一つあげよう
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「…………」
部屋の中には、『漆黒の救世主』がいた。
否、部屋の中には、『漆黒の救世主』の格好をしているエスイックがいたのだ。
俺が唖然としている中で、当のエスイック自身はというと、とくに俺に気付いた感じはしない。
すると、突然にエスイックが自分の腕を前に突き出した。
「私こそが―――『漆黒の救世主』だッッ!!」
いや、違うからねっ!?
何をするのかと思えば、一体何を言っているんだ。
しかもエスイックは、腕を回しこちらを振り返りながら、そう叫んだわけで、当然のように俺とエスイックの目が合う。
「…………」
俺たちはお互いに何を言ったら良いのか分からず、黙り込んでしまう。
俺には、何か見たらいけないものを見てしまった、という罪悪感があって、きっとエスイックには見られたらいけないものを見られてしまった、という羞恥心から、その沈黙は続く。
「……え、えっと、今帰ってきたんだけど……」
しかし、さすがにずっとこのままという訳にもいかないので、俺は恐る恐るエスイックに声をかける。
「あ、あぁっ、ぶ、無事でなによりだ」
エスイックの方もかなり慌てているが、ちゃんと俺に返してくれた。
ま、まぁ誰にだって人に知られたくないことだって、あるものだし。
今のは見なかったことにしよう……。
実は以前にもこんなことがあったような気もするけど、た、多分気のせいだ。
「ぶ、部下からは聞いていたが、全員無事だったようでよかった」
やはりエスイックも今のことにあまり触れられたくないのか、続けて俺に言ってくる。
もちろんエスイックの趣味のことは、前から知っていたけれども、今回のような決め台詞まで言っているのは、恥ずかしかったのだろう。
「魔王様もいい人だったから助かったよ」
きっと魔王様があんな性格じゃなければ、今頃リリィはこちらへと帰って来られなかっただろうし、そこは本当に良かったと思う。
「それで、他の者たちはどうしたのだ?」
話しているうちに、エスイックもすっかり調子を取り戻して、さっきまで慌てていた様子はもうほとんど見受けられないほどにまでなっていた。
「あぁ、馬車に乗っている時間が長かったから、少し汚れちゃったみたいで、今服を借りていると思う」
結構前にメイドさんに頼んだので、ちょうど今着替えているくらいだろうか。
「あ、そういえばっ!馬車の御者をしてくれた人が、エスイックのお母さんだって言ってたんだけど……」
エスイックに会ったら、聞いてみようと思っていたのをすっかり忘れてしまっていた。
おばちゃんが言っていたことは本当なのだろうか……?
確かに色々とエスイックに似ているようなところはあったが、やはり本人の口から聞かなければ信じることができないのもまた事実だ。
「あぁ、確かに私の母だが、それがどうしたのだ?」
「……」
俺はエスイックのその応えに思わず押し黙る。
正直さすがにエスイックでも自分のお母さんに馬車の御者を務めさせたりはしないだろう、と思っていた。
しかしエスイックが言うには、本当にあのおばちゃんをエスイックのお母さんだったということだ。
まぁ多分そんなことをさせたのも、お母さんの頼みを聞かないわけにはいかない、とかエスイックの言いそうなことが簡単に予想できるようになった気がする。
それからは、具体的にどんなことがあったのか、などを色々と聞かれ、それに俺が答えていくという感じで、しばらくの間話していた。
「ん、話によると、もしかして私があげた黒マントは……」
俺の話を興味深そうに聴き続けていたエスイックが突然声を掛けてきた。
「あ、そういえば破れたんだった」
魔王城で色々とやっている内に、エスイックにもらった黒マントは既にボロボロだ。
せっかくもらったモノをダメにしてしまったので、悪いと思いながらエスイックを見てみると、当の本人はどこか嬉しそうにしている。
「……実はな、あの黒マントを改良して耐久性もあげたんだ」
そして、その嬉しそうな表情のまま、俺に、これまた嬉しそうにエスイックが話してくる。
「へぇ、それはすごい」
耐久性も上がってくれるのは俺としてもありがたい。
「……これなんだが、どうだ?」
そう言ってエスイックはどこに持っていたのか、後ろの方に手をやると、黒マントを出してくる。
「……」
エスイックが渡してきたその黒マントは、やはり綺麗な漆黒で染められ、確かに男心を燻る格好良さを持っている気がした。
「まだたくさんあるから、一つあげよう」
エスイックはその黒マントを差し出しながら、俺に手渡ししてくる。
その黒マントは、色だけではなく、触り心地も滑らかで、これを作った人の腕前が素人目にでもすごいものだと理解できた。
「あ、ネストーっ!」
そんなことを思っていると、後ろの方からリリィの声が聞こえてくる。
振り向くとやはり、リリィたちがこちらに向かってきていた。
ただしリリィ一人だけは、俺に飛びかかるようにしてその場から飛び跳ねてくる。
「……えっ!?」
普通の人であるならば到底届くことはできないだろうその距離を、魔族であるリリィは軽々とここまで飛んで来れそうな勢いである。
俺は若干慌てながらもリリィに向けて腕を広げる。
しかしそこで気がついてしまった。
俺の腕には―――黒マントがある。
「……あ」
俺は、慌てて黒マントをどうにかしようと試みるが、仮にも国王様であるエスイックからもらった黒マントを床に置くのはさすがに忍びなく、ではどうするか考えるが、時すでに遅し。
リリィは既に手が届きそうな距離にまで飛んできている。
仕方なく、黒マントを持ちながら受け止めようとするが、慌ててしまったせいか、リリィを抱きとめようとした瞬間、畳まれてあったその黒マントが、広がってしまった。
「―――あ」
これはマズイ、と思った次の瞬間には、『ビリヴィリッッ!!』なんて音が、あたりに響いていた。
「……」
俺は今しがた抱きとめたリリィを、ゆっくりと床に下ろすと、恐る恐る自分の手元を見てみる。
案の定と言うべきか、エスイックからもらった黒マントは無残にもしっかり破れていた。
「…………」
次の日には、破れた黒マントを何とも言えない顔で見つめる男二人がいた、という噂が流れたらしい。




