
「リーファが泣いている――それ以外に何か理由要んのかよッッ!!」
傑作だ、と言いたげにジルエルは哄笑している。
「……リーファ、ちょっと待ってろ。このクソ傲慢なエゴい神様、ぶっ飛ばすから」
「アハハハハ! だったらどうする。人間風情が私をどうこう出来るとでも? ハハハハ――!」
おれは瞬時に魔焔剣を抜いた。
「人間の斬撃が私に届くとでも――? ハハハハハ」
「【灰燼】」
可能な限りのMPを剣に喰わせてやる。
今まで見たことがないほど剣は黒く黒く燃えあがった。
手加減も容赦もしない。
ジルエルは笑いをひきつらせると、眉をひそめた。
「……な――何だ、それは、何が入っている――!?」
神同士が争えば世界が滅ぶ――。
要するに、神クラスの力があれば渡り合えるってことだ。
リーファは、天界に魔焔剣の詳しい情報はないと以前言っていた。ステータスに書いてある情報が全部なんだ、と。
それなら、こいつも詳しく魔焔剣のことは知らないんだろう。
「魔神だって、神様みたいなもんだろ?」
「――何だそれは貴様ぁあああああああああ!」
空間を喰らったような真っ黒な炎に、ジルエルの表情に怯えが走る。
高をくくっていたジルエルは、おれの攻撃から逃れられなかった。
油断大敵とはよく言ったもので、おれが放った渾身の一撃は、夜明け前の景色を両断する。
轟々と燃え盛る黒い炎でジルエルを叩き斬った。
届く。
この剣なら。
神にも届く――――ッ!
「……おい神様。あんま一般人、舐めんなよ――?」




