「ベルマって……何?」
「言葉がーー見つからん」
黒銀の目の友こと、トランザニヤはため息をつく。
一方で女神東雲は、夫である神シロに悪戯っぽい笑みを見せる。
「八支族のしきたり、わたくしもやってみようかしら?」
「馬鹿を言うでない……それよりも、あれを見ろ!」
神シロは顔を赤くしながら答え、ビヨンド村より北方の砦を指差す。
トランザニヤと女神東雲は、指差す先に視線を向けた。
神々は緊張した面持ちで下界を見下ろす。
その頃ゴクトーは、終焉を迎えた酒盛りの片付けや仲間たちの世話に、少々手こずっていた。
◇(主人公のゴクトーが語り部をつとめます)◇
「スー…ピー…」
混沌の宴は終わり、パメラはいつの間にか片膝を立てたまま、後ろ向きにノビとともに寝息を立てていた。
器用な寝方に俺の口元が緩む。
パメラのその姿は、嫌でもあの初対面の記憶を呼び起こす。
そうーー。
出会ったあの朝、酒場の看板前で片膝を立て、寝ていたパメラのあの『黒薔薇』。
思い出すなぁ……。
感慨に耽りつつ、彼女の寝姿に目がいかないよう意識を逸らし、ぐったり伸びているノビを担ぎ上げた。
大部屋を出て、階段を降りたものの、ノビの部屋の鍵が開いてない。
仕方なく一旦、自室に連れていきゴロッと寝かせ、女将さんを探すことに。
宿内を隅々まで回って、ようやく見つけた。
女将さんは、食堂で煌びやかな軍服を身にまとった、貴族風の男性と親密そうに話している。
強者とも言えるような【覇気】を漂わせるその男性に対し、女将さんの表情は次第に暗く沈んでいく。その肩が小さく震えるのを見て、何かが起きているのだと直感した。
「では……女将、気をしっかり持ってな」
そう言い残し威風堂々と立ち去る男性。
付き添いの若い兵士たちを見送りながら、
「わかりました。わざわざお運びいただき、ありがとうございます」と。
そう言って女将さんは力なくうつむく。
何かあったのは明らか。
遠目で見ている俺でも、その雰囲気は伝わる。
どこかただならぬ空気が漂う中、遠慮がちに声をかける。
「連れのノビの部屋の鍵を貸してもらえますか?酔っ払って寝ちゃいまして……」
女将さんは静かに頷き、鍵を取りに受付へ向かった。
その背中には、どこか哀しげな影が漂っている。
暗い表情のまま戻ってきた女将さんは、作り笑いを浮かべ差し出す。
「こちらです……」
鍵を受け取った俺は、ノビを部屋に運び入れその後、再び受付へ向かった。
「ありがとうございました。助かりました…」
礼を言うと、女将さんは依然暗い顔。
どこか重いストレスでも抱えているように感じる。
気になって尋ねる。
「どうかされましたか?」
その言葉に女将さんは少し躊躇しながら、俺を応接間に案内した。
初めて足を踏み入れる応接間にやや緊張。
女将さんは柔らかな手つきで、ソファに座るよう促し、自分も対面に座った。その瞳には、わずかに涙が浮かぶ。
「……」
少し間を置いてから、 女将さんは震える声を絞り出した。
「実はーー先ほど話していたお方は、領主様の右腕と呼ばれる配下の方で、騎士団を統括している『シモンヌ』様という男爵様で……」
一旦、言葉を切ると女将さんは、静かに息を吸った。
「私の主人は……平民の出身でしたが、努力を重ね認められ、今では騎士団長として、北方の『キヌギス砦』に駐屯し、指揮を任されていました。しかし、数日前……」
女将さんの瞳が揺らぎ、涙が零れる。
「サブカラー傭兵団という賊が攻めてきたらしいのです。
騎士団は善戦むなしく敗退。砦は占領され、主人の生死はーー不明だと」
女将さんの嗚咽が応接間に響いた。
旦那さんが、そんな重要な役職についていたなんて……。
驚きは隠せないが、それを口に出すことは控えた。
代わりに言葉を選び問いかける。
「……それは心配でしょう。で、シモンヌ男爵は、これからどうされるおつもりですか?」
女将さんは涙を拭いながら答える。
「キヌギス砦を奪還するとのことです。ただ他の騎士団は、東西南北にそれぞれの砦に駐屯しているらしく、援軍にも数日かかるとのこと。まして、キヌギス砦はここよりさらに北……それまで主人が生きているかどうか……」
彼女の声は再び震え始めた。
「サブカラー傭兵団は、大陸でも悪名高い、盗賊まがいの傭兵団とも聞きました。リーダーは、『悪魔付き』と呼ばれる魔族だという噂もーー」
女将さんの言葉は、端々に絶望が滲んでいた。
「冒険者に依頼を出すことは……?」
そう口にしたものの、考えの浅はかさにすぐ気づいた。
「あ……そうですよね。そんなこと、できるわけがないですね……」
その詰まる言葉に、まるで沈黙が支配するかのような空気が応接間に漂う。 その刹那、『師匠』とともに冒険していた経験が蘇る。
冒険者に依頼するーーそれは、国の恥を外部にさらすようなもの。国の砦が奪われたと知れ渡れば、他国が介入する口実となり、最悪の場合は戦争に繋がり兼ねない。冒険者への依頼はあり得ない話。
しまった……。
不用意な発言だ。
悔やむ俺を他所に、女将さんは声を詰まらせ、泣き続けていた。その姿を見ていると、『師匠』の面影がほんのり浮かび、じっとしてはいられなくなった。
「取りあえず……俺なりに情報を集めてみます」
「……ありがとうございます……」
女将さんは震える声でそう言うと、涙で腫らした瞼を閉じ、小さく頷いた。
深く頭を下げ、応接室を後にした。
なんとかしてあげたい……。
そう思いながら自室へ戻る。
ベッドに横になっても、頭の中では次々と思考が巡り、とてもすぐには眠れなかった。
そんな中、部屋のドアをノックする音。
"コンコンコン”
「ああ……今、開ける」
ベッドから身体を起こしドアを開ける。
そこにはミーアが立っていた。
「帰る……」
その声は小さな声ではない。
「そうか……気をつけてな」
そう言いながらもふと思いつく。
あ……そうだ。
砦のこと、訊いてみるか?
よぎった疑問が彼女を引き留めた。
「ミーア、ちょっと聞いていいか?『キヌギス砦』って知ってるか?」
彼女は振り返り、首を傾げた後ーー微かな笑みを零す。
「知ってるよ。だって庭みたいなもんだもん。薬を届けに何度も行ったことあるから」
その言葉は自信に満ち溢れ、声も普段より大きい。
ミーアも、慣れると普通の声が出せるんだな……。
口に出さないのは俺の取り柄。
一方のミーアはキョトンとした表情で、目をぱちくりさせながら問う。
「なんで? 急にそんなこと?」
「ここからだと、どのくらいかかる?ハゴネよりさらに北だろ?」
俺の言葉にミーアは頬に指を充て紡ぐ。
「そだね。ハゴネからさらに北へ80キロメージ(Km)くらい。
歩いていくなら3~4日は掛かるよ。でも……うちなら、一刻(約1時間)で行けるよ」
「っえ?……一刻って? 転移魔法でも使うのか?」
俺の問いにミーアは首を横に振りながら、どこか得意げに答えた。
「違うよ。うちが大事に育てた、ベルマに乗っていくの」
「ベルマって……何?」
初めて聞くその単語に困惑。
だが、ミーアはその瞬間、俺の腕を掴んだ。
「見た方が早いね。リーダー今から、うちと行こう!」
彼女は"ぐいっ”と引き寄せる。
次の瞬間、”むにゅ〜ん”とした柔らかい感触が脳を刺激する。
強引だが、この感触にはもう慣れた。
出会った頃、流れていた気まずい空気もどこへやら。
気位が高いと言われるエルフ種の中でも、親しみ易さを感じるのは、このスキンシップせいなのかもしれない。
でも、肉食なんだよな。
ちょ、超がつくほどの破壊力だし……。
口が裂けても言えない内心と焦りが、俺の唇を滑らせる。
「ちょ、ちょっと待て、ミーア。落ち着けって!」
「リーダーってば、何を気にしてるの?見に行くだけだよ?『キヌギス砦』を!」
抵抗したその瞬間、ミーアは軽く拗ねたように頬を膨らませた。腕を放そうともしない。
「わかった、行くから……ちょっと腕を離してくれないか?」
「ちょっと待つよ」
不満げな顔をしながら、ようやくミーアは腕を放した。
しんと静まる部屋ーー 部屋には月明かりが仄かに差し込み、二つの影を落とす。
『*明灯の魔導具』の黄色いライトが青い蝶を映し出す。神秘的なその蝶は青翅を羽ばたかせていた。
その青い蝶は妄想蝶ーー『ミラ・アカノ』。
彼女が何やら察したらしい。
穏やかな風がカーテンを揺らす中、俺は丸い小窓をピシャリと閉めた。
腰に【桜刀】を差し、お気に入りのテンガロンハットを被ると、青い蝶はその鍔元に留まった。ハットのデザインの一部にまるで同化するかのように。
「ヨシ、行こう!」
再び腕を掴むミーアとともに、玄関へ向かう。
仲間たちのことは気になるが、なるようになる。
そう思っていた矢先ーー風呂上がりのジュリと偶然にも鉢合わせた。
ジュリは白いTシャツにデニムの短パン姿。
湯気が立ち上り、Tシャツ越しには『緑色』が透けて見えるーーいや、見えてしまう。
まさか透視のスキルまで?
思えば、ダンジョン攻略前にも同じような現象が俺の身に起きていた。だが、思慮を深める時間も、思い出に浸る時間すら、今の現状ではあり得ない。
そんな俺を他所にジュリが訝しい目を向け、いつもの調子で声を張る。
「何してんのよ、へんダー!鼻の下伸ばして!そんな格好でどこ行く気?」
怒りを込めた目で彼女は、俺とミーアを睨みつける。
(なんで……ミーアと一緒なのよ)
ジュリの思いが伝わる。
窮地に追い込まれ、思わず言い訳じみた言葉を並べる。
「ジュ……ジュリこそ、なんでここに?」
焦りが言葉を詰まらせた。
その瞬間、ジュリの頬が少し朱くなる。
(初めてまともにジュリって呼ばれた……!う、嬉しい!)
ジュリの思いが俺に伝わる。
心読のスキルは時に厄介な長物。
彼女は内心喜びながらも、表面では怒りを装ったままだった。
そしてーー平然と言ってのける。
「食堂に、お皿とカトラリーを返しに来ただけよ!」
「そ、そうか。助かった……忘れてたよ。これからちょっと、ミーアと『ベルマ』ってのを……見に行くんだ」
その言葉にミーアが追い打ちをかけるように、腕を掴み"むにゅ~ん”。
次の瞬間、ジュリの表情が変わった。
場の空気が鈍く濁っていくのを感じる。
周囲にもどんよりとした生温かい風が漂う。
肌にはじっとりとした汗まで滲む。
これって、気まず過ぎるだろッ!
そんな俺の思いと裏腹にジュリが問う。
「ベルマって……何よ? ミーアと随分、親しげね?」
その声は上擦って、態度もぶっきらぼうーー。
しかし、ミーアはへっちゃら。そのまま腕を掴んで離さない。そして彼女は微笑を浮かべ、首を傾げる。
「見てみる?ジュリちゃんも?」
その言葉にジュリの目が一瞬険しくなった。
ミーアの口調は柔らかで、悪気など一切感じないのだが。
誘いをかけられたジュリは、途端に表情を曇らせていく。
(どうせ……わたしの居場所なんて、ないんでしょ……)
その思いが伝わって、このスキルを恨めしく思う。
(でも、誘われたのは嬉しい!)
そう思う彼女の態度が変わり始め、慌てた口調で一言。
「ちょっと待って。この格好じゃ、外に出られないから!」
(*ジュリのイラスト)
言い残したジュリが、急いで大部屋に駆け戻るのを見送り、玄関でしばし待つ。
急な展開に戸惑う俺。
まぁジュリだけならーー。
そう思っていたのも束の間。
玄関に華やかな香りが漂ったーーその瞬間。
アカリが階段を降りてくる。
長めなスリットの入った、彼女のチャイナドレスが風で靡く。そこからは美しい白い美脚がチラリと覗く。
凛とした姿で彼女がこちらに近づいてくる。
「お待たせしましたわ!」
その言葉ともに漂う麝香の香り。歩きながら白い簪を挿し直し、桃色の髪を軽やかにまとめ上げる。 その艶やかさは、拍車をかけるかのような上品さまで付加している。
そんなアカリの頬には少し酔いの朱みが残っていた。
だが、それだけではなかった。
その後ろでアリーがひょっこりと顔を覗かせる。
「お待たせにゃ!」
その仕草だけでも愛らしいのに、大人びた黒のレザージャケットを羽織り袖を通す。
そのショートパンツの姿は、無邪気な魅力をさらに引き立てていた。
歩く度、黒いブーツが”こちり”ーー微かな音を響かせる。
ポケットには初見の『ショート魔導銃』と、小ぶりな『照準器』が揺れ、ゴツゴツっとした重たい金属音を奏でる。
まるで、冒険を楽しむ子供のようなアリー。
そんな無防備な可愛らしさがそこにあった。
一方、ジュリの姿は正反対の印象を与えた。
階段を降りながら横に流した桃髪を緑色のバレッタクリップでまとめ上げる姿は、妙に色っぽい。
黒のトップスの中では膨らみが左右に揺れる。
同色のミニスカートからは、彼女自慢の美脚が覗く。
手には短い青い杖を持ち、どこか挑発的な笑みを浮かべた。
「ごめ──んっ!」
その言葉と仕草は、ジュリの小悪魔的な魅力が滲み出ていた。
俺は半ば呆れ、半ば困惑しながら問いかける。
「なんでアカリとアリーも、ついてきてるんだ?」
「ごめーん。着替えてたら、『どこ行くの?』って聞かれてさ……」
ジュリが肩をすくめ、少しきまずそうに言い訳する。
一方、その横でミーアがアリーを抱きしめて、嬉しそうに笑っていた。
「アリーちゃんが来てくれた!!!
大丈夫よ、みんなで行こう!」
その声はどこか弾んでいた。
ミーアはアリーと手を繋ぎ先頭を歩く。
一方でアカリが無言で俺の腕を掴む。
柔らかさと温もりが伝わり『鼓動』が早鐘を打つ。
「揶揄うな鼓動!」
思わず小声が漏れる。
……これ、俺は耐えられるのか?
そう思いながらも宿を後にした。
背中に視線を感じる。
後を歩くジュリの刺すような視線は冷たい。
土壁が続く路地をいくつか抜け、やがてーー『ロカベルの魔法薬材と薬店』の前に到着した。
だが、ミーアはさらに裏手へと俺たちを導く。
そんな中、ミーアが囁く。
「ここだよ」
「どこに? 何もないんだが?」
周囲を見回す俺の口から漏れ出た言葉。
店の裏手に案内され、何もない空き地のような場所に立たされる。見渡しても、木製の柵や工具箱ぐらいしか見当たらない。代わりに漂うのはつくられたような静寂と、どこか神秘的な気配。
しかし、ミーアが軽く口元を緩める。
「ふふ、普通はね。この場所は誰にも見えないの。
エルフの森の『マヌエル』で使われてる……『幻惑の魔導具』と【ロカベル】の古代魔法で、隠しているのよ」
言い終えると、ミーアは俺の腕を離れて一歩前へ進んだ。
そして彼女は軽く手を掲げ、謎の言葉を紡ぐ。
「【ソベデ・:ンャチアカ・°ノエマオ】!!」
その声は耳に響くというより、まるで大気そのものに溶け込むようだった。
周囲の空間が“ゆらゆら”と揺れ、視界が歪む。
蜃気楼の中に吸い込まれるような感覚。
まるで妄想スイッチがオンになっている時のよう。
だが今は現実。
そんな中、ジュリが「何よあれ、魔物?」とポツリ。
仲間たちの視線も一点に集中する。
ぼやけた輪郭が次第に形を成し、目の前に立派な厩舎が浮かび上がった。
『ベルマ』の正体を見たーーその瞬間。
俺は言葉を失った。
中から姿を現したのは、漆黒の夜に染まった翼を広げる二頭のーー*ヒッポグリフ。
深紅に染まった翼を持つ一頭、もう一頭は黄色に輝く翼を持っていた。
羽毛の一枚一枚が薄い光を放ち、魔獣の瞳は月明かりを映し出し輝く。そして紺壁の夜空に「グルッグギェー」と、一頭が小さく鳴いたーー。
(*ヒッポグリフのイラスト)
──────
*ヒッポグリフーー別名グリフィン(鷲と馬の合成獣)とも言われる翼種の魔獣。
古来よりハイエルフの従魔として育てられるーー名付けられた所以は「ヒッポ」(馬)と「グリフ」(古代種)。
『*明灯の魔導具』ーー炎属性の魔獣から取れる魔石を核にした貴重なランプ。エルダードワーフが収める国、『ゴマ』で主に生産される。
(*ズードリア大陸マップ、ビヨンド村の位置のイラスト)
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