箱入りお嬢様と忠犬
誘いに来る者達も漸く諦めた頃、二人の女子生徒が近付いてきた。
その二人を見た瞬間、ユイは誰にも分からないよう嫌そうに眉をしかめた。
「こんにちは、皆様方」
最初に話掛けてきた女子生徒は、綺麗な顔立ちをし清楚な雰囲気で、それなりの教育を受けてきただろうと思われる優雅な立ち居振る舞いで挨拶する。
「こんにちは、シャーロット嬢。今日も変わらず麗しいですね」
女性にすこぶる甘いライルがすかさず挨拶に応えたが、普段女性に対する時に比べるとどこか冷たい印象を受ける。
付き従うようにして一歩後ろにいた気の強そうな女子生徒はライルの軽い口調が気に食わないのか睨め付けてくる。
最初に話掛けてきたのはチェンバレイ侯爵の娘のシャーロット。
彼女と一緒にいるのは、昔からチェンバレイ家に仕えているエーメリー家の娘で、幼い頃からシャーロットに仕えているステラ。
二人共一年のAクラスでライル、イヴォ、クロイスとはクラスメートだ。
「相変わらずお上手ね」
微笑を浮かべ返すシャーロットはその時初めてライルの近くにいたユイに気付くと、僅かに驚きの表情を浮かべた。
「あら、もしかしてユイさんじゃありません?
お久しぶりです、お元気でしたか?」
「………お久しぶりです」
いつも通りの無表情で対応すると、それが気に食わないとステラが噛みつく。
「何よあなた、相変わらず愛想も可愛げも無いわね。
わざわざチェンバレイ侯爵のご息女たるお嬢様からお声を掛けて頂いたんだから、もう少し嬉しそうにしたらどうなの!」
シャーロットとステラは気付いていなかったが、無表情でも多少はユイの感情の機微が分かる程度には仲の良いフィニー達は、ユイの機嫌が最高潮に悪い事に気付いた。
これはまずいとライルが慌てて口を挟む。
「あーっと……それでシャーロット嬢は何かご用でも?」
ライルの言葉で、用事を思い出したのかユイからライルに注意が反れたので、ほっと安堵したが、未だユイの機嫌は悪いまま。
シャーロットに近付けるべきでないと判断したイヴォとクロイスが目配せし、静かにユイを後ろに下がらせる。
侯爵令嬢相手に無礼があってはいけないというのも理由の一つだが、ユイが一度キレると後が大変だからというのが一番だ。
「そうでした。よろしければ私達と組んで頂けないかと思ったのですが……」
「お誘い頂いて光栄ですが、ご覧の通り五人揃っていますので申し訳ありません」
「あらそう、残念ですね」
シャーロットは直ぐに引き下がろとしたのだが、ステラは信じられないというような顔でライルに怒鳴りつける。
「あなた本気で言ってるの!?
お嬢様からお誘いを受けて断るなんて、無礼にもほどがあるわ!
それも実力がある人ならいざ知らず、そんな無能の落ちこぼれを選ぶなんて正気の沙汰とは思えないわ」
ステラは良くも悪くもシャーロットに忠実で、どこか崇拝しているように感じる。
そのせいでよくこうしてシャーロットに関するちょっとした事にも過剰に反応し噛み付くのだ。
そしてそれがシャーロットの印象を悪くしている事にすら気付かない。
正直、側に仕える者としては失格と言えるだろう。
現に今も、女性には優しいはずのライルの目は見たこともないほど冷ややかにステラを写している。
「ステラ、お願いしたのはこちらの方なのですから、その言い方は失礼よ。
………ライルさん、ステラが申し訳ありません」
シャーロットはステラをたしなめると、ライル達に向かって謝罪をするが、それでもやはりライル達の見る目が厳しい事に変わりはない。
その事に二人が気付いているかは、はなはだ疑問だが、それを敢えて言う必要もないので表面上は取り繕う。
「構いませんよ、こちらこそ侯爵令嬢からの誘いを断るなど失礼を言ってしまいましたから。
しかし、侯爵令嬢と同じグループになるなど、爵位も持たない我々には分不相応ですので」
「そのように固くならないで下さい。学園の中では同じ学生なのですから」
「そう言って頂けて光栄です。
………それより、そろそろグループを決めに行かれた方がよろしいのでは?
まあ、あなたの実力ならば引く手あまたでしょうから大丈夫だとは思いますが」
「そうですね、それでは失礼いたします。
ステラ、行きましょう」
「はい、お嬢様」
にこやかに挨拶をし、不満げなステラを伴って去っていくシャーロット。
実力はあるだけに、直ぐに生徒に取り囲まれ苦もなくグループが決まったようだった。
二人が声が聞こえないほど離れたのを確認すると、五人は疲れきった深い深い溜め息を吐き出した。
「面倒くさー!」
ライルの心からの叫びにイヴォとクロイスも同意を示し、たった一人で対応していたライルにいたわりの視線を投げかける。
「いつもあんな感じなの?」
「まあ、だいたいな」
フィニーの問いにクロイスが苦い顔をして答えた。
「あのお嬢様はまだ良いんだが、側にいる忠犬が一々突っかかってくるからやりづらくて仕方がない。
侯爵の名を出されたら反論する事も出来ないしな」
「へぇ………それにしても女の子大好きのライルがあんな対応するの始めて見たね」
ライルは、女性であれば心から楽しんで女性に優しく接する。
けれど先程のライルは本当にただの社交辞令の、顔だけ笑っている口だけの会話だった。
いつものライルならば考えられない。
「流石の俺でもあれは無理。
だってさっきの聞いてて分かるでしょ、一々無礼だの侯爵令嬢だの横からうるさいから、まともな会話にならないんだよね。
初めて女の子と話して面倒くさいと思ったよ。
…………そんな事より、ユイちゃん機嫌直してよ、ねっ。ほら、飴あげるから」
ライルはポケットから、ユイのご機嫌取りの為に用意していた、可愛く個包装された飴を取り出しユイに渡す。
ユイはそれを無言で受け取り口に放り込む。
いつもは甘い物を食べれば機嫌が直るユイだが、今回は一向に機嫌が直らない。
「あの二人と知り合いみたいだったが、何か有ったのか?」
「でもどこで知り合うの、ユイちゃんとはクラスも中等の学校も違うのにさ」
「……中等学校は違うけど初等学校は一緒だったの。
両親が離婚するまでは私も貴族やお金持ちの子が通う学校に行ってたから」
まだオブライン家で暮らしていた頃は、一般の学校ではなく貴族が集まる学校に通っていたユイ。
当然侯爵令嬢であるシャーロットと、彼女に仕えるステラもその学校に通っていた。
年齢が同じな為、毎年有ったクラス替えで、クラスが一緒になる事もしばしばあったのだ。
ユイにとって初等学校時代の事は、嫌な思い出が沢山詰まった思い出したくもない記憶だった。
今も当時の事を考えるだけで、ムカムカと苛立ちが湧いてくる。
その原因となった人物がシャーロットとステラ。
彼女達のせいでユイが大変な目に合ったのは一度や二度ではなかった。
「えっと………何かあったの?」
自然と険しい顔になっていたユイに、おそるおそるライルが問い掛ける。
相手が侯爵令嬢という身分故、下手に文句を口にし本人に告げ口されるとまずいと、今まで誰かに話した事は無かったが、ライル達ならば問題無いだろうと、今まで話したくても話せなかった不満を漸く発散出来ると口を開こうとした。
しかし、ユイが話し始める前に、何故かフィニーが先に口を開いた。
「なんでも、ユイがいじめにあった時に正義感振りかざして教師に告げ口したらいじめが悪化して、仕方なくユイが撃退したのに、何も知らない彼女は、いじめが無くなったのはさも自分のおかげのように言ったんだって。
その後も見当違いな善意の押し売りされて、迷惑被ってたみたいだよ」
「うわー」
「なんだそれ」
「ユイが機嫌が悪い理由がよく分かった」
フィニーの略しに略した話を聞き終わると、皆可哀想なものを見るような憐れんだ目をユイに向けた。
それはまだ貴族の初等学校に通っていた時、周りの生徒達はリーフェであるユイを蔑んでいた。
国に仕える貴族に産まれる者は、強い魔力を持つ者がほとんどだ。
強いから爵位を持ち得たのか、魔力の強い者同士で政略結婚を繰り返した結果強い子供が産まれるようになったのかは定かでないが、爵位が上になるほど魔力が強いと言われる。
それが常識と子供の内から定まっている中、伯爵の家に生まれながらリーフェであるユイは受け入れられない外れた者だったのだろう。
ユイが気付いた時には無視や陰口と言ったいじめは日常のようになっていた。
まだ初等学校に通う子供。
普通親に泣きついたり学校に通わなくなったり悲しみに明け暮れそうなところだが、強がりでもなんでもなくユイは全く何とも思っていなかった。
無視と陰口だけだったというのもある。
無視をされていても、休み時間は常に読書をしていたユイは、ゆっくり本が読めて、わざわざ貴族の腹のさぐり合いのような人付き合いに気を使う必要はないと、むしろその状況を喜んで受け入れていた。
そして本に集中していれば周りの声は全然入ってこないので、陰口もユイの前では意味をなさなかった。
いじめを受けているという認識はあったが、この頃は快適に学校生活を送っていたのだ。
しかし、傍目にそんな状況を見ていたシャーロットは、いじめは駄目だと生徒達に抗議。
最初は侯爵令嬢の言葉に従っていた生徒達だが、それは表面上の事で、シャーロットとが居ない時には相変わらずだと知ると、ユイの元に来て一緒に先生に相談しに行こうと言い出したのだ。
普通に考えれば正義感溢れる行動だが、はっきり言ってこの状況を喜んでいるユイに取ってはとてつもなく大きなお世話だった。
ユイは当然拒否し、いかに自分が望んだ状況か、どれだけ快適に過ごしているか、そして教師に言えばいじめが酷くなるかもしれないからと訴えた。
のんびりした日常生活が壊されるかもしれないのだからユイも必死だ。
しかし、シャーロットはユイの話を理解しようとせず、ユイの静止を無視して教師に告発。
案の定、ユイが告げ口したといじめが悪化。
被害のない無視や陰口だったものが、物が紛失したり、攻撃を受けるようになったりと実害が表れ始めた。
それからはゆっくりと本を読む暇がなくなってしまい、大事な本が何者かによって隠されたのをきっかけに、ユイは仕方なくいじめっ子を片っ端から片付ける事にした。
そう、最初からユイにはいじめを止めようと思えば止められたのだ。
ただ面倒くさいからと、そんな時間があるなら読書に使いたいと、放置していただけの事で。
それだというのにシャーロットが介入したおかげで、読書の時間を潰しわざわざ動かざるを得なくなった。
けれど、それぐらいならば許容範囲内だ。
シャーロットもユイを助けようとしてくれただけの事だと、ユイは良い方に考えようとした、例えシャーロットの行動によっていじめが悪化した事実があったとしても。
問題はその後。
シャーロットは自分の言動がいじめの悪化に繋がったなど一切気付かず、ユイがいじめっ子をシメた事でいじめが無くなったのを自分が積極的に動いたおかげだと勘違い。
誉めてと言わんばかりに満足な顔で「何かあったらまた私に相談してね」と言われた時には、ユイは初めて言葉も出せず呆然とするという体験をした。
その上、呆然として言葉も出ないユイに、助けて頂いてお礼は無いのかと散々ステラに怒鳴り散らされるというオマケ付き。
むしろいじめを悪化させたのだから謝ってほしいのはユイの方であるのだが、シャーロットの事に関すると特に盲目になるステラは、まるでユイが悪者のように責め続けた。
そしてその後も似たような事が何度もあった。
シャーロット自身は良い事をしたと思っているだろうが、それは大概自己を満足させる為の独り善がりな正義感で、そこにユイの意志はなく、逆に事態が悪化するという迷惑を被っていた。
一度や二度の事ならばいいが、何度ともなると流石にあまり怒らないユイにも限度というものがある。
その度に見当違いな言いがかりをステラから付けられれば尚の事。
シャーロットは性格も人当たりも良く周囲からそれなりに好かれるが、一部から極端に嫌われている。
それはユイのように偽善を押し付けられた者達だが、本人は全く気付いていないのだからどうしようもない。
自分の常識の中でしか物事を考えられず、人には人の常識がある事が分からない………いや、分かろうとしない。
良くも悪くも箱入りのお嬢様。それがシャーロットへのユイの評価だ。
ただ、常に自分を正しいと過剰に持ち上げるステラが側にいればそうなってしまうのも仕方がないのかとも思う。
…………と、そこまでは良い、そこまでは。
彼女はAクラスで今回のような不測の事態でもない限り会う事はないのだから。
ただ、大きな問題が一つある。
いや、今発覚した。
「………ねえ、フィニー?
いいかげん私達よく話し合った方が良いと思わない?」
「えっやだなぁ、改まって。もしかして愛の告白?
残念だけどユイとは良い友達でいたいんだけどなあ」
「そうね、私もフィニーとはずっと友達でいたいんだけどね………」
「じゃあ僕達相思相愛だね、あははは。
………あれ、どうしたのそんな怖い顔して、可愛い顔が台無し……」
ユイはフィニーが言葉を言い終わる前に襟元を掴み、目をつり上げた怖い顔で、怒りを押し殺したような低い声を出しながら詰め寄る。
「ねえ、フィニー。どうして私の初等学校時代の話を知ってるの?
その時の事は兄様達にも話していないのに、どこから私の情報仕入れてきたのよ!?
吐け!吐きなさい!」
前から疑問に思う事は多々あった。
例えば以前に上級生に呼び出された事を知っていたりとかその後のユイの行動など。その時もフィニーはいなかったはずだ。
今までは敢えて追求はしなかったが、中等学校で知り合ったフィニーが知り得ない情報を、まるで見ていたように詳しく知っているとあっては放置出来ない。
一体どうやって情報を手に入れているのか今日こそ吐かせてやる!と、ユイは渾身の力を込めてフィニーの体を揺さぶる。
「そんなあっさり情報源を話すわけ無いじゃないか」
フィニーはそう言いながら満面の笑顔を浮かべるだけで何も話そうとしない。




