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神々の天蓋

 神々の天蓋。

 超上級を上回る極限ダンジョン。

 制覇したものは冒険者ギルドの記録に存在しない。

 ギルド誕生以前。すなわち、千二百年前に遡っても制覇したという確かな記録はない。


 神々の天蓋は南にそびえる大山脈――レミジニア山系に存在すること自体はよく知られている。

 ダンジョンには雑魚モンスターがおらずボスだけが存在する。

 近年でも神々の天蓋にたどり着いたパーティは数組いる。

 ボスに続く扉だけがあるというのは本当らしい。


 たどり着くだけなら上級パーティーでもできるようだが、やはり扉を開けて戻ってきた者はいない。

 実はボスなど存在せず、その先にある世界に達したのではないかという噂もある。

 地に住まうものたちと天に住むものたちの境目。

 それが神々の天蓋だ。


 私も小さい頃から恋い焦がれていた。

 ボスがいるというならどんなものなのか。

 扉の先は噂のようにどこかへ通じているのか。

 力がなく半ば諦めかけていた夢だが、シュウに会ってその夢は再燃した。


 そして現在、私はその夢の前に立っている。


 アラクトからひたすら南へ南へと約六十日。

 関所に到達した。眼前にはすでにレミジニア山系が大きく見えている。

 極限ダンジョンへの入場許可証を見せ、衛兵に見送られさらに南へ。

 山道を登ったり下ったりして十日が過ぎた。

 ついにたどり着いた神々の天蓋。


『なんか……いかにもって感じだね』


 シュウの言うようにダンジョンとしての格式が外見に現れている。


 石造りの門が山の斜面を切り取るように屹立する。

 山道で襲いかかってきたモンスターも門の周囲には近づかない。

 周囲は雲に覆われ曇っているにもかかわらず、門の部分にだけ日の光が注ぐ。

 ここだけ世界から切り離されてしまっているようだ。


 門の入り口には様々な模様の入った旗や記章が置かれている。

 ここまでたどり着いた冒険者たちの証だろう。

 柱にまで名前を刻み込んでいる奴もいる。

 知っているものはなかった。


 門をくぐって、切り開かれた山の内部に歩を進める。

 通路も不思議な光に包まれ隅々まで見渡せる。

 床や壁、天井もくぼみ一つない。


 長い長い通路を抜けると開けた場所に出た。

 左右の壁にはよくわからない複雑な壁画が刻まれている。

 それがずっと奥にまで連なっている。

 その奥には扉があった。

 扉は入り口から見えるほど大きい。

 開けることができるのか疑問を抱くほどだ。


 扉に近づいてみると、扉の表面にもなにやら複雑な模様が刻まれている。

 模様がなにを示すのかよくわからないが、きっと意味のあるものなのだろう。


 私のほうは準備ができた。

 おい、シュウ。お前は大丈夫か。


『なに言ってんの、メル姐さん。俺はいつでも準備万端さ。ズプッと奥まで挿入できる』


 ちゃんと馬鹿を言ってるから大丈夫だな。

 よし、いくぞ!


 両の手のひらをぺたり扉につける。

 手の触れているところから白い光が模様をなぞるように走る。

 その光景に見とれながらも、力をこめてゆっくりと扉を押していく。


 ……あれ?


 扉が開かない。

 いくら力を入れてみても扉は微動だにしない。

 全力で押してみるが、扉はぴかぴか光るだけだ。


『二人以上で押さないと駄目とか?』


 嘘だろ。

 なんだよ、その対ソロ仕様。

 私はここまで来て、帰らなければならないのか。


「ずびばじぇーん!」


 どうしようかと扉の前で悶々としていると後ろから元気な声が聞こえた。

 驚き振り返ると男……いや女か。

 どっちだろう。どっちでもいいか。

 中性的な人物が通路の入り口からこちらにふらふらと走ってきていた。

 警戒はするが、その人物はぼろっちい服をまとっているだけで武具などはいっさい見当たらない。

 見た目だけなら私と同じ年頃だ。

 しかし、灰色の髪の合間から二本の角が生えているところを見るに亜人だろう。

 そうなると年齢も外面から判断はできない。


「いやぁ~。すびばぜんへぇ、おばたせしまひたぁ~」


 あ、ああ。

 なにがなんなのかよくわからない。

 てきとーに相づちを打っておく。


 その人物は顔を赤く染め、怪しい呂律で話しかけてくる。

 目もとろんとしていてはっきりしていない。

 口からは……うわ、酒くさっ。


「うへへぇ、ちょぉとシミリアへお酒を飲みに行ってたんですよ。へっへっへぇ~」


 そう言って、慣れ慣れしく肩を組んでくる。

 そのうえ、ぷはぁっと酒臭い息を吹きかけてきやがった。


 シミリアは聞いたことがある。

 遠く北にある雪国だ。強い酒で有名だったはず。


「おや、おやおやぁ。もしかしてお一人ですかぁ」


 普段ならイラッとするところだが、べろんべろんなためだろうか。

 離れて欲しいとしか思わなかった。


「はひゃ、はひゃひゃ。こいつはたまげたなぁ~。一人で来る人間なんて数千年はいなかったぞぉ。うへっ、へへぇ」


 は、はぁ、そうなのか。

 まともに相手にするのが馬鹿らしくなってきた。

 なんというか……うん、数千年?

 お前はいったい何者だ。


「あれぇ。もしかして、もしかするとこのわっちをご存じないっ?! なんともはやっ! って、よく考えたらわっちを倒してくれた人間なんて一万年はいなかったなぁ! ふひひぃ!」


 気持ち悪い声で笑い始めた。

 ヒッキー、ロリコン、シスコンの次はアル中か。


「よっしゃ。わかった、わかりました! わっちも本気出しちゃいます! 酔い覚ましに顔洗って、お水をちょろっと飲むからね! そのへんを軽くお散歩してから扉を開けてチョウダイ! うひゃあ、頭痛い。吐きそうだぁ! なぁんてな! うひょひょ」


 にたぁと下卑た笑みを浮かべると、アル中は扉に手を触れる。

 触れるというよりも、沈むというほうがより正確だった。

 ずぶりと扉に手が沈むと、全身も続いて沈み姿を消した。


『なかなか個性的なボスだね』


 やっぱりそうなのか。

 信じたくないが、あれがボスなのか。

 酒場にいるアル中にしか見えなかったんだが。

 とりあえず、言われたように軽く歩き回ってくるか。


『ノンノン。すぐ突入しよう。相手が本気を出せる状態まで、こっちが待つ必要なんてないっしょ。今なら相手が酩酊状態。有利に戦えるよ』


 ……それもそうだな。

 さすが卑怯者の考えることは違う。

 アル中の言葉を真に受けて待つこともない。

 突撃してしまおう。


 そう意気込み扉を再び押してみる。

 扉は今度こそちゃんと開いてくれた。

 見た目の大きさから想像できないほど軽く動く。




 扉の先は荒野だった。

 家も木も川もなにもない。

 荒れ果てた地面が広がっているだけ。

 屋内ですらなかった。

 振り返ると荒野にぽつりと立った扉が閉まり、光となって消えていく。

 荒野に私一人が取り残された。


 なにもない荒野といったが、実は灰色っぽい丘がある。

 しかも、その丘はもぞもぞと動いている。

 よくよく見ていくと丘でもなかった。


 丘はつっかえながらもぐるりと回る。

 ぐらぐらと丘が動くだけで地面が揺れる。

 やがて丘の端からなにやら巨大な双眸が出てきた。

 黄金の瞳孔は縦に割れて、値踏みするように私を見つめる。

 大きすぎてよくわからなかったが、きちんと見ると手と足、さらには翼までついている。


『ドラゴンかぁ……。この世界にはいないんじゃないかと思ったけど、やっぱりいるんだね。しかもラスボスですか。某シリーズの初代を思い出すよ』


 なんというか言葉が出ない。

 まさかここまでのものが出てくるとは想像していなかった。


 ドラゴンというのも子供向けの物語だけの存在だと考えていた。

 トカゲの大きいものくらいだと考えていたがとんでもない。

 この大きさはちょっと洒落にならない。

 ほんとに倒せるの、これ。


『一万年くらい前に倒した人はいたみたいだからなんとかなるよ。ほら、俺チートですしおすし。とりあえず攻撃してみよう』


 それもそうだな。

 ひとまず斬ってみるか。

 ドラゴンに近づいたところで足、もしくは腕を出され動きを制された。

 こちらに向いていた口が大きく開き、咆哮――をすることなく、おえぇぇと吐いた。


『これはだいぶ悪酔いしてますねぇ』


 どうやらそのようだ。

 頭はふらふら、瞳も定まらない。

 口からはねばっとした液体がこぼれ落ちている。

 気にしないでさっさと斬りつけよう。


 まずは私に突き出されていた腕(あるいは足)を斬りつける。

 斬ったという手応えはない。肌の表面をなぞっただけに思える。


『いや。たしかにめちゃくちゃ硬いけど、ちゃんと吸収はできてる。斬りつけただけでポイントが馬鹿みたいに入ってるよ』


 手応えは薄いが、きちんとダメージは通っているようだ。

 何度か斬りつけて状態異常も入ったことを確認できた。

 口からの吐瀉が先ほどよりも多くなった。


『ドラゴンというよりもゲロゴンだね。今のところ順調だけど、相手の攻撃には注意してね。重量が桁違いだから食らうと危ないよ』


 うむ。一撃でも食らうとやばそうだ。

 ドラゴンの胴体に近寄り、さらに斬り刻んでいく。

 抵抗はされるものの、酔って体調が悪いためかキレがない。

 軽く避けることのできる攻撃がぽつぽつ飛んでくるだけで、あとはひたすら吐いている。


 どれくらい斬りつけただろうか。

 とうに数十は斬りつけている。百に達しているかもしれない。

 それでもドラゴンの様子にさほど変化はない。ずっと吐いている。

 最初から弱っていると言えばそうなのだが、本当に攻撃が入っているのか。


『入ってる。めちゃくちゃ入ってるはずなんだけど、体が大きいからなのかな。特殊能力無効がうまく入ってない。攻撃の最中でも回復してると思う』


 じゃあ、どうすればいい。

 このままだとジリ貧になるぞ。


『メル姐さんがジリ貧って言葉を知ってたことに驚きだよ……。でも、その通り。そうなると頭か心臓にでも直接突き刺すのが一番かなぁ。心臓は刃が届きそうにないから頭だね』


 心底驚かれた。

 私だってジリ貧くらいは知っている。

 初心者時代に武器屋の親父から言われ続けてきたからな。


「メル。お前このままじゃ冒険者どころか人間としてジリ貧だぞ!」


 豪快に笑われたものだ。

 この話はもうやめよう。


 言われたとおりに頭を狙ってみるか。

 ちょうど地面に近づいてゲロゲロ吐いているからちょうどいい。

 胴体をよじ登り、背中、首と伝って頭に移動する。

 揺れているものの、踏ん張ればなんとか大丈夫そうだ。


 シュウを両手で逆手に持ち、脳天めがけて勢いよく突き刺す。

 頭の皮を突き破りシュウはゲロゴンの頭に突き刺さった。


 突き刺さった瞬間。

 ゲロゴンは咆哮した。

 空気は揺れ、頭に乗っていた私にも振動が伝わる。

 どうやら効果があったようだ。


『やばい。怒らせた。逆鱗は顎の下じゃなかったのか……。メル姐さん、後ろ!』


 顔だけ振り返るとそこには壁が迫っていた。

 壁に追突され、私は宙を舞う。

 シュウを手放さなかったことが不思議なくらいだ。

 どうやら追突してきたのは壁ではなく、腕あるいは足。

 能力プラスで耐久力も上がっているためか、痛みはそれほどでもない。


 飛んでいる最中でゲロゴンの縦長に割れた瞳と目が合った。

 瞳の中は炎のごとく揺らめいている。

 怒りの感情が読み取れた。


 地面にごろごろと転がり、正面を見るとゲロゴンが私を睨む。

 残念なことに酔いも覚めてしまったようだ。

 喉の奥から低い唸り声が聞こえてくる。

 ゲロゴンが私に向けて口を開く。


 喉の奥から赤いモノが見え、反射的に体を横に転がした。

 私の元いた場所を真っ赤な激流が通り過ぎた。

 赤い波は猛烈な熱を放ち、直接触れていないのにもかかわらず痛みを感じさせる。

 炎の波は地面を半円にえぐり取り、荒野を突き進んでいった。


『食らったら死んじゃうね。骨すら残らないよ。これ確信』


 ゲロゴンは外したことを確認すると、さらに炎の波を撃ってくる。

 炎を何度か撃つと今度は飛び上がり私に爪を振り落としてきた。


 なんとか避けることができたからいいものの、こちらも食らったら死ぬ。

 間違いなくシュウで防ぐこともできない。

 爪の振り落とされた地面は抉られるというレベルではなかった。

 地は長く割れ、底の見通せない溝を作ってしまっている。


 攻撃の動作はわかりやすいため避けることはできる。

 しかし、その一撃一撃があまりにも危険だ。

 腕を振るうだけでも必殺になる。


 おい、シュウ!

 得意のチートでなんとかならないのか。


『もうちょっとがんばって! 準備に時間がかかる!』


 とりあえず策はあるらしい。

 シュウも状況のまずさをわかっているのか。

 冗談抜きで返答してきた。


 その後も苛烈極まる攻撃を躱していたものの、砕けた地面に足を引っかけてしまった。

 バランスを失って地面に転がる。溝に落ちないようにするのが精一杯だった。

 隙としてはほんのわずかだった。されどゲロゴンはその隙を見逃さない。

 私に向けられた口からは赤の波が見えている。


 ――回避は間に合わない。


 そう悟ったときには既に、炎の奔流が眼前に迫っていた。


「シュウ!」


 思わず叫んでしまった。


『もうメル姐さんったら。炎の中で愛を叫ぶなんて熱烈なんだからぁ。僕ちゃん、照れちゃうぞ』


 必死の叫びへの返答はいつも通りふざけたものだ。

 返答にもあるように、私は炎の中にいる。

 熱さはまるで感じない。

 音も聞こえてこない。

 まさか、もう――


『死んでないからご安心を。でも、生きているとも言えないかもね』


 ゲロゴンは目を見張っている。

 炎の中でも生きている私に驚いているようだ。

 チートに慣れている私だって驚いているんだから当然だろう。


 ゲロゴンは地を蹴って飛び上がり、私に爪を振り下ろす。

 これはまずい。避け――


『避けなくていいよ』


 えっ、どういうことだ。

 聞き返すうちにゲロゴンの大きな爪は私の小さな頭へ振り落とされる。

 周囲には波状の衝撃が駆け抜けるが、私には一切の衝撃がない。

 ゲロゴンの爪は私の頭に触れたところで止まっている。

 触れたところと言っても、触られている感覚はない。


 ゲロゴンは足をどけると、さらに目を見張る。

 私が平然と立っていることに驚いているのだろう。

 うん。たぶん私も同じ顔をしているはずだ。


 ゲロゴンは足を横から振り払う。

 言わずもがな。結果は先ほどと変わらない。

 周囲に砂埃は舞うが、足は私に触れたところで止まる。

 私には足が触れたという感覚さえない。

 ゲロゴンの顔に困惑が浮かぶ。


 さて、シュウ。

 そろそろこのチートの説明を求めてもいいだろうか。


『なぜなにチートの解説がはじまるよ~。まず、このチートはね。一番最初――メル姐さんが初めて俺をにぎにぎしてくれたときからあったんだ』


 最初は毒付与だけじゃなかったのか。


『選択できるのが毒付与だけだったんだよ。選択欄には一番最初から存在してた。ポイントがあり得ないほど高いのと選択条件が能力プラス以外のスキルを全て外すってことだからね。そんなんだから説明もしなかったし、そもそも使えなかった』


 そうだったのか。

 それでこれはいったいどういう効果なんだ。

 今もゲロゴンの振り下ろした爪が私の肩で止まっているんだが。


『俺の世界でいうところの無敵状態だね。この世界だとなんて言うんだろう。ダメージが通らなくなるとでも言えばいいのかな』


 そうみたいだな。

 ゲロゴンが岩を投げ飛ばしてくるが私に触れた瞬間、勢いが止まって地面に落ちている。

 足に落ちても衝撃どころか重みすら感じない。


『いやー、これこそチートだよね。でも、攻撃どころか風すら感じないでしょ』


 ああ、周囲に砂埃が立っても風すら感じない。

 さきほどから周りの音はおろか自分の声すら聞こえない。

 聞こえるのは頭に響くシュウの声だけだ。

 ゲロゴンの口から漂う酒の臭いもなくなった。

 右側の視界もなくなり、地面に立っている感覚すら消えている。

 視線だけがここにあって、生身は現実から消えてしまったんじゃないかと錯覚する。


『さすがと言うべきか、ちゃんと自覚できるんだね。これこそ逃げ足だけが取り柄のメル姐さんに許された特殊スキル。人間関係から逃げるだけに止まらず、世界まで置き去りにしてしまうほどの驚異的な逃避。その名もまさしく――現実逃避』


 ゲロゴンも攻撃が無意味だと悟ったのか。

 ぼんやりとした目つきで私を見ている。


『別の見方をすれば、現実から逃げるんじゃなくて現実に逃げるとも考えられる。メル姐さんの意識こそが現実で、その他全てのものを非現実とみなす。これによりメル姐さんへの干渉をなくす。俺だけがメル姐さんと外の世界を繋いでるんだよ。視界の右がなくなってるのも、左手に持った俺が見ている世界をメル姐さんの視界に当てはめてるだけだからだろうね』


 お前の話はよくわからん。

 一言でまとめろ。


『攻撃なんて気にしないで俺でゲロゴンをぶった斬れば万事オーケー』


 最初からそういえばいいんだ。


 ゲロゴンへと足を進める。

 足裏にも体にも重みがない。

 歩いているという気がしない。

 動き出した私にゲロゴンは後退する。

 炎を吐き出してきたが、かまわずに進んでいく。

 近づいた私に大きく口を開き牙で噛みついてきたが、牙は私に当たって止まる。


 私はそのまま口から鼻、目、頭へとよじ登る。

 振り落とそうと必死に腕を振るが私には当たらない。

 体を揺らしているが、なんとか持ちこたえる。


 再びシュウをゲロゴンの頭に突き刺す。

 ゲロゴンは大きく身もだえる。

 おそらく声を上げているのだろうが、私には聞こえない。

 翼を広げて空を飛ぶものの、突き刺したシュウを握る私が落ちることはない。


 先に地面に落ちたのはゲロゴンのほうだった。

 体を地面にこすらせて不時着し、徐々に勢いが収まる。

 最期に腕を私の方へと伸ばしたが、届くことなく光へと消えていく。


 ゲロゴンの頭から落ちたが衝撃はない。

 ただ視点が変わっただけだ。

 勝ったという実感もない。


『もうこのスキル外すね。おもしろくないでしょ』


 ああ、と言ってみたものの本当に声が出ているのか心配になった。


 きちんと聞こえていたようで音、臭い、視界、触感と一気に感覚が私に戻ってきた。

 襲いかかる感覚に刺激すら覚えるほどだ。

 意味もない言葉を発して音を聞き。

 足踏みをしてここに立っていることの実感を取り戻す。


 勝ったという実感はないものの、勝ちは勝ちだ。

 ゲロゴンの落としたドロップアイテムを手に取る。


 ――灰かぶり竜の頼りない肝臓。


 ……なにこれ?

 今まで手に入れたボスのドロップアイテムの中でも名前が一番しょぼい。

 牙とか爪やら翼みたいな竜らしいものじゃないの?

 心臓でいいだろ。なんで肝臓なの?

 しかも頼りないって……。

 どういうことよ?


『落ち着いてメル姐さん。ほら深呼吸、深呼吸』


 落ち着くために息を吸う。


『吸ってー、もっと大きく吸ってー、鼻からもどんどん吸い込んでー。はい、吸ってー』


 そろそろ吐いていい?

 十分、落ち着いたからさ。


『名前で判断しちゃ駄目だよ。すごい効果があるかもしれないでしょ』


 そ、そうだな。

 それにアイテムよりも大切なことがある。


 扉だ。

 入り口の扉に加えて、もう一つ巨大な扉が現れた。

 この先にこそ、私の求めていたものがある。

 深く息を吸って扉に力を入れる。

 やはり扉は見た目よりも軽く開いていく。


 扉の先は先ほどと同じような遺跡であった。

 入り口の扉を開いてしまったんじゃないかと不安になったが、よく見ると細部が異なる。

 こちらは奥に通路が見当たらない。

 そのまま開けた空間から目映い光が差し込んでいる。


 その光に向かって足を運ぶ。

 ゆっくりと踏みしめるように歩いていたが、気付けば駆け足になっていた。

 早く、一刻も早く、光の先に何があるのかを知りたかった。


 私はついに神々の天蓋を超え、その先にある光を見た。

 どこまでも青く続く高い空。

 すぐ下を滔々と流れる川の水。

 どうやら小高い丘の上のようだ。


 ここは天より高く、空より低い場所。

 天の先には広大な世界が広がっていた。


「新世界の感想は?」


 後ろから声をかけられた。

 振り返るといつの間にかアル中が立っていた。

 なんでここにいるんだ。


「酔い覚ましに顔を洗って水を飲むって言ったろ」


 そう言って川を指さす。

 ああ、そう言えばそんなこと言ってたな。

 ボス部屋の荒野には水なんてなさそうだったし。


「しかし、わっちが人間なぞに負けるとは……貴様、本当に人間か? 道理の通じぬ奇妙な技を使いおる。倒されるなんてこっちの挑戦者を含めても一万二千年ぶりだぞ」

『八千年過ぎたらもっと恋しくなりそうだね』


 シュウは相変わらず何を言ってるのかわからない。

 そういえば、しゃべり方がまともになってるな。


「倒されたから全回復の状態で復活した。元はこんなしゃべり方だ」


 本当だろうか。

 酔っていたときの方がいきいきとしていた気がする。


「どちらでもいいだろう。わっちは水を飲みに行く。門を通ればあちら側には戻れるし、わっちのドロップアイテムを使えば貴様を迎えに行くことになる。面倒だから使うなよ」


 あの頼りなさげな肝臓はそんなことができるのか。

 それより、なんで一人称がわっちなんだ。


「うるさいな。わっちは今、機嫌が悪いのだ」


 フンと鼻を鳴らし飛び上がる。

 背中から翼が生え、体も竜の大きさに戻る。

 そのまま大きな影を地面に落としつつ川へと飛んでいった。

 川でばしゃばしゃと水浴びしている。

 ちょっとなごんだ。


『それでメル姐さんはどうするの。念願の「神々の天蓋」はクリアしちゃったけどさ。おうちに帰って惰眠でも貪る?』


 なに馬鹿を言っている。

 目の前に名も知らぬ土地が広がっているんだぞ。

 ここまで来て「じゃあ、帰るか」など言えるわけがないだろう。

 道なき道を突き進み、ダンジョンがあれば片っ端から攻略していくに決まっている。


『おぉ~! おかしいなぁ! なんかいま一瞬だけメル姐さんが冒険者に見えたよっ!』


 私、冒険者ですから。

 今さら言われるとは思わなかったよ。

 しかも、一瞬だけしか見えなかったのか。


 そんなことよりもだ。

 さっさと行くぞ、シュウ!

 私の足が早く進みたいと疼いているんだ!


『よっしゃ。それじゃあ、駆け抜けよう! メル姐さん! 俺たちの冒険は始まったばかりだぜ!』


 その通りだ。

 神々の天蓋の攻略は終了した。

 私の夢は叶ったが、冒険が終わったわけじゃない。

 むしろ、ここからが始まりと言っても過言ではないだろう。

 見ず知らずの土地をこれといった目的もなく突き進んでいくのだ。


『そこだけ聞くとさ。ただの迷惑な人だよね』


 うるさいぞ。

 まったく締まらないな。

 まあ、このほうが私たちらしいか。


 さて……そろそろ行くか。

 気負いすることなく一歩踏み出す。




 こうしていつも通りのふざけた調子で新たな冒険の幕が開かれた。

― 終 ―

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