プロローグ
「行ってきます」
「あら、また例の子の所?
あまりご迷惑を掛けちゃ駄目よ」
「うん、分かってる」
言葉少なにシェリナに出掛ける旨を伝え家を出て行くユイを、シェリナは悲しげに見つめていた。
離婚してまだ僅かしか時が経っていない。
離婚からというもの、ユイは以前より増して表情が無くなっていた。
シェリナに取っては馴染み深い自分が生まれ育った家と両親だが、ユイに取っては初めて訪れた家と初めて会った祖父母。
まだ慣れるまでには時間が掛かるのだろう。
だが、そんなユイにも仲の良い友人が出来ていた事にシェリナは少し安堵していた。
ユイが毎日のように訪れている家に着き、ベルを鳴らすと、迷惑がるでもなく必ず優しい笑顔を浮かべ迎え入れてくれる。
「やあ、ユイ。いらっしゃい」
ユイより十歳年上だというその青年は、少し目つきは鋭いが年齢より落ち着きがあり、どこか貴族のような気品さを持ち合わせていた。
中流家庭の者が多く住む地域の古い一軒家の主には到底似つかわしくない青年だが、上流階級で育ち、魔法書など難解な書物を読んで過ごしてきたユイに取っては、パン屋の近所で泥だらけ傷だらけになって遊ぶ同じ年頃の子供達より余程付き合いやすかった。
母と共にパン屋で暮らすようになった当初は、近所の子供達が遊びに誘ってくる事があったが、如何せん、子供らしく遊ぶ事が大好きな子供達と、外で遊ぶより読書と研究のユイとでは価値観が全く合わなかった。
次第に近所の子供達もユイを誘わなくなり、ユイはもっぱら一般開放された図書館での読書が遊び場となっていた。
そんな図書館で出会ったのが、このディルクであった。
ディルクはとてもよくものを知っていた。
ユイの知らない遠い国の歴史やお伽話。
魔法に関しても精通していて、複雑な構築式に、何より彼は無属性魔法を蔑むような感情はなく、積極的に無属性を勉強したと言っていて、図書館の本にも載っていなかった無属性の応用を知っており、ユイはいつもディルクの話に聞き入った。
ディルクも勉強熱心なユイに、知識を与える事を敬遠せず沢山の事をユイに教えた。
時には新しい魔法や、研究内容を記す時に使う暗号を一緒に考えたり、世間話もした。
「そう言えばユイの言っていた子とは会えた?」
「…………まだ、来てない」
ぶうっとむくれるユイの頬をぷにぷに突きながら、ディルクはくすりと笑う。
「その子にも色々な事情があるんだよ。
きっと直ぐ会えるさ。
ユイの待ち人ってどんな子?」
「すっごい美人!」
「へぇ、それは俺もお目に掛かってみたいな」
その一時はフィリエルに会えない時間を埋めてくれる唯一の安らぎの時間でもあった。
しかし、それも長くは続かなかった。
ディルクと会うようになって一年と少し。
突然ディルクがこの国を去るというのだ。
「また会えるよ」
ディルクは慰めの言葉を掛けるが、ユイの心には届かない。
「そんなの嘘!!
エルだって会いに来るって言って、全然会いに来ないのに!」
拭っても拭っても溢れる涙。
また親しい人との別れが訪れ、これが最後だというのにディルクを非難する言葉しか出て来ない。
嗚咽を漏らすユイを困ったように見つめ、ディルクはユイの涙が止まるのをゆっくり待つ。
「噓じゃない、必ず会える。
でも、もし俺が会いに来なかった時の為に俺の名前を教えよう」
「名前………ディルクじゃないの?」
「本当は教えたら駄目って言われてるんだけどね。
俺の名前はーーーだよ、忘れないで」
ユイは目がこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。




