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ユイの過去

 執務室では、仕事を再開したレイス達の書類を捌く紙の音だけが聞こえてくる。


 フィリエルが入ってきたのが分かると、レイスとリューイは手を止め、護衛の為に控えていたロイク共々視線を向ける。


 フィリエルは真っ直ぐレイスへ向かい机の前に立つ。



「許可無く部屋へと立ち入る無礼、申し訳なく思います」


「非常事態です。今回は目を瞑りましょう」


「ありがとうございます」



 形ばかりの挨拶が終わると、早速レイスが核心に触れた。



「回りくどい言い方はお互い止めましょう。

 ユイがあそこまでオブライン伯爵を怖がる理由を。

 ユイはオブラインの家でどのような扱いを受けていたか貴方は知っていますか?」


「知っています。

 ユイの母親だけでなく、セシルやカルロも知らない真実を」



 フィリエルもレイスには話しておくべきだろうと考えて、隠す事はしなかった。


 だが、話し始める前に、フィリエルはリューイとロイクへ視線を向ける。

 人払いをという意味で。


 しかし、レイスが何かを言う前にリューイとロイクが拒否した。



「シェリナさんも知らないのなら、同じ女として相談に乗れる事があるかもしれません」


「俺が一人にしなきゃあんな事にはならなかった。

 また同じ事を繰り返さない為にも知っておきたい」



 出て行く気のない二人に、レイスはため息を吐く。



「あんな姿のユイを見た以上、この二人は後でしつこく理由を聞きに来るでしょう。

 大丈夫です、この二人は私の信頼出来る友人で、ユイの生い立ちなども知っています。

 他言はさせません。

 そうですね、二人とも」


「勿論」


「誓って他言致しません」



 レイスがここまで言うのならそれだけ信頼に値する人物なのだろう。

 二人からは、ユイを心から心配しているのが分かった。

 何より、近すぎるより少し離れた他人の方が、いざという時ユイも相談しやすいと思いフィリエルは話し始めた。



「ユイはオブライン伯爵から継続的に暴力を振るわれていたんです」


「………暴力ですか。しかし、それはシェリナ達からも聞いています。

 何度か叩くような事があったが、直ぐに助けに入っていたと」


「確かにそれも間違いありませんが、知らない所でそれ以外に暴力……いえ、拷問に近い暴力を振るわれていたんです」



 拷問という不穏な言葉に、表情が険しくなる。



「幼い最初の頃は今宰相がおっしゃった通り、ほとんどが無視されて育っていたようです。

 しかしユイが成長してきた頃、ある日突然、伯爵が夜中に部屋にやって来るようになって、誰の目も無い所で暴力を受けるようなったそうです。

 叩くなど軽いものではなく、殴る蹴る、時には攻撃魔法をぶつけられたりもしたと。

 ユイが動かなくなるまで………」


「それほど酷いものなら、シェリナ達も気付いたのではないですか?」


「伯爵は、わざわざユイを治す為の治癒師を雇い、分からないようにしていたようです。

 暴力をふるうと治し、また暴力の後治してを繰り返して」



 ユイにあった出来事を、伯爵への怒りを抑えながら、フィリエルは出来うる限り冷静に淡々と伝える。

 口にするのもおぞましいが、こんな辛い話を思い出させながらユイに話させたくは無かった。


 あまりに酷い扱いを初めて聞いたレイスも冷静を装ってはいるが、その目には激しい怒りが見え、今にも飛び出して報復に行きたい思いを必死で抑えていた。


 リューイとロイクも顔が青ざめ、言葉も出ないようだった。



「ユイはセシルやカルロにも、話さなかったのですか?」


「話せばあの二人は必ず守ろうとする。

 自分を庇った事で、二人が同じ目にあうかもと考え、言えなかったようです」


「………ユイらしいですね」


「ええ」



 あのオブライン伯爵が優秀な息子をどうにかするとは思えないが、万が一の場合を考えたのだろう。

 大事な兄の為に一人で背負い込んだのか。



「………なのに、殿下は双子も知らない事をユイから聞いたという事ですか。

 ずいぶんユイから信頼されているようで」



 フィリエルが知り、自分が知らなかった事がよほど気に食わないのだろう。

 アーサーに向けていたものとは別種の敵意のこもった目で睨み付ける。


 まさか、ここで攻撃を受けると思わなかったフィリエルはたじろいだ。



「俺の場合はたまたま知っただけです。

 いつもとどこかユイの様子がおかしかったので………」


「ほう……、その日ユイの様子がおかしいと分かるほど、普段から会っていたのですか」



 墓穴を掘ったと気付いた時には遅かった。

 これ以上下手な事を言うのはまずいと、頭を必死で働かせるが、意外にも先に折れたのはレイスだった。



「まあ、今は置いておきましょう。

 貴方が知っているという事は、先王陛下もご存じという事ですね」


「え…ええ、直ぐに影に調べさせて証拠も掴んだので、伯爵を捕まえる事は可能だったのですが、ユイに拒否されました。

 傷害罪ぐらいならば直ぐに釈放されて、次は何をやらかすか分からないからと」


「冷静ですね、あの子は」


「なので、お祖父様が裏で色々とやっていたようです。

 要は家に帰さなければ良いといって、オブライン家の事業を傾けて、資金繰りで忙しくさせたり、美女をけしかけて愛人を作らせたりして帰さないようにしていました」



 そのどこかで聞いた話に、リューイとロイクは揃って微妙な表情をしていた。

 やはり、腹黒な人間の考える事は一緒という事だろう。



「大体の事情は分かりました。では………」



 レイスは話を終えようとしたが、フィリエルが止めに入る。



「いえ、まだあります。むしろここからが本題です」



 先程よりも真剣な表情に、自然とレイスの表情も引き締まる。



「まだ、何か?」


「はい、ユイが伯爵から暴力を受けていた理由です」


「理由って、リーフェだからでしょう?」



 今更何をと言うようなロイクの言葉に、フィリエルは首を横に振った。



「確かに伯爵がユイを疎んでいるのはリーフェだからですが、暴力が始まった理由はユイの母親にあります」


「シェリナがですか?」


「ええ。ユイは母親と面影が似ているでしょう?」


「まあ、確かに親子だけあってシェリナの若い頃に似ていますね。

 それと何の関係があるのです」


「宰相はユイの母とオブライン伯爵の成り行きはご存知と思います」


「勿論」



 シェリナを手に入れる為に裏で色々してきたのだ、当然事細かに知っていた。

 アーサーが両親の店を潰すと脅し、シェリナに結婚を強要した事を。


 今思い出しただけでもふつふつと怒りが湧いてくる。



「オブライン伯爵は権力でユイの母と結婚しましたが、その結婚生活は上手くいっていませんでした」


「当然ですよ」



 リューイが嫌悪感を顕わに吐き捨てる。


 いったいどうすれば脅して結婚を強要した相手を愛せるというのか。

 しかも、結婚後も愛情を示すでも優しさを見せるでもなく傲慢に振る舞い、外に愛人を作るような相手をだ。


 幼い頃から貴族として教育された令嬢ならば、家の為の政略結婚は仕方ないと諦めたかもしれないが、シェリナは一般庶民だ。

 学園を卒業し、誰かと恋に落ち、普通に自分の決めた相手と幸せな家庭を築いていくものだと、当然のように思っていたはずなのだ。


 それを壊され、慣れない貴族の生活で、上手くいかない事も辛く悲しい事もあっただろう。

 なのに、唯一頼れるはずの夫は助けてはくれず、他に手を差し伸べてくれるものもいない。


 誰も味方のいない、そんな中でも、シェリナは立派に三人の子供を育てたのだ。

 同じ女として、一番リューイが憤りを感じていた。



「確かにそうです。

 結婚後何年経っても伯爵を忌避し続けたユイの母の態度が伯爵は気に食わなかったのでしょう。

 その苛立ちをユイの母ではなく、あろう事か面影のあるユイへ矛先を向けたんです」


「まさか、そんな理由で!?」


「伯爵がユイの母親へ向けていたのが、どう言った種類の気持ちかは分かりませんが、確かに想っていたのでしょう。

 だから本人には向かわず、似たユイを代わりにし鬱憤を晴らしていた。

 ちょうど、リーフェを産んだ事に対して、離婚しろと親族から口々に言われていたようなので、上手くいかない事全てをユイのせいだと、自分勝手に置き換えたのかもしれません」



 貴族の間では、家のためにより魔力の高い子が産まれるのが喜ばれるが、逆にリーフェは嫌悪される。


 貴族の中でも強さを求める傾向にある軍人を多く輩出している家では、時に産んだ母親が悪いのだと、離婚される事もあった。

 とはいえ、リーフェが産まれる事自体が稀で、家の繋がりの為の政略結婚が多いので、簡単に離婚となるのは滅多にないが、シェリナは平民の出だったのでそんな話が出たのだろう。



 レイスはフィリエルからの話を聞きながら、先程の出来事を思い出していた。



 アーサーはシェリナに会いに来たのだと言っていたユイ。


 シェリナの話をするレイスを憎々しい形相で睨み付けていたアーサー。


 シェリナの態度が気に食わないが、シェリナへぶつける事は出来ないからユイへ。

 それだけシェリナに執着しながらも愛人を持った理由に納得がいった。



 恐らくアーサーは今もまだ………。



「なるほど、あの男もずいぶんと歪んだ性格をしているようですね」



 真剣な顔でそう呟くレイスを、リューイとロイクは冷めた眼差しで見つめた。



「お前が言うか!」


「伯爵もあなたにだけは言われたくないと思うわよ」



 フィリエルも心の中で激しく同意した。



「私はちゃんとシェリナの意志を尊重していますから問題ありません。

 話は良く分かりました。

 この事をシェリナは知らないのですね?」


「ええ。自分が理由だと知り、母親を悲しませたくないとユイが望んでいるので、話さないようにして下さい。

 後、出来るだけ伯爵をユイとユイの母親へ接触させないよう気を付けて下さい。

 今後ユイに接触してくる可能性もありますから」


「言われるまでもなく、そうしますよ。

 あんなユイを見た後では尚更です」



 レイスがそう断言するのなら、今後偶然でも会うことは無くなるだろう。

 自分の力ではどうにも限度があるので、フィリエルは安堵した。



「ありがとうございます。

 …………後、もう一つ。

 もう少しの間ユイと二人っきりにさせてもらえますか」



 その瞬間レイスの眉間に皺が寄ったが、反対は無かった。

 この後当分会えなくなる事を分かっていたので、特別措置だろう。



「良いでしょう。但し、接触は禁止です」


「…………」


「禁止です」


「………手ぐらいなら」


「………まあ、いいでしょう。但しそれ以上は許しません」


「………………はい」



 接触禁止令が出されたが、なんとか譲歩を勝ち取った。

 戦争を控えたフィリエルへの温情のつもりなのだろう。


 リューイから飲み物をもらい、睨みをきかせたレイスを背にして、ユイの待つ隣の部屋へ戻った。




 フィリエルが戻ると、顔を洗い、どこかすっきりとしたユイが待っていた。



「遅かったね」



 まだ目は赤いが先程までの危うさは見えず、ほっとしながらも、フィリエルは一つの決意を胸に、緊張を隠しながらユイの隣へ座る。



「ああ、少し話し込んでてな」


「そう」



 隣の部屋で何を話していたか、ユイは分かっていたが何も聞かなかったし、フィリエルも何も言わなかった。

 ユイはフィリエルが持った来た水差しとコップを手に取り、水を入れて喉の渇きを癒やす。



 その場に沈黙が落ち、部屋の中は静まり返る。



 フィリエルはこの数日考えていた事があるのだが、戦争の準備の忙しさでユイに会いに行く時間が取れず、出発前に話す事は不可能だと諦めていたのだが、思いもよらず機会が巡って来て、今度はどう話し始めたらよいかを悩んでいた。

 ユイも、何となくいつもと違う雰囲気を察したのか、話し掛けづらく、気まずさを感じていた。



 暫くそうしていると、フィリエルが隣にいるユイに目を向ける事なく、俯きがちで静かに口を開いた。



「あのな、この数日ずっと考えていた事があるんだ。

 本当は、あんな事があって直ぐのユイにこんな話したくはなかったんだが、今しか時間が取れないから聞いてくれるか?」


「え…うん」



 こちらを見ることなく話すフィリエルの横顔に僅かな不安を感じた。



「俺はこれから先一緒にいるならユイがいい。いや、ユイじゃなければ嫌だ。

 その気持ちはこれからも変わらない。

 けれど…………」



 複雑な感情が見え隠れするフィリエルは、一度何かを飲み込むように口を閉ざし、意を決したように再び口を開いた。



「………けれど、以前ユイに結婚してくれと言った言葉は忘れてくれ」



「え……」



 ユイは一瞬、フィリエルが何を言っているのか分からなかった。

 言葉を頭の中で反芻し、意味を漸く理解すると「なんで………」という言葉が無意識に口から出ていた。


 そして、直後に浮かんだのは先程の自分の姿。



「それって……私が面倒になったから………?」


「ユイ、それは違う」



 呆然と呟くユイに、フィリエルは顔を上げユイに視線を移し即座に否定したが、ユイは声を荒げる。



「違わないから、そう言うんでしょう!?

 私がいつまでも父様の影に怯えてるから、エルは面倒くさくなって………」


「違う!!」


「っ………」



 ユイの言葉を止めたくて、それ以上の強い声を発すると、ユイは体をびくりと震わせ言葉を飲み込む。



「……驚かせて悪かった。

 でも、ユイが思っているような理由じゃない」



 フィリエルはユイの両肩を掴み、向かい合うようにすると、静かな眼差しがユイを射抜く。

 それは何かを決意した者がする目だった。



「ユイ、俺は戦争の為にザーシャ国へ行く」


「えっ……ザーシャ?戦争………?

 でも、だって、エルは学生でしょう!?なのに、どうして!」



 混乱するユイをなだめるように、フィリエルは穏やかに話す。



「俺はいずれ全軍を指揮する立場になる。

 その時の為に、戦争を経験して大元帥の指揮の仕方を勉強しに行く」


「でも、だからって………」



 戦争の話はユイの周りでも至る所で話題に出てくるが、実際に戦争に行く者はユイの知り合いにはいなかった。

 軍人を目指すセシルとカルロはまだ学生で、宰相のレイスは文官で戦争には参加しない。


 どこか遠い出来事でしか無かった戦争という言葉が、急に現実味を帯び、ユイの頭を真っ白に塗り替えた。



「そこまで深刻にならなくていい。

 ザーシャ国とは軍事力が圧倒的に違うし、ユイの言う通り、俺は学生だから戦闘に参加するとは限らない」



 ユイを安心させる為の言葉だが、それでも戦争に行く事に変わりは無い。

 いくら軍事力に差があったとしても、無傷で帰れる保証はないのだ。

 これは戦争………人と人が殺し合うのだから。



「………だが、戦争に行くと決まってから、考えるようになった。

 後数年して俺が軍に入るようになって、ザーシャ国より強国と戦争になってしまったら……。

 もしその戦争で命を落としたら……。

 その時ユイと結婚していたら、俺はユイを悲しませる事になる。

 それなら……悲しませてしまうなら、俺じゃない誰かと一緒になる方がユイは幸せになるんじゃないかと思ったんだ」


「でも、エルは強いもの!大丈夫よ、きっと………」



 フィリエルが死ぬなど考えたくないユイは必死になって否定する。

 だが、そんなユイをフィリエルは悲しげに見つめる。



「そうだな、確かに俺の魔力は強い。

 でも、強いからこそ、誰よりも危険を背負わなければいけない時があるんだ」



 言葉をなくすユイの頬に手を当て、フィリエルは微笑む。



「俺はユイの笑った顔が好きだ。

 ユイに幸せになって欲しい。

 ずっと笑っていられるなら、ユイの隣は俺でなくとも構わない」



 自分よりもユイの幸せを願うフィリエルの深い愛情に、ユイの双眸から涙がこぼれ落ちた。







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