2
テオドールに言われ部屋に戻って来たエリザだったが、戻された事に未だ納得がいかず、部屋に入った途端にテオドールに詰め寄った。
「お祖父様、どうしてあんな子がフィルの側にいて、私が戻って来なければいけないんです!?」
「フィリエルは出てきたか?」
テオドールは激しい剣幕で部屋に入って来たエリザを難なく受け流し、エリザに続いて部屋に入って来たルカに視線を向け問う。
「はい、彼女が声を掛けると扉を開けて姿をお見せになりました、………いや、もう速効で。
顔色は悪いようでしたが、部屋から飛び出して来る程度には元気そうでした」
「ははは、そうかそうか、それは良かった。
これでようやく安心出来るのう、きっとユイが来てよほど驚いたじゃろうな」
「速効……」
「はい、速効でした……」
テオドールは悪戯が成功したかのように愉快だと言うように声を出して笑っているが、ベルナルトを始めガイウス達は少し違った。
素直にフィリエルが姿を見せ無事だと分かったのは嬉しい。
嬉しいのだが、家族である自分達では開けられなかった扉が、ユイによって簡単に開いた事にそれぞれ少し複雑そうな顔をしている。
エリザは自分の言葉が無視された事に苛立ち、さらに怒りに火がつき声を荒げる。
「お祖父様!!」
「落ち着きなさい。
気持ちは分かるが、お前ではダメじゃ、今の心の不安定なフィリエルはユイしか受け入れん。
現にいくらお前が声を掛けようと出ては来なかったであろう」
テオドールのその容赦ない言葉に、少し言い過ぎではないかとベルナルトが非難するような視線を向けるが、テオドールはそれを無視する。
テオドールとてエリザのフィリエルに対する気持ちは知っている。苦しんでいるフィリエルの側に居たいと願うエリザには酷な言葉だと思う。
しかし、唯でさえ精神的に不安定なフィリエルの所に乗り込み、さらに傷を広げるような事になってしまったら取り返しのつかない事になる。
エリザの性格から、ただ駄目だと言っただけでは納得しない。可愛い孫を傷付けるような言葉は口にしたくはないが、はっきり言葉にする必要がある。
それに、どう転んでもフィリエルがエリザに恋心を抱く事はないだろう。今回の事で未練なくきちんと諦めきれるならよいのだが。
「そんなの偶々でしょう!居るはずのない人が来たから驚いて出てきただけよ。
不安定なら尚更、そんな他人より側にいる時間が長い私がいた方がフィルだって安心できるはずよ。
私はずっとフィルと一緒にいたけどあんな子知らないもの」
ユイによってフィリエルが部屋から出てきた事実に、そんな事はない偶々だという思いが占めていた。
同じ年でクラスも同じ、交友関係も全て知っているほど側にいて誰よりもフィリエルに近いと自負しているエリザにとって、見ず知らずのユイの存在は納得など出来なかった。
「いいや、たとえ側にいた時間が長かろうと誰かでは駄目なのじゃ、ユイでなくてはな」
「そんなの……!」
「エリザ、最後まで聞きなさい」
「…………っ」
テオドールは穏やかな声色で話す。しかしそこには有無を言わせぬものがありエリザは次第に勢いがなくなり口を噤んだ。
「最初に言っておくが、別にエリザを傷付けたくて意地悪を言っている訳では無い事は分かってくれるかの?
エリザも大事な孫なのじゃからな」
その孫を大事に思っていると分かる優しい言い方に少し頭が冷えたのかエリザは黙って頷く。
「全員知っておるだろう、数年前にもフィリエルに似た事があったのを」
「……それはフィリエル付きの侍女の時の事ですかな?」
直ぐに気付いたガイウスが答える。
それはガイウスに取ってもベルナルト達に取っても忘れるなど出来ない出来事だった。
当時、魔力の強いフィリエルはテオドールとガイウスで子育てを行っていたが、女手も必要だという事で王宮で働く女達の中で最も防御魔法の得意な女をフィリエル付きの侍女としたのだ。
しかし、そんな侍女でも赤子のフィリエルは魔力制御など皆無な状態だったので、魔力を抑制する色々な対策の上で世話をしていた。
母親のアリシアは、今でこそ普通に日常生活を送れているが、フィリエルを生んだ時に影響をもろに受けて、何年も部屋から出れない程弱っていた。
その為顔を合わせる事はほとんどなく、また、テオドールのように魔力の強くなかった両親はフィリエルを一度も抱き締められなかった。
また、魔力の制御も出来ない幼いフィリエルを恐れ近付く者はほとんどなく、フィリエルは寂しい幼少時代を過ごした。
そんなフィリエルが側にいた侍女を母のように慕うのは当然の成り行きだった。
しかし、フィリエルが十三歳の時、その侍女が亡くなった。
訓練の途中に刺客の襲撃があった。
今のフィリエルならば返り討ちにしていたが、当時のフィリエルにはその力はなく。
しかも、訓練でごく少数の護衛と侍女しか居なかった為、かなりの数いた刺客相手では劣勢だった。
刺客の魔法がフィリエルを直撃しようとした時、侍女は守る為とっさにその身を犠牲にしてフィリエルに覆い被さった。
魔法は彼女の防御魔法により阻まれ怪我もなく、刺客もすぐさま駆けつけた騎士によって捕らえられた。
しかし、周りが安堵したのも束の間、侍女が突然もがき苦しみだした。
彼女は刺客に気を取られるあまり外敵への防御魔法はかけていたが、フィリエルに対しては使っていなかった。
強く、そしてまだ制御の甘いフィリエルの魔力をその身に受けてしまい、身体が耐えきれなかった。
侍女は悲鳴のような叫び声を上げた後、身体中から血を流しそのまま息絶えた。
フィリエルは茫然自失の状態でその様子を目の当たりにしたのだ。
フィリエルは自分の力が危険だと周囲から聞かされていたが、あまり実感を持ってはいなかった。
だが、この一件で自分の力が人に死をもたらすほどの力なのだと気付き、自分自身に恐怖を抱いた。
親しい人の死、しかもそれが己の力によって引き起こされた。
まだ子供のフィリエルに大きな心の傷を残した。
「その後、侍女を亡くした悲しみと自分への恐れから、暗い表情で日に日にやつれていきおった。
その上、フィリエルは人に近付く事を徹底的に避けた。自分が誰かを傷付ける事を恐れたのじゃろうな」
全員その時の事を思い出しているのか、部屋に重い空気が流れる。
「そう言えば、あの時テオドール陛下がフィリエルを連れて数日留守にしてましたな」
「フィリエルを連れてユイに会いに行っていたのじゃよ」
「彼女に?」
初めて聞かされた話に、全員が驚き、テオドールに目を向ける。
「フィリエルは何も言わなかった。悲しいとも苦しいとも、涙を流す事もなかった。
そんなフィリエルに、わしはどう言葉を掛けていいのか分からんかった。
それはお前達もじゃろう?」
誰一人否定はしなかった。
ここにいる全員が何も出来ず見ている事しか出来なかったから。
「このままでは駄目だと思いユイに会わせる事にした、あの子ならば何とか出来るのではと思っての。
決して心の内を話そうとしなかったフィリエルがユイの前では泣いた、悲しい、自分の力が怖いと言ってな………。
そうして一通り思いを吐き出したお陰で気持ちの整理が出来たようじゃった」
テオドールは、今もあの時の悲しい叫びを忘れられなかった。
フィリエルに怖くないと言ったところでフィリエルは信じない。
実際、魔力の不安定なフィリエルに触れる事が出来ないのだから……。
あの時ほど己の不甲斐なさを感じた事はなかった。
不安定なフィリエルに触れられるユイだからこそ、フィリエルは悲しみを表に出し気持ちを整理する事が出来た。
ユイが側にいてくれた事、そしてユイという存在がいてくれた事にテオドールは感謝してもしきれなかった。
「誰も二度と会うなと言っておる訳ではない。
ただフィリエルが落ち着くまではそっとして置いてやってくれ」
訴えかけるように話すテオドールに、エリザは何も言わず唇を噛み締めて俯いた。




