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新たな恋の予感?

 フィリエルと話したあの後、ユイはどうやって帰ってきたか記憶に無いまま、気付いたらカーティスの自分の部屋にいた。


 途中でレイスやジョルジュに声を掛けられたような気もしたが、おぼろげにしか記憶が無かった。

 その日は食事も取らず部屋に籠もっていた為、翌日に話を聞いて心配したセシルとカルロがやって来た。



 昼間にアーサーに会った事などその時には頭から消え去っており、フィリエルが戦争に行く事だけを話したが、二人は驚きはしたものの、直ぐに納得した表情を浮かべていた。


 心配ではあるが、王子である以上それは仕方ないと思っているようだ。


 ただただフィリエルが戦争に行く事に悲しみと衝撃を感じている自身との認識の違いに悲しくなったが、「ユイはそれで良い、俺達にとっては友人であると同時に王子であるけど、ユイは王子じゃないフィリエル自身を心配してあげた方がフィリエルも喜ぶ」と言われた。


 二人に話した事で、幾分落ち着きはしたが、不安は拭えない。

 それでも、着々と戦争の準備は進み、第一陣の先遣隊が転移門を使い国境へと向かった。

 他も準備ができ次第続々と出発している。



 そんな状況の中でも日常は変わりなく過ぎ去り、夏休みが明け学園が始まった。



 授業が終わって休み時間に入ったが、授業をしていた体制のまま、ぼうとしているユイ。



「ユイ、大丈夫なの?

 どこか具合でも悪いんじゃあ………」



 夏休みが明けてからというもの、どこか上の空のユイを、ルエルは心配そうにしている。



「………ううん、大丈夫。ちょっとぼうとしてただけだから」


「まさか、またいじめでもあったとかじゃないだろうな?」


「そうなら、僕が代わりに報復しておくよ」


「本当に大丈夫だから」



 ルエルと同じように心配そうなゲインとフィニー。

 心配を掛けさせてしまっている事をユイは反省して、気を引き締める。



「大丈夫ならいいわ。お昼だし食堂に行きましょ」


「うん」



 四人揃って食堂向かう。

 すると、食堂の入り口で人目を引いている人物がいた。



 その人物は、食堂に入るでもなく入り口に立ち、食堂に来る生徒の顔を確かめてはそわそわと落ち着きがない。

 普通に考えれば、誰かと待ち合わせしているように見える珍しくもない光景のようだが、その人物は何故か両手で抱えるほどの大きな花束を抱えていた為周囲の注目を集めていた。



「…………なあ、あれって前にユイにちょっかい出してきた」


「確か、ルエルちゃんに飛び蹴りかまされた人!」


「ノレ・バッツだよ。

 花束持ってるのって、もしかしてユイに告白し直しに来たんじゃないの?」


「ユイにあれだけ迷惑掛けておきながらぁぁ。

 どうやら飛び蹴りじゃあ、足りなかったようね。

 ぶん殴って踵落としの後にバックドロップ決めてやるわ」


「殺すなよ~」



 ユイにした手荒な行動だけでなく、ノレのファンに呼び出された事も相まって殺る気満々でノレに近付いていくルエル。

 ノレもこちらに気が付くと、顔を赤く染めた。



「ちょっとあんたねぇ!」



 掴み掛からん勢いでノレに詰め寄ると、ノレは鬼の形相のルエルなどお構いなしにその場に跪き、花を差し出しながら人目もはばからず声を張り上げた。



「あなたが好きです。私と付き合って下さい、ルエル・イーデン様!」


「…………………は?」



 予想外の言葉に、それまでの勢いは消え去り、たっぷりの間の後、間の抜けた声が漏れた。



「……今、ルエルちゃんの名前言ったよね」


「間違いなく」


「おお、なんか面白くなってきたな」



 聞き違いかと思ったが、ノレはルエルの前に跪き、ルエルに花束を差し出している。


 呆気に取られるユイとフィニー。

 やけに楽しそうなゲイン。


 それだけでなく、今いる場所は昼休みの食堂の前。

 当然生徒達で一番混む場所であり。

 そこで突然の公開告白とあって、生徒や食堂で調理を行っていた人達までもが、手を止め昼食そっちのけでどきどきしながら見守っていた。



「ちょっと待ってよ。

 あんたはユイを自分の女にしたいって言ってたでしょう?

 しかも、あんた性格変わってるわよ、あんなに上から目線の奴だったのに」


「はい、あなたに会って本当に好きな人というものがどんなのか気付きました。

 あなたに好かれるよう、今までの自分を見直したのです。

 そして、あなたに口説くなら紳士的に口説けと言われた言葉を胸に、こうしてあなたに告白しにきました」



「きゃー、純愛!」などという声がどこからか聞こえてくる。



「あんたに好かれた理由が分からないんだけど」



 会ったのは一度だけ。

 その時にルエルはノレを飛び蹴りし、怒鳴りつけたのだ。

 どこに好意を抱いたのか、さっぱり分からない。



「最初は怒りしかありませんでした。

 けれど、それから貴女に飛び蹴りをされた時の痛みと、罵る顔が忘れられなくて、その時の事を思い出すと何故か心がときめくのです。

 もう、あなた以外考えられない!」



 恍惚とした表情でルエルを見つめるノレに、ルエルはぞわっと全身の毛穴が開くのを感じた。

 それはルエルだけでなく、聞いていた野次馬達もドン引きであった。



「つまり、ルエルの飛び蹴りで目覚めちゃったんだね」


「これは責任取った方が良いんじゃね」



 他人事と思って無責任に言いたい放題のフィニーとゲイン。



「無理に決まってるでしょぉぉぉ!!」



 そう言いながら放った抉るようなパンチがノレに炸裂。

 一発ノックアウトでノレは気絶し、医務室へ運ばれて行った。

 その表情はどことなく嬉しそうだったとか……。



 それからというもの、ノレは別の棟であるにも関わらず登校時に待ち伏せや、昼休みに下校時に出没するようになった。

 何度素っ気なくあしらわれても、むしろ喜び、次の日も。



「一生あなたの犬として暮らせたら幸せだ。

 結婚して下さい!」


「きもいわ!」



 その次の日も。



「席を取っておきました!」


「自分の棟に帰れ!」



 こりずに何度も何度も現れるノレに、ルエルはぐったりと疲れ切っていた。



「世の中には色んな人がいるんだね」



 しみじみとユイは呟く。

 罵られて喜ぶなど、到底理解不能だ。



「もういっそ付き合っちゃえば?」


「冗談じゃないわよ」


「でもさ、男爵家の跡取りでお金持ち、ルエルに惚れてて忠実な夫なんて優良物件じゃない?

 ちょっと性癖に目を瞑ればさ」


「それが一番問題でしょうが!」


「新しい扉を開かせたんだから責任取れよ。

 案外上手くいくんじゃねぇの。女王様と下僕」



 反論しようとしたその時、クラスメートがやって来た。



「おーい、例の先輩がこっちに向かっているそうだぞ」


「じゃ、私先に帰るから!助かるわ、ありがとう」


「おう、俺はくっつかないに賭けてるんだから頑張れよ」



 報告に来たクラスメートにお礼を言うと、ルエルはあっという間に教室から飛び出して行った。


 あの公開告白は、その日の内にほとんどの生徒の知ることとなり、ルエルの苦労を余所に、二人が付き合わないか、いつ付き合うかで食堂券を賭けた賭け事が始まった。


 それを聞いたルエルは憤慨していたが、くっつかないに賭けた生徒達がノレの出没を報告してくれるといった利点が生まれ、ノレから逃げるのに一役かっていた。



 ルエルが帰って少し経つと、報告通りにノレが教室に顔を見せた。



「ルエル様はどこだ!?」


「帰ったよ」


「何!?一足遅かったか………」



 がっくりと肩を落としたノレ。

 すると、ユイとノレの視線が合い、恐る恐る近付いてきた。

 手荒にされた経験からユイは警戒したが、ノレはユイの前に立つと勢い良く頭を下げた。



「申し訳なかった!」



 いきなりの事に目を丸めるユイに構わずノレは続ける。



「女性に手荒なまねをして申し訳なかった。

 何て俺は馬鹿だったのだ。過去の自分が恥ずかしくて仕方が無い」



 大勢の前で性癖を暴露するのは恥ずかしくないのかと、つっこみたかったが、寸前で言葉を飲み込んだ。



「あ、あの、もう何とも思ってないので……」


「許してくれるのか?」


「ええ、反省しているようですし」



 ユイの答えにノレがほっとした表情をしたのも束の間、もじもじとし始める。



「あの……申し訳ついでに、折り入って頼みがあるのだが……」


「何ですか」


「いや、ここでは何だから北棟の食堂へ場所を移そう。

 なんでも好きな物をご馳走させてもらう」



 学園では、居残りで勉強する者が多い事から、授業終了から昼食メニューとは別のケーキなどの菓子や軽食を出すようにしている。


 内容はユイ達の使う食堂とA~Cクラスのある北棟の食堂とは出す物が違う為、行ってみたいと思っていたユイは考えるまでもなく心が動いたが、ユイが返事を返すより先にフィニーとゲインが身を乗り出す。



「もちろん僕達も一緒に行ってもいいよね」


「良いだろう、なあ?」



 反論をさせない雰囲気の二人に、ノレは少し怯えながらこくこく肯く。



「よっしゃあ、なら早く行こうぜ」



 そうして北棟の食堂に場所を移したユイ達は、早速メニューを広げる。



「さすが、北棟の食堂。品揃えが豊富だな」


「好きなだけ食べてくれ」



 その言葉に甘え、今度いつ来られるか分からないので、ここぞとばかりにどんどん注文していく三人。



「それ、食べられるのか………?」


「もちろん」


「そ、そうならいいんだが……」



 テーブルに次から次へと並んでいく皿の数にノレは顔を引き攣らせるが、ユイ達は満足そうに食べ始める。



「それで、頼みって何ですか」



 これだけご馳走になって無視するわけにはいかないと、話を切り出す。



「君達はルエル様の友達だろう?

 そこで、ルエル様の好きな物とか嫌いな物とか教えてもらえればと思ってな。

 最初に花を送ったが気に入らなかったようだし……」



 気に入らなかったのは花ではないと思う……と、心の中でゲインとフィニーがつっこみを入れている中、ユイは観察するように鋭くノレを見る。

 ノレがルエルに本気なのか見極めるように。

 もし冗談半分なら、いつも助けてくれるルエルに変わり、今度はユイが助けるつもりだ。


 そして、ユイの面接が始まった。



「あなたは本気でルエルちゃんの事が好きなんですか?

 結婚するまでの火遊びのつもりなら、今すぐ手を引いて下さい」



 貴族ならば婚約者がいてもおかしくはなく、いなかったとしても、いずれ別れるつもりで付き合うのなら協力など出来ない。 



「そんなつもりは一切無い。彼女が望んでくれるなら、その先の事も視野に入れている」



 結婚話まで発展したユイとノレの話に、ゲインは大袈裟じゃないのかと呟いたが、ユイは黙殺した。


 庶民として育つゲイン達と、貴族社会で生きるユイとノレの考え方は大きく違う。


 一般家庭で育った者にとっては、付き合って、合わなければ別れるという選択肢を考えればいい。

 だが、貴族はそうはいかない。

 必ずその先を視野に入れる必要がある。

 ノレがルエルと付き合えば、当然のように周りは結婚相手として見る。

 ただの火遊びのつもりならユイは許さないし、そうでないなら別の問題が生まれてくる。



「分かっていると思いますけど、あなたは男爵家の跡取りで、ルエルちゃんは爵位の無い普通の家の子です。

 それがどれだけ大変な事かは貴族の教育を受けたあなたなら分かっていると思います。

 それでも、ルエルちゃんを好きだと言い続けるんですか?」



 爵位のある者が一般の家の者と結婚するのは容易ではない。

 結婚は家のためにと考える家は少なくはなく、庶民との結婚を高い確率で親族は反対する。

 たとえ認められても、今まで育った価値観と大きく違う環境で生活するのはかなりの努力と心労を伴う。


 シェリナも最初は、歩き方一つにも注意される生活にかなりの苦労をしたと聞いていた。


 シェリナも庶民の出だが、レイスには周りを黙らせシェリナを守るだけの力と、反対する親族がいなかった為に円滑に結婚出来た。

 レイスの両親は、こんな性格のひん曲がった息子を貰ってくれるなら身分など関係なく歓迎すると言って、泣いて賛成してくれた。


 だが、ノレの家がそうとは限らない。



「確かに一般の家で育った者が貴族社会で生きるのは大変だ、その上俺は跡取りだし。

 だが、その責任を一緒に背負っても構わないと思ってもらえるほど好きになってもらうよう努力したい。

 最悪それがどうしても無理なら身分を捨てていい」


「その言葉に嘘があった場合は、父に頼んであなたの家を徹底的に潰してもらいます。

 私の親友に手を出すんですから、それ位の覚悟はありますよね」


「も、勿論だ」



 ノレは顔色を悪くしながらも、しっかりと頷いた。

 レイスの名を使って脅しても引かないという事は、本気と取って良いのだろう。

 ノレが真剣に考えている事は分かったが……。



「…………まあ、こんな話、ルエルちゃんに好意を寄せられなければ無意味ですけどね」



 ノレを見れば脱兎のごとく逃げ出すルエルの様子では、お世辞にも可能性があるとは言えない。



「だから、こうしてルエル様の好きな物を聞こうとしているのだぁ!

 賄賂は払ったのだから協力してくれぇぇ!」


「好きな物渡したぐらいで何とかなると思ってるのがすげぇよ。

 改善するのはそこじゃねぇだろ」



 今までの真剣な空気が和らいだのを感じたゲインが、早速つっこみを入れる。



「ルエルは兄弟多いから、そっちから攻めて外堀埋めていけば?」


「何!?」



 フィニーからもたらされた有力な情報に、ノレは希望に目を輝かせ身を乗り出す。



「確かにルエルちゃんは兄弟思いだから、先に兄弟に好かれるのは有効な手かも」


「特にガキ共だな」


「子供を釣るなら、やっぱりお菓子じゃない?」


「ふむふむ………それで?」



 一筋の光明を見出し、ユイ達が話していく事を忘れないように紙に書き留めていく。


 ユイ達の助言を基に、菓子折を持っていくとルエルも貰ってくれるようになったが、ルエルは貰うだけ貰ってありがとうの一言と共に風のようにいなくなり、一向に進展の兆しは見られなかったとか。



 ***



 ノレのおかげでたらふく食べ満足してカーティスの家へ帰宅したユイ。



「ママ、ただいま」


「あらユイ、今日はあっちに泊まるんじゃなかったの?」


「うん、そうなんだけど………」



 シェリナの言う通り、今日はこちらに帰ってくる予定ではなかったのだが、ユイはどうしてもシェリナに聞きたいことがあって会いに来た。

 シェリナも言い淀むユイの様子に何か感じるものがあったのか、侍女にお茶を用意してもらい、人払いをする。



「………それで、何かあったの?」



 用意されたお茶を一口飲み、シェリナが話を切り出す。



 先ほど、責任を一緒に背負っても構わないと思ってもらえるほど好きになってもらうと話していたノレ。

 そう言ったノレが何故かフィリエルと重なった。


 未だフィリエルへの気持ちを定められず中途半端な気持ちのユイは、自分と同じような思いをしていただろうシェリナの話を聞いてみようと思ったのだ。



「ママはどうしてパパと結婚しようと思ったの?」


「あらあら、なあに突然」


「うん……ちょっと気になって。

 パパと結婚すればあの人と会う事にもなるでしょう。

 なのにどうしてパパと結婚しようと思ったの、躊躇わなかった?」



 同じ貴族のレイスと結婚すれば嫌でも社交の場でアーサーと会う事になる。 

 今はレイスがそういった場に出さないようにしているが、シェリナはそれを覚悟の上で結婚したはずだ。

 父親に会うのが嫌でフィリエルを拒絶しているユイはどうしても聞きたかった。


 色々と辛い思いをした母には聞き辛い事ではあったが、シェリナは気分を害した様子はない。



「そうねぇ、確かに最初は躊躇ったわよ。

 庶民の生活をしてきた私には貴族の生活は窮屈で合わなかったし、あの男の顔も二度と見たくなかったもの。

 ましてやレイスは宰相でしょう?

 絶対に大変だって、貴族社会の事を分からない私でも見当が付いたわ」


「だったらどうして……?」



 ユイの問いにシェリナは微笑んだ。

 とても柔らかく、綺麗な笑みを。



「それでも良いと思ったの。

 レイスと一緒にいられるなら、貴族の窮屈な生活も、宰相の奥さんって責任も背負える。

 あの男との過去を乗り越えられるし、何かあってもレイスが守ってくれるから大丈夫って思えたからよ」



 そこには、レイスへの絶対的な信頼が見えた。

 そしてそれは、きっと、ノレがルエルに求めていた事であり、フィリエルがユイに望んだこと。



「乗り越える…………」



 ユイの中にフィリエルへの信頼は確かにある。

 だが、母のように立ち向かう勇気はあるだろうか?

 ユイは自分自身に問い掛けるが、答えは否だ。


 悩んでいるユイの姿を見て、シェリナは含み笑いをこぼした。



「ふふふっ、突然そんな事言い出すなんて、ユイにもいい人が表れたのかしら」


「…………告白された。結婚して欲しいって」


「まあ」



 恥じらいながら話すユイに、シェリナは花が咲いたように喜んだが、直ぐにユイは落ち込んだように顔を暗くする。



「でも、告白は取り消すって」


「あら、どうして?」


「その人今度の戦争に行くの。

 今後も危険な目に遭うかもしれないから………。

 私を残して逝くかもしれないから………だから、私を悲しませない為にも他の人の方が良いって………」



 悲しげに瞳を揺らすユイとは反対に、シェリナは嬉しそうに目尻を下げた。



「きっと、その彼は本当にユイの事が好きなのね。

 あなたの為に辛い決断が出来るほどに。

 ユイはどうなの、その人が好き?」



「分からない。好きだけど、これが恋って言っていいのか………」



 相手の事を知らないシェリナだが、恥ずかしがったり、落ち込んだり、いつになく表情豊かなユイの様子を見れば、どう思っているかは一目瞭然だった。


 問題があっても、全て自分で何とかしてしまうユイの、滅多にない相談にシェリナは嬉しくなりながら、母親らしく子供を諭すように質問をしていく。



「その人といると楽しい?ずっと一緒にいたいと思う?」


「うん」


「一緒にいてどきどきする?」


「う、うん」



 ユイは一瞬躊躇いながらも、頬をほのかに紅くして頷いた。



「その人が別の女性といたら悲しい?

 その女性と自分を比べて苦しくなったりしない?」



 そう言われて思い出すのは、合宿でフィリエルがシャーロットと一緒にいた姿。

 彼女から発せられた婚約の言葉にどうしようもなく胸が痛くなり、違うと分かってほっとした。

 そして、彼女の方が相応しいのではと劣等感を抱いた。



「うん、苦しい」


「なら、それは恋よ。

 セシルやカルロが女性と仲良さそうにしていても、気にはなっても苦しくなったりはしないでしょう?」



 確かにセシルやカルロに彼女がいても、二人が構ってくれなくなるとやきもちは焼くかもしれないが、フィリエルのように苦しく切なくなったりはしない。

 レイスを愛している母の言葉だからか、今まで気付かなかったのが噓のように、すんなりと心の中に入ってきた。



 そうか、自分はフィリエルが好きなんだと。



 自覚すると、無性にフィリエルに会いたいと思った。

 けれど、フィリエルからは告白を取り消すと言われているし、未だ父親に立ち向かうだけの覚悟も自信もなかった。



「ママ……私どうしたらいい……?」



 戸惑いに眉尻を下げ困惑するユイにシェリナは小さく笑みをこぼす。



「ふふふ、よく考えればいいわ。

 あなたの為にあなたを諦めたその彼のように、あなたは何が大事で何を優先させるかを。

 でもね、後悔だけはしないようにね?

 無くした後で、頑張っていれば良かったと後悔したって、遅いのだから」


「私の大事なもの………」




 ***




 自室に戻ったユイはクッションに顔をうずめて悩みに悩んでいた。


 こんな時は肌ざわりが最高なシュリの毛に頬ずりをして心を癒したかったが、あいにく朝は祖父母の家から登校したので、ここにはいない。



 後悔だけはしないように………。


 そうシェリナは言ったが、どうすれば後悔しないのかが分からない。



 フィリエルを諦めれば、今まで通りの平凡で穏やかな生活が続くのだろう。

 だが、フィリエルへの思いを自覚した今、それは酷く辛い選択だった。


 だからと言って、フィリエルを選べば伯爵との抗争まっしぐら。

 背後から魔王と王子とその手下が睨みをきかせる勝ち戦だが、相手の前に立てる気がしない。


 それだけではなく、王族の伴侶として今までのような生活は出来ない。

 祖父母のパン屋も継ぐ事が出来なくなる。



 どちらを取ってもユイは何かを我慢し捨てなければならない。

 それを決めてしまう事が怖くて仕方が無かった。



 そもそもフィリエルからは告白を取り消されている。

 まだ好きだと言っていたのでユイの行動次第でどうにかなるかもしらないが、やはり断られたらと思うと辛い。

 フィリエルはこんな思いをしながら告白してきたのか、と今更になって理解する。



 そして何より、ユイが一番なんとかしなければならないのば、父親の事だ。

 。

 先日会った時に初めて反抗はしたが、それは消え入りそうな小さな声がやっとだった。

 きっと、指先ほどの小石を投げつける痛みすら与えられていなかっただろう。


 そんな調子で、仮にフィリエルに好きと告白して思いが通じ合ったとして、こんな弱い自分で王族の伴侶をやっていけると思えない。



「うぅぅぅ」



 どうすべきか分からず、クッションに更に顔を押し付け唸り声を上げるユイ。


 その時、ユイの通信用の魔具が震えた。

 手に取り、耳に掛けたイヤーフック形の魔具からは、今まさに考えていた人物の声が聞こえてきた。



「ユイ、今いいか?」


「えっ、エル……?うん、今は大丈夫」


「良かった。明日出発するから、その前にユイの声を聞いておきたかったんだ」


「明日………出発………」



 とうとうその時が来てしまった事を知り、不安で震えてきた手を強く握り締める。



「少なくとも、数カ月は帰って来られない」


「そんなに!?」



 少なくとも数ヶ月という事はそれ以上の可能性もあるという事だ。



「後の処理もあるからな。

 まあ、俺はほとんど見てるだけだ」


「本当に大丈夫だよね……」


「ああ、大丈夫だ。俺は直接戦闘に参加する事はないからな」



 いくら参加しなくとも、行って欲しくはない。

 けれど、そんな困らせるだけの我が儘を口に出す事など出来ず、言葉を飲み込むようにユイは唇を噛み締めた。

 今は大丈夫だというその言葉を信じて、祈るしかない。 



「無事に帰って来てね、待ってるから」


「ああ、行ってくる」




 そうして、フィリエルを含む、本隊が転移門を使い、ラグッツの街を経由して国境を越え、ザーシャ国に進軍した。



 フィリエルが戻るのは、これより六カ月後の事になる。






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