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望まぬ再会

 レイスの所へ向かう為に王宮内を進んでいたが、ある部屋の前でロイクが歩みを止めた。



「悪い、俺は少しここに用事があるから先に行っててくれ。

 そこを真っ直ぐ行った階段を上がって右に曲がって突き当たりまで行った所にある部屋だ。

 何、魔王から救いに来ましたと言えば喜んで案内してくれる」



 勝手に一人で行動して大丈夫なのかというのが、表情に出ていたのだろう。

 ロイクから一言添えられ、微妙な表情を浮かべながらユイは階段へ向かった。



 本来ならば忙しいこの時、宰相の執務室へ続くこの廊下はばたばたと慌ただしく人が行き交っているはずなのだが、音速で駆け抜けた救世主登場の知らせで、宰相の邪魔をすべきではないという暗黙の了解により、しんと静まり返った廊下が続いている。



 言われた通り階段を上がって右に少し進んだところで、ユイは息をのんだ。



 忘れたくても忘れられない、今なおユイに恐怖を与える人物。

 アーサー・オブラインがそこに居た。



 あちらもユイに気付いたようで、ユイの方へと向かってくる。


 全身を強張らせているうちに、アーサーがユイの目の前で止まった。



「ふんっ、貴様の方が来たのか」



 その言い方を疑問に思ったが、深く考えられるほどユイに余裕は無かった。

 早く立ち去るのを祈り、ただ無言で立ち尽くすしか。

 しかし、アーサーが立ち去る気配はなく、反応を返さないユイに対して苛立ちを表し始める。



「相変わらず私を苛つかせるしか能の無い役立たずが」



 低く嫌悪感を含んだ声が、更にユイを恐怖が包み、体を強張らせていく。



「だが………」



 アーサーは観察するようにユイの姿を見ると、口角を上げ嫌な笑みを浮かべる。



「成長してずいぶんシェリナに似てきたな。

 ………どうだ、お前がどうしてもと頭を下げるなら屋敷に戻してやっても構わないぞ。

 オブラインの屋敷にはお前の兄も居る。

 どうせ今の家でも厄介者扱いされたから別々に暮らしているのだろう?

 シェリナも、最後は子供が心配と喚いていたが、結局自分が大事だったと言う事か」



 確かにユイは祖父母の家で暮らしているが、それはユイが望んだ事であり、シェリナもレイスもユイを除け者のように接した事は一度も無い。

 その蔑むよう言い方に、ユイの中に怯えとは別の強い感情が生まれた。



「………違います。

 ママはいつだって私の事を最優先に考えてくれてるし、パパは本当の父親のように愛情を沢山くれます。

 ………だから………だから、私はあなたの所に何て行きたくありません」



 それは消え入りそうな震えた声だったが、反抗的な態度を取ったのは恐らくこれが初めてかも知れない。

 言ったユイ自身が何より驚いていた。


 アーサーも、ユイが反論するとは思っていなかったのだろう。

 一瞬驚いた表情をした後、忌々しそうに顔を歪めた。



「姿だけでなく、反抗的な態度まで似てきたか。

 貴様は私の言う通り従っていればいい!」



 激昂するアーサーの声に、ユイはびくりと体を震わせる。



「また、躾をし直さなければならないな。もう二度と逆らう気など起こさないように。

 安心しろ、お前が出て行ったと同時に解雇した、あの治癒師を再び雇い入れてやる」



 治癒師。

 その言葉を聞いた瞬間、ユイに過去の情景が浮かび上がる。



 薄暗い部屋。

 全身に感じる痛みと息苦しさ。

 耳をつんざくような怒声と罵声。

 助けを求めて伸ばした手を、汚いものを見るような蔑んだ視線を投げかける男。



 すると、己の意志とは関係無しに体が震え始め、顔から血の気が失せていくのが分かる。

 そのユイの反応がアーサーの思う通りの反応だったのか、先程までの苛立った雰囲気が落ち着き、歪んだ笑みを浮かべる。



「お前は人形のように大人しく言われるままにしていれば良い」



 ユイに向かって伸ばされる手。

 避けようと思うのだが、足がそこに縫い止められたかのように、ぴくりとも動かず、ただだだ身をすくめる。


 その時…………。





「そこで何をしているのです」



 突然現れた第三者へ顔を向ける。

 その見知った顔に、ユイは知らず知らずの内に安堵を浮かべた。



「パパ………」



 レイスはユイを視界に捉えるが、その表情は硬いまま側に居るアーサーへ視線を移す。



「これはこれはオブライン伯爵。このような場所で何かご用でも?」



 言葉はとても穏やかだが、レイスのその瞳の奥には射殺せそうなほどの鋭い光が宿っていた。



「久しぶりに娘を見かけたので少し話をしていただけですよ、宰相閣下」



 そんなレイスにも怯む事なく相対するアーサーの、娘という言葉に、レイスは強い反抗心を抱き、一瞬眉をひそめる。



「そうでしたか。

 ですが、あなたのではなく今は私の娘です。そこを間違えないで頂きたい」



 私の娘の部分を強調する。



「さあユイ、此方へ来なさい」



 レイスの呼びかけに弾かれたようにレイスの元へ向かい、その腕にしがみつく。

 しかし、その間ユイは顔を俯けたままで、アーサーの顔を一切見る事は出来なかった。



「わざわざ荷物を持ってきてくれたのですね、ありがとうございます。

 あなたとシェリナに中々会えなくて寂しく仕方がありませんよ。

 ひと段落ついたら休暇を取ってシェリナと一緒に何処かへ出掛けましょうね。

 きっとシェリナも喜んでくれますよ」



 レイスがどこから話を聞いていたか分からないが、まるでユイが除け者にされているのだろうと言っていたアーサーに聞かせるかのように、仲の良さを主張するレイス。


 恐る恐るユイがアーサーを窺うと、殺意とも言える強い憎しみの込もった目をしていた。


 しかし、それが向けられているのはユイではなく……隣にいるレイス。

 その事に気付いているのか……いや、レイスが気付いていないはずはなく。

 それでもアーサーを無視して満面の笑みをユイへ向ける。



「私はこれで失礼します、閣下」


「ええ、また機会がありましたら、その時はゆっくりと」



 上辺だけのやり取りをして、アーサーの姿が居なくなると、漸くユイはしがみついていた手の力を緩める事が出来た。

 それと入れ違いにロイクが姿を現す。



「おい、今オブライン伯爵が………!」



 慌てて駆け付けたロイクを、レイスの射すような視線が迎え入れる。



「ロイク」



 ただ名前を呼んだだけたが、そこには明確な怒りが込められていた。

 何故ユイを一人で行動させたのかと。

 ロイクも自身の軽率な行動を後悔しているのか、素直に謝る。



「悪い、まさか伯爵が居るとは思わなかった」


「まあ、確かにその通りですね。

 仕官していない彼はこの階に用事は無いはずなのですが」



 王に仕える貴族として王宮ですべきことはあるだろうが、この廊下の先はレイスとレイスに従事している者の部屋だけで、アーサーの用があるような場所はないはずだった。


 その理由に気付いたのはユイだった。



「ママよ……」


「どういう事ですか、ユイ?」


「あの人私と会って最初に、お前が来たのかって言ってた。

 ロイクさんが本当はここに来るはずだったのはママだって………。

 きっとママに会いに来たんだと思う」



 あの男が今更何の用なのか………。

 レイスには大いに気になる事ではあるが、今はそれよりユイの顔色の悪さが気掛かりだった。



「今は先に私の部屋へ行きましょう」



 レイスは青ざめたユイを抱き上げ、部屋へと向かった。

 いつものユイなら抵抗の一つもしているところだが、今のユイにそんな気力はなく、大人しくされるままになっている。



 宰相の執務室は、この忙しさを反映するかのように、至る所に大量の書類が積み重なり、今にも雪崩が起きそうな惨状だった。


 部屋へ入ると、紙に埋もれながら書類を捌いていたリューイが顔を上げた途端、抱き上げられ顔色の悪いユイを見つけ、上手く書類の山を避けながら血相を変えて駆け寄ってくる。



「おかえりなさい。早かったわね………ユイちゃん!?どうしたの?」


「リューイ、取りあえず離れて下さい。

 隣の部屋で休ませますから」


「ええ」



 ユイを抱いたまま、執務室の奥の扉の先へ向かう。

 その続き部屋は、仕事の合間の休憩室でもあり、王宮に寝泊まりする時の仮眠室ともなっている部屋で、一通りの家具や調度品が揃っていた。


 レイスはソファーの上にユイを下ろすと、次にリューイが温かい飲み物を持ってきた。

 しかし、それに手を付ける事なく、何かを耐えるように手を膝の上で握りしめ、じっと動かない。


 表情の乏しく感情の分かりづらいユイだが、何処かおかしい常と違うユイに、リューイだけでなくレイスも掛ける言葉を躊躇っていた。


 そんなユイは、困惑する大人達の様子まで気が回せる余裕は無かった。




『貴様のせいで…………!!』


『何故だ、何故言う通りにならない………!』


『………おい、早く治せ』



 脳裏に浮かぶ、数々の過去の情景がユイを苦しめる。

 それに耐えきれず、ふいに吐き気が込み上げてくる。


 突然立ち上がり、口元を押さえるユイに、リューイが慌てて近付く。



「ユイちゃん!?」


「………すみません、お手洗いに………」


「気持ち悪いのね、こっちよ!」



 リューイに連れられトイレへと向かったユイは、心に溜まる暗いものを出すかのように全てを吐き出した。



「……うっ………っくぅ……」



 暫くすると、吐き気は治まったが、やはり胸の奥に溜まったものは無くなってはくれなかった。



「大丈夫ですか?」


「うん、もう治まったから大丈夫よパパ。

 ごめんなさい、心配かけちゃって」



 ユイはこれ以上心配をかけさせまいと無理矢理平気そうに振る舞う。

 しかし、その顔色の悪さが、大丈夫と言う言葉を裏切っていて、レイスは悲しそうな表情を浮かべる。


 リューイとロイクもおろおろと、どうすべきか対応に困っていると、隣の執務室の方から扉を叩く音が聞こえる。

 それも相当な力で、早く開けろと急かすように何度となく。



 この緊急事態に誰だと、ロイクは舌打ちをして突然の来訪者を追い返そうと扉を開けると、そこに居た人物に目を丸めた。



「フィリエル殿下……?」



 予想外の人物に、ユイの事も忘れ呆気に取られる。



「殿下が何故こちらに?」


「失礼する」


「へっ?……あっちょ、お待ち下さい、殿下!

 宰相はただ今取り込み中でして……っ」



 止めようとするロイクを気にも止めず、ずかずかと室内に乗り込んでゆく。


 ロイクの魔力ではフィリエルに触れない為、声を掛けるだけで、立ち塞がって止める事も出来ず、フィリエルは何の障害も無くユイ達の居る執務室の隣の部屋へと入った。



 フィリエルが乗り込むと、リューイは驚き、レイスは眉をしかめたが、フィリエルには青ざめたユイの姿しか目に入っていなかった。



「ユイ!」



 フィリエルはユイに近付き無事を確認した後、何故か満足そうにユイを誉めた。



「よく頑張ったな、ユイ」



 王家には影という一族が仕えている。

 彼等には一族だけに伝えられる特殊な魔法を持っており、それを使い、ユイとアーサーのやり取りはその場で見ていたかのようにフィリエルに伝わっていた。


 影の一族の事など知らないユイだが、フィリエルがアーサーに対して初めて反抗した事を知っての言葉だと分かり、堪えていたものが決壊する。



「エル……っ」



 飛び込むように勢い良く抱き付くユイを危なげなく受け止める。



「偉かったぞ」


「……っ、でも結局最後は、パパに助けて貰ったのに………」


「それでも、今まで出来なかった事が出来たんだから、大きな進歩だ」



 フィリエルの優しい声と温もりに包まれ、レイス達に心配を掛けまいと張っていた緊張が解けて、涙となって流れていく。



 レイスはフィリエルに抱き付き声を上げて泣くユイの姿を見た後、リューイとロイクに視線を向け、黙って部屋を出て行く。


 ユイを男と二人っきりにさせるレイスに、リューイとロイクは目を見張ったが、大人しくレイスの後に付いて部屋を出る。


 レイスが悔しげな表情をしていたから………。




 レイスがユイを迎えに行ったのは、王家に仕える影にユイが伯爵と会ってしまっていると知らされたからだ。

 そうなると影の一族を取り仕切っているテオドールの耳に入り、フィリエルに伝えられるかもしれない。

 ならば、心配してここに来るぐらいはするだろうと思っていたので、実際にフィリエルが部屋に飛び込んで来ても驚きはしなかった。


 ただ、予想外だったのは………、ユイは、レイスには大丈夫だと強がっていたのに、フィリエルの前では簡単に涙を流した。


 その姿を見れば、今のユイに取って一番頼れるのはレイスではなくフィリエルなのだという事が嫌でも分かる。


 だが、ユイを溺愛するレイスが悔しくないはずがない。


 けれど、そこはユイの為。

 今はフィリエルが側にいる方が適任だと思ったのだ。



 執務室に移ったレイスに、ロイクが驚きを顕わにしながら大きな声を響かせる。



「なあ、何あれ!殿下とユイって知り合い!?

 ってか、知り合い以上だよな、しかも普通に抱き合っちゃってるし、どういう事だよ」


「そんな事今はどうでも良いわよ!!」



 興奮するロイクを押し飛ばし、レイスに詰め寄る。



「確かユイちゃんって父親と折り合いが悪かったって言ってたわよね。

 でも、あのユイちゃんの様子、ただ仲が悪かったぐらいであんな風にはならないわ。

 いったいオブラインの家でどんな扱いをされてたの!?」


「…………」



 その問いにレイスは答えられなかった。

 ユイがオブラインの家で冷遇されていたのは、シェリナだけでなく双子からも話は聞いて大方知っているつもりでいた。


 レイスが聞いていたのは、父親に嫌われていて、顔を合わせると罵声やごくたまに叩かれたりしていた事。

 それも、シェリナや双子が直ぐに助けに入り、ほとんどが存在を無視されるように暮らしたと聞いた。


 だが、よくよく考えれば、それぐらいであのユイが、オブラインの家を出て何年も経っているというのに、今も表情が出づらいままでいるほど追い詰められるだろうか。


 そして、先程ユイを迎えに行った時の尋常ではない恐がり方。


 学校で虐めを受けても、教師からあらぬ疑いを掛けられても平然としているユイが、何年も会っていない父親を未だに怖がるものなのか。



「恐らく殿下なら知っているのでしょうね………」



 誰かに頼る事が苦手なユイが抵抗なく甘えられ、妹至上主義の双子からも、絶大な信頼を勝ち得ている人物。

 今は出てくるのを待つしか出来ない。



 ***




「大丈夫だ」



 不思議だ。

 フィリエルに一言そう言われると、あれほど感じていた恐怖心が凪いだ海のように穏やかになっていく。

 もう大丈夫だと心から安心出来る。


 本当に不思議でならない。


 けれど、それだけ自身が思っている以上にユイはフィリエルを信頼し頼っているのだろう。




 一通り泣いて落ち着くと、今度は気恥ずかしさが込み上げてくる。



「エル、もう大丈夫」



 こうして抱き締められるのも、勢いで抱き付いたが、一度冷静になると前までのように平静ではいられなくなっている。



「なんか最近エルの前で泣いてばかりな気がする」


「それだけ俺に気を許してるって事だな」



 照れ隠しで言ったつもりが、余計に増したのは気のせいではないはずだ。

 ユイがフィリエルの顔を見ないようにしている理由が分かっているのか、小さく笑った声が聞こえる。


 フィリエルはユイから離れおもむろに立ち上がる。



「エル?」


「泣きすぎて喉が渇いただろう。

 隣に行って飲み物を貰ってくるから、ユイも顔を洗って来ると良い」



 そう言われて、気付く。


 沢山泣いたのだ、恐らく今顔は大惨事になっている事だろう。

 女性としてそんな顔でフィリエルと話していた事が恥ずかしくてならない。



「早く言ってよ-!」



 叫びながら急いで洗面所へ向かうユイを、くすくすと笑いながら見送り、フィリエルは隣の執務室へ向かった。






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