魔王襲来
扉をノックする音が部屋に響き、了承の後入って来た人物に、今まで暗い雰囲気に包まれていた部屋の空気が一瞬で消え去り全員が顔を引き攣らせた。
そこには、苛立ちを隠そうともせず、凍るような微笑を浮かべた恐怖の魔王。
レイスは部屋の中にいる人々を見回し、背筋がぞくりとするような微笑を深くし、一気にまくし立てた。
「ほう、皆様お集まりで楽しそうにお喋りですか?
私はこの一週間、睡眠時間を削って仕事に明け暮れていますよ。
それと言うのも、息子が部屋に引きこもって心配だからと親バカを発揮した方が仕事を放棄したせいで、そのしわ寄せが全て私に来ましてね。
おかげでこの一週間、愛する妻と娘に会えず睡眠不足でイライラが募るばかりです、親バカが仕事をしないせいで。
それで、その多忙な私をわざわざ呼び出したからにはそれ相応の一大事なのでしょうね」
レイスにとって妻と娘と過ごす事が至福の時間。
その時間が取れず機嫌の悪さは最高潮。
その後ろには魔王を呼び出す為、哀れな生贄となったジークがいた。
可哀想に、機嫌の悪いレイスの矢面に立たされ、ここに来るまでの間に散々攻撃ならぬ口撃を受けてきたのだろう。顔色がすこぶる悪い。
王族で有ろうと容赦ない物言いだが、その言動を誰一人怖くて注意出来ない。
親バカと言われたベルナルトも、仕事を全て押し付けた罪悪感があり何も言えなかった。
この状況を何とかしてくれと、レイスを呼んだテオドールに視線が向く。
「勿論、一大事じゃよ。
実はそなたの娘を数日王宮で預かりたいのじゃ。
その事をあの子の母と祖父母に上手く言っておいてくれんかの」
その言葉にレイスは眉をひそめ口を開こうとしたが、その前にベルナルトが椅子から立ち上がり驚愕の声を上げた。
「父上、彼女はレイスの娘だったのですか!?」
「そうじゃ」
先程会った娘がレイスの娘と聞き、全員その表情から驚きを隠せない。
ベルナルトは最初、レイスが結婚……しかも恋愛結婚だと聞いた時には、魔王にも普通の人の心が有ったのか!と、かなり失礼な事を思ったりもした。
きっと何か思惑がと考えたが、そんな思いに反してレイスの妻への愛情は言葉の端からでも分かる確かなもので、今では妻とその連れ子を溺愛している事は、上層部の者達の間では周知の事実だ。
そこまで考えて、ベルナルトは大いに焦った。
ただでさえ今回の一件で仕事をしない王に苛立っているというのに、溺愛する娘を巻き込み、現在進行形で男と二人で部屋にいると知ったらどんな行動に出るか、考えるだに恐ろしい。
ここは国の為、王の矜持を殴り捨てて、土下座でもするべきか……いや、奴ならば、そんなものっと言って一蹴するに違いない!どうする!?っと、ベルナルトは本気で悩んでいた。
そんな迷走ぎみなベルナルトを尻目に、レイスはテオドールに問い掛けた。
その声は怒りを無理矢理抑え込んだような、空恐ろしさを感じさせた。
「どういう事です?まさか娘というのは私の可愛い娘のユイの事ではないでしょうね?」
「そうじゃ」
先程まで微笑を浮かべていたレイスから完全に表情が消えた。
一触即発。
完全に魔王を怒らせたと誰もが息を呑み口を開けずにいる中、テオドールの飄々とした声が響く。
「そうカリカリするでない。
ユイに、パパ怖~いと言われてしまうぞ、ふぉふぉふぉ」
さすが数多くの修羅場をくぐり抜けた先王、今のレイスにそんなおちょくった態度を取れるのは、恐らくテオドールぐらいだろう。
レイスはさらに増した静かな怒気をテオドールに向ける。
「人をからかうのは結構ですが、何故ユイが王宮にいて、その上預けなければならないのか、さっさと理由を聞かせて頂けませんか。
あまり気は長くありませんので」
「そう怒るでない、あの子とは小さい頃からの知り合いでの。
そなたも今回のフィリエルの事は知っておろう。
それでユイを呼んだのだ、ユイにはフィリエルが落ち着くまでは側にいてもらいたいのじゃよ」
それを聞きレイスの目の奥が剣呑に光る。
「それを私が了承するとでも?」
「別に連れて帰るのは勝手じゃが、ユイは帰らぬと思うぞ。
フィリエルにとっては勿論じゃが、ユイもフィリエルの事は大事に思っておる筈じゃからのう」
睨むような眼差しを向けるレイス、テオドールはそれを静かに受け止める。
レイスは一度視線を外し、俯いて何か考え込んだ後、再びテオドールに目を向ける。
「この事でユイに害意が及んだり、不利になるような事はありませんね?」
「勿論じゃ、誓ってあの子に害が及ぶような事はさせん。
幸いにも、今回の事は賊が入った以外の事はごく一部にしか知られておらん。
フィリエルとアレクシスは風邪を引いた事になっておるし、今ユイが登城した理由を知っておるのもここにおる者達だけじゃ。
宰相の娘をアリシアの話し相手として数日呼んだ、そうしておけば馬鹿者も出て来ぬじゃろ」
「………いいでしょう、妻とユイの祖父母には話をしておきます」
まだ婚約者も決まっていないフィリエルの元に呼ばれ、しかも未だ権力の衰えぬ先王自らが呼び出したとなれば、ユイに目を付けた愚か者が接触してこないとも限らない。
レイスは、只でさえ宰相の娘という事で目を付けられやすいユイを、出来るだけ貴族や権力闘争に巻き込みたくないと考えていた。
王妃の話し相手として上位の貴族や高官の妻子が呼ばれる事はさほど珍しくはない。
だから、そう言っておけば誰もユイが王宮にいる事を不信に思う者はいないだろう。
そして害にならないと未だ王宮内の影響力衰えぬテオドール自らが誓ったのだから、これほどの保証はない。
レイスは迷いながらも、話を受け入れた。
「それで、私の可愛いユイはどこにいますか」
レイスの怒りが和らぎ、静かに二人の話を聞いていた一同がほっと息をなで下ろした時、そのレイスの言葉で再び緊張感が走った。
「ユイならフィリエルと部屋で二人っきりじゃ」
それを聞いたレイスから冷気が一気に溢れ出す。
決してただの物の例えなどではなく、怒りのあまり溢れた魔力により本当に冷気が溢れ出していた。
レイスの後ろにいたジークが顔を引き攣らせすぐさま飛び退く。
「ふふ、ふふふふふっ、まあ良いでしょう。機会はいつでもあります」
何の機会だ!と聞きたいが、聞いてはいけない気がする。
レイスは普段と変わらぬ態度でベルナルトに向かう。
「取りあえず、陛下には溜まった仕事をして頂きます」
「あ、ああ」
「そして、もし私の可愛い娘に何かあれば、王族と言えども容赦はしません。
いざとなったら即刻辞職して王宮を混乱の渦に叩き込みますから、そのつもりで」
レイスは宰相という地位に全く未練はないので辞めたとしても痛くも痒くもない。
レイスには、すでに散財しなければ一生暮らしていけるだけの蓄えがある。喜んで愛する妻と娘と毎日楽しんで過ごすだろう。
しかし、今レイスが辞めれば国は大混乱に陥るだろうと予想出来る。
それだけレイスは重要な位置を占め、魔王という呼び名が周辺国でも聞かれる程に外交に置いても力を持っているのだ。
レイスの重要性を一番良く分かっているベルナルトは顔色を悪くしながら「分かった」と呟いた。
「では、私は仕事に戻りますので、これで失礼いたします」
テオドールだけでなく、ベルナルトにも約束を取り付けた事で納得したのか、レイスは踵を返し颯爽と部屋を後にした。
レイスが出て行った部屋ではベルナルトを始めとした面々が漸く安堵を見せた。
先ほどまでテオドールに食ってかかっていたエリザもさすがに不機嫌なレイスは恐ろしかったのか、ほっと息を吐く。
「全く。あやつのおかげで、夏だというのに部屋が寒くなってしまったわい」
完全にキレていたレイスに軽口を叩く父に、ベルナルトは感心する。
「父上はよくあのレイスをあんな風にからかえますね」
「何を言っておる、お前は王なのじゃからもっとしっかりせんかい。
あやつを手のひらで転がせるぐらいになるのじゃ」
ベルナルトは自分を顧みてみたが、賢王と名高かったテオドールと違い、はっきり言って凡人だ。
真面目な性格と幼い頃からの教育と努力に優秀な臣下のおかげで王として問題はないが、やはりテオドールとは比べるべくもない。
とてもあのレイスを言い負かすとか、ましてや手のひらで転がすほどの才覚は持ち合わせていないとベルナルト自身が一番良く分かっている。
「無理ですね」
「はぁ、情けない息子じゃのう」
テオドールは迷い無くきっぱり言い切るベルナルトに溜め息を吐く。
「レイス宰相が権力に執着しない方で良かったですね。
もしそうじゃなかったら今頃国が乗っ取られてたかもしれませんから」
アレクシスは軽い冗談のつもりで言った言葉だったが、ベルナルトはその想像が容易に出来て笑うに笑えない。
レイスが権力を欲しがらなくて本当に良かったと心から思った。
権力には興味はないが、フィリエルの想い人のユイはレイスが溺愛している娘だという事を、まだ気付いていないベルナルトに教えてやろうかとテオドールは思ったが、さすがに息子を苛め過ぎるのは可哀想かと胸にしまった。
「さて、あれから大分経ったし、そろそろ様子を見に行ってみるかのう」
テオドールは椅子から立ち上がった。
「父上、私も行きます」
テオドールに続きベルナルトも立ち上がり、必然的に近衛のガイウスも動く。
それを見たアレクシスも自分もと、立ち上がろうとしたが、アリシアによって引き留められた。
「アレクシスはだめよ。まだ全快した訳ではないのだから部屋に戻って休みなさい」
「そうじゃのう、アリシアの言う通りじゃ。部屋に戻りなさい」
「そうしなさい」
口々に戻れと言われ、不満げなアレクシスだが、仕方なく聞き入れた。
「……分かりました。
では母上、代わりに様子を見てきて教えて下さい」
「ええ、分かったわ」
アリシアが笑顔で答える。
「エリザも、今日は取りあえず公爵家へ帰りなさい」
「………はい」
エリザも不満げな表情だが、素直にテオドールの言葉に従った。
二人を送らせる為に、ルカとジークを残し、テオドール、ベルナルト、アリシア、ガイウスの四人でフィリエルの部屋に向かった。




