妄想と現実の狭間
「……また蝶か」
神シロが空を仰ぎ、ため息をついた。
「蝶?」と、妻の東雲が首を傾げる。
「彼の心から生まれたものね。あなたには見えない?」
「いや、見えておるさ。だが……妄想で蝶を飛ばすとは、趣味が細かい」
神シロは苦笑する。
「あなた、笑っている場合じゃありませんよ」
東雲の声は少しだけ厳しかった。
その隣で黒銀の目の友こと、トランザニヤが静かにつぶやく。
「……笑いごとではないぞ。蝶は“守護”の象徴。ゴクトーの妄想が《具現想霊》となった今、神代魔法は次の段階へ進む」
そして三柱の声は、風に溶けるように消えた。
その頃、ゴクトーたちは『ムッキムッキ』の食堂で食事を取っていた。
◇(主人公のゴクトーが語り部をつとめます)◇
しばらくして、ガタガタと椅子が引かれる音。
村人や冒険者たちが食事を終え、食堂を後にする。
ノビの妹、サーシャが姿が見えなくなるとーー
「なら、オラは先生の婿になるんさ!!」
突然ノビが声を上げ、軽やかに流れていた食堂のBGMもピタリと止まった。
そろそろ昼の営業時間がクローズになる頃合い。
彼はいつものように"ニカッ”と笑みを浮かべ、パメラを見ていた。
「貴様など、誰がああああああ!!」
パメラが勢いよく声を上げ、睨みつける。
その迫力にノビは一瞬怯んだが、すぐにお家芸の「ケロッ」とした顔に戻る。
思わず「ししし」と笑ってしまう。
まるで察したかのように、ノビの隣でアリーが零す。
「ごちそうさまにゃ……ふふ……満腹しゅぎりゅ……」
その「ぽそっ」とした一言に、全員の目尻が下がる。
彼女はお腹をさすりながら、テーブルに突っ伏す。
その瞬間、パメラが先生らしくアリーに声をかける。
「もぉ〜、アリーちゃんってば……まだ、デザート来てないわよん!」
その刹那ーー厨房からマリアがトレンチを片手に目を輝かせて一言。
「食後のプリンですっ」
彼女が小さなカップを置いていく。
(*マスターの娘マリアのイラスト)
「にゃ!」
夢中でプリンを頬張るアリー。
ほんとに……満腹でもデザートは別腹なのな?
その姿に心が癒される。
俺の視線の斜め前、アリーの隣でジュリが思い立ったかのように口を開く。
「食べ終わったら、また『キャリーズ・パミュ』に寄っていこう!
ほら、レイド(依頼)もあるしさ……」
その声には彼女の「乙女らしさ」も滲んでいた。
ジュリ、俺は遠慮するよ。
昨日の今日だからね。
あの店で妙な注目を浴びたし……。
表情には出さず、胸中に収める。
次の瞬間、隣のパメラが艶やかな唇を動かす。
「あたいは、あの店の感じじゃないから……行きつけに行くわ」
「そんならオラも先生について行くんさ! 追加の装備も欲しいんさ!」
ノビが当然のように割り込む。
「貴様!!その……カエル装備で……追加も何もないわっ!」
パメラは顔を真っ赤にして怒鳴る。
俺は一度息をついて答えた。
「二人で行ってきてくれ。俺は寄る所がある……」
苦笑して誤魔化すが、パメラとノビが驚いた声でハモった。
「「えぇっ!!どこにっ!!」」
思わず心の声が……流石『師弟コンビ』。
影のリーダーことアカリが俺の肩にすっと手を置き、『手榴弾』のような一言を投げた。
「なら、私たちと一緒に、ダー様好みの下着、選んでいただいきませんと……」
つややかな声で誘う。その視線は血が逆流するような鋭さで、慌てて視線を逸らした。
突然、アカリが立ち上がり、ジュリとアリーを引き連れて何やら耳打ちを始める。
三人の表情は真剣そのもの。
密談が終わり、「食べ終わったら、各自で買い物に行きましょう」と。
そう言うアカリにはどこか意志の強さを感じた。
こうして、これからの動きが決まった。
俺たちしかいない食堂に穏やかな陽が差し込む。
意思が固まった俺は、真っ先に席を立つ。
「ご馳走様」
食べ終わり、出口で待つサーシャから伝票を受け取る。
「合計、金貨2枚になります」
彼女はどこか気まずそうに言った。
俺は金貨を10枚、サーシャの手に握らせる。
「おすすめ、美味かったよ」
「っえ!? 多過ぎます!こんな大金……」
サーシャが戸惑いながら手を振るが、軽く笑って。
「結婚資金だ」
その言葉にサーシャは顔を真っ赤にしてうつむき、深く頭を下げた。
その姿を見て仲間たちも微笑む。
少し、格好つけ過ぎたかな?
でも、まぁいいよなっ!
店を出た瞬間、仲間たちがそれぞれに動き始める。
パメラが嫌そうな顔で歩き出し、ノビが慌てて追いかける。
「じゃあ、後でねん……ゴクちゃん! ノビ、貴様はついてくるな!!」
「待っでくださーい! 先生!」
そう言って離れて歩く二人の姿は、仲の良い『師弟コンビ』そのものだった。
「ダー様……それでは後ほど」
「行ってくりゅ!」
「いいの選ぼうねー!」
アカリ、アリー、ジュリの三人組も楽しそうに手を繋いで出かけていく。
師匠が見ていた図鑑のことを一度、
ちゃんとアカリに聞いてみないとな。
それぞれが買い物に出かけるのを見送る俺は、食堂の前で一人佇んでいた。
アカリの麝香のような香りが風に漂う。
「さて、俺も行くとするか……誰にするかは、もう決めてるけどな」
そして俺は一人歩き出したーー。
***
一旦宿屋で仮眠をとった俺は、夢を見た。
うなされて目が醒める。
炎。叫び。血。
俺の手が、誰かの命を奪ったような錯覚。
違う。現実じゃない。妄想だ。
そう言い聞かせても、胸の奥が焼けるように痛む。
いつ時間が経過したかもわからず、頭を揺さぶりながら起き上がった。
カーテン越しの日差しは、もう墨色に変わり始めていた。
そのまま、何かに導かれるように部屋を出た。
「……俺は、壊れてるのか?」
気がつくとビヨンド村の路地を歩いていた。
冷たい風が外套の裾を揺らし、頬を撫でるたびに、現実に引き戻される。
けれど、頭の中ではまだ、あの夢の残滓が渦巻いていた。
その言葉が風に溶けた瞬間、止まった。
『妄想図鑑』もページが、パラパラとした乾いた音を立てながら捲られていく。
次の瞬間、視界の端に赤い光が舞った。
ーー蝶だった。
炎のような羽を持つ、小さな蝶が俺の前に現れた。
「私は、主の妄想から生まれたーー【具現想霊・真紅の蝶】、ブラ・アカノ」
……声が、聞こえた。
俺の中の、誰かが語っているような、そんな感覚だった。
「また……あの夢だ」
炎に包まれた街。
誰かの叫び。
自分の手が血に染まっている。
それは現実ではない。妄想だ。
けれど、何度否定しても、その夢が離れない。
俺は誰にも言えなかった。
この妄想が、時に現実よりも鮮明で、時に自分を支配することを。
誰にも見せられなかった。
この心の奥底に潜む、破壊衝動と救済願望の混在を。
その声は、どこか懐かしく、どこか痛々しいのかもしれない。
まるで、俺自身の心が語っているようだ。
そしてその蝶は、みるみる人の形ーーいや、まるで妖精の如き姿へと変貌を遂げていった。
(ブラ・アカノのイラスト)
「主が恐れ、隠し、否定してきたもの。それらすべてが、私の羽に宿っている」
俺は言葉を失った。
この蝶は妄想の具現化ーーつまり、これは“真実”なのか。
「なぜ……今、現れた?」
【具現想霊・真紅の蝶】、ブラ・アカノは静かに答えた。
「主が、壊れる寸前だったから。
私は、主を守るために生まれた。
主が自分を否定するほど、私は強くなる。
だが、主が私を受け入れなければ、私は消える」
俺は拳を握った。
自分の弱さをずっと隠してきた。
誰にも頼らず、誰にも心を開かず。
それが強さだと思っていた。
いや、たった一人……師匠のナガラにだけ……。
妖精のようなブラ・アカノの姿はうっすらとぼやけ初め、蜃気楼のように揺らぎ始めた。そのすぐ直後、体躯と呼べる身体は急激に変化し、元の真紅の蝶の姿に戻った。
美しい翅音とともに紅粉が空を舞う。赤い蝶は肩にとまり、炎の翅をばっと広げた。その瞬間、周囲の空気が熱を帯び、空が赤く染まった。
「私は、主の“可能性”だ。
主が望むなら、共に戦おう。
主が逃げるなら、共に沈もう」
俺はゆっくりと立ち上がった。
【具現想霊・真紅の蝶】、複眼にかすかな青い光が宿る。
「なら……俺は、逃げない。
お前と共に、進むさ」
紅い蝶は、弧を描く月から照らされる一筋の軌道を追いながら、翅をはためかせる。そして、その翅は炎を集約しながら村の屋根を照らす。
その晩、俺は“自分の力”を受け入れた。
そして赤い蝶は背に宿り、”焔の守護者”となった。
星が瞬く空の下、二つの影が静かに歩き出す。
それは妄想から生まれた真実。
孤独から生まれたーー絆だった。
やがて、蝶の個体から紅粉とはまた違った、微細な紅光の粒子が放たれ始める。それは空中に漂いながら次第に集まり、形を変え、赤い翅は薄れ、青みを帯びた輝きに変わっていった。
翅の縁には薄い黒の縁取りが浮かび上がり、空に浮かぶ星のように煌めく。
その間に蝶の身体も変化し始め、小さな角や翅の模様が次第に鮮やかさを増し、新たな美しさを放つ。
翅の色が青に染まり、深みのある瑠璃色へと変わると、蝶はゆっくりと青翅を広げた。
青い蝶は軽やかに舞い上がり、優雅に舞いながら”妄想と現実の狭間”を象徴する存在となった。
【具現想霊・真紅の蝶】、ブラ・アカノは進化を遂げたーーいつも俺のそばを舞う青い蝶として。
(*進化を遂げたブラ・アカノのイラスト)
俺は一部始終を見て口を開く。
「お前の名を改めよう、ミラ・アカノでどうだ?」
青い蝶になったミラ・アカノは、俺の周囲をまるで踊るようにひらひらと舞った。その翅音は、俺の孤独を溶かしていくようだったーー。
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