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帰還

 ザーシャとの戦争は、ガーラントの勝利で幕を下ろした。



 だが、ガーラントの圧倒的有利で、犠牲も最小限で抑えられると予想していたはずの戦いは、ザーシャ城で起こった爆発による城内の破壊と、魔法の効かない謎の炎により、敵味方双方に予想以上の犠牲者を出す事となり、特に統率の取れていなかったザーシャ兵の被害は甚大であった。


 そして城内が落ち着いた後、ザーシャ王を捜索すると、研究が行われていたと言われる地下にて、焼け焦げた人間が発見。

 身に付けていた装飾品などから、それがザーシャ王だと判断された。



 地下は他の場所よりも一番火の被害が酷く、大元帥の予想通り恐らくローブの者達が証拠隠滅を図ったのだろうとされた。


 地下は焼け焦げ、天井や壁も崩れ落ち、証拠を見つけ出すのは不可能かと思われたが、フィリエルの魔剣により炎が比較的早く消火されたおかげか、まだ焼けきっていない構築式のようなものが書かれた紙が数枚発見され、直ぐに王都の研究者の元に運ばれ解析を始めている。


 だが、ローブの者達に対し見つかった証拠はそれだけてあった。



 多くの被害を出したが、幸いにもザーシャの王太子は離宮にて幽閉されていたのを無事保護された。

 かなり衰弱してはいたが命に別状はなく、回復した後、王太子を中心に国の復興を始め、少しずつではあるが、王都に人が戻り始めている。



 そして舞台はガーラントへと戻る。



 無事帰還を果たしたフィリエルは家族との挨拶もそこそこに、高官達が集まる議会の場に参列していた。

 父である王は玉座に座りながら、正面に罪人の如く連れられ跪かされた二人の女性に、辛辣な視線を向けていた。


 他の高官達も同様の視線を投げ掛ける中、ガーラントへの保障や戴冠式の事などを話し合う為に訪問していたザーシャの王太子だけは、悲痛な面持ちをしながら、彼女達に湧き上がる感情をぶつけないよう耐えている。



 女性の内の一人はザーシャ王にローブの者達を引き合わせた張本人である側妃。

 そしてもう一人は、ザーシャの王妃。


 信じられない事に、死んだはずの王妃は生きていたのだ。



 ガーラントの軍が城に攻め入った時、側妃はすでに城を捨て城外に逃げ延びていたが、直ぐに捕らえられた。

 そしてローブの者達の事などの聴取を行った際に、ザーシャの王妃が生きている事をこぼした。

 しかも、彼女はガーラントにいると聞き、半信半疑で側妃から聞いたガーラントのとある商家を調べると、側妃の証言通り、死んだはずのザーシャの王妃が見つかったのだ。



 王妃は元々、ザーシャ王への好意も王妃の権力への欲望もなく、結婚は乗り気ではなかった。

 だが、ローブの者達の事を簡単に信じた事でも分かるように、ザーシャ王は思い込みの激しいところがあり、好意があると信じ、それとなく拒否を示す王妃の言葉も慎ましいだけと勘違いし、結婚を押し進めた。


 そうなってしまえば、さして生家に力もない彼女に拒否を口にする事は出来ず、側妃を押し退け王妃の地位に就く運びとなってしまった。


 だが、今から数年前、王妃の身分を隠しザーシャのとある貴族の令嬢と偽り、時折孤児院を訪れていた王妃は、孤児院で出会った一人の男性に一目で恋に落ちてしまった。


 男性はザーシャで商いをしている者で、慈善事業に積極的で孤児院に出入りしていて、たまたま鉢合わせた普通の男だ。

 王妃の一方的な片想いかと思いきや、王妃だと知らないその男性も王妃に一目ぼれし、何度か会った後求婚をされた。

 しかし、両思いといえど、人妻となった王妃に男と結婚出来るはずもなく、王妃に執着している王が離婚を許すはずもない。


 悩んでいる王妃のところへ、側妃が現れた。


 かねてより、自分の地位を奪った王妃を、王妃の地位から下ろす為の醜聞を探っていた側妃は、王妃が悩んでいる事を掴んでいた。

 そして、王妃を追い出したい側妃と、出て行きたい王妃の利害が一致したのだ。


 その為の方法を探していたある時、ローブの者の一人と出会った。


 顔も見えない怪しげな者だが、その者からもたらされた方法は一時仮死状態になれる薬を飲むというもので、怪しみながらも、他に方法が見つからず目先の欲に目が眩んでいた二人はその方法に乗った。 


 そのままローブの者に言われるまま、王妃が薬を飲んで仮死状態となり、王妃が死んだ事を王を始めとした者達に見せ信じ込ませる。

 そして傷心の王に変わり、側妃が取り仕切り火葬する王妃を別の死体とすり替え、王妃は家の政略で結婚させられると嘘をつき、貴族の令嬢と思い込んでいる男とガーラントへ駆け落ちした。



 後は空いた王妃の座に側妃が座るだけだったのだが、側妃の予想外の事が起こった。


 それは王は予想以上に王妃の死を受け入れられないでいた事。

 いつまで経っても王妃を思い悲嘆に暮れ自分を見ようともしない王に側妃の怒りが爆発したのだ。

 それを待っていたかのようなタイミングでのローブの者からの進言で、側妃はガーラントの王に殺されたと王をそそのかした。


 大国に喧嘩を売って偽りだったと知り恥をかけば良い、もしくは大国だと諦めて自分を見るようになってくれるかもしれないという安易な思いだったそれは、側妃の予想を遥かに超える大惨事を引き起こしてしまった。




「言い訳があるなら聞こうか」



 ローブの者達の研究に、側妃や王妃は一切の関わりが無い事、ローブの者達の身元は知らない事は確かのようで、ガーラントにも害意を与えるつもりでは無かったのだろう。


 だが、この二人の身勝手な行いで戦争が引き起こされ、多くの命が奪われる事に繋がったのは事実だ。

 否が応でもベルナルトの問い掛ける声に鋭さが出てしまうのは致し方ない。



「私は……悪くないわ………」


「二人の偽りで多くの命が失われたと言うのにか?」


「それは王とローブの者達がした事でしょう!

 私は王妃を憐れに思って助けてあげただけだし、偽りを王に言ったのは恥をかかせようとしただけ、何もしていないわ!!」



 髪を振り乱し否定する側妃。



「王は大層王妃を大事にしていたと聞く。

 そんな王妃が殺されたと聞いて復讐を考えるかもしれないと十分考えられる事だ。

 王の妃として、国益を損なう可能性のある偽りを進言するのは問題ではないのか?

 王妃はどう思われる?」



 側妃とは相反し、青ざめ震えるしかない王妃は小さな声で話し始める。



「私達はガーラントに害意を持っていたわけではございません。

 あれは予想外にも王が暴走してしまっただけです。

 調べれば直ぐ分かった事なのですから。

 ただ、それぞれの事柄が悪い方へ傾いてしまったのは悔やむべき事です」


「我が国では多くの者達が王の暴走により家族や住む家、命を奪われた。

 何ら罪の無い者達が殺されたのを、だだ運が悪いで片づけるつもりか!」



 自然とベルナルトの語気が強くなり、王妃はびくりと体を震わせ萎縮する。


 王妃も側妃も自らの保身の事しか考えていない。

 まあ、そういう人間だからこそ、後の事を考えず己の欲求のままに動いたのであろう。


 ただ問題なのは、彼女達の言う通り、彼女達は何ら罪を犯していない事。

 王妃は死人を装い駆け落ちしただけであり、側妃はローブの者と繋がり王に偽りを進言したが、ラグッツの街や村々の被害には一切関与していない。


 わざわざ他国の王の妃をガーラントとして処罰する要素には足り無さ過ぎるのだ。


 かと言って無罪放免となれば、国内から不満が出て来る。


 どうしたものかと、ベルナルトが頭を悩ませている時、それまでじっと王妃と側妃を見つめていたザーシャの王太子が進み出てきた。



「恐れながら陛下。発言を許可して頂けないでしょうか」


「許可する」


「ありがとうございます。

 我が両親と側妃が起こした不始末、今一度この場を借りて心から謝罪させて頂きたく、王により亡くなられた方々に水の精霊王レイシュの祝福があらんことをお祈り申し上げます」


「うむ。私も戦争で亡くなった全ての者にレイシュの癒やしがあらんことを祈ろう」



 王太子は深々と頭を下げてから、頭を上げる。



「陛下に一つご提案がございます。

 王妃と側妃の処罰を、我が国に任せては頂けないでしょうか」



 そう王太子が口にすると、王妃と側妃が希望の光を見つけ出したかのように期待の眼差しを王太子に向ける。

 ガーラント側からは温情を掛けるつもりかと抗議の声が上がるが、ベルナルトが手を上げ制する。



「この二人は直接な手は下していないが、我が国に取っては原因の一端を生み出した罪人にも等しい存在だ。それを分かっているのだな?」


「勿論です。

 現状貴国では二人を罰するだけの理由がないと思われます。

 ですが、我が国では話は別です」


「どういう事だ」


「まず王妃についてですが、我が国では、王妃の不義密通は生涯幽閉と法で決まっております。

 死を偽ってまで駆け落ちした男と会えなくなるのは、彼女に取っては死よりも辛い罰となる事でしょう」



 その上、王妃はその男との間に子をもうけていた、当然その子供とも一生会うことは出来なくなる。

 王妃は信じられないといった表情で我が子を見た後、「待って、それだけは嫌ぁぁぁ」と叫び始めた。


 泣き叫ぶ母親には目もくれず、次に側妃へと視線を走らせる。



「側妃は王妃の不義密通の手助けをした事と、側妃でありながら王へ偽りの進言を行い王を欺き、国益を大きく損なわせた。

 それを国への反逆罪と取り、側妃は斬首とします」



 王太子の無情な判断に、側妃は呆然となり、それまで異を唱えていたガーラント側の高官も何も言えなくなる。



「それで、本当に良いのだな?」



 それは、自らの母にも情を捨てて新しい王として為政者の判断をしなければいけない王太子の心を慮って思わず出た言葉だった。



「はい」


「分かった。では王妃と側妃はそちらへ引き渡そう」



 泣き叫ぶ王妃と呆然とした側妃が連れて行かれるのを背に、王太子は再び深く頭を下げた。



***



 ラグッツの街などの補償の話も終わり、これで戦争も一段落となったところで、戦勝祝いが王宮で行われた。


 初めての戦争を経験した者もそうでない者も、戦争という特殊な緊張から解き放たれた緩みきった顔で、酒を片手に談笑している姿があちらこちらで見受けられ、それを見てやっと終わったのだと実感している者も少なくない。

 中には、亡くなった者の昔話に花を咲かせ、泣きながら笑っている者も居る。



 フィリエルも漸くゆっくりと家族と話をする時間が取れ、自然と表情も柔らかくなる。



「途中かなり危なかったそうだが、無事で本当に良かった」


「あなたに抱きつけないのが残念だわ」


「本当にどこも怪我はないのかい?」


「ご心配おかけしました、父上、母上、兄上。

 でもお祖父様から頂いたこの剣のおかげで助かりました」



 フィリエルの腰に差した剣に、一同の視線が向けられ、フィリエルはテオドールに視線を向ける。



「魔剣というのは、あんな能力もあるのですね」


「いや、初代の遺産は分からない物が多くてな。普通魔剣が使い手の意思もなく発動する事はありえん」


「でも俺は何もしていませんよ」


「オルソに会って聞いてみたが、奴でもそんな反応はした事がないから分からぬと言っていたしな。

 このまま使っていて良い物か分からぬから、一度教皇に伺ってみよう。

 変な魔法が発動しても困るから暫くは保管しておきなさい」


「分かりました」



 素直にフィリエルが頷いたその時、くわっとベルナルトの目が見開かれる。



「伯父上にお会いしたのですか!?いつの間に!!

 そんなに簡単にお会い出来るなら、早く会わせて下さいよ!」


「あー分かった分かった。じゃから耳元で叫ぶでない」


「本当ですよね!絶対ですよね!」


「そんなにわしの言葉は信用出来んのかい」


「これまでのご自分の行いを顧みて頂ければ、おのずと答えは出て来るはずですが?」

 


 冷ややかな息子の視線が浴びせられ、テオドールはそっと視線をそらした。



「じゃが、会わせるのはフィリエルの件が終わってからじゃぞ」


「俺ですか?」



 話を振られたフィリエルは、何かあったかと疑問符を浮かべる。



「ユイとの事に決まっておろう」



 ユイの名が出ると、フィリエルは目に見えて動揺をあらわにし、ベルナルトとアリシアとアレクシスは呆れた視線をフィリエルに投げ掛けた。



「あら、まだぐずぐずしていたの?」


「早くしないか、情けないぞ。伯父上と会えないではないか」


「私も大伯父上に会いたいから頑張ってくれよ、フィリエル」



 集中砲火を浴びせられフィリエルは今すぐ逃げ出したくなった。

 アリシアはフィリエルの不甲斐無さを非難しているようだが、後の二人はただオルソに会いたいだけなので、怒られる事に理不尽さを感じる。



「戦争を経験して、へたれる気など吹っ飛んでいったであろう」



 どうやら、フィリエルの心の変化などテオドールにはお見通しのようで、それがテオドールの手の平の上で転がされているような気がしてしゃくに障りぶっきらぼうに答える。



「ちゃんとしますよ、今度こそ」


「頑張って男を見せてくるのじゃぞ」



 分かりやすくむっとした表情をするフィリエルにテオドールは笑みを浮かべるが、数日経って学園に復帰してもフィリエルはユイに会おうとせず、テオドールは部屋で一人深い溜め息を吐いた。




***



 数日後、フィリエルが帰還の報は、瞬く間に学園中に広がり、もう学期末を間近にした頃学園に復帰すると、我先にと無事を祝う言葉を掛けようとフィリエルの元に生徒が殺到し、教師が止めに入るといったちょっとした騒動となった。



 学園でも最大派閥を作るセシルとカルロが睨みを効かせたおかげで騒ぎは落ち着き、行儀良く列を作るようになったが、休み時間ごとに列が出来るわ、魔力を抑えるのに疲れた時にする一人での休憩の時も遠くから視線を感じるわで、数日経ってもフィリエルは最も会いたいユイの元へ行くことが出来ないでいた。



 会えず焦れったく思っていたのはフィリエルだけではなく。

 同じ頃、ユイもまたフィリエルの事で悩んでいた。


 会える時間がないのは勿論の事、覚悟が出来たものの、いざ何と言うべきかとか恥ずかしいやらで尻込みしていた。

 するとそんなユイを見かねたエリザが、鬼の形相で家に乗り込んできた。



「あなた、何をしてるのよ!」


「なにと言われましても………」


「フィリエルが帰ってから何日も経っているのにどうしてまだ進展がないのかって聞いてるのよっ!」


「いや……でも……いざどうしたら良いか分からなくて……」


「でもじゃない!好きだって告白しちゃえば良いでしょうが!

 あなた通信用の魔具は持ってるの?」


「はい」


「じゃあフィリエルが一人になったら連絡するから、直ぐ向かうのよ。

 良いわね!!!」


「はいぃっ」



 びしっと軍人顔負けの敬礼をし、嵐のように去って行ったエリザを見送ると、溜め息を吐く。

 何だかんだで面倒見が良い彼女に、最初に抱いていた取っ付きにくい高貴なお嬢様な印象はがらがらと崩れていた。



 それにしても、これで逃げ道は無くなった。

 これで何も行動しなければ、エリザに問答無用でフィリエルの前に放り投げられるのだろう。

 ユイは玄関先でしゃがみ込み頭を抱えた。




 翌日、今日もフィリエルが登校すると列が生まれたが、今日はその前にエリザが立ち塞がった。



「皆様方が帰還した殿下に祝辞を述べたいのは分かりますが、皆様もご存知の通り、殿下は魔力が高く特別に一人になる時間を作る事を許されているような方です。

 これ以上殿下の負担になるような行いは皆様方にもご迷惑をお掛けする事に成りかねないかもしれません。

 もう少し自重しては頂けません?」



 にこやかな笑みを浮かべてはいるが、その実目は笑っていない。

 王の姪であり、公爵家の一人娘であるエリザにそう言われて文句を言える者はおらず、ましてやフィリエルの魔力が暴走するとほのめかされては、それ以上その場に留まる愚か者はいなかった。



「やっと静かになったわ」


「悪いエリザ、助かった」


「そう思うなら自分で何とかしなさいよ。

 あなたが断らないから調子に乗って次から次へと来るんじゃないの」


「そうなんだが、せっかく挨拶に来ているのにと思ったらなぁ………」



 エリザの言う事は最もだが、今まで強い魔力のせいで避けられる事の多かったフィリエルには、無事で良かったと好意的に近付いて来た者を邪険にすることは出来なかったのだ。


 見かねてカルロが助け船を出す。



「そう怒るなよ。

 断れないフィリエルも問題だけど、原因の一端はお前にもあるんだからさ」


「どういう事よ?」


「今までフィルって愛称で呼んでたのに戻ってからはフィリエルって呼ぶようになっただろ。

 その上、前みたいにべたべたしなくなったから、フィリエルの妃最有力候補が脱落したって思った女達が、肉食獣と化してフィリエルの妃の座を狙って顔を覚えて貰おうと躍起になってんだよ」


「ああ、だからやけに女性ばかりで、趣味やら家のことやら話すと思ってたが、そういう事か」



 今頃気付いたフィリエルは疲れた表情で呟いた。

 戦争を無事に終えた祝辞を述べるだけなら、そんな情報必要ない。



「そんなの私のせいじゃなくて、いつまで経っても行動に移さない誰かさんのせいでしょう」



 そう言ってエリザがフィリエルを見れば、居心地悪そうにあさっての方を見つめる。



「……………静かになったようだから、サボってくる」



 それ以上何かを言われる前に素早くフィリエルは逃げ出した。


 それを見て、王子ならもう少しあしらい方を上手くなるべきだとエリザは呆れながら直ぐさま通信用魔具を取り出した。



「………私よ。今向かったから今度はちゃんとするのよ、分かったわね?」



 それだけ言って通信を切ったエリザを、セシルが何か言いたげに見ていた。



「何よ」


「いや、まさかエリザが二人に協力するとは思わなくてね。

 フィリエルの事はもう良いの?」


「仕方が無いじゃない。

 私じゃ無理だって分かった以上、引き際はわきまえてるわ」


「そうか、良かったよ」



 セシルはユイに向けているような、とろけるような優しい笑みを向けられ、エリザは一瞬どきりと鼓動が跳ねた。

 それを悟られないよう努めて平静を装う。

 


「心配しなくても、思いが通じないからって虐めるような無様な真似はしないわ。

 本当に妹が大事なのね」


「それもあるけれど、漸く俺も動けると思ってね」



 思ってもみなかった言葉に、エリザは目を丸め、まじまじとセシルを見つめる。



「あなたにも好きな人がいたの?」


「まあね。フィリエルの事が終わるまで保留中だったんだけど、そろそろ頑張るよ」


「初耳だわ。ファンクラブの人達が泣き崩れるわね。

 どこのご令嬢?私が取り持ってあげるわよ」


「自分の力で十分だよ」



 セシルは誰かという問いには答えず、にっこりと笑って自分の席へと戻った。

 ふとエリザが視線を感じて振り向くと、カルロが痛ましいような哀れみを含んだ視線を向けていた。



「何よその目」


「いや、別に………」



 エリザはフィリエルに振られた事への同情だと勘違いしていたが、カルロの哀れみは別の事だった。



「気付いた時には終わってるんだろうな。

 許せエリザ」



 カルロの呟きは教室の喧騒で誰かに聞こえる事は無かったが、言葉通り外堀がすでに高く積み上げられつつあることをカルロだけが知っていた。




 一方その頃、予想外に早いエリザの連絡に、ユイの緊張は最高潮に達していた。

 胃痛すら感じてくる。


 まだ何を言うかすら決まっていないユイの足取りは重石を乗せたように重いが、そんな時に限ってフィリエルが簡単に見つかってしまった。



 フィリエルは普段から人がほとんど来ない裏庭の木の下でくつろいでいた。

 今日は暖かく、どうやら日なたぼっこでもしているのだろう。

 早く無事な姿を見たいと思っていたが、この時ばかりは遠慮したかった。



「行かないと駄目だよね………」



 これだけお膳立てしてもらっておきながら、行かないという選択肢は取れない。

 後々のエリザが怖すぎて………。



 ユイは足を進めたが、それはフィリエルがいる裏庭ではなく、そこがよく見える少し離れた空き教室だった。

 窓際に寄り、フィリエルの姿を確認すると、ユイは通信用の魔具を取り出す。


 さすがに面と向かって話す勇気が出なかったユイが、絞り出した考えだった。


 誰かは認識出来るが、表情がはっきりと分かるほど近くも無い。

 これが逃げ出さずに最後まで話せるユイの限界だった。


 近くの教室が空いていて良かったと本当に思う。

 何度も深呼吸をして心を落ち着け、意を決して魔具を起動させる。




 フィリエルは通信用魔具が反応しているのに気付き魔具を手に取る。



「はい」


「……………」



 答えの返って来ない相手に、疑問符が浮かんだが、少しすると待ち望んでいたユイの声が聞こえてきた。



「………エル」


「何だユイか、どうした?」


「うん……あの、そこから見える教室の窓の所に私がいるんだけど見える?」



 きょろきょろとその場から見える窓を確認していくと、窓際で手を振っているユイの姿が見え、くすりと笑みが零れる。



「そんな所で何してるんだ?

 どうせなら魔具なんて通さずこっちに来て話そう」



 半年ぶりなのだ。

 直接顔を見て帰ってきた事を実感したいフィリエルだが、ユイには行けない理由がある。



「それはまあそうなんだけど……ちょっとね。

 その前にエルに言いたい事があって………」


「何だ?」



 ばくばくと次第に鼓動が大きくなっていくのが分かる。


 口の中も乾いてきて、水を飲みたい気分だ。

 落ち着けと自分に言い聞かせるように一つ深い深呼吸をする。



「エルが居ない間考えたの。私、エルの事が好きよ」



 ユイがいる場所からでは表情は分からなかったが、魔具の向こうでフィリエルが息を呑んだのが分かった。



「でもね、好きだって自覚しても、やっぱりあの人の事があるから無理だって思ってた。

 そうしたらエリザさんが家に来たの」


「エリザが?」


「うん、怒られちゃった。

 フィルを幸せに出来るのはあなただけなのよって。

 エルへの好きより父親と会いたくない気持ちのほうが強いのかって。

 本当にその通りだって思った。

 私の周りには私を守ってくれる人が沢山いるのに、そんな周りに私は甘えてたみたい。」



 ユイの周りの人はユイの事を思って、エリザのように立ち向かえなどとは言わなかった。

 むしろ会わないように細心の注意を払ってくれていた。

 だから、これ幸いと周囲の優しさに甘んじてしまっていた。


 フィリエルと父親、どちらが大事かなど比較にすらなるはずがない。



「エルが好き。

 あの人に会う事になっても良いって思うぐらい。あの人に立ち向かえるぐらい。

 エルは私の為に告白を取り消すって言ったけど、私はエルの側に居たい。これから先も」



 フィリエルの反応が怖くてフィリエルの居る方を見れず、目を瞑りながら一気に言い切った。

 しかし、全く反応が返って来ないフィリエルに不安になり、目を開けると、直前までいたはずのフィリエルの姿が忽然と消えていた。



「あれ………?」




 非常に狼狽えたユイだったが、直後誰かに後ろから抱き締められ動きを止める。


 それが誰かなど見なくとも分かる。

 きっと転移魔法で移動したのだろう。



「そういう事は面と向かって言ってくれ」


「う……ごめんなさい。でも面と向かって言える自信がなくて」



 フィリエルはユイを反転させて顔が見えるよう向かい合う。

 わざわざ遠くに場所を取ったのにこれでは意味が無い。

 途端にユイは視線を反らそうとするが、フィリエルはそれを許さない。


 右手を頬に添え、左手はがっちりと腰に回される。



「もう一度。今度はちゃんと俺の顔を見て言ってくれ」



 期待に満ちていて、どこか疑いを持った眼差し。


 これまでがこれまでだった為、まだ信じ切れないのだろう。

 何せ、ユイに意識してもらうまでが長すぎた。


 ユイがずっとフィリエルを恋愛対象と見ていなかったように、フィリエルも恋愛対象として見られていない事が当然だったから。



 ユイは本気だと信じてもらう為に、今度はフィリエルの目を見ながらきちんと伝えた。



「エルが好きよ」


「本当に本当だな。後になって冗談って言っても離してやらないからな?

 それに父親の事も………」


「うん、まだ不安だけど頑張る。

 でもエルは?前に会った時告白は取り消すって言ったけど、あれは……」



 今のユイに取っての一番の不安要素だ。

 ユイに覚悟が出来てもフィリエルが無理なら元も子もない。



「あの時は危険な場所に行くって事でお祖父様の言う通りへたれてたんだな。

 でも戦争に行って考えが変わった。

 危険があるからこそ後悔はしたくない。

 少しでも長くユイの側に居る、他の奴がユイの側に居るなんて冗談じゃない。

 俺の妃になれば色々覚えなければならない事もあるし、ユイも危険な目に合うかもしれない。それでも俺の側に居てくれるか?」



 答えなど決まっている。



「うん、エルと一緒が良い」



 満面の笑みで答えると、その瞬間、ユイを抱き締める手が強くなった。


 息苦しさを感じる程の強さだったが、ユイの心は幸福感で一杯だった。

 フィリエルもまた、腕の中にユイがいる幸せと、生きて戻れて良かったと安堵を感じていた。




「……………後は魔王か」


「……………半狂乱になるかも」




 これからの事を考えると憂鬱になるが、今は思いが繋がった喜びに浸る。



 フィリエルはユイの頬に添えていた手を頭の後ろへ移動させ、力を入れ自分へと引き寄せる。

 ユイは恥じらいながらも、そっと目を閉じた。







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