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いざ、対決

 春休みに入り、セシルとカルロがカーティスの姓を選べるようになるまで僅かとなった。

 その為、最近のシェリナは始終機嫌が良さそうで、毎日嬉しそうに必要な物を揃え二人の部屋を整えている。

 つまり、行くなら機嫌の良い今しかない。



「ママ、ちょっと良い?」


「あら、ちょうど良かったわ。セシルのカーテンの色はどっちが良いと思う?」


「………そっちかな」


「やっぱりユイもそう思うわよね。ならこっちにしましょう」



 漸く二人と一緒に暮らせるようになるのが、よほど嬉しいのだろう。

 部屋の模様替えに没頭し、中々話に入れない。



「………ところで、何か用事?」



 漸く一段落したらしく、ユイの話を聞く態勢を取る。



「前々から話してた婚約したい人とね、ママに会ってもらいたいんだけど」


「勿論よ!あら………でも私だけ?レイスは良いのかしら」


「その件も兼ねて、ママと話がしたいの」



 それだけ言えば、話し合う内容はシェリナに伝わったようで、笑いを零し、了承してくれた。


 が、その前に一応言っておいた方が良い事がある。



「あの、その人の身分だけど………」


「確か貴族の方よね。

 大丈夫よ、ユイなら貴族の夫人でもやっていけるわ。

 私が出来ているんですもの」


「その人、王族なの」


「………………えっ?」



 シェリナはたっぷりの沈黙の後、突然耳が悪くなったように聞き返した。



***



 後日、カーティスの家ではゆっくり話せないとフィリエルが怯えた為、テオドールがよく使う宿で話をする事になった。


 そして迎えた日、フィリエルがいる扉を前にしてシェリナは緊張が最高潮に達していた。


 貴族の夫人として礼儀作法などは叩き込まれたシェリナだが、オブライン夫人だった時を含めて、社交場や貴族を家へ招いたり、もてなした事もされた事も一度もなかったのだ。

 その最初の相手が王族ときては、緊張しない筈が無い。

 今にも逃げ出しそうなほど顔色の優れない母親を、セシルとカルロは苦笑して声を掛けた。



「母さん大丈夫だよ。フィリエルは俺達の友人でもあるんだから」


「そうそう、王族と考えず俺達の友人と会うつもりで気楽にすれば良いって」


「そうは言っても無礼があったりしたら………」


「そんなんで怒るやつじゃないから大丈夫、大丈夫。

 それに、これから息子になるやつに、がちがちに気を張ってたら、フィリエルだってやりづらいだろ?」


「……そう……そうよね、新しく息子になる相手にこれじゃあ駄目よね」


「その意気だ、母さん。じゃあ、サクッと行ってみよう!」



 漸くやる気をみせたシェリナの気分が変わらない内に、部屋をノックし入室する。


 入室してきたシェリナを見るや、フィリエルは胸に手を当て頭を下げる。



「初めまして、カーティス夫人。

 本来ならばこちらから伺わねばならぬところ、お呼び立てして申し訳ありません」



 入室して直ぐの王族からの謝罪に、先程までの意気込みは吹き飛び、シェリナは大いに狼狽える。



「いいえ、とんでもございません!」


「立ち話もなんですから、どうぞお座りになって下さい」



 そう言って席を勧めようと室内を振り返ると、そこには既にカルロが我が物顔で足を組み、ふんぞり返っていた。



「そうそう、突っ立ってないでゆっくり座って話そうぜ」



 王族よりも偉そうな態度の我が息子に、シェリナは青ざめたが、いつも通りの事なのでフィリエルは呆れたように溜め息をつくだけだ。



「ところでフィリエル、お菓子ねぇの」


「………お前に遠慮という言葉はないのか」


「身内しか居ないんだから良いじゃんか。

 ユイだって食べたいよな?」



 カルロがユイに話を振ると、ユイもこくこくと肯く。



「ユイを巻き込むな。ルカが直ぐに持ってくるから大人しく待ってろ」


「へーい」



 その互いの身分差を感じさせないやり取りに、シェリナは安堵と共に自然と肩の力が抜けるのを感じた。


 カルロがあえてそういう態度を取ったかは分からないが、きっとそうだろうとシェリナは思った。

 見ていないように見えて人をよく見ていて、周囲にそうと分からないよう気を使える子だから。


 椅子へと座りルカが持ってきたお茶が並べられていく中、カルロのおかげでシェリナはごく自然な笑顔を浮かべる事が出来た。



「初めまして、殿下。ユイの母、シェリナと申します。

 ユイから大体の事は聞いております。

 ユイに好きな男性が出来た事は母として嬉しい限りですが、いくつかお聞きしてもよろしいかしら」


「勿論です」


「ユイは伯爵家で育ったので、一通りの礼儀作法は学んでいますが、社交場に顔を出した事はほとんど無いのです。

 そんなこの子が社交界で、それも王族の妃として生きていけるのでしょうか」



 街の小さなパン屋で楽しそうに手伝いをしているユイを見ていれば、シェリナが上流階級の中でやっていけるのか心配になるのは最もだろう。



「承知の上です。

 王族の妃として必要な事はこれから勉強すればいい、それに俺も側で支えます」


「殿下のご家族はユイとの婚約をご了承しておられるのかしら?」


「ええ、両親は娘が出来たと、はしゃいでおりました。反対どころか、大喜びです」



 それを聞き、安堵するようにくすりとシェリナは笑みを浮かべ、次に真剣な表情へと変わる。



「最後に、あなたはユイを守って頂けますか?………あの男から」



 あの男という言葉に、ユイはさっと顔色を変える。


 オブラインで伯爵から受けていた事はシェリナには一切話していない。

 それなのに、シェリナから守るなどという言葉が出て来るのはどういう事なのか。


 結婚してからというもの、社交の場には決してシェリナを連れて行かなかったレイス。

 その一つがオブライン伯爵と少しでも関わる可能性のある場所へ連れて行きたくなかったからだと、ユイは知っている。

 だからこそ、レイスはシェリナに話はしないだろうと、口止めをしなかったのだが………。


 嫌な予想が過ぎったユイの心を肯定するように、シェリナは悲しそうに眉を下げユイを見つめる。



「レイスから話は聞いたわ。

 私は本当に駄目な母親ね。娘が大変な目に合っているのに気づかないなんて………」



 ずっとシェリナには隠していたかった事実。

 言葉が出てこず、ユイはシェリナの言葉を否定するように首を横に振るしか出来なかった。



「レイスを怒らないであげてね。

 レイスも私に話すかどうか最後まで迷ったみたいだから。

 ………でも、母親の私がいつまでも守られているわけにはいかないもの」


「ママ………」


「なに、どういう事?」



 話を聞いていないセシルとカルロは、話の意味が分からない。



「あなた達にはいずれね」



 そうでなければ、今すぐにでも殴り込みに行きかねない。

 せめて、オブラインの家から出るまでは話せない。



「それで、ちゃんと守って頂けますか?殿下」



 再び視線をフィリエルへと戻す。



「はい、必ず。俺の全てをかけて守ります」



 真っ直ぐシェリナを見る迷いの無い瞳に、シェリナは心から安堵する。

 すると、前置きもなくシェリナが立ち上がった。 



「なら、さっそく参りましょうか」

 

「は……?あの、どこへ……」


「あら、レイスに認めさせる為に私の協力を願うおつもりだったのでしょう?

 善は急げと言いますから、今から参りましょう。

 さあユイ、行くわよ」



 困惑するフィリエルはそっちのけで、さくさくとユイを伴って部屋を出て行く。



「あの、待っ……」



 引き止めようと伸ばした手が空しく宙で止まる。


 呆然としたまま固まるフィリエル。

 確かにレイスの事で協力してもらおうと頼むつもりでいたが、あまりの早すぎる展開に覚悟が追いつかない。


 そんなフィリエルをカルロが苦笑して口を開く。



「諦めろ、俺達三兄妹を産んだ母親だぞ」


「どういう意味だ」


「一度言いだしたら、誰が反対したって聞きやしないって事だよ」



 そう付け加えるセシルと、隣にいるカルロの顔を見て、そこにユイの顔を思い浮かべれば、フィリエルは納得するしかなかった。

 この三人共、一度こうだと決めたらてこでも動かないのは、よぉく知っている事だから。

 


 そして場所をカーティス家に移し、フィリエルは魔王に震えながらレイスの帰りを待っていた。

 ユイ達は和やかに会話しながらお茶を飲みレイスの帰りを待っているが、フィリエルはとてもそんな気分にはなれない。


 ただ、そんな恐怖もジョルジュを見ると一瞬吹き飛ばされた。

 

 祖父の専属護衛をしていたジョルジュとは、何度か顔を合わせた事があった。

 そんな彼が何故ここにと思ったが、考えるまでも無い。

 専属護衛は自分の主の命令しか聞かないのだ、ならばテオドールが命じたとしか考えられない。


 新しい父親が出来てユイが心配だったのか、ユイの状況を知っておきたかったのかは分からないが、とうに専属護衛を辞めた人まで駆り出すとは、どれだけユイが大事なのだと孫として複雑になる。

 それも、フィリエルの妃にさせたいという意味合いが大きかったのだろうが、実の孫以上に過保護な気がしてならない。



 暫くすると、ジョルジュが入ってくる。



「旦那様がお戻りになりました」



 そう告げた瞬間、一気にフィリエルの緊張が増し、手汗が尋常ではない。

 客だとだけ聞かされたレイスが部屋へ入ると、直ぐにフィリエルの姿が目に入り、眉間の皺が深々と刻まれる。



「何故、殿下が、ここに、いらっしゃるのですか」



 一言一言語気を強めるように話すレイスに、へたれでいいから逃げたいと本気で思ってしまった。



「あなたに大事なお話がありまして……」


「話など私にはありません。とっととお帰り下さい」



 何か察しているのか、取り付く島もないレイス。



「まあまあ、落ち着いてよ父さん」


「一応王族なんだから、追い出すのはまずいだろ」


「一応ってなんだ一応って」


「そんな事私には関係ありません!」


「あら駄目よ、私がお連れしたのだから、殿下は私のお客様。

 ちゃんと最後まで話を聞いて頂戴」



 愛しい妻にそう言われては追い出す訳にもいかず、渋々シェリナの隣に腰を下ろす。

 だが、一睨みする事は忘れない。



「それで、大事な話とは?」


「………はい、ユイに求婚して了承」


「却下です!!!」



 フィリエルが言い終わるより前にレイスが言葉を被せる。

 考える素振りどころか、話の途中で本能的に察して反射的に返事を返すレイスに、シェリナ達も呆れた眼差しを向ける。



「一応最後まで我慢しようよ」


「殿下、もう一度お願いします」



 今度は最後まで聞かせる為に、シェリナがレイスの口を手で塞ぐ。

 レイスは手を外そうとするが、すかさずカルロが羽交い締めにして防ぐ。



 気を取り直してもう一度。



「………ユイに求婚して先日了承してくれました。

 ですからあなたに婚約の許しを得たいのですが」


「……ぶはっ、ですから却下です!!」



 シェリナが手を離した瞬間、これまた一瞬でも考える時間なく即答。

 はあ、とフィリエル以外の全員がため息を吐く。

 話し合いになるか心配だったが、予想が的中した。



「ねぇパパ、私エルと結婚したいの、エルじゃないと嫌なの」



 滅多にしない可愛い娘のお願いに、レイスの心が揺れ動いたが、これだけは承知出来ない。



「あなたはまだ16歳です。まだ早過ぎます。

 貴族は寿命が長いのですから今でなくても良いでしょう」


「なら、いつまで待てば許してくれるの?」


「後100年くらいは……」



 つまりは自分の寿命が尽きるぐらいという事か……。



「それじゃあ、ユイがお婆ちゃんになっちゃうじゃない!」


「そうだよ、父さんはユイに似た孫が見たくないの?」


「それはその……」



 レイスの弱い所を突いたセシルの言葉に一瞬たじろぐ。

 それを狙い一気に畳み掛ける。



「こんな優良物件、早めに手を打っとかないと誰かに取られて後で後悔する事になるぞ」


「別に今すぐ結婚して家を出るって言ってわけじゃないんだから、婚約ぐらい許してあげなよ」


「好き合っているんだから、娘の幸せを応援してあげましょう」


「パパだってママが好きだから結婚したいと思ったんでしょう?」



 怒濤の勢いで、繰り出される口撃の嵐。

 が、魔王はそれぐらいでは倒せなかった。



「--っ、何と言おうと、まだ早過ぎます!!」



 そう言って勢い良く立ち上がり、シェリナの静止も無視して部屋を出て行ってしまった。



「ちっ、後少しだと思ったのに」


「やっぱり手強いね」


「大丈夫よ、この調子で頑張りましょう」


「うん、頑張る」



 誰もが恐れる魔王相手に、これだけ言いたい放題して、魔王が背を見せて逃げ出す光景など中々見られないだろう。

 ただ見ているだけだったフィリエルは、そこに加わる勇気はなく渇いた笑いを零した。



 それからというもの、ユイは祖父母の家には帰らず、カーティスの家に泊まり込みレイスに話を聞いて貰おうとしたが………。



「あの、パパ……」


「ああ、すみません、まだ仕事が残っているので部屋に籠もります」



 などと理由を付けてはユイと話す事を拒否し続け、一方のフィリエルも、レイスの仕事終わりや休憩を見計らって接触しようと試みたが………。



「宰相、お話しが………」


「私はありません」


「少しだけでも」


「嫌ったら嫌です」



 などと、全く聞く耳を持たない。

 この王子と宰相の追いかけっこは、王宮の各所で目撃され、あらぬ憶測が飛び交っていた。

 数日後、全く進展しない状況を打破すべく、テオドールが動いた。



 テオドールに呼ばれ、レイスに内緒で王宮へと訪れたユイとシェリナ。

 部屋には、テオドールを始めとした王族が勢揃いしていた。


 さすがに慣れつつあるユイと違い、緊張でかちこちのシェリナだったが、室内でにこにことしているテオドールを見るなり、目を見開いた。



「テオ様?」


「久しぶりじゃのう、シェリナ」


「どうしてこちらに?」


「わしはフィリエルの祖父じゃからのう」



 そのやり取りに、室内にいる全員の目が驚きを表す。



「ママ、テオ爺様と知り合いなの?」


「あら、知り合いも何もテオ様は……」



 続けようとしたシェリナの言葉をテオドールが遮る。



「シェリナや、それはまだ内緒じゃ」



 いたずらっ子のような顔のテオドールに、目を瞬くとシェリナも含み笑いで返す。



「ふふふ、テオ様らしいですね。

 あら?でもテオ様が先王陛下でいらっしゃるって事は………」



 何かに気付いたシェリナはテオドールに視線を向けると、テオドールは頷く。



「まあ、そういう事じゃ」



 目が零れ落ちんばかりに目を見開き驚くシェリナ。

 意味の分からないまま進む会話に焦れたベルナルトが口を挟む。



「父上、説明して下さい。全く何の話をしているのか分からないのですが」


「まあ、それは今度じゃ。

 今は二人の婚約の話が先決じゃろう」



 上手いこと逃げた父を疑いの眼差しで見るが、確かに今は婚約の方が重要だ。



「早くせんと、フィリエルが男性に目覚めたといった、あらぬ噂が国中に回ってしまうからのう」



 聞いた瞬間、フィリエルはぎょっとした。



「はぁ!?どういう事ですかそれ!」


「最近宰相を追いかけ回しておったであろう。

 それで、王子が宰相に想いを伝えようとして冷たくあしらわれている、などと噂がたっておるのじゃ」



 言われて思い返してみると、レイスに話を聞いて貰おうとレイスを追い掛けながら、「真剣なんです」だとか「俺の気持ちだけでも聞いて下さい」だとかを言っていた。

 知らぬ者が見れば、変に誤解してもおかしくはない。


 

「早く婚約を認めさせて誤解を解かねばのう」



 最近やけに女官達がフィリエルを見て騒いでいたり、軍の訓練に参加した時に一部から熱い視線を受けていたのも、気のせいでは無かったと言う事か。


 フィリエルは頭を抱えた。



「もう外を歩けない………」



 ベルナルトとアレクシスから哀れみの視線が向けられる。



「まあ、それで一刻を争うという事でじゃ。

 ずっと話をかわされておったが、ユイとシェリナが来ておれば話は聞いてくれるじゃろうて」


「最悪、王命という手もありますしね」



 流石のレイスでも王命には従う………はず。



「そうじゃった、少しシェリナに話があるのじゃがよいか?」


「はい……?」



 そう言って、レイスが来るまでの間、テオドールとシェリナは別室で何やら話をしていた。




 仕事中、王が呼んでいると言われ仕事を中断してやって来たレイスは、何故か王宮にいるユイとシェリナ、勢揃いの王族一家の姿を見て、急激に機嫌が下降する。



「どういう事ですか、これは?

 仕事中に呼び出して、納得のいく説明をして頂けるのですよね、陛下」



 地を這うような低い声に、ベルナルトは顔を引き攣らせる。

 相当怒っているようだ。



「そ、そう怒るな、話せば分かる」


「婚約の話なら聞きませんからね」


「うっ………」



 早速先手を打たれる。

 ユイもシェリナも揃っているのだから、それ以外理由はないのは分かり切った事だ。

 話を聞く気のないレイスの様子に、ユイはごそごそと手持ちの鞄から何かを取り出した。



「パパ、取りあえず話を聞いてくれたら、ママが産まれた時の写真あげるから」



 ユイが取り出したシェリナの写真は、全く話を聞いてくれないレイスを釣る為に、祖父母の家の屋根裏をあさって発掘してきた物だ。

 効果は抜群で、目にも止まらぬ早さで、レイスは席に着いた。



「さあユイ、それを下さい」


「駄目、ちゃんと話を聞いてから」


「………話は聞きますが、何と言おうと私の心は変わりません」



 聞くと言いつつ、つんと横を向くレイスは、とても聞く気があるようには見えない。



「何がそんなに嫌なのだ。

 私が言うのも何だが、フィリエルは父上の孫とは思えないほど性格の良い子だし、私の息子とは思えないほど容姿も良い。結婚相手として不足は無かろう。

 それに王妃ではないから、政治に関わる事は無いし、必要な事は専門の教師を付ける。

 嫌がる理由が分からん」


「それが一番の問題なのです!」


「はあ?」


「シェリナと結婚して約一年。

 後少しすればセシルとカルロも正式な息子となり、漸く家族水入らずで過ごせるようになるのです。

 それなのに、妃教育などされては、その時間が削られるじゃありませんか!!

 只でさえ宰相という仕事で忙しいというのに」


「別にまだ王宮で暮らすわけではないのだから、時間は十分取れるであろう」


「恋人何ぞ出来たら構ってくれなくなるかもしれないでしょう!」



 子を持つ父親として、気持ちは分からなくはないが、自分勝手過ぎる言い訳に、呆れるほかない。

 本当に仕事と私的な時とではギャップが有り過ぎる。



「だからってレイスが良いって言うのを待っていたら、いつまで経ってもユイは結婚出来ない気がするわ」


「確かに」



 レイスをよく知るシェリナとユイは揃って頷く。



「ねえレイス、私からもお願いよ。

 ユイには好きな相手と結婚して欲しいの。

 王族である殿下には、いつ断れない婚約話が出てもおかしくはないのよ」


「こればっかりは、愛しいシェリナの頼みでも聞けません」


「絶対に認める気はないの?」


「はい」


「……………そう、分かったわ」



 シェリナは一度考え込むように目を瞑り、再び開けた目には、何かを決意した力強さを感じ取れた。



「離婚しましょう、レイス」



 その言葉は室内にやけに響いて聞こえた。

 レイスは意味を理解するのにかなりの時間を要した。

 ユイも驚きのあまり身を乗り出す。


「ママ!?」


「………何を……言っているんです、シェリナ」



 動揺を隠せないレイス。

 冗談で言っているのだろうと願うも、真剣な顔のシェリナを見ればそれが噓で無いことが嫌でも分かる。



「離婚すれば、あなたの許可が無くともユイは殿下と婚約出来るでしょう?

 寂しいけれど、娘の幸せには変えられないわ」


「そんな事許しませんよ!」


「あなたが許さなくとも、陛下の許可さえあれば離婚できるわ」



 貴族である以上、王が離婚を許可すれば婚姻関係を破棄出来るのだ。

 そして、ユイを貴族の養子に出すか、シェリナが貴族の後妻にでも入れば身分は問題なくなる。



「お腹の子には父親がいなくて寂しい思いをさせるけど、立派に育ててみせるわ」



 そう言いながら愛おしそうにお腹を擦るシェリナの姿に、またもやレイスに衝撃が走る。



「…………お腹の子?」


「ええ、三カ月だそうよ」


「まあ!」


「おお、めでたいではないか」



 おめでたい話に表情を綻ばせるアリシアとベルナルト。


 レイスは呆然とシェリナとシェリナのお腹を交互に見た後、じわじわと込み上げる喜びに口元が緩んでくる。

 しかし、先ほどのシェリナの言葉を思い出して、さっと顔を青ざめさせた。



「子がいるなら尚更、離婚なんてするわけないでしょう!」


「だってレイスがそこまでユイの婚約に反対なら仕方が無いわ。

 大丈夫よ、ユイも、セシルとカルロも私が一人で育てたようなものですもの」



 もう決定事項だとでもいうように語るシェリナを前に、冷静沈着な宰相の姿は無くなっていた。



「ちょっ……まっ、待って、早まらないで下さい。

 そんな理由で片親になったら子供が不憫ではありませんか。

 それに愛し合っている夫婦が別れるなんておかしいでしょう。

 そんな簡単に別れるなんて、シェリナは私を愛していないのですか!?」


「それはこっちの台詞よ。

 レイスは私やユイの事を愛してくれていないの?

 愛しているなら、幸せを願って応援してくれるものじゃないの?」


「勿論願っていますよ、でなければ婚約に反対などしません!!」


「………本当に?本当に愛してる?」


「ええ、勿論です!!」


「それが本当なら証拠として、これに名前を書いて頂戴」


「はい!!」



 名前を書けば離婚回避出来る。


 シェリナの離婚と妊娠発言で、判断能力が低下し冷静さを欠いたレイスは、シェリナが差し出した一枚の紙に言われるがままに署名した。

 内容を確認する事無く………。


 署名し終わると、シェリナはレイスが我に返る前に紙を取り返し、次にユイとフィリエルに手渡す。



「さあ、ユイと殿下も署名して頂戴」


「ママ、何これ」


「良いから早く」



 先程までの真剣なシェリナはそこにはなく、にこにこと楽しそうに笑みを浮かべるシェリナを不審に思いながら、書類の内容を見ると、ユイとフィリエルは驚きの表情を浮かべながら顔を見合わせた。


 そして、素早く署名すると、シェリナは次にベルナルトの元へ行く。



「さあ、後は陛下の署名だけですよ」



 至極楽しそうなシェリナに手渡された書類の内容を見て、ベルナルトは固まった。


 この時になって、レイスは漸く事態に気付いた。

 宰相でありながら、書類の内容も見ずに署名してしまった事を。



「シェ、シェリナ………その紙はいったい………」



 気になったアレクシスとアリシアが、ベルナルトの手元を覗き込んで内容を確認すると、ベルナルト同様固まった。



 それは、婚約魔法契約書。


 一般的な婚約は口頭や文章によって相互の家の間だけで約束するものだが、簡単に破棄出来る、法的にも拘束力の無いものだ。

 まあ、家と家の仲は悪くなるかもしれないが。



 だが、この魔法契約書での婚約は教皇と王が見届け人となるもので、文字通り魔法で縛られる。

 破棄するには契約書に名を書く、婚約する当人達と両家の当主、見届け人の教皇と王、全員の同意が必要となり、一人が破棄すると騒いでも出来ない。


 貴族では婚約していても、何かしらの理由で破談になる事は珍しくなく、そんな制約の強い魔法契約を行う者はいないと言って良い。

 契約する為に教皇と王の手を煩わせるのに、簡単に破棄するとは言えるわけがないからだ。


 実際に、ここ数百年は使われた事は無く、最後に使われたのは、同盟を結ぶ為の国家間の王族同士の婚姻を約束する時だった。


 よほど、絶対的に結婚すると確かでない限り使うことの無い契約。

 そんな制約力の高い契約書にレイスは署名してしまったのだ。


 しかも、ユイとフィリエルの署名は終わり、契約書は王の手の中。



 ベルナルトが契約書に署名すると、契約書が光を放ち、そこから蔦のように伸びた光の筋がユイとフィリエルの左の小指に巻き付き、すうっと消えた。

 目をぱちくりとさせながらユイが小指を見ると、まるで蔦が巻き付いたような赤い紋様が浮かび上がっていた。



 これで、正式にユイとフィリエルの契約がなった。

 今後、いくらレイスが反対しようが、他の全員が破棄すると言わない限り破棄出来ない。

 レイスは自らの過ちに気付いたが、もう遅い。



「シェリナ、どうして……っ!」


「あら、幸せを願ってくれるのでしょう?」


「だから、ユイには早過ぎます。

 漸く学園に入って一年が過ぎたところなのですよ!?」


「そんな事ないわ。

 私がもし、もっと早くレイスと出会えていたら、学生だとか年齢だとか関係なくレイスと一緒にいたいって思ったはずだもの。

 ………レイスは違うの?」



 眉を下げ不安そうに聞かれ、レイスは返答に困った。


 ここで、いいえと答えれば、ユイの婚約を認めたも同然となってしまう。

 かといって、はいと答えれば、シェリナの言葉を否定する事になり、夫婦仲が終わる上、ユイが婚約。

 


「レ・イ・ス?」



 普段笑顔で震えさせているレイスは、初めて笑顔が怖いと言うことを身をもって知った……。


 魔王と呼ばれた頭脳を高速回転させ逃げ道を探すが、高い壁に阻まれた行き止まりしか見つけ出せない。

 二者択一でありながら、実際は一択でしかない答えに、レイスは涙を呑むしかなかった。



「……………違いません」


「なら、二人を認めるわね」


「……………はい」



 がっくりと、その場に膝と手をつくレイス。

 母の強さの前に、とうとう魔王は膝を屈するのであった。



「だそうよ、良かったわね、ユイ」


「……う、うん、ありがとうママ」



 漸く認められ嬉しい筈なのだが、レイスの落ち込みようを目の当たりにすると素直に喜べない。

 膝と手の平を床に付けて顔を伏せているため、レイスの表情は分からないが、床には魔王の悲しみが形となった水溜まりが形成されつつあった。



「レイスの事なら気にしなくて良いわよ。強情なのが悪いんだから。

 それに、子供が産まれれば、子育てが忙しくて気にしていられなくなるわ。

 ………陛下、これでは仕事にならないと思うので引き取りますが、宜しいですか?」


「ああ、そうだな」



 むしろ居ても邪魔になりそうだ。



「殿下には、ユイをお願い致しますわ」


「はい、きちんと送り届けます」



 シェリナは礼を取り、部屋を出ようとするが、レイスは聞こえていないのか気力がないのか立つ気配がない。



「王宮の床はピカピカだから、レイスがエスコートしてくれないと、滑って転んでお腹を打ってしまうかもしれないわよ?」



 妊婦だと聞かされたばかりのシェリナが転べば一大事。


 負のオーラを漂わせながらも、愛しい妻と子を守るためゆらりと立ち上がり、シェリナの手を引きながら部屋を出ていった。

 しっかりと、ユイが用意したシェリナの写真を持って。




 シェリナとレイスが去った部屋では、微妙な空気が漂っていた。

 そんな中、ベルナルトが関心したように呟く。



「あのレイスをああも、手の平の上で転がせるとは素晴らしいな。

 ぜひ、補佐官に欲しい人材だ」


「宰相が許すとは思いませんけどね」


「実に残念だ……」



 ユイはじぃーと自身の小指の紋様を眺める。

 魔法を研究する者としてどんな魔法か非常に気になるのもある。

 そんなユイを見てフィリエルはくすりと笑う。



「後悔してないか?」



 少し勢いで署名してしまった気もするが、今後ユイが嫌になったとしても、破棄は出来ないだろう。

 どんなに周りが破棄を望んでも、絶対にフィリエルだけは断固拒否する自信があるからだ。

 結婚しない限り、この契約の証である小指の紋様は消える事はない。



「後悔はしてないよ。でも、パパがねぇ………」


「うーん」



 離婚とお腹の子を人質に無理矢理合意させたようなものだ。

 あれを認められたと取って良いのだろうか……。

 フィリエルも思うところがあるのか、難しい顔をする。


 すると、テオドールが口を開く。



「今後、心から認められるよう努力すれば良かろう。

 それに、あやつは早過ぎると言っておっただけで、婚約自体が駄目だとは言っておらなかったであろう」


「確かに」


「そう言えばそうかも」


「これから、頑張れば良い」



 ユイとフィリエルは顔を見合わせ、笑顔で頷いた。



「そう言えばあの契約書って教会で貰ってきた紙だよね?確か対魔王の武器って言ってた。

 テオ爺様がママに入れ知恵したの?」


「入れ知恵とは失敬な、あれは助言と言うのじゃよ」



 そう言ってテオドールはにんまりと笑った。




***




 王宮の帰りの馬車の中、レイスはずっとしくしくと泣いていた。



「うっうっ……ううう……っ」


「もう、全くいつまで悲しんでるの。

 貴族ならユイの年で婚約者がいてもおかしくはないでしょう?」


「しかしですねぇ、まさかこんなに早く相手を見つけるとは思わないじゃないですかっ」



 もう少し父親として頼られたかったのに、婚約者が出来ては頼ってくれなくなる。

 今後その役目は婚約者であるフィリエルのものだ。



「婚約者が出来ようが、結婚して家を出ようが、娘である事には変わりはないわ。

 今まで通り、うざいぐらい構ってあげれば良いじゃない」


「うざいっ!?」



 そんな風に思っていたのかと、ぐさり心に矢が刺さった。



「きっとお腹の子が産まれたら、毎日忙しくてユイに構っていられなくなるわよ」


「………絶対に女の子は産まないで下さい」



 また同じような思いをするかと思うと耐えられない。



「ふふふっ、それはこの子次第かしらね」



 そう言いながら、シェリナは幸せそうにお腹を撫でた。






読んで頂いてありがとうございます。

無謀にも新作を始めました。

気が向いたら、どうぞ。

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