捩れた雷鳴
「ふふ、良かったわ。八支族のあの子が仲間に加わって」
神シロの妻、女神東雲が口元を綻ばせ、ほっと胸を撫で下ろす。
「いや、まだじゃ、あそこは三姉妹。あの子……教授がまだ姿を見せん」
神シロが訝しい目で下界を見つめる。
「大丈夫さ、彼らは導かれ、宿命を背負って集っているんだ。しばし、待とう」
黒銀の目の友こと、トランザニヤが冷静な口調で宥める。
その時、天界にも何かを知らせるようなーー雷鳴が下界で轟く。
「まさか……」
神々は不安を抱えつつ、下界を見下ろす。
ーーその頃、ゴクトーはミーアとともにギルド支部へ向かっていた。
◇(主人公のゴクトーが語り部をつとめます)◇
道中ミーアが俺の腕をぐいっと引っ張る。
いや、それだけじゃない。
“むにゅ〜ん”の感触が俺の腕に伝わるではないか。
ちょっと待て、これが”肉食”ってやつなのか?
こんなにも“ぐい”って、おかしくないか?
路地に差し掛かる。
道行く人々の視線が、どうもこちらを見ているのが気になる。
目のやり場に困るが柔らかさが気になり、それどころではない。
……頼むから、もう勘弁してくれッ!
そんな俺を脇目に、ミーアは淡々と歩みを進める。
その冷静さが逆に怖い。
やがてギルド支部に到着し、二人で中に入った。
受付で俺はカードを差し出し、ミーアにもカードを出すように促す。
「パーティ登録を頼む」
受付嬢はカードを受け取りながら微笑む。
その瞬間、ぐいっとミーアに身体を寄せられた。
再び柔らかい感触が俺の脳を貫く。
心臓が跳ね上がり、一気に血が集まるのがわかる。
頭は急にぐらっと揺れ、目の前が霞んでゆく。
妄想スイッチが……入ってしまう……。
思いながらも自分の世界へと足を踏み入れた。
【妄想スイッチ:オン】
──ここからいつもの妄想です──
「ふふ、この感触に一度でも慣れたら、もう元には戻れないのよ」
新緑の葉っぱをそのまま液体に閉じ込めたかのような、
鮮やかなエメラルドグリーンの個体を抱える少女の妖精。
その個体の表面は透明感があり、光を受けると淡く輝きながら、
まるで宝石のようにきらめいている。
「わたちの名はもち丸、あなたの腕を絡めとる」
(*ゴクトーの妄想上の妖精のイラスト)
【妄想スイッチ:オフ】
──現実に戻りました──
その瞬間ーー「旦那、これを!」
現れた『江戸っ子鼓動』がグリモアを投げる。
受け取った瞬間、グリモア”妄想図鑑”がパラパラと音をたてた。
「わたちの出番……」
シューン。
もち丸は図鑑の1ページに吸い込まれーー封印されたページからかすかに湿気が漂う。
そして『妄想図鑑』とともに『江戸っ子鼓動』も、蜃気楼のような揺らぎを見せながらうっすらと消えていった。
「おい、ちょっと待て鼓動!」
いつものように我に帰り、意識を戻した。
「何が、どうなってる?」
思わず声が漏れる。
隣にいるミーアが俺に振り返る。
妄想が見えていない彼女は、このスキルを知らない。
良かった。ミーアには見えてないんだな。
この時は、ほっと胸を撫で下ろした。
だが、これが見えてしまう現実は着々と近づいていた。
そんな中、見覚えのある受付嬢が『魔導端末』を操作しながら、問いかけてくる。
「ゴクトーさん、顔が真っ赤ですよ?」
その笑顔がどこか含みを持っている気がする。
「いや、むにゅんがな…」
上の空だった俺は、思わず変な返事をしてしまう。
「ハッ!」
なんで、こうなるッ!
もう、やめてくれ……。
ニヤリと口角を上げる受付嬢の視線は、明らかに"何か”を察している。
俺は一気に耳まで熱をもつ。
恥ずかしいし、情けない。
いや、こればっかりは仕方ない。
勝手に察しろッ!
内心で言い訳しながら言葉は飲み込む。
一方、パーティ登録は速やかに手続きが進み、無事に完了。
ミーアの『A級』ーー金の冒険者カードには『黒い縁取り』が追加された。
一波乱あった中、冒険者ギルドを後にする。
メインストリートに出ると、月が膜を張るように朧げだった。
まだ熱くなっている俺の耳に、ヒヤリとした風が当たる。
一旦、落ち着いた俺はミーアに向かって口を開く。
「俺たちはみんな、同じ宿に泊まっているが……ミーアはどうする?」
「取りあえず行くわ。姉様の所にいるから、宿には泊まらなくて大丈夫。
だから出発する時は、どこかで待ち合わせしていきましょう」
ミーアが小さく答える。
ギルド支部を後にした直後のこと。
その声の控えめさが、肉食行動とどうにも結びつかない。
「宿の名前はなんて言うの?」
これもまた小さな声だ。
「帰巣だ」
身長も高くて、美人だけど、声はやけに小さい。
その代わりミーアの柔らかい破壊力は、デス級ですけども……。
内心思う俺をしっかりミーアは、宿まで案内してくれた。
その間ずっと、デス級の感触が俺の脳に張り付く。
そして宿の前に着いたーーその瞬間。
ミーアは突然立ち止まり、俺の顔をじっと見つめた。
長い睫毛の下から覗く碧の瞳が、まるで吸い込まれるように美しい。
「っえ?……あの、どうした?」
言葉に詰まるとミーアはニッコリ微笑む。
「……ゴクトーさんって、可愛いい」
そう囁くように言った後、彼女は目をふせる。
……っえ! この俺が!?
いや、それより……その小悪魔的な仕草ッ!
心臓は爆発寸前。
彼女の一言が、頭の中ではぐるぐるとリフレインしていた。
ハイエルフって、みんなこうなのか……?
余韻を腕に感じながら、その場で深い息をつき空を見上げた。
紺碧の空に暗雲が立ち込める。
急な雷鳴に思わずビクッと驚くーー同時にピシャピシャと雨が降り始めた。
「濡れる、早く入ろう」
ミーアとともに宿に入った。
受付に居合わせた女将さんが目を丸くする。
「あら、珍しいエルフ種のお客様、そのスタイル見事ねぇ……」
そう言ってミーアを上から下までジト目で眺める女将さん。
「宿泊するわけじゃないんだけど、仲間に合わせたいんです。大丈夫ですか?」
俺の言葉に女将さんが「どういうことなの?」という目を向けてくる。
だが、訝しい目つきだった女将さんの表情が緩んでいく。
「ええ、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
俺が礼を言うと、女将さんはミーアに微笑む。
だが、一方俺に向けられる視線は、「不遜ですね」と言いたげな鋭いものだった。
うわぁ、絶対俺が、何か悪いことをしてると勘違いしてる目だ。
怖ッ……。
きまずさを感じながら、階段を上がり仲間たちがいる大部屋へ向かった。
“トントントン” ノックしたが返事はない。
「留守か…まだ帰ってきてないのか?」
仕方なく、自分の部屋に連れて行くことにした。
再び階段を降りて鍵を開ける。
ガチャ ピカッ✧
窓の外に小さな稲光が走る。
湿った風とともに土臭い雨が部屋に入り込み、カーテンを濡らしていた。
部屋の明かりを点け窓を閉める。
「その……みんなが来るまでここで待っていてくれ。俺はちょっと食堂の方に行ってくる」
そう言ってミーアを部屋に入れたのだが。
「……一緒に行く」
彼女が即答、少し視線を落とし小さな声で付け加えた。
「姉様に言われたから……この人に付いていけって。知らない場所で一人じゃ、ちょっと落ち着かないの」
その声には普段のクールな態度とは裏腹な、仄かに不安が滲んでいた。
少しだけミーアのことがわかった気がして、苦笑しながら頷く。
「わかった。一緒に行こう」
ミーアも小さく頷き、俺の後ろを静かについてきた。
結局、俺たちは食堂へ向かった。
食堂の扉を開け、ミーアを先に入れた。
続いて俺も食堂に足を踏み入れる。
「ゴクどーさーん!」
奥のテーブルで立ち上がるノビ。その対面にはパメラが座っていた。
良かった。
宿に帰ってたのか……。
安心した俺は二人に声をかけた。
「てっきり、大部屋にいるかと思ったんだけどな」
「先生が入れで、ぐれないんさ……」
「当たり前だ! 貴様と二人っきりで!?……私には拷問でしかない!」
ノビが言い返すと、いつものようにパメラが激しく睨みつける。
ミーアはそんなやり取りには無関心のようだ。
当然のようにミーアは妙に澄ました顔で俺の隣に座った。
ゴロゴロと遠雷が響くが、誰も気にも留めていない様子。
一方、パメラが笑みを浮かべながら、どこか探るような視線を向ける。
「ゴクちゃん……その綺麗な方は、どなたかしらん?」
「ミーアだ。薬屋のおねいさんの妹で……」
俺の言葉尻を蹴るように、空気感を読めない男が口を挟む。
「先生のが綺麗なんさ!」
「貴様は余計なことを言わんでいい!!」
案の定パメラに怒鳴られる。
ま、いつもの恒例行事だな。
思いながらなんとなく、ほっとしてしまう。
しかし、他の仲間たちはまだ帰っていない。
疑問符がついた口が勝手に開く。
「3人はまだ帰ってきてないのか?」
「ええ、まだなのよん。 今のうちにゴク…… 」
ゴロゴロ!
雷の音でパメラが言いかけた言葉は打ち消された。
そんな中、ハーブティーが運ばれてきた。
多分、女将さんが気を利かせたものだろう。
俺たち4人は妙な空気が漂う中、ゆっくりとお茶を啜る。
沈黙が続く中、パメラが口火を切る。
「ゴクちゃん、説明してくれないかしらん?」
彼女の声は柔らかい。だが、その視線は鋭いものだった。
うっ……来たよ。
ヤッパ、ツッコマレマスヨネ。
内心ロボットのようなカタコトが出たところで、ミーアが口を挟む。
「ハゴネを案内するの。姉様がこの人をサポートしなさいって」
片手でお茶を啜るミーアが小さく声に出す。
ノビもパメラもその言葉に目を丸くした。
俺は薬屋での詳細を説明する。
聴き終えたパメラが眉を寄せ皮肉めいた一言を落とす。
「そう……肉食なのねん。そうは見えないけど」
目を細めながら、どこか意味深な笑みを浮かべる。
「そうらしい……」
苦笑するしかないし、非常に居ずらい。
「ここで待っていてくれ」と。
言い残し俺は食堂を後にした。
雨が降り出してからというもの、背中に妙な違和感を感じていた。
それは身体の不調とは違う、薄気味の悪い憎悪を向けられたような感覚。
「なんだろう。この悍ましい憎悪と【邪気】……ヤバイ予感がする」
雷鳴が鳴り響く土砂降りの中、俺は一気に走り出したーー。
◆(ここから天の声、神シロがお送りします)◆
一方その頃、仲良し3人組は土砂降りの中、宿屋へ向かっていた。
道中、アカリは手を頭にかざしながら零した。
「ダー様は、もう帰って来てらっしゃるのかしら?」
「へんダーは、まだじゃない?」
ジュリがレザーキャップを被り直しながら答えた。
他方アリーは垂れ耳を濡らしながら空を見上げポツリ。
「濡れちゃうにゃ、早く帰らにゃいとー」
「急ぎますわよ」
そう言ってアカリは足早に歩みを進める。
まるで3人を追いかけるように雷光と轟音が響く。
アカリは宿屋帰巣の広告看板が目に入る。
ほっとしたところで、3人が路地を曲がったーーその瞬間。
「にゃにか、いりゅ!」
気づいたアリーが垂れ耳をピクッと動かす。
ピカッピカッ✧
雷光に映し出されたーー異様な姿。
奇怪な空気が周囲を包む。
次の瞬間、ぬっと魔族が土壁から這い出てくる。
その魔族は顔に鉄鋲をいくつもつけた異形。
顔と身体は闇属性特有の紫色の肌。
黒い爪3本が土壁を握り潰す。
「ぐふふ、待っていたぞ。我が宿敵、末裔ども」
低く重々しい声。
(*魔族のイラスト)
その声は雷鳴の隙間から彼女たちの耳に届く。
瞬間、身を翻す3人。
いきなりの敵襲にも怯まない。
ジュリがその魔族を睨む。
「何よ、気持ち悪いーー宿敵って何?!」
彼女は杖を出し身構え、詠唱を始める。
アリーは、すかさず魔導銃を構えた。
鋭い眼光でアカリが【桜刀】を抜き、ジュリとアリーを庇うように前に立つ。
一方、魔族の男はうっすらと嘲笑を浮かべる。
「何ができると言うのだ? お前ら如き3人で……」
そう言って魔族の男は顔につけた鋲を撫で、瞬時にそれを尖らせた。
その瞬間ーー「我が純潔の守護者! 白刃、顕現せよ!」
唱えたアカリの背後から白い閃光が迸り、呼応するような低いうなり声が響く。
純白の犬のような召喚獣が、アカリの側に姿を現した。
雨に濡れてもその姿は白く輝き、鋭い牙を剥いて魔族を睨みつけている。
喉を鳴らし、地面を爪で掻くその姿は、まるで嵐そのものを宿しているようだった。
アリーは魔導銃を構えたまま、わずかに目を細める。
「にゃつかしい……」
その声には過去の記憶か、あるいは本能的に何かを感じ取ったような響きがあった。 彼女の垂れ耳がピクピクッと動き、召喚獣のうなり声に反応する。
次の瞬間、魔族の男はニヤッと笑みを浮かべ叫ぶ。
「これを味わって死ぬがいい、ひひひ。喰らぇぇぇ【尖鋲弾】!」
ヒュンΣ≡=─ ヒュンΣ≡=─ ヒュンΣ≡=─
風を切る音とともに、雷光を反射させ、複数の鋭い突尖が3人を襲った。
「巫代流抜刀ーー【剛雷燦々】!」
掛け声とともに黒いローブが翻り、雷光を反射させた刃が一閃した。
カキン、カキン、カッキ──ン。 グサッ。
弾かれた尖鋲弾の一片が路地の土壁に刺さる。
その瞬間、詠唱を止めたジュリが叫んだ。
「へんダー!」
「間に合ってよかった」
ゴクトーは【桜刀】を握り返し身構える。
「っく、邪魔が入ったか」
魔族の男はカッ目を開き、呪文のような言葉を紡ぐ。
「刻の流れ、我が掌に! 刻みの歯車、加速せしめん!
永遠の刻を一瞬に! 【エクスペル・クロノス】ーー!!」
その瞬間、空気が一瞬止まったかのように静まり返る。
雨粒すら落ちる音が、ゴクトーには心なしか遅く感じられた。
次の瞬間、紫光が一点に集中し、アリーを包み込んだ。
「にゃに!これっ!」
彼女の叫ぶ声が反響し、光の渦に飲み込まれていく。
時間がねじれるように、アリーは大人びた姿へと変貌を遂げた。
まるで光の中で刻が跳ねたかのように。
ゴォ〜ン…ゴォ〜ン…
雷鳴が鳴り止み、教会の鐘が重々しく響く。
「ちっ、神まで味方するか……」
魔族の男は苛立たしげに舌打ちし、紫の肌が雨に溶けるように揺らめく。
「覚えておけ、古の末裔ども。この刻の捩れをな……」
その言葉は一瞬の雷鳴でかき消され、霧のように消えた。
だが、その場に残された紫の残滓が、かすかに不気味な気配を漂わせていた。
雷鳴が遠ざかる。
土砂降りの雨が音を吸い込み、静けさが戻った時ーー魔族の姿はもうそこになかった。
追い払ったのか、逃げられたのか。
勝ったのではない。
ただ「次」が来るまでの、つかの間の猶予に過ぎない。
そのことをゴクトーは本能で悟っていた。
アリーは胸に手を当て、荒く息をつく。
身体は見慣れない“成熟”を帯びたままーー同時に、胸の奥に重く沈むざわめきが消えなかった。
「……僕、どうしゅれば……」
震える囁きに、仲間たちは一瞬言葉を失う。
アカリは唇を噛み、いつもの快活さを失っていた。
「……大丈夫。大丈夫だから」と、根拠のない励ましを繰り返すしかなかった。
ジュリは目を伏せ、拳を固く握りしめた。
彼女の「軽口」は影を潜め、沈黙が重苦しく場を覆う。
白刃だけが、静かにアリーの傍らへ寄り添った。
黙ってその身体を守るように立つ。
その光景を、ゴクトーはただ見つめていた。
守りたいと思った。
けれど、守りきれなかった。
【桜刀】を抜いて戦ったはずなのに。
「……俺は、何をしているんだ」
雨に紛れて落ちた独白は、誰の耳にも届かない。
雷鳴は遠ざかったはずなのに、
ゴクトーの胸には、未だ轟く音が響いていたーー。




