恐怖の要塞
バーハルの街は王都から北に位置する場所にあり、王都と比べ夏でも涼しく、避暑地として人気の観光地だ。
他にも酪農が盛んな為自然豊かで、牛や鳥から取れるミルクや卵が新鮮な状態で沢山手に入るという事で、バーハルの街には多くの菓子店が軒を連ねる激戦区ともなっている。
同様の店が多い分、どの店も生き残る為に味や見た目を工夫し、王都では見る事のない変わった見た目のお菓子などお菓子の種類は数え切れぬほどで、観光目的ではなく菓子店を回る為だけに遠くから来る者も少なくない。
ユイにとってまさに夢の国だ。
駅に着くと、合宿が行われる場所まで行く馬車が用意されていた。
馬車と言われ、形も同じだが、実際馬の姿はない。
昔は馬が引いていたのだが、近年では魔具の開発により、馬に代わり御者が魔力によって動かせるものに変わってきたのだ。
多少値段はするが、馬よりも早く重い物を運べ、馬が疲れる事も怪我の心配もなく、少量の魔力で動き長時間の連続使用も可能である事から急速に普及している。
しかし、全ての馬車が魔力で動く訳ではない。買うほどの金の余裕はない、魔力が少ないなどの理由で、半数は未だ馬によって引かれている。
その馬車に乗り込む為、集合の号令が掛かったが、ユイは聞こえていないのか、並ぶお菓子の店に目が釘付け。
今にも駆け出して行きそうなユイの腕をイヴォが掴む。
しかし、捕まれたのはユイだけではなく、クロイスもまたライルに捕獲されていた。
甘い物が嫌いそうな見た目に反して、ユイと同じで無類の甘いもの好きのクロイス。
「何をする!離せライル」
「離してー」
「はいはい、また後でね」
子供のように駄々を捏ねるユイとクロイスを引きずり、問答無用で馬車に放り込む。
「ああぁぁ、こんなに目の前にあるのにぃぃ」
「諦めろ」
馬車が発車し、名残惜しそうに通り過ぎていく店をクロイスと共に眺めるしかなかった。
***
王都まで乗り換える事無く一本で結ばれているバーハルの駅。
その駅のある街の中心部は、人も建物も多く活気に満ちていたが、街の中心部を抜けしばらく移動すると、建物も人も疎らとなり人よりも動物の声、人工の建物よりも自然が作った緑豊かでのどかな風景が広がっている。
駅を出た時の賑やかな街並みは跡形も無くなくなり、せめて一つぐらい欲しかったとふてくされていたユイも、否が応でも諦める他なかった。
ユイは自分の鞄を開け、そこから一冊の本を出すとおもむろに読み始める。
移動中の馬車の中でする事もなく暇を持て余していたライルは、興味を引かれユイの持っている本を覗き込んだ。
「ユイちゃん何読んでるのー?
なになに…………これを見れば誰にも負けない!一度は食べてみるべし……バーハルの人気お菓子完全制覇攻略本…………」
「なんだ、そのふざけた題名の本は」
「負けないって………誰と競うつもりなんだろね」
ライルが告げた題名に全員微妙な顔になる。
しかし、ただ一人クロイスだけは激しく興味を引かれたようだ。
「ユイ俺にも見せろ」
「私が見終わったらね」
「ちっ…………仕方ない、早く読め」
舌打ちしながらも、ユイが読み終わるのを今か今かとじっと待つクロイス。
しかし待ちきれずに横から覗き見て、これがいいあれがいいとユイと一緒にお菓子談義に花を咲かせる。
「お前達は何しに来てるんだ」
イヴォの問いに、さも当然と言うように「バーハルのお菓子を食べに」とユイとクロイスの声がはもる。
その答えにとうとうイヴォが怒りを露わにした。
「違う!!合宿の為にだろうが!」
イヴォの言葉は至極真っ当な答えで、この合宿に将来を賭けている者もいる他の生徒達も、二人の答えを聞けばイヴォのように激怒するのは確実だろう。
しかし、ユイとクロイスは不満げだ。
駅でお店に入れなかった不満も相まって機嫌の悪さも頂点に達する。
「私は元々合宿じゃなくてバーハルのお菓子が目的だもん。
それに合宿は来年もあるから良いじゃない!」
「そうだ、来年の合宿は別の場所になるから今しか機会はないんだぞ!」
思わぬユイとクロイスの勢いある反撃に圧倒され、正しい事を言ったはずのイヴォは後ろに仰け反ってしまう。
その横では「二人の食べ物への執念は凄いよね」とライルがしみじみと呟いていた。
「はいはい、三人ともそこまでだよ。目的地に着いたみたいだから」
フィニーの言葉に文句を言っていたユイとクロイスは動きを止め、全員が外に目を向ける。
何台もの馬車が連なる道の先には、目的地となる合宿が行われる建物が見えていた。
それは木々に囲まれた森の中にぽつりと佇む要塞のような建物。
周囲には他に建物も人の姿もなく、まるで牢獄を思わせるような不気味な雰囲気を醸し出している。
気のせいかもしれないが、あの辺りだけ薄暗く澱んだ空気を感じる。
「…………もしかして、あれが目的地……?」
「あそこに二週間も暮らすの?」
「そうみたいだね」
「………………」
何とも言えぬ空気が漂った。
これはあまりにも予想を大きく外れていた。
高級宿といかないまでも、一般的な宿を想像していた一同の期待は裏切られ、合宿に参加した事を激しく後悔した。
「嫌だー!!!帰してー!」
「私も帰る」
最初にライルが発狂、続いてユイも馬車から降りようと暴れ出す。
「こら落ち着け!暴れるな!!」
「これが落ち着けるか!絶対出る!呪われるー!」
「あんなところで寝るなんて無理ー!!!帰るー!」
「おい!クロも押さえるの手伝え!」
「……………無理みたいだよ」
フィニーの言葉にイヴォがクロイスに視線を向けてみれば、ユイ達以上に恐怖に陥っていたようで、頭を抱えぶるぶると震えていた。
馬車の中は恐慌状態に陥っていたが、それはユイ達の馬車だけではなく、目的地に向かっている他の生徒が乗っている数台の馬車でも同じような騒ぎが繰り広げられ至る所から叫び声が聞こえていた。
そのほとんどは一年生や初めて合宿に参加した上級生が乗った馬車で、それ以外の何度か参加した経験のある生徒達は「またか……」と、まるで本当の囚人のように諦めの表情で静かに落ち込んでいた。
***
建物を囲む高い壁を抜け敷地内に入った時には暴れ過ぎで、ユイ達はぐったりとしていた。
他にも同様の生徒が何人も馬車から下りてくる。
改めて間近で建物を見上げて見ると、さらに不気味さが増したように感じる。
ここで二週間も過ごす事を考えて憂鬱になる。
正直、ここで夜一人で眠れる気がしない、誰かと同室でありますようにとユイは必死で祈った。
列車では広々と快適に過ごしていた分誰より反動が大きかった。
「よし、全員馬車から下りたな。では広間に向かうので全員遅れないように付いてきなさい」
学園からは数人の教師が同行しており、ラストール学園を取りまとめているのは生徒指導も務める悪人面のバーグ。
先頭を歩くバーグに付いてぞろぞろと生徒達が移動を始める。
大きな扉を開け中に入っていくと、これまた雰囲気ありすぎの薄暗い廊下が続いている。
今すぐ何かが出てきても可笑しくなく、怯えながら無意味に辺りを見回しているのは一人や二人ではない。
ユイは同じように怯えているライルの腕にしがみつき、お互い恐怖に耐えながら進む。
この状況でも、フィニーは人の良さそうなにこやかな笑みを浮かべ、イヴォも怯えた様子もなく普通にしている。
クロイスは………恐怖と戦っていた。
そして漸く着いた広間に足を踏み入れた瞬間、ユイ達は恐怖など忘れ呆気に取られた。
「あれっ……普通だね」
「うん、普通」
今までのおどろおどろしい暗い廊下とは打って変わって、明るく綺麗で拍子抜けするほど普通の広間が広がっていた。
「もう他の学園の生徒は来ているみたいだね」
「ほんとだ」
数百人は余裕で入りそうな広間を見渡せば他校の生徒が揃っていた。
どこの学園かは制服を見れば直ぐに分かる。
東のダイン魔法学園は上下黒に赤いラインが入り、西のセレスト魔法学園は上は灰色で下は灰色と白のチェック。
ちなみにラストール学園は上下白の制服だ。
「ラストールの生徒は直ぐに並びなさい」
教師に言われるままに整列すると、それぞれの学園の代表教師が前に並び、最初は凶悪犯顔負けの迫力と顔を持つバーグが話始める。
ラストールの生徒は免疫があるが、そうでない他校の生徒は直視出来ず目を逸らす者がちらほら見受けられた。
「ラストール学園のバーグだ。
まず、ほとんどの者が気になっていると思うこの施設について話す」
バーハルの街の近くまでは聞かされていたが、例年どういう場所かまでは聞かされない為、生徒達は真剣に耳を傾ける。
聞きながら生徒達が思っていたのは、事件だとか惨劇だとかの曰く付きの場所では有りませんように!だった。
「この施設は本来軍の地方訓練で使われる場所で、特別な許可を得て借り受けている。
まあ、なんだ………少々見た目はあれだが、訓練施設としては最高の設備を備えているので、学生の身分でお借りできたのは光栄な事だ」
なんでも、この施設を作る時、ただの訓練所では面白くないと言った者がおり、周りも止めるどころかノリノリで設計に当たった結果、このような惨劇の舞台になりそうな建物が出来たらしい。
恐怖との戦いが精神的に強くなると、新人研修でよく使われるようになったとか。
「各自の部屋は普通なので安心しなさい」
その言葉で、安堵の溜め息が至る所から聞こえる。
次に、若そうな見た目とは違い落ち着きがあり、バーグとはまた違った威圧感のあるダインの男性教師が話始める。
「この施設の周囲は魔の森となっているので、決して許可なく外には出ないように。
何かあっても責任は取れないぞ」
魔の森は魔獣が大きく住む森の総称で、一般人はよっぽどの事がなければ近付かない危険な場所だ。
魔獣には二種類あり、その内の一つが、犬や牛だったり、森に住む鳥や猪だったり、元々普通のはずの動物が突然変異により魔力を持ち、変化した生き物だ。
変化した動物は凶暴性を増し体格も大きく変化し、魔法の特性を持っていたりと普通の動物とは明らかに違う生き物となってしまう。
突然変異の原因や何故魔の森に多く生息するかは、世界中の多くの国や研究者が調査したが未だ分かっていない。
もう一種類は先天的に魔力を持った獣の形をした生き物や種族。
先天的な魔獣は、本能のままに動く凶暴な突然変異の魔獣と違い、性格が穏やかだったり、知能が高かったり、その姿形も獣のようなものだけでなく様々なものがいる。
要塞の周囲の薄暗く澱んだ空気は気のせいでもなんでもなく、魔獣が要塞の中に入ってこない為の結界との事だ。
しかし、何故あのような結界にしたかは謎で、おそらくより雰囲気を出すためではないかと思われる。
その後も幾つかの注意事項を簡単に聞かされた後、紙を数枚渡され、詳しい事は紙に書かれた事を読んでおくように言われ、最後にセレストの女性の教師の話となった。
「次は各学年ごとに集まり、五人前後のグループを作って下さい。
同じ学年であれば他学園の生徒と組んでも構いません。
そのグループとは合宿期間中ずっと行動を共にしますのでよく考えて決めるように」
その言葉と共に続々と生徒達が移動を開始した。
その移動途中からすでに戦いは始まっているようで、周囲では実力のある生徒の争奪戦が繰り広げられていた。
なにせこの合宿は軍、ギルド、教会などのお偉方が見に来る、将来の就職も掛かった大切なものだ。
どの生徒も目に止まろうと必死、より能力の高い生徒と一緒に行動し、合宿で優位な行動を進めたいと思うのは仕方がない事である。
そんな目の色を変え、将来の為に必死で行動する生徒達を横目に、ユイ達はかなり緩い。
「俺達ちょうど五人だしこれで良いよね?」
「うん」
「良いんじゃない?」
「ああ」
「別に構わん」
ライル、イヴォ、クロイスは大会上位者で誰もが認める実力者な為、次から次へと誘いの声が掛けられるが躊躇無く断っていく。
断られた生徒達は必ず、一緒にいるユイに気付くと睨め付けて去っていく。
リーフェが合宿に参加している事、ライル達と一緒に居る事が気に食わないのだろう。
ユイはいつもの事なので全く気にしていなかったが、睨め付けられる度にユイではなくライル達の機嫌が悪くなっていく。
特にイヴォが顕著で、来る生徒を逆に睨みつけ追い返している。
「くそっ、むかつく」
「シメるか」
「賛成!フィニー君、今の奴らの恥ずかしい情報ないの!?」
「あるよ、どれがいい?」
そう言いながら内ポケットから謎の手帳を取り出したフィニーに、「本当にあった……」と冗談半分で言ったライルは顔を引きつらせた。
しかし、イヴォとクロイスはやる気満々で手帳の中身を頭の中に記憶していく。
「別にそこまで怒るほどの事じゃないのに」
「お前がそんなだから舐められるんだぞ!」
「そうだよ!本当はユイちゃん俺達の中で一番強いっていうのに、あいつら弱いと決め付けて。
悔しくないのユイちゃん!」
「全然」
あっさりと即答するユイに怒りに燃えていたイヴォとライルはがっくりとうなだれた。
小さい頃から言われ過ぎて、今更怒る気もしないのだ。
普通小さい頃からこれだけ周りに落ちこぼれと言われ続ければ、劣等感の塊になりそうなものだが、リーフェなどというものが障害にならないほどユイは頭も良く才能がある。
なにより努力で得た豊富な知識と魔法の能力がユイに確固たる自信を与えていたので、周りに何を言われようと傷付かない。ただ少々うっとうしいと思うだけだ。




