【第七話】小さな神官は護衛騎士を利用する
「お兄ちゃん、今度は一緒にいてあげなよ! 今日は迷子になると大変だからね!」
ルキの親を探してくれようとしていた女性が、手を振って爽やかに去っていく。
彼女の後ろ姿を、ルキとローウェンは並んで見送った。
「……俺が君の兄だったとは初耳だ」
「奇遇ですね、僕もです」
ローウェンを兄に仕立てあげ迷子を脱したはいいが、代償はこの何とも言えない空気だ。
さっさと自分の恥をさておき、作り笑いを引っ込めてルキはローウェンに問う。
「どうしてここにいるんですか?」
リスティアの護衛はどうした。
「寝ると言って部屋に引っ込んだ君が部屋にいなかったので、念のため探しに来た。リスティア様の護衛はザイルに任せてきた」
ローウェンは無駄のない返答をした。曰く、部屋の中に気配がなかったため、室内を見たところルキがいなかったのだという。
気配なんて、さすがは将来のソードマスターと言うべきか。
「それはすみませんでした。ただ、僕は個人的に用があるので気にしないでください。もちろん飲酒でも女遊びでもないのでご心配なく」
原因は自分だったので申し訳ない気持ちはあるが、そこまで殊勝になる余裕がない。とっとと海に駆け出していきたいのだ。
「──手は必要ないか」
気もそぞろだったルキは、意識を目の前に引き戻された。
ローウェンは変わらずの真面目な表情でルキを見ていた。
今、聞き間違いでなければ助力を申し出ているのか? ローウェン・アスターが?
耳を疑うと共に、ルキは迷った。
白。
彼は、フレル侯爵家どころかどこの貴族の息もかかっていない、ルキが知っている経歴のローウェン・アスターだ。
そもそも、調査を頼んだ時点で前回の生で知らなかったザイルはさておき、ローウェンの方はシシリアの実家どころかどこの貴族の派閥にも組み込まれていないと予想はしていた。
ルキの影響でどれほど未来が変わってしまおうと、性格なんて早々変わるものではないだろう。
ローウェン・アスターは、平民出身の騎士だ。
オーラ使用者は血筋による才能が多いのか、貴族が多い。上級騎士は貴族が占め、平民ながらオーラが使えるローウェンはやっかまれ昇級を邪魔されていた。
前回の生で彼に陽が当たったのは、二十六歳のとき。今から八年も後のこと、最強の魔物と名高いドラゴンの単独討伐を行ってからだ。
彼のオーラは単なる天賦の才か、血筋に貴族が混ざるのか。そんなことはどうでもいい。
いずれ最強になる騎士、それも貴族に取り込まれようのない汚れを嫌う潔癖さをルキは知っている。
そしてその潔癖さで、非情に、確実に任務をこなすことも。
そう、だから彼は味方にできない。なりようがないと言った方がいい。
「事情があるのなら、話してくれれば協力できるかもしれない」
重ねられた言葉に、ルキはとっさに大した用ではない、私用だと、テキトーな用事を言ってしまおうと思った。
だって、あのときだってそうだった。
ルキの追っ手となったローウェンは、どこまでも追ってきて、ルキの魔術をことごとく斬り、投降を迫った。
そう、投降を──
──「聖女の遺体をどこへ持っていくつもりだ」
──「その行動に正当な理由があるのなら、投降しろ。でなければ命によりここで殺すことになる」
妙だな、と今になって引っかかった。
そして、今も。
事情があるのなら、話してくれれば協力できるかもしれない? 彼は、そんなことを言うような人間だったろうか。
だが、確か、『あのとき』も。
急に、前回の生で死ぬ前のことが思い出された。
あのとき、思えばさっさと力ずくで捕えてしまえば良かったのに。
ローウェンは許可さえ出ていれば、捕縛対象を殺すことさえ基本的に躊躇いなくて、基本的に殺しは避けたかったルキと揉めたことは多かった。
だからおかしい。
空気が読めなくて、不器用で、馬鹿真面目で、融通が効かない奴。
なのにどうしてあのとき、そして今、無駄な行いをする?
「……どうして、協力なんて申し出てくださるんですか」
「君が焦っているように見えるからだ」
焦っているのは事実だったが、押し隠せているつもりだったルキは表情の下でどきりとする。
「そして君のこれまで行動は全てがリスティア様のためのように見えた。君はリスティア様を第一に考えて動く。では今君が隠れて行動しようとするのはリスティア様に関することではないのか。──それなら護衛として協力するのは当然だ」
ローウェンはほぼ息継ぎなしに、一気に言い切った。
ルキは面食らってぽかんとした。
それもつかの間、ああなんだ、と納得する。仕事第一。まさにローウェン・アスターだ。
前回の生でも彼らしい理由があったに違いない。目的を聞き出すことを厳命されていたとか。
ローウェンの言い分を聞いて、ルキは改めて考えてみる。
今誰かに問題を言いたくないとすると、その理由は問題が漏らされリスティアの不手際にされる可能性があるからだ。
だが、ローウェン・アスターはそんな雑事に現を抜かす男ではない。今日、怪しい人間関係もないと調査結果も出たばかりだ。
この先、前回の生のように聖教会も国すらも敵にしかねない未来が来たとすれば別だが、今回に限ればローウェンに協力してもらうのはわりとありだ。
なぜなら、ルキの読み通り海の異変が魔術だとすれば、神聖術では解けない。
今のルキは魔術をかけるにも解くにもいる魔力が一切ない。術者に解かせる以外の選択肢はなかったが、ローウェンがいれば話が変わる。
前回の生で本人に聞いたところによると、ローウェンはすでにオーラの力に目覚めているはず。オーラなら魔術を斬って強制解術──いや、魔術を壊せる。
決めた。ローウェン・アスターを利用する。
ルキはローウェンを見上げ、人気のない方を示した。
そうして灯りが届かず、人の声も遠い場所まで行き、ルキの方から口を開く。
「海が、また濁っているんです」
ローウェンは驚きから目を見張り、「呪いが浄化しきれていなかったということか?」と問うた。
予想通りの反応に、ルキは食い気味に首を横に振る。
「リスティア様は確かに呪いを浄化しました。そして今海には呪いの気配はなく、呪いがあった頃の海のように黒く濁っているのと、触れた場所が痺れるような効果があります」
「呪いではない……というなら、それは」
「僕は魔術ではないかと思っています」
呪いでなければ、そんなことが可能なのは魔術ではないかと思うから、という簡単な予想を話す。
「呪いではないのなら、それを証明すれば故意にそうした者の調査の必要ありということなり、今すぐ解決しようとする必要はないのではないか?」
ローウェンは常識的な考えを導き出したようだ。
確かに、普通ならその通り、となる正論だ。
だが、誰が何のために、というところまですでに推測しているルキからすれば愚案だ。
「リスティア様の浄化を台無しにしたいという目的が透けて見える時点で、明日になれば口も挟めない状態にされてもおかしくないと思います」
朝になってリスティアが宿を出る前に、海に呪いありということで浄化の失敗を責める者でも現れる。
物理的に口は塞がれなくても、主張は宿の外の人々には届かず、神官長に報告がいき、シシリアの代理が決まる。
シシリアが浄化の儀式を行うと同時に、呪いも魔術も全て解ければ、それ見たことかと言われるだけ。
そんなものだろう。
「……君は、犯人の目星がすでについているんだな」
「憶測の域は出ません。とにかく、今から夜明けまでに解決する必要があるんです」
「リスティア様のためにか」
「もちろんです」
ルキは大きく首肯する。
「彼女は呪いを浄化しました。でもこのままでは、町の人たちはあの海の状態を呪いが浄化しきれなかったと捉えてしまう事態になるでしょう。そんな理不尽な汚名で、彼女の人生は簡単に狂ってしまいます。僕はそれを許せない」
ルキの真剣な眼差しを、ローウェンはしばし黙って見返し、やがて頷いた。
「これからどこへ行く」
「まずは海へ」
「分かった」
「え──おい」
突然ローウェンに抱えられ、ルキは思わず素で戸惑う。
「俺が走った方が速い」
「……なるほど」
確かにルキは十三に相応しい体で、大人の騎士に張れる体力なんて持っているはずがない。ローウェンが走った方が速い。それには納得せざるを得ず、ルキはじたばたするのをやめた。
「行くぞ」
ローウェンが走り始めて、ルキはたまらず、不本意ながらローウェンに掴まった。
子どもと大人の騎士の足の速さと差、と軽く受け入れたら、予想の倍とんでもない速さだったのだ。
そういえば、前回の生でのローウェンの足の速さと言えば、ルキが魔術で身体強化をして走る速さよりも速かったのだ。
騎士と言えど普通の人間は、人体の限界でこうも速く走れるようにはならないので、オーラの力だ。今のローウェンが確実にオーラの力に目覚めていると確信する。
「ルキ神官」
尋常ではないスピードで走りながら、ローウェンが話しかけてきた。
今じゃないと駄目な話か?とルキは目だけ動かしてローウェンを見る。
「なんですか」
押し寄せる風に負け、小さな声だったがローウェンは拾い上げたらしい。
「君にとって、リスティア様とはどういう存在なんだ。どうしてここまで出来る?」
どういう意図の質問なんだと思いながら、ルキは少し考える。
もちろん本当のことを言うつもりはない。
かといって、ヘレナに言っているようにリスティアの姿に心酔してリスティアを守りたいと思っている、というような回りくどい話をする気もこの状況ではしなかった。
「色恋だとすれば呆れます?」
なので年頃の男子として決して不自然ではなさそうなテキトーを言えば、ローウェンは黙り込んだ。
「…………いや、予想していなかった」
そう来たか。相変わらず、色恋方面には考えが向かない奴だ。
*
なんで人間が魔術なしでこんなに速く走れるんだ。未だに納得できない。
あっという間に海に着き、ローウェンに下ろされたルキはふらふらと海に向かって歩く。
ローウェンは黒い海を見て、険しい様子で目を細めていた。
「それで、呪いではなく魔術であるとするなら、君は魔術を解けるのか」
「僕が魔術を解けるなら、ローウェン殿に来てもらう必要ないでしょう」
「ああ……確か、神聖力と魔力が同時に宿ることはないのだったな」
忘れていたとローウェンは呟いた。
「なので、魔術師を探して魔術を解いてもらうしかないかと」
ローウェンがオーラの力を使えても、この海にかけられている魔術を斬ったところで、一時的に一部の魔術がなくなるだけに過ぎない。
大元を叩かなければ結局魔術は戻る。
「僕は魔術について明るくないのですが、こういうとき魔術師は近くにいるものなのでしょうか?」
ルキが王都の新聞社で働いていたことを知っていたヘレナならまだしも、ローウェンはルキのことを神官としか思っていない。
魔術について詳しすぎると妙に思われるだろう。
ローウェンに問うたのは、彼が王宮騎士で魔術に触れたことがある可能性があるからで、良い推理をしてくれないかという微かな望みだ。
出なければ出ないで、二手に別れて探そうという方向へ話を持っていって別行動すればいい。ローウェンが必要なのは魔術を解くときだ。
ルキの読みでは、呪物はまだしも魔術を発動している元である魔術具は海の中にはない。
呪物は後から来たシシリアが浄化すれば呪いの影響は消えるが、今のルキでは単独で魔術具をどうにかできないように浄化は魔術は対象外だ。魔術はシシリアの浄化に合わせて手動で解かなければならない。
もちろん、魔術師が直接魔術を使い続けるなら魔術師が魔術の発動をやめればいいだけだが、これほど広範囲に数日使い続けるなら前もって魔術を用意しておける魔術具を使うはず。
ならば、魔術具は海の中に放り込んでおくわけにはいかず、海の近くで管理されているだろう。
そして、この範囲の海に魔術をかけられる魔術具はこの時期のものの出力から言ってどこに置かれているか──
「……魔術師が直接魔術をかけているのなら大抵は海の近くにいるだろうが、そもそもこの規模では前もって魔術を込めた魔術具を用いている可能性が高いな」
「えっ」
自分の思考を読まれているのという考えが聞こえて、ルキは驚きの声をあげた。
その反応をどう捉えたのか、ローウェンは「魔術具というのは」と魔術具の補足をしてくる。
「そして魔術具には魔術を出力できる範囲限界があるはずだ」
「へ、へぇ」
「知り合いに聞いたのだが、魔術の効果がどこまで及んでいるか調べることによって、出力範囲から魔術具の設置場所を大体逆算できるそうだ」
魔術師の知り合いがいたのか。
生真面目すぎて騎士団に友人もいなかったと思っていたが、ザイルとの様子を見ていると、一部とはわりと上手くやっていたのかもしれない。
魔術師にも、任務の関係で知り合いがいてもおかしくはない。
前回の生で三年ペアを組んでいたときは聞いたこともなかった。まあ別に意識的に知ろうとはしていなかったので、知らなくてもおかしくはない。
しかし前回の人生より密接に関わらないこの人生で、新たなことを知ることになるとは。
人生分からないものだ。
なんだか少し、口元が緩んで、ルキは慌てて口を押さえる。
「……どうした? 眠いか?」
ローウェンはルキが欠伸をしたと勘違いしたらしい。話を中断し、そんなことを聞いてくる。
「いや欠伸じゃないです。……虫が口に入りそうになって」
不本意な誤解をされて、ルキの表情は戻った。
すみませんでした、続けてください、とローウェンに続けてもらう。
「だからまず、海のどの範囲まで魔術がかかっているのか調べればいい。魔術具の出力範囲は、最大でもこの海全てを覆えるほどではなかったはずだ」
ローウェンは、今やルキが期待していた以上どころか、二手に別れてからルキがしようとしていたことをそのまま言った。
「……以上だが、どこか分からないところがあるか?」
黙るルキに、ローウェンが首を傾げる。
単に良い意味で予想以上のところまで話を進めてくれたローウェンに驚きでいっぱいだったルキは、にこりと微笑みを作る。
前回の生で年齢のわりに優秀だった魔術師に、分からないことがあるかとは。
「なるほど、今回で言えばつまり海の色の変色と、痺れという効果がどこまで及んでいるか調べるんですね。──じゃあ二手に別れて調べましょう」
これは意外と早く突き止められそうだ。このまま倍速で事を収めて見せる。




