ワイバーンの巣と間欠泉
「あの後ろから迫ってくる……あれを振り切れるのか?」
下界を見下ろす、神シロは大きく息をつく。
その言葉に神シロの妻、女神東雲は言の葉を落とした。
「私たちの血が色濃く入った末裔たちですよ……」
耳にした黒銀の目の友こと、トランザニヤは振り向き様一言添える。
「心強いよ……ゴクトーが、それを知らなくてもな……」
神シロは顔を上げ微笑を浮かべた。
「ま、静かに見守るか……ハゴネといえば、あそこには温泉があったな……」
「そうですわね。あなた一緒に入りますか?」
その言葉に答えながら神シロの腕を掴み、女神東雲は頬を染めた。
二人の様子を見ていたトランザニヤの顔も、みるみる赤くなっていく。
そして、トランザニヤはポツリと独り言ちながら下界を覗く。
「いいよな。妻が女神で……」
そのつぶやきに、表情を曇らせる神シロ夫妻。
「悪かった。思い出させたな」
「ごめんなさい」
そう言って神シロ夫妻も天界から地上を眺めた。
その頃ゴクトーたちは、ヒッポグリフの背に跨り、夜空を滑空していた。
◇(主人公のゴクトーが語り部をつとめます)◇
「グルッグググ……」
シグマが低く唸りながら振り返る。
その黄色い瞳は鋭く、何かを警戒しているようだった。
「シグマ、大丈夫よ。【結界】のおかげで、うちたちは見えないわ……」
そう言ってミーアはシグマの首筋を優しく撫でた。
その言葉にシグマも少し安心したのか、視線を前に戻した。
風の抵抗がシグマの羽根に伝わると、グラっと揺れ、身体がふわっと宙に浮き上がった。
「おぅぅぅ──!ヤバイッ!!」
胃が急に掴まれるような感覚が押し寄せ、続いて身体がひゅっと縮むように感じた。 この連続の揺れは三半規管に静かなダメージを与える。
そんな俺を他所に、飛翔のスピードはさらに上がっていった。
「グルッグギェー!」
鋭い鳴き声を上げながら、シグマが急降下。
この一連の動きを「カッカ、チーン、サムサム」ーーそう名付けた。
名付けが得意な俺の攻防戦が、空で繰り返されていた。
シグマは鋭く目を凝らしながら崖を避けつつ、川の上を低空飛行。
突然、どこか異次元から響くようなーー低い羽音が轟く。
それはまるで山脈が震えるかのように、周囲の空気を揺らし、全身に振動が伝わる。その力強さに、風の流れすらもわずかに歪んで見えた。
黒い川面が不気味な静寂を湛える中、シグマが近づくと水が激しく弾け、影が鋭く跳ね上がった。
しなやかなその黒い影は、大きな羽を広げシグマの後を追うように軌跡を描く。
翼を広げたシグマの周囲は、光の粒子が渦を巻き、空気がひしゃげるような瞬間が広がる。
そう、【結界】が破れたのだ。
目の前には、鋭い岩肌が狭い隙間を作る崖間が迫っていた。
ミーアは魔法を唱えるでもなく、手綱を力強く握る。
荒々しく尖った岩は苛立つように突き出し、そこを抜けるには一瞬の判断が全てを決める。
シグマがわずかに身体を傾けたーーその瞬間。
崖間が視界を猛スピードで通り過ぎる。
鋭い岩肌が翼をかすめる音が耳を打ち、細かい砂粒が風に乗ってシグマの身体を叩きつける。
影もまた崖間をくぐり抜けるように追走し、背後には風を切る音が鋭く響いた。
息を呑む展開だが、シグマは”ブレ”もなく飛翔を続ける。
翼が空気を切り裂く音だけが響き渡り、影との緊迫した追走劇が続く。
シグマの視線は迷いなく、その先の暗い空を射抜いていた。
アグレッシブな飛行の中、胸の『江戸っ子鼓動』が、喉元まで飛び出しそうになった。
だがすぐに『妄想図鑑』に逃げるように消えていったーー。
思考を巡らせる暇もなく、シグマのそのスリリングな挙動に、思わず”力”んでしまう。
一方、手綱を掴むミーアがふと振り返り促す。
「何かが追ってきている!谷を抜けるわーー。抜けたらまたすぐに上昇する。
リーダー、アリーちゃん、しっかり掴まって! シグマ、もう少しだけ持ちこたえて!」
「グルッグギェー!」
ミーアの叫びに応じ、シグマは鋭く身を翻した。
最後の崖間を斜めに傾きながらすり抜ける。
寸分の狂いも許されないタイミングだったが、シグマは見事に突破した。
シグマの頭をミーアは優しく撫でる。
「ふぅ──うまくまいたわ。よくやったわシグマ、高度を上げて!」
「グルッグギェー!」
嬉しそうな鳴き声とともに、シグマはその赤い翼を大きく広げ、切り裂くような急上昇を始めた。
平行飛行に戻ったシグマとベルマは安定の飛翔を続ける。
紺碧の空には、赤と黄色の翼が星々に煌めく。
二つの月も雲ひとつなく黄金に輝いていた。
そんな中突然、アリーは興奮した声で叫ぶ。
「見てにゃ! 何かありゅ!」
鋭い視力を持つ、獣人族ならではの特性が光る瞬間。
崖の上に巨大な巣が見えたからだ。
「あそこか?」
そう言って俺は指を差し、目を凝らす。
風に吹かれながらも堂々と構えるその巣の中に、目を引く黒い大きな卵があった。
しかし、水色と緑の迷彩模様が特徴的な小さい卵が、隠れるようにひとつ。
「……あれは、ワイバーンの卵だよな?」
思わずつぶやく。その大きな卵には見覚えがある。
一方、その声を聞いたミーアが冷静に答える。
「ええ、間違いないわ。あの黒いのはワイバーンの卵よ……でも、親は今いないみたいね」
そう言って彼女は手綱を操り、怯えるシグマを安定させる。
異様な緊張感が張り詰める中、アリーが目を輝かせて叫ぶ。
「美味そうにゃ!」
その無邪気な発言に、ミーアとともに苦笑した。
眉を寄せるミーアがどこか警戒したような声で話す。
「親が戻ってきたら厄介よ。早くここを抜けましょう。目印になる場所があるの……ほら、あそこ」
彼女が指差した先には、幾つもの間欠泉が見えた。
白い蒸気が闇夜の中でも明るく輝き、まるで見るものの心を奪うかのように幻想的で、山間に朧な月を淡く映し出す。
俺は見下ろしながら、その景色に惹かれ思わず零す。
「月を映す間欠泉か、神秘的だ」
幼い頃から何故だか、月に惹かれてしまう。
多分前世の記憶と相まって、この記憶を想起させるに違いない。
けれど、そんなもの全て忘れるくらいーー凛と輝く星も近かった。
眼下には、小さくなっていく森の影とまばらな灯り。
目を細めると湯気の隙間から、小さな民家らしきものがいくつか見えた。
不思議に思い俺は尋ねた。
「ミーア、こんな山奥に人が住んでるのか?」
「人じゃないわ。あそこに住んでいるのは、ホビット族よ」
顔だけこちらに寄越しながらミーアが微笑む。
その表情に甘え、俺は続ける。
「ホビットって……あの希少な小人族か?」
「そう。彼らは温かい場所を好むし、特にお風呂好きなの。
ここの温泉を利用して暮らしているのよ。うちは薬草を採りに来るたびに、あそこで、食料や薬を物々交換しているの」
ミーアはどこか嬉しそうに答えた。
驚いたな。ホビットが住んでいるのか?
師匠からは『ホビットは、希少な種族で見つけることも難しいんだぞ』
と……そう聞いてたからな……。
思考を逡巡させる俺の口から思わず声が漏れる。
「いいな。ホビットの温泉か……入ってみたい」
言いながら俺は無意識に頬を緩めた。
なぜなら、無類の温泉好きなのさ。知らなかったろ?
間欠泉の湯気を見ているだけで、温かさが伝わってワクワクしてしまう。
そんな中、好奇心が口を動かす。
「なぁ、ここで少し、降りてくれないか?」
ミーアは頷き、シグマの首を軽く撫でながら、「降りたいならいいわよ。シグマ、行くわよ!」と。間髪入れずに指図した。
「グルッグギェー!」
小さく鳴き声をあげながら黄色い翼を折り畳むように動かし、シグマは徐々に高度を下げていった。
冷たい風が山肌を撫でる音がかすかに耳に届き、闇に包まれた崖の中腹が徐々に近づいてくる。
後を追うように、ベルマも空を切り裂きながら滑らかな動きで降下を始める。
ミーアが振り返り、崖の中腹にぽっかりと開いた窪みを指す。
「リーダー!ここでいい?」
その場所は、大地が何かの意志を持って作り出したような不規則な形状。
発光する苔や小さな鉱石が散らばり、薄い霧が漂っていた。
「ああ、そこでいい」
俺が頷くと、シグマは大きく翼を広げ、風を巧みに操りながらその窪みへと降りていく。 その巨大な爪が岩肌を掴む直前、翼が一瞬だけ鋭く振動し、砂粒や小石が宙に舞い上がった。
ガツッ!
鋭い音を立てて、シグマの黄色い爪が岩肌をしっかりと捉える。
その瞬間、崖全体がかすかに揺れたかのように思えたが、シグマは落ち着いた様子で身を沈めて着地を完了した。
後を追うベルマも、少し控えめな鳴き声を漏らしながら翼を広げ、柔らかく滑らかな動作で窪みの反対側に降り立つ。その瞳が不思議そうにミーアを見つめ、ベルマの息遣いが岩壁に反響していた。
俺は「ちょっと、待っててくれーー!」と声をかけ、慎重にシグマから降り立つ。
一歩踏み出すと、温泉地ならではの柔らかい土の感触が足裏から伝わってきた。
地面は驚くほど温かく、蒸気が立ち昇り、さらに湿り気を帯びている。
あちこちで「ポコポコ」と不規則な音を立てながら、小さな温泉の泡が噴き出していた。
「…これは……」
地面に散らばる黄色い粉が目に入り、慎重に指先でそれを掬い取る。
その香りを嗅ぎ分けると、特徴的な刺激臭が鼻を突き抜けた。
「硫黄だ。これは薬にもなるんだったよな……綺麗なおねいさん、ミーアの姉ミンシアがきっと喜ぶな」
独り言ちながら口元が緩んでしまった。
俺は硫黄を掻き寄せ、油紙に包んだ。
そして仲間たちに声をかける。
「ありがとう……みんな、すまない。さあ、行こう!」
言いながら再びシグマに乗り込んだ。
その動作を確認したミーアが振り返らずに声をかける。
「リーダー……行くわよ。しっかり掴まって。アリーちゃんも準備はいい?」
「にゃ!大丈夫」
アリーは楽しげな声を上げ、俺の背中にしがみつく。
その動きに応えるように、シグマは低い鳴き声を漏らした。
「グルッギェ」
「シグマ、行こう!」
ミーアが手綱を強く握り、シグマを導く。
シグマの強靭な脚が地面を蹴り、翼が力強く広がる。
地面に残った熱い蒸気が、シグマの飛び立つ風圧に巻き上げられ、キラキラと夜の空気に溶け込んでいった。
ベルマもすぐに後を追い、二頭のヒッポグリフが夜空へと舞い戻る。
直下に広がる温泉地帯が徐々に小さくなる中、再びハゴネの険しい山々が俺たちを迎え入れるように迫ってくる。
二頭のヒッポグリフは、夜空に浮かぶ闇の山脈を背景に、互いに翼を広げて再び山間を滑空。
暗闇の中、翼の先端から淡く輝くエーテルの光が尾を引き、宵闇に儚い軌跡を描く。
その姿はただの滑空に留まらず、夜空に織り成される幻想的な舞踊のようだ。
羽音がリズムを奏で、互いの軌跡が美しく重なり合っていく。
そんな中、俺は、飛行中の流れる風に声を掻き消されないよう、やや声を張り尋ねた。
「ミーア、さっきのホビットの連中なんだけど……ワイバーンが巣を作ってても大丈夫なのか?」
「心配ないと思うわ」
ミーアは、手綱を操りながら落ち着いた声で続ける。
「ホビットの里の翁はね、とても珍しい『魔導具』を持っているのよ。それは『七星の武器』とも呼ばれる特別な物で、里全体を包む広範囲な【結界】を張ることができるんだって。それでワイバーンから身を守ってるらしいの」
「やっぱり……『七星の武器』って、凄いんだな」
感心しながらミーアに返す。
その声には、ホビット族への信頼と好奇心が滲んでいた。
ふと冷たい風が吹きつけ、空気がわずかに変化した。
ミーアが手綱をきつく握り直しながら口を開く。
「ここからは一気に下降するから……しっかり掴まって!」
「了解にゃ!」
「了解にゃ!!」
アリーにつられ、無意識に返事。
自分の言葉に動揺した俺は、ミーアの【デス級】を思わず掴んでしまった。
「”アァ──ンッ”!」
ミーアの叫びが、紺碧の夜空に響いた。
次の瞬間、頬を赤くしたミーアが小声で【ロカベル】を詠唱した。
「【ヨツバ:°ダンモ・ハレコ】」
その刹那ーー俺の身体はふわっと浮き、空中でくるくる回転。まるで無重力。
(*ゴクトーたちのイラスト)
「……ごめんリーダー、やりすぎた!」
そう言って謝るミーアの顔が、なんとなく見えた。
一方のアリーは垂れ耳をピンと伸ばして、「ゴクにぃ、落ちるにゃ!」と声を張った。
そんな中、体勢が定まらぬまま、必死に叫んだ。
「か、勘弁してくれーー!」
滑空するヒッポグリフの翼音とともに、その声はハゴネの山間に響いたーー。
お読みいただき、ありがとうございます。
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