ヒッポグリフと星降る夜
「はは、ワシらがおる天界にも届きそうな鳴き声じゃな」
そう言って神シロは苦笑い。
一方、女神東雲は下界をじっと見ながら、過去の自分を思い出していた。
「懐かしいですわ。わたくしも天馬に跨り、ズードリアの美しい空をよく滑空したものです」
神シロの妻、女神東雲は目を輝かせる。
一方で、黒銀の目の友こと、トランザニヤがポツリとつぶやく。
「空か……」
「おぬしは……まぁいい。今はそれどころではないな……」
神シロが言いかけた言葉を飲み込む。
暗い表情のトランザニヤが零す。
「ああ、奴は呑気だな」
その言葉に神々は、口元を締め再び下界を覗き込む。
その頃、ゴクトーは慣れない夜空に困惑していた。
◇(主人公のゴクトーが語り部をつとめます)◇
「グルッグギェー!」
「グルッグギェー!」
黄色い翼と赤い翼ーー二頭のヒッポグリフが短く鳴き声を上げ、夜空を浮上し始める。
月明かりが二頭の影を大地に落とす。
ミーアが手綱を強く握りしめ、勇ましく叫んだ。
「もっと高度を上げるよ!シグマ!」
「グルッグギェー!」
シグマが小さく鳴いて応じ、黄色の翼を力強く羽ばたかせる。
バサッ、バサッという音を響かせ、急激に高度を上げ始めた。
そんな中、俺の背に捕まるアリーが下を覗き込む。
「ゴクにぃビヨンド村が! あんなに小さく見えりゅ!!」
彼女の声に促され下を覗くと、村が小さく縮んでいく。
おのずと恐怖が湧き上がってくる。
初めての経験に思わず声が漏れる。
「こ、怖いな……こりゃかなりの高さだ」
身体が縮こまりヒュンとなる。
だが、笑顔のアリーを見て俺も平静を装う。
まぁ、特技でもあるのだが。
次第に視界から遠ざかる『ロカベルの魔法薬材と薬店』は、小さくなっていった。次の瞬間、シグマの急な加速に耐えきれず、アリーの両足は”ふわっ”と鞍から離れ、ぶらーーんと宙に浮かんだ。
「落ちりゅーー!!!」
絶叫のアリーは俺の腕にしがみつく。
その必死な勢いで体重がかかり、バランスを崩した俺は落ちないように思わず指に力が入った。
ーー"むにゅっ”。
「アーンッ!」
ミーアが小さく声を漏らした。
(*滑空するヒッポグリフとゴクトーたちのイラスト)
顔を朱らめながら振り返ったミーアが零す。
「……ん、これぐらい、慣れてるから……大丈夫よ、リーダー。
気にしないで、もっとしっかり掴まって。落ちちゃうから……」
そう言いながら、視線を戻しミーアが手綱を握り直す。
何事もなかったような彼女。
慣れてるとかじゃ、ないでしょッ!
その言葉にもちろん固まったし、顔からもボォ༄༅っと小さな炎が出た。
「なんだよこれ!」
驚いて声は漏れたが多分、見えたのは俺だけ。
俺の妄想ーーシタギ・赤絹の仕業だった。
……覚えてろよ。
そう思った瞬間、ぺろっと舌を出したシタギが『妄想図鑑』にスッと消えた。
現実との境目がなくなっていく妄想に、俺は益々苦戦していた。
話を戻すが、俺はミーアの言葉に耳まで熱くなっていた。
動揺しながらも胸中で叫ぶ。
ハイエルフ=肉食ーー!
思わず羞恥にも耐えきれず、話題を変えた。
一息ついて首を後ろへ向け、アリーに尋ねる。
「そ、それよりアリーは、大丈夫なのか?!」
「もう平気。ゴクにぃ、ありがとにゃ!」
アリーはノビのようにケロッとした表情で背にしがみつく。
この状況がまた切ない。まさに逃げ場のない試練。
チクチクとした鼻腔を刺激するーー 名状し難い鋭い圧。
氷魔法のような夜風が頬を撫で、大気まで震えているような錯覚を覚える。
そんな俺を他所に、シグマはさらに加速していく。
「「グルッグギェー!!」」
ほぼ同時に鳴き声を上げ、シグマとベルマの羽根音が夜の静寂を破り、闇に溶け込むように消えていく。
翼を広げた二頭は、星々を背にゆっくりと滑空しながら、さらなる上昇を試みていた。その巨大な翼が風を切り裂くたび、月はチラチラと翳る。
星々はまるで俺たちの夜空の散歩を冷笑するように、闇夜にキラキラと冷えた光を放っていた。
急激な体温の低下とともに、指先の感覚までなくなっていく。
寒気に耐えきれず、思わず声が漏れた。
「さむ〜〜〜! ミーアはその格好で、寒くはないのか?」
俺の問いかけに彼女は振り返らず、視線は前を向いたまま。
風を切る音が彼女の言葉を聞こえづらくする。
「大丈夫よ、リーダー……亜人は体感温度が人種と違うの。
多分、アリーちゃんも平気でしょ?」
振り向くとアリーは、余裕の表情で頷く。
その時、ふと師匠の言葉が頭をよぎった。
『ゴクトー、亜人種は神造だ。独占欲の強い人種を野放しにはできない――そう判断し均衡を保つため、この世に遣わされたらしい。既存種より優秀って御伽話がいくつもあるくらいだぞ!』
懐古する記憶とともに、師匠の顔が頭に浮かんだ。
こういう豆知識は全て師匠から学んだもの。
師匠……。
思いながらシグマの動きに合わせーー俺は背筋を伸ばし、体勢を整えた。
シグマはさらに大きく羽ばたき夜空を滑空する。
しばらくの後ーー吹き抜ける強い風。
翼にかかる負荷が、シグマの体を大きく揺らす。
グラッ…グラッ…
揺れに耐えきれず咄嗟にミーアの腰にしがみついた。
その瞬間、ミーアがはたと振り返る。
「くすぐったい!……リーダー、腰はやめて!」
その言葉には、ほんのり怒りがさしていた。
俺を一瞥し、彼女は淡々と前を向き手綱を握る。
かと言って、また彼女の【デス級】を掴むわけにもいかない。
どうすればいいんだよ……。
もう困惑しかない。
そんな中、アリーは尻尾でポンポンと、俺の肩を叩きながら声をかける。
「安心すりゅといいにゃ。ゴクにぃ、これに掴まって。落ちたりしなにゃいから」
その声は優しく、今の俺の心を癒してくれた。
この瞬間から、アリーの”モフモフ”が俺の命綱になった。
強風と揺れが続く中、柔らかい尻尾を掴むと、その温かさに恐怖心も薄れていく。
やっと落ち着いて、俺は夜空の散歩を楽しみはじめた。
だが、恐怖心はすぐには拭いきれない。
自然と尻尾を掴む手に力が入る。
紺碧の夜空を進む中、ミーアがふと振り返る。
「ベルマもちゃんとついて来てるわね。アカリさんの顔色は相当悪いけど……なんとか落ちずに掴まってるみたい。安心したわ。でも、みんなの体温が心配ね。
ベルマ────!」
彼女の呼び声は、まるで風を切るかの如く夜空に響く。
「グルッグギェー!」
すかさずベルマがひと鳴きして、翼を斜めにしながら近づく。
そして、ミーアが再び声を張った。
「【結界】の魔法をかけるわ。姿も見えなくなるしーー、気温と風も感じなくなるわ。山間で、もしワイバーンと遭遇したら……面倒よ。今は厄介な戦闘はしたくないから、魔法をかけるわね」
呼び出したベルマとシグマが並行して滑空する。
次の瞬間、ミーアは落ち着いた声で詠唱した。
「【ンラシカイ:°キオオ・ノチウ】!」
その声は夜風に溶け込むように柔らかく、しかし力強い。
その瞬間ーー。
空気が微かに震え、夜空に散らばる無数の星々が一斉に強く瞬いた。
その輝きに呼応するように、彼女の指先から淡い青白い光の粒が舞い上がる。
粒は渦を描きながら広がり、まるで生き物のように優雅に踊っていた。
そして、俺たちを包み込むように柔らかな膜を形作り、透明なドームのような【結界】が静かに完成した。
ミーアが小さく漏らす。
「ふぅ、完成。これで大丈夫よ」
【結界】が紺碧に溶け込むように姿を消した。
外から吹き付けていた冷たい風は完全に遮られ、心地良い温もりに包まれる。
さらに風切り音も静まり、まるで異空間に迷い込んだかのような静寂が訪れた。
彼女はどこか、肩の荷が降りたような口調で紡ぐ。
「これで安全よ。山間に入る準備は整ったわ」
ミーアは振り返り、満足げな表情を浮かべた。
その背後には、まだかすかに漂う光の残滓があり、夜空に溶けていく様はどこか神秘的に見えた。その魔法があまりにも見事でーー俺は思わず口を開く。
「凄いな、ミーア……ロカベルの店で使った魔法もそうだけど、
さっきの【結界魔法】も、ミーアが使ってるのって【古代魔法】、にゃの?」
焦って声をかけたせいで、最後がアリー語になってしまった。
「えぇっ!?」
「にゃにそれ!」
「「あははははは」」
同時に声を上げて二人は腹を抱える。
二人して笑わなくても……。
胸の中が恥ずかしさで満たされ、頭が真っ白になる。
そんな俺を他所に、ミーアは丁寧な説明を始めた。
「ハイエルフの【古代魔法】よ、リーダー。【ロカベル】一族固有の魔法なの。この魔法は、うちの一族の中でも特に血筋の濃い者ーーつまり、父様や母様、それに姉のミリネアとミンシアみたいな……直系の者にしか扱えないの。特にハイエルフと呼ばれる、『*マヌエルの森』を治める『*八支族』の一つに伝わるもので……」
おいおい、なんだそれ?
【ロカベル】って、名前と同じ古代魔法?
いや、名前だろうが……『八支族』って?
俺の頭は混乱する。知らん事が山積み。
そんな俺の思考をまるで見抜くように、ミーアは続けた。
「この魔法は、数百年前の『太古の大戦』の時、『始祖の一族』と呼ばれる存在から『八支族』の長たちが、直接教わったものらしいの。『八支族』にはそれぞれ、うちらのように名前があって……でも、詳しいことは族長である、父様に聞いてみないとわからないわね。ふふ」
彼女は笑みを浮かべ締めくくる。
一方その間、手綱を緩められたシグマは自由に羽ばたいていた。
ミーアの話に思考を巡らせるが、初耳なことばかり。
『マヌエルの森』ーー師匠と次に訪れる予定だった国。
ふと、師匠の顔を思い浮かべる。
『始祖の一族』?
師匠からは何も聞いたことなかったが……。
だが、『始祖の一族』と言う言葉が心の中で引っかかり、妙に懐かしい感覚がして気になった。
思わずミーアに尋ねた。
「その『始祖の一族』って……特別な存在なのか?」
その言葉にアリーが背から顔を出し、考え込む仕草を見せる。
「にゃ……?『始祖の一族』って……にゃんか聞いたことありゅ」
アリー……その仕草、反則だろ。
可愛い過ぎるんだよ。
そう思いながらアリーの尻尾を握りしめた。
そんな中、しばらく黙っていたアリーが声を張る。
「そうにゃ! 婆ちゃんが言ってたにゃ、神とも呼ばれりゅ『始祖の一族』って!」
その言葉にミーアは、アリーの頭を優しく撫でた。
「そうそう、神と呼ばれる『始祖の一族』よ。隔離された小国、『トランザニヤ』の『始祖の一族』ね……」
「そうにゃ!離島にゃ。『トランザニヤ』は……大昔に『始祖の一族』が移り住んだ島にゃ!」
そう言ってアリーは、メタリックブルーの瞳を輝かせて頷く。
ん? トランザニヤ……国なのか。
離島? 聞いたこともないんだが……?
でも、なんか懐かしい響きだ。
俺も少し落ち着きを取り戻し、ふと物思いに耽っていた。
そんな中、ミーアが前方を見据える。
「前の高い山を見て!あれがハゴネの山よ!」
その言葉にわずかに安堵しつつ、目の前の景色を眺める。
ハゴネの山脈は、ズードリアの大地が生み出した壮大な自然の象徴だった。
夜の山々の稜線は、まるで漆黒の大蛇が身をくねらせているように鋭く険しい。
その斜面には、闇夜の中でもかすかに輝く、緑色の苔が広がっている。
岩肌の合間から漏れる光は、*ルミニアグラスだ。
静寂の中でその淡い輝きが、夜の山々に命を吹き込んでいるようだった。
ミーアの口元には、小さな笑みが浮かぶ。
「……さあ、二人とも掴まって。ハゴネの山間に入るわよ!」
***
■アカリ目線です■
ベルマの背に私とジュリは乗った。
ヒッポグリフが大空を舞い上がるたび、私の表情は硬くなる。
普段は冷静でいるつもりの私。
でも高所は少し苦手、手綱を握る手には汗が滲んでしまうの。
腰が引けているのが一目で分かるわね。きっと。
それでも後ろでしっかり掴まっているジュリを気遣い、声を張ったわ。
「ジュリ! 前を見てみなさい! ハゴネの山間に入るわよ!」
緊張が声に影響してないか気が気じゃなかった。
ジュリが不安になるかと思って。真っ直ぐ前を向いたの。
そんな私を他所に、ジュリは涼しい顔で夜空を眺めていた。
高所どころか、夜空そのものを楽しんでいるかのように。
月光が静かに降り注ぎ、眼下には不思議な光を放つ植物、ルミニアグラスが広がっていたわ。その青緑の光は、まるで星々が地上に舞い降りたかのように、幻想的な雰囲気を醸し出していたわ。
ジュリはその光景にまるで心を奪われたように、目を細めて見下ろすの。
ルミニアグラスは、夜の精霊たちが集まって踊っているかのように、淡い光を放っていたの。まるで誘っているかのようだわ。
私は振り返るのもやっとの状態なのに、ジュリが呑気に言うの。
「ネー!、ルミニアグラスがすごい綺麗よ」
「もうジュリたら、今は、見ている余裕がないの!見ればわかるでしょ!」
笑顔のジュリとは対照的に、私は視線を前に戻したわ。
(*ハゴネの山のイラスト)
だって、震えが止まらないんですもの。
「ねえ、この【結界】って凄い魔法だよね? 下の景色も綺麗に見えるしさぁ。神代の魔法にも似たのがあるのかなぁ? もし知ってたら教えてよ、ネー!」
ジュリは興味津々なのよ。その声はどこか弾むように楽しげだし。
「ジュリ……どうしてあなたはいつもそんなにせっかちなの?
今は無理なのよ……でも、【神代魔法】にもあるはずよ、ええ、似たような魔法がね。ダー様ならきっと、【結界魔法】くらい知っているはずだわ」
「じゃ、ネーは使えるの?」
ジュリの問いに、手綱を持つ手にさらに力を込めたわ。
掌に汗を感じながら、意を決し片手を離して答えたの。
「私は【神代魔法】の【単】しか使えないわ。
それに、あなたほどの魔力もないし……【舞刀術】の強化程度が関の山よ。でもジュリ……あなたなら、きっと【結界魔法】や【秘伝】を使えるようになるわ」
痺れた手を軽く振りながら、必死に答えたわ。
ベルマが山間に入っていく中、私は再び手綱を握り直したの。
緊張しながら慎重に風を切るベルマを操ったわ。
けれど、楽しくなってきたのは事実。
あら、私ったら……はしたない……。
ダー様に知られたら嫌われちゃうかも?
でも、初めての経験だもの、楽しまなくっちゃ!
そう思いながら私とジュリはベルマに乗って、ダー様についていったわ。
その時だったわ。ジュリが私の肩を叩いて不安げに漏らしたの。
「ネー! 後から追いかけてくる、あれって何?」
──────
『*マヌエルの森』ーー 主に、『狩猟・農園・薬』で、エルフの民たちは、生活の基盤を築いている。『メデルザード王国』、『ゴマ』、『フィルテリア』ーー三つの国に囲まれている、森林山岳地帯の総称。国として大陸中が認めている。
『*八士族』ーー銀髪のトランザニヤとともに、太古の対戦で赤髪のガーランドを封印した、ハイエルフ一族たちの末裔。八士族の各長老たちが里を作り、マヌエルの森を治めている。
*ルミニアグラスーー 山の精霊が宿ると言われる発光植物。
(*ズードリア大陸マップ、ビヨンド村の位置のイラスト)
お読みいただき、ありがとうございます。
ミーアの詠唱を逆さに読むと、クスッとしてもらえるかも?
ブックマーク、リアクション、感想やレビューもお待ちしております。
【☆☆☆☆☆】に★をつけていただけると、モチベも上がります。
引き続きよろしくお願いします。




