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プロローグ

「降参する」




 その直後、対戦相手の不戦敗とユイの勝利を審判が高らかに告げると同時に大きな歓声が上がった。



 しかし、歓声の中には「卑怯者」や「八百長だぁ」といった批判的な怒声が数多くある異様なものだった。



 何故なら、これによりユイの準決勝進出が決まったのだが、この対戦を含め相手の体調不良や行方不明による不戦敗や開始直後の降参により一度たりとも戦っていなかったからだ。


 その事に不満を持つ、この大会に出る事すら叶わなかった学生達からの声だった。

 それは試合場から下がり、選手の控え室のある裏に行ってからも続いた。



 会場裏ではユイ同様にこの大会に出場している学生と関係者が沢山いた。

 準決勝に進出する四人の内、ユイを含め三人決まって、最後の準々決勝の戦いは直に始まる。

 試合の準備もせずここにいる学生は、既に負けが決まった者達だ。




 そんな者達が集まる会場裏の至る所から向けられる疑惑の視線、視線、視線………。


 そんな針のむしろ状態の中を歩きながらユイは深い溜め息を吐いた。



「(鬱陶しい……文句なら戦わず降参する相手に言えばいいのに)」



 試合を放棄したのは向こうだというのに何故自分の方が疑われるのだと、どこか理不尽さを感じながら歩いていると、視界にルエルを見つけた。


 ルエルもユイに気付き、近付いてくる。



「お疲れ様」


「ルエルちゃん、私全然戦ってないんだけど………」


「そういう意味じゃなくて……」



 そう言いながら視線を周りの学生達に向ける。

 それで、ユイは意味を理解した。

 この針のむしろの中お疲れ様という意味か。



「全くだよ、私は何もしてないのに、そのせいで疑われて、呼び出されたんだよ!」


「はいはい、むかつくのは分かったから落ち着いて。

 一応ユイの疑いは晴れて、腰抜け共はしっかり上の人から注意を受けたみたいよ。

 まあ、未だにほとんどが疑いの目で見てるけどね……」


「………やっぱり出るんじゃなかった。

 イヴォとクロがどうしてもって言うから出たのに、もう帰りたい………」



 元々、ユイは他の参加者と違って、この大会に全くと言っていいほどやる気も意気込みもなかった。

 周りから言われ仕方なく参加するはめになったのに、始まってみればこの惨状。



 このまま放っておいたら帰りそうなほど不満一杯の顔をしているユイにルエルは苦笑する。



「そんな事言ったらイヴォが喚き散らすわよ。

 第一、ライルにお菓子で釣られて参加したのはユイでしょ。

 言いたい奴には言わしとけば良いのよ。どうせ、次の試合でイヴォと戦ったら嫌でも納得するんだから」




 このうっとおしい視線を我慢してイヴォと戦うか、このまま帰ってイヴォに怒られるか………。



 究極の選択に頭を悩ませるが、喚き散らすイヴォはとにかく五月蝿い。

 その被害を受けたくないユイは前者を選択した。 



「ううぅぅ、分かった。

 ………じゃあルエルちゃん、私ちょっとその辺彷徨いてくる」


「次イヴォの準々決勝よ、見に行かないの?」


「見なくてもイヴォが負けるわけないから、準決勝までどこかに避難しときたい」



 ユイは取りあえず、この視線を向けられない場所で落ち着きたかった。



「まあ、無理もないわね。

 準決勝は13時からだから、忘れちゃだめよ」


「小さな子供じゃないんだから大丈夫だよ」




 ルエルと別れたユイは人気のない場所を探して会場内を歩き回っていた。



 漸く見つけた人気のない通路で壁により掛かり一息付いていると、ユイの前方から男性が一人歩いてきた。



 男性はユイを通り過ぎていくかと思いきや、ユイの前で立ち止まった。

 不審に思い、俯けていた顔を上げ男性の顔を確認した瞬間、ユイは凍りついた。




「久しいな」



 まるで見下すような低く高圧的な声がユイに届く。



「私の顔に泥を塗った落ちこぼれのくせに随分と大会の上位まで残ったものだな」



 何か言葉を発しなければと頭では思うのだが、喉の奥でつっかえて上手く声を出せない。



「返事すら出来ないのか、役立たずが。

 ……まあいい、どうやったかは知らんが、この大会の上位に残るのは名誉ある事だ。

 使い道がないと思えば、多少は使えるようだ。

 いいか、どんな手段を取っても優勝しろ、そうすれば元の場所に戻してやろう」



 男性が吐き出す数々の侮蔑を含んだ言葉にも、ユイは恐怖に体を硬直させたまま、静かに聞いていた。



 男性が去った後もユイは暫くは動く事が出来ず、漸く体が動くようになると、今度はユイの意志とは関係なく体が震え始めその場にしゃがみ込む。



 何故今更、前に表れたのか。

 あの人は自分に何と言っていた……?



 震える体を抑えながら何度も言葉を反芻する。

 そして男性の言葉の意味を理解すると、ユイに「冗談じゃない、絶対に嫌だ」と激しく思った。


 ユイはすぐに立ち上がり、会場から離れた。





 ***




「ねえ、ユイいた!?」


「いや、どこにもいない」


「早く探さないと、もう試合始まるわよ!」


「ユイちゃーん、お菓子あげるから出ておいでぇぇ」




 そうしてルエル達がユイを探している時、ユイは会場近くのカフェに来ていた。


 会場から近く、観客が寄っていくためかカフェは人が多く、店員がせわしなく動き回っている。



 ユイはメニューを広げ、手早く決めると、近くの店員を呼び止める。



「すみません、このメープルイチゴパンケーキと季節のタルトとチョコケーキ。

 後はレモンティーをお願いします」


「かしこまりましたぁ!」



 ユイの沈んだ心と相反し、元気よく返事をして去っていく店員。



 しばらくして注文した商品がテーブルに並べられる。

 そして一口、ケーキを口に入れると、店の壁に掛かっている時計を確認した。


 今の時刻は、既に試合の時間を大きく過ぎている。

 もうユイが不戦敗になったのは確実だろう。


 これであの男の思惑通りにはならなくなった。



「きっと今頃イヴォは怒ってるだろうな」



 ユイは準決勝で戦う事が決まっていた友人を思い浮かべる。


 誰よりも準決勝で戦う事が決まった事を喜んでいた友人。

 ユイに不戦勝で勝ち決勝進出が決まったとしても、喜ぶどころかむしろ戦わず姿を消したユイに今頃怒り狂っているはずだ。



 戻ったら恐らく全員からお説教だろう。

 いったい何と言い訳しようか。


 本当の事は言えない……言いたくない。



「ごめんね、イヴォ。弱くて、逃げ出して……ごめん」



 ………そう、逃げたのだ。


 選択肢は他にもあった。

 立ち向かう方法だってあった。


 けれどその選択肢を取らず、ユイは関わりたくない全てのものから目を閉じ耳を塞ぎ、そこから逃げ出したのだ。






「いったい、いつまで私は…………。


 エル………会いたいよ」




 ユイの震える呟きは、店の喧騒の中、誰にも聞かれる事無く消えた。











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