【第八話】小さな神官の裏の顔
二手に別れて調べるため、ルキとローウェンは正反対の方向へ散った。
海の真ん中に魔術具があるとは思えないので、岸の端からの方が調べる距離が短くなると踏んでまず端を目指す。
船が止まる港の方は整備されているが、そこから離れると岩場さえある。
すでに人が隠れるには良さそうな場所だが、この時期の魔術具はまだそれほど小型化が進んでおらず、高出力のものであるなら幼い子どもほどのサイズがあるはずだ。
だから洞窟のようなものでもあれば絶好の場所……。
「洞窟だぁ」
岩場を登っていたルキは、下の方にうっすら見えた岩場の窪みを見逃さなかった。
念のため先に海の方に手をつけて調べると、痺れがある。こんな端まで来て魔術の範囲ならこの辺りに魔術具がある可能性がある。
一つでは海を覆える出力のものはこの時期まだないと思うので、一見呪いが広がっているように偽装できればいいという考えか、他に魔術具を隠せるいい場所がなかったかか。
「少し、奥まで続いてるな」
石を落として音を聞いた感じでは、相当深いわけではなさそうだ。
「……大人しく一旦集合場所に戻るか」
魔術師がいるかもしれないので、気をつけて行動すること。魔術具がありそうな場所を見つけても一人で探そうとしないこと。
二手に別れるにあたり、ローウェンと約束したことだ。
確かに今のルキは戦闘能力がほぼないと自覚があるし、どうせ魔術を解くにはローウェンが必要なのだ。
そう思って、覗いた洞窟に背を向けた。
刹那、体が強烈な痺れに襲われ、ルキは倒れた。
──なんだ、体の自由がきかない
手の先まで痺れている。海の魔術の影響か? いや今は海に浸かっていないし、さっき手をつけたのも少しだけ。
まるで海にかけられた魔術を強力にしたような……。
「やっぱり地元の子どもか?」
微かな足音と男の声が近づいてきた。
「まったく、焦らせてくれる。この計画まで失敗に終われば我々はお仕舞いだ」
男が二人か。片方の男に蹴られる。
どうやら海に魔術をしかけた犯人がすぐそこにいるようだ。この近くに魔術具があるのは正解か。
「地元の子どもなら、町へ転がしておくか? 今日は皆大人も子どもも大騒ぎで、疲れて寝たものと思ってくれるだろ」
「そうだな……」
神官服を着ていないので、完全にこの町の子どもと思い込んでくれている。
よしよしこのまま町に戻すでも、その辺りに放り投げておいてくれればいい。とっととローウェンを連れて来てやる。
指先が動くようになってきたのを感覚で確認しながら、ルキはただ待つ。
「待て、違う。こいつは──リスティア様付きの神官だ」
雑に持ち上げられかけたところで、雲行きが怪しくなった。
ルキの顔を知っている者。誰だ。ルキが薄目を開けてみると、目の前に同行している神官の一人がいた。
「あ、なたは……」
「驚いた、これで動けるのか。相当な魔術耐性があるようだぞ」
リスティアの周りに確実にシシリア側の人間が潜んでいるだろうとは思っていたが……ここで分かるとは。
「顔を見られた。処分しよう」
神官はルキと分かり、即座にそう判断した。
もう一人、おそらくこちらが魔術師と思われる男が「計画にはないぞ」と言う。
「計画を確実に実行するためだ。どうせ魔物をけしかけた段階では死人が出ることも予想していた」
「だが、どうやって殺す。何もないのに突然死んでは不自然だ」
「……呪いで死んだように見せかけよう。神官が死んだとなれば、町の人々もさらに恐怖に陥ってリスティア様の力を信じられなくなるだろう。新たに聖女が来るとなれば喜ぶはずだ」
雲行きが怪しいどころではない。雷雨並みに悪くなった。
未だ自由にならない体を抱え、ルキは焦る。
「この神官は少し厄介だから、ここで処分できた方が今後のためにもいい。そもそも魔物の段階でこいつが聖域展開なんてしなければ、護衛がいても上手くいったかもしれなかった。聖水だってそうだ。なぜ予備なんて持ってるんだ。今も嗅ぎ回っていたのかこんなところにいやがって……気味の悪い子どもだ」
神官は無力に倒れたままのルキを苦々しげに見下ろす。
「リスティア様もこいつが来てから成長が見られめ前のように精神的な不安定さも見られない。そして今回だ」
神官がルキの首根っこを掴み、手荒に引きずっていく。
「可哀想に」
「ふん、餓鬼に翻弄される私達の方が可哀想だろう」
「それもそうか」
魔術師が笑い、神官に引きずられて離れていくルキを傍観している。これからルキが殺されるとは思えない軽い態度だ。
「悪いが、リスティア様にはシシリア様の陰にいてもらう」
首が一層締まった。と思ったら、ルキは少しだけ宙に浮き──海の中に落ちた。投げられたのか。
元々痺れていたからか、新たな痺れは感じない。
視界は濁った水に覆われ、神官の姿も魔術師の姿も見えない。
思うようにならない口の中に水が入り込み、肺に満ち、あっという間に溺れる。
足掻くこともできず、助けを求めることもできず、沈んでいく。
苦しい。苦しい。苦しい。
ああ、死ぬんだ。分かる。一度死んだことがあるから、分かる。今から死ぬ。また死ぬ。この世で最も大切な存在を貶める輩を前に、その計画を阻止できずに死ぬ。彼女を守れずに死ぬ。
──「『運命を呪う人間よ』」
──「『もしも時間を戻れたなら、何を為す?』」
それは、過去の声。
かつての生で死ぬ間際、聞いた声だ。
そしてルキは、その神と取り引きをした。
──「妹に未来を。辛くも痛くも苦しくもない、幸せな人生を送ってもらうために、彼女を守る」
ルキは、そう答えた。
*
「やっぱり地元の子どもか?」
ルキは目を開いた。
地面が見える。濡れた様子はなく、そもそもルキの体自体が濡れていない。体は痺れてもおらず、指も瞬きも自由だ。
微かな足音と男の声が近づいてきた。
「まったく、焦らせてくれる。この計画まで失敗に終われば我々はお仕舞いだ」
男が二人。片方の男に蹴られる。
「地元の子どもなら、町へ転がしておくか? 今日は皆大人も子どもも大騒ぎで、疲れて寝たものと思ってくれるだろ」
「そうだな……」
こんな輩が、きっと前にもリスティアを苦しめていたのだろう。シシリアの陰に押し込んだのだろう。
「待て、違う。こいつは──リスティア様付きの神官だ」
その声が聞こえた瞬間、ルキは目を開き、目の前に見えた神官に飛びかかる。
不意を突かれた神官はしりもちをつき、ルキを力付くで引き剥がそうとする。
「おいおい、大丈夫かよ」
「魔術は撃つなよ、私に当たる!」
ルキの手が神官を引っ掻き、神官の手がルキの顔を殴った。
その拍子に神官の手がルキの眼帯を引っかけ、外れる。
殴られても神官から離れなかったルキが『両目』で神官を見据えた瞬間、再びルキに手をあげかけていた神官の動きが止まる。
「そ、その目──その金色の目を、なぜおまえが──」
神官は、ルキの左目を凝視する。
呆然としてすっかり隙だらけの神官に、ルキは手を伸ばす。
神聖力の光が発せられる。
「お、おい、どうした、そんな子ども振り払えよ」
所詮子どもとの取っ組み合い、と傍観していた魔術師が戸惑った様子になる。
いくら驚いていたとしても、無防備が長すぎる。神官はルキに触れられ、動かない。
「力が……入らないんだ……」
「お、おい……おまえ、顔が」
神官の顔に皺が刻まれる。それだけではなく、肌の張りが失われ、髪が白髪に、抜けていく。
そして、ついに眠るように眼を閉じ、体から力が抜けた。
ルキの前でゆっくりと背後に倒れたのは、神官服を着た老人だった。
「俺が魔術を使えていたら、こんな苦痛のないやり方しないのに」
まるで彼だけの時間が急激に進んだように、年老いた神官を見下ろし、ルキは立ち上がる。
「ば、化け物!」
ルキが今度は魔術師の方に向き直ると、神官を老人としたルキから後退る。
「リリーの幸せを奪う外道に言われたくはないな」
だがまあ、魔術でも為せない事象だ。何が起こったのか、なぜそんなことが起こせたのか理解できないからこそ恐れるのだろう。
「おまえには聞きたいことがあるんだ」
「近づくな!」
「ここでお話してくれるならそうしてもいいけど、」
「『風の刃 術式展開』!!」
ルキが少し手を動かしたところで、魔術で肩を切り裂かれた。
「話してくれないだろ?」
ルキは呆れた表情で、首を傾げる。
肩の傷が塞がる。血がなくなる。衣服が破れる前に戻る。
何もなかったかのように、ルキは前進し始めた。
「ひぃ……」
意味が分からない、と魔術師は戦く。魔術師には一歩、また一歩と近づいてくる少年が最早人間とは思えなかった。
心の底から恐怖を覚え、少年が歩く度、魔術を放つ。
けれどその魔術が少年を傷つける度、やはり傷も何もかもが消えてしまう。
「何だよ、何だよ──!」
ついに魔術師の目の前に至ったルキには、傷一つなかった。
「『爆発術式展』──」
ルキが魔術師に触れた瞬間、魔術師は石と化したように全ての動きが止まった。
目は見開かれ、口は開き、手は魔術のためにルキを示し、腰は引け、足はまた一歩後退る途中。その全てに恐怖が現れていた。
「『止める』と、この間に話しかけても聞こえないんだよな」
さてとどうするか。ルキは魔術師の腰に二本差してある短剣に目を留め、それを引き抜いた。
それから魔術師を押して地面に倒したあと、手をまとめて短剣を一本使い、一思いに突き刺し地面に縫い留めた。
「これでよし」
魔術師に馬乗りになったまま、ルキは彼を起こすかのように、肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「い、痛い!!」
途端に動きを取り戻した魔術師は、魔術の命令式の続きではなく、突如の激痛に悲鳴をあげた。
「手が、手が動かない! なんで、いつの間に刺されたんだよ!」
パニック状態に陥った魔術師の大声に、ルキは顔をしかめてもう一本の短剣を喉元に突きつけた。
「静かにしろ」
魔術師はひっ、とか細い悲鳴を出し、自らの上にいるルキを初めて認識した。
「今から俺の質問に答えろ。魔術を使おうとすれば、おまえの体に穴が増え続ける」
「『風の刃 術式』──」
魔術師の動きが止まる。
その間にルキは短剣で魔術師の肩を刺す。
魔術師の動きが戻る。
「『てん──』いっっ」
『いつの間にか』今度は肩に増えた痛みに、魔術師は苦悶の声をあげながら戸惑っている。なぜ、いつの間に。そんな疑問が見てとれた。
「もう一度言う。今から俺の質問に答えろ。魔術を使おうとすれば、おまえの体に穴が増え続ける。それはおまえに認識できず、おまえが防ぐことはできない」
「お前──神官じゃないだろ、魔術を使ってるんだろ」
「そうだとして、この状況が変わることはない。何度も言わせるな」
「待て! 待て──刺すな。質問を聞く」
必死に対等に取引しようとする姿を滑稽に思いながらも、ルキはようやく本題に入れるかとため息をつく。
「海に魔術をかけている魔術具はどこにある」
「……」
「そこの洞窟か?」
「……」
「侯爵様が雇う魔術師はさすがに口が固いな」
どうやらこの質問に答えるつもりはないらしい。
ルキが行うからくりの分からない事象に本能的に怯えながらも、子どもが相手だからか、雇い主が怖いのか、固く結ばれた口は開きそうにはない。
「ちなみに、刺されるのと、あの神官みたいにじわじわ生命力が削られるのどっちがいい?」
ルキは片手で血のついた短剣を振り、それで神官を示した。
「が、餓鬼が一丁前に拷問しようとしているのか? 私を殺せば魔術は止められないぞ」
子どもだからと嫌に強気だ。これだからこの外見は、疑われない代わりに舐められやすい。
ルキは嘆息しつつ、魔術師を冷ややかに見下ろす。
「ご心配なく、下手して殺してしまうほど腕は悪くない。前は人を死なせることが嫌で、殺すのが嫌で、師匠に極限まで死なない方法を教えてもらったんだ」
ローウェン・アスターと組んでいたときのことだ。
魔物だけでなく、人間相手の犯罪者を多く相手にしていた。だから街の情報筋に繋がりがあったし、時には捕えた者から情報を吐かせる機会も多々あった。
ローウェンは許可が下りていれば必要であれば人を躊躇いなく殺したが、ルキは出来るだけ殺したくなかった。
妹が聖女として人を救っていた。ならば殺さなくてもいいのに殺すことを選んでしまったら、いつか彼女に会えるようになっても、ルキはその前で顔をあげられないと思ったから。
でも、今は違う。
「だが今回俺が待ってやれるのは、おまえが死ぬまでだ。おまえが絶対に吐かないというのなら、仕方ない。おまえは用済みで、俺は違う方法で事を解決しなきゃならないからな」
魔術師はごくりと唾を飲み込む。
「リリーの人生とおまえの命。俺には比べるまでもない」
魔術師の目の前にいる少年には、何の躊躇いも、迷いも、哀れみも、慈悲もなかった。
「さあ、どうする? 死んでも絶対に吐かないというなら言ってくれ。俺の時間が無駄になる」
右手は短剣を振りかざし、左手は喉元を捕まえる。
そんな状況に置かれ、魔術師は──
「ルキ神官……?」
戸惑いの声は、背後から。
ルキが振り向くと、ローウェン・アスターがいた。
彼は目が合ったルキの目に目を見開いたが、その次にルキの体勢を見てはっとした表情で駆けてきた。
「やめろ!」
ルキの右手から短剣が弾き飛ばされ、左手首を掴まれる。
「……この男は、海にかけた魔術を知っている魔術師だ」
「ならば情報を聞き出すべきだ、なぜ殺そうと」
「死んでも喋らない人間なら、この時間が無駄だからだ。そして、こいつがしたことは許せない。誰が生かして──」
「以前の君は人を殺すことは厭っていただろう!」
左手首を掴む力が強まり、痛みを感じてルキは顔をしかめる。だが痛みより、ローウェンへの苛立ちが勝る。
そっちは任務のために人を殺す判断をしてきたタイプの人間のくせに、何を言う。
ただ単にルキの中で判断基準が変わっただけだ。最早ルキは兄としてリスティアに顔向けする気はない。綺麗に生きていたとして、大切なものが失われてはどうしようもない。
だから──
「──なんで、それを、今のおまえが知ってる」
ルキは、ある部分に引っかかり、それをそのまま口に出した。
『以前』人を殺すことを厭っていた。
そんな以前など、神官と護衛騎士として知り合ったばかりのローウェンが知る機会などなかった。そんな話題になったこともないしなるはずもない。
『その厭っていた行動を』ルキとペアを組む前の、最早組むこともない『この』ローウェン・アスターが知っているはずがない。
ルキはローウェンを凝視する。
「それは──」
と言い淀んだローウェンだったが、彼もまたルキのあるはずのない言い方に息を飲む。
なぜそれを今のおまえが知っている。
それもまた、ローウェンとペアを組む前の、最早組むこともない神官ルキ・ラウンズが引っかかるはずもないこと。
「ルキ」
そう、ローウェンは呼んだ。
「まさか、君は、俺の知るルキ・ラウンズなのか……?」
ローウェン・アスターの緑の瞳は、日頃の冷静さが失せ、一縷の望みを掴んだかのような感情に染まっていた。




