想いの行方
翌日、ユイが王宮を去る日を迎え、挨拶の為にレイスと共に王の元を訪れていた。
「此度の事は本当に感謝してもしきれない。
まさか息子をこの腕に抱けるとは思いもしなかった、心から礼を言う」
「もったいなきお言葉です」
「そこで何か褒美を与えたいと思う、何か欲しい物はないか?
何でも構わない、私に出来うる限りの物を用意しよう」
ベルナルトの言葉にユイは驚いた。
なにせ相手は軍事力も財力も周辺諸国で飛び抜けた国力を持つ、大国ガーラントの最高権力者。よほどの物でない限り用意出来る力がある。
手に余るほどの大きな宝石も、一生遊んで暮らせるだけの金品を要求したとしても簡単に受け入れられるだろう。
破格の褒美と言えるが、ベルナルトに取って、18年間諦めていた事が現実となった昨日という日は、それだけの価値のある一日だった。
ユイは少し考えた末、ある事を要求した。
「では一つ欲しい物というか、お願いがございます」
「言ってみよ」
「今回の件を内密にしていただきたいのです」
「公表するなと言うのか?」
「はい、今回アレクシス殿下に使った魔力を抑えた魔法及び、陛下と王妃様に使った魔法を私が作ったと表に出ないようにして頂きたいのです」
ユイが示した要求は、宝石や金品の類を要求してくるだろうと予想していたベルナルトは呆気にとられた。
「本当にそれで良いのか?
私は何でも良いと言ったのだ。望めば有り余る金や宝石やドレスを手に入れ、王宮に取り立てる事も出来るのだぞ。
それに、お前が作り出した魔法は今まで国の研究者達が何年も研究しても成果を上げる事が出来なかったものだ。
公表すれば世間から一目置かれ、学園卒業後も引く手あまたとなり将来安泰を約束されたようなもの。
それを無かった事にすると言うのか?」
表情には出さないが信じられないという思いが表れているベルナルトが、普通の者なら目の色を変えて望む物を目の前でちらつかせるもユイの意志は揺るがなかった。
「フィリエル殿下に触れる魔法は元々扉の構築式を参考にさせていただいて作ったもので、完全に私のものとは言えません。
扉がなければこの魔法はこんなに早くできなかったでしょう。それで周りから良い評価を受けるのは私自身が許せませんので」
「あくまで参考にしただけで、扉の魔法とは全く別の魔法だろう。
だからこの魔法の権利は作ったお前自身のものだし、どの研究者でも出来なかったその先に進ませた功績は大きい、十分評価されるべき結果だ」
「そうかもしれません。
ですが、私がこの魔法を作ったのはフィリエル殿下の為になればという思いだけで本を読み考えて作ったものです。
褒美や功績が欲しかったからではありません。
この魔法で僅かでも彼の心を軽くする事が出来たのなら、それで私の本来の目的は果たせましたから。
それに私はあまり騒がれるのは好きではありませんので」
フィリエルの為というのは父親として嬉しい事だが、金にも地位にも名誉にも興味を見せないユイの態度に、このままでは優秀な人材が日の目を見ることなくその他大勢の中に埋もれてしまうのではとベルナルトは危惧した。
「いや、しかしだな………」
「陛下」
ユイの才能は埋もれさせておくべきものではない。
そう思うベルナルトは納得が出来ず、考え直させようとするがレイスが言葉を遮る。
「陛下は何でも良いと仰ったではありませんか。
今回の件は近しい者達の間だけ。決してユイが作ったと周囲の者に漏れないようにする事。
それがユイの願いなのですから聞いて頂きますよ、よろしいですね」
「う…うむ、分かった」
何でもと言ってしまった手前、レイスの言葉を拒否する事も出来ず、惜しいと思いながらもその願いを受け入れるしかなかった。
「どうやら王太子殿下の体調を治した時に、殿下から青の部隊長と筆頭医師の二人にも話が漏れてしまっているようですので二人への口止めもきちんと行って下さい」
レイスから知らされた二人にベルナルトは嫌そうに顔をしかめた。
ベルナルトが知る人物の中でも二人は知識欲が強くあまり融通が利かない、話すな知ろうとするなと言ったところで簡単に納得しない事が予想されたからだ。
「よりによってあの二人か………分かった、口止めしておく。
今回の件は決して口外しないと王の名に誓おう」
「ありがとうございます」
次にベルナルトは少し言いづらそうに続けた。
「……ただ一つ、フィリエルに触れる事が出来た魔法だが、その構築式を研究の為教えてはもらえないだろうか。
勿論誰が作ったかは口外しないし、その報酬は払う。権利もきちんと守る事を約束する」
「はい、構いません」
ユイの魔法は扉の構築式を元に作った魔法だが、中身はユイの今までの研究によるものが大きく、ユイが作った構築式は扉の構築式とは全く別の新しいものとなっており、その権利は作ったユイが持つ。
魔法の元となる構築式は研究者にとって最も重要な研究の成果であり作った本人に権利がある。
本来ならば、だれでも真似出来るような簡単な構築式と違い、ユイの作った構築式はベルナルトが先ほど言ったように高く評価されるもので、それほどのものなら研究成果が奪われる事に繋がる恐れがあり、あまり他者に見せる事はない。
しかし、提示する事で国の研究者達がより効果の高いものにしてくれるならフィリエルの為にもなると思い、ユイは躊躇い無く情報を提供する事を決めた。
「本当か!?良かった、感謝する。
これでフィリエルの魔力をどうにかする研究が進むかもしれないな」
ベルナルトも同様の考えのようで嬉しそうに表情を緩めた。
「私も、魔法の効果が持続時間が伸びるように今後も研究を続けていきます」
「ああ、本当に何から何まですまない。
よろしく頼む」
***
「私はまだ少し仕事が残っているのでユイは部屋で待っていて下さい。
直ぐに終わらせて迎えに行きますから」
「うん、いってらっしゃい」
王との謁見を終え、レイスと共に帰る予定だったが、まだ仕事が残っているらしく一旦その場で別れる。
ちゃんと仕事しているんだと、普段の甘々に表情を崩した顔と違い宰相の地位に相応しい凛々しい顔で去っていくレイスの背中を見ながら、ユイは少し失礼な事を思っていた。
ユイが部屋に戻ろうとしている途中、廊下を歩きどこかの部屋の前を通り過ぎようとした時、不意にその扉が開いた。
扉の方を向こうとした次の瞬間、抵抗する間もなく腕を掴まれ部屋の中に引きずり込まれた。
僅かに窓から光が差し込む人気のない薄暗い部屋。
おそらく使われていない客室か応接室だろう。
そこでユイは何者かに抱きすくめられていた。
あまりに一瞬の事に呆然としていたユイだったが、現状を思い出し助けを求めるため大声を上げようとした。
しかし、その何者かが出した声に直ぐ口を閉ざした。
「まさかこのまま何も無かった事にするつもりじゃないだろうな」
耳元で囁かれたその声で、ユイは声の主が誰なのか理解し、別の意味で緊張が走った。
「エル……」
フィリエルはお互いの顔が見えるよう少し腕の力を緩めユイの顔を覗き込む。
ユイはフィリエルから距離を取ろうとしたが、前はフィリエル後ろは扉に挟まれ身動きが取れない。
せめてもと顔を下に向けたが、そんな小さな抵抗もフィリエルがユイの頬に手を添え目線が合うように上向かせた事で無駄に終わる。
「どうなんだ」
「なにが……?」
「このまま無かった事にするつもりじゃないだろうな。
俺が会いに行ってもことごとく姿を消すし、挙げ句には何も言わず帰ろうとする。
まさか俺が言った言葉を忘れたわけじゃないだろう」
「……ちゃんと覚えてます…よ」
最初は手に着かないほど混乱していたが、魔法開発のなんだかんだで最後の方は本気で忘れてましたとは言えず否定するが、動揺から語尾が上擦った。
それを敏感に察したフィリエルの眉間に皺が寄る。
気まずくなり顔を直視出来ず、顔を背けたいがフィリエルにがっしり固定されている為、視線だけをそらす。
「そうか、忘れたなら何度でも言ってやる」
「だ…だめだよエル、いくら冗談でもこういう事するものじゃないって。
テオ爺様や兄様達に言いつけちゃうよ……?
そうしたら今度はエルがからかわれる事になるよ」
ユイは少しおどけたような口調で話した。
あの日の事は、フィリエルがからかっただけで、唇も偶然当たっただけ。
直ぐに冗談だ悪かったと告げてくれるだろうと。
そう思ってフィリエルに視線を合わせたユイはすぐにその事を後悔した。
フィリエルの目は真剣そのもの、そこに冗談やからかいの類いは一切無かった。
「言うなら言えばいい、あいにく好きだと言ったのは冗談でも何でもない。
そもそも好きでもない女の唇にキスするほど俺は気が多いわけじゃないぞ」
ユイの願い虚しくフィリエルが冗談で言っているのでない事は嫌でも理解した。
「っ……好きって、それは友達としてって意味じゃ……」
それでもまだ受け入れきれず往生際悪く確認するように問い掛けるが、脅しにも似た返事が返ってきた。
「違うに決まってるだろ。一人の女性としてユイが好きだ。
……信じられないならもう一度分からせてもいいんだぞ」
そう言ってユイの唇に親指を滑らせるフィリエルに、身の危険を感じたユイは「ちゃんと分かったからいいです!」と言って首を横に振る。
「……それってつまりエルは……その……私と……」
「恋人に……いや、伴侶になって欲しい」
「はんっ…伴侶!?」
驚きでユイの声が裏返った。
「それはそうだろ、王族や貴族にとって恋人となれば必然とそういう相手として認識される、ユイだって知ってるはずだろ」
「そう…だね」
貴族育ちのユイなら当然の事と認識しているはずの常識だったが、ユイはあまりに動揺しすぎてそんな当たり前の事も彼方へ飛んでいっていた。
「でも私はリーフェだし反対する人が多いでしょう?
王家の方々だって……」
「父上も母上も相手は俺の意志に任せると言われている。
何よりお祖父様が乗り気だからな、反対する人間がいても全力で押さえ込むさ。
もっとも、俺に触れるだけでリーフェだろうと文句を言う輩は少ないだろうがな」
「テオ爺様………」
孫のように可愛がってくれてると思っていたが、本当の身内にするつもりだったのかと、なんとも言えない気分になった。
「しかもユイは宰相の娘なんだから尚更文句を言う貴族は少ないはずだ。
だから何も心配する必要はない。
………まあ、あえて言うならその宰相閣下が一番の問題だが」
「パパなら証拠も残さず完全犯罪出来そうだよね」
冗談混じりで言った言葉だが、あまりにも現実味を帯びていて二人に少しの間沈黙が落ちる。
「…………あの人の事は取りあえず置いておくとして、ユイは伯爵令嬢でお祖父様からの後押しもあるし、王家に嫁入りしても問題なくやっていけるはずだ。
勿論俺だって手助けする」
「私に王族の一人として生きるなんて無理だよ、だって私。
………私が、エルと結婚なんて事になったら………なっ…たら………」
その時ユイの頭の中に過ぎるものがあった。
すると今まで動揺していたのが嘘のように心が冷静になっていく。
「ユイ……?」
そのユイの変化にフィリエルも直ぐに気が付いた。
まるで人形のように感情が一切消えた表情のユイにフィリエルは息を呑む。
「ごめんなさい、エルの気持ちは嬉しいけれど……私には受け入れる事が出来ない。
ごめんなさい」
感情を無くした抑揚の無い声で話すユイ。
「分かった」
フィリエルはやっと伝えられた想いを断られ悲しみの色に染まっているかと思いきや、その表情はとても凪いでいた。
まるでユイの答えが分かっていたかのように。
フィリエルが離れると、ユイはフィリエルに一切視線を送る事無く、急ぎ部屋を後にした。




