それぞれの意見
「兄上」
「兄者」
「兄様」
柔らかく響く声。
どこか懐かしい感覚を呼び起こす。
目の前には、幼い姿の三人の少年が立っていた。
銀色の髪に赤い瞳を持つ1人。もう1人は赤い瞳と紺色のマッドアイ。
そして、一番幼く見えるーー紺色の髪と同色の瞳を持つもう1人。
無邪気な笑顔を浮かべこちらを見上げる。
誰だ、この子たちは……?
問いかける間もなく、彼らが揃って一歩近づいてきた。
それぞれの声が、異なる響きで俺を呼ぶ。
「兄上、いつも遊んでくれてありがとう」
「兄者、がっはははは。もっと遊んで欲しいぞぅ!」
「兄様、ねえ、次は何で遊ぶ?」
彼らの言葉に胸が温かくなる反面、
何故だか心の奥底に妙な痛みが走る。
なんだ、この感覚は……懐かしいようで……けど……。
ふと、自分が見下ろす視線の高さに気づく。
俺、こんなに背が高かったか?
視線を下げて手を見ると、そこには自分のものとは思えない大きな手があった。長くしなやかな指先、力強い形。
手の甲にはどこか見覚えのあるーー紋様が刻まれている。
その瞬間、少年たちの笑顔がふっと霞んでいく。
「兄様、また会えるよね?」
最後に紺色の髪の少年が俺に問いかけた。
その言葉がいつまでもゴクトーの耳に残っていた。
……夢だ……。
***
「ゴクトーが見ていた夢がな……ワシの脳内に残ったままじゃ」
神シロが神妙な面持ちで言葉を詰まらせる。
「ああ、”始祖の血”が記憶を呼び覚ましているようだ」
黒銀の目の友こと、トランザニヤが静かに頷く。
「わたくしの【Revive】……蘇生魔法には……”記憶を消す”難点がありますから……それに”心読”のギフトまで与えてしまって」
神シロの妻、女神東雲が浮かない顔で二人に口添えする。
「いやいや、東雲さんは悪くない。ゴクトーがあの雪山で命を落としていたら……ダンジョンでも……二度も助けてくれたことに感謝してる。」
トランザニヤは女神東雲に深々と頭を下げた。
神シロがちょっと語気を強めに投げる。
「ゴクトーを最初に見つけたのは、ワシじゃぞ!」
「感謝してるよ……」
ふと、口元を綻ばすトランザニヤ。
彼は下界の『ムッキムッキの食堂』を眺める。
その目は楽しそうに食事をするゴクトーを追っていた。
神々は下界に目を向けた。
◇(主人公のゴクトーが語り部をつとめます)◇
「さっきの図鑑と、吸い込まれるように消えたシタギって娘は、一体なんですか?」
アカリの吐息の熱さとその言葉に一瞬で、血が昇り熱くなる。
《昔、ナガラ兄様も変な図鑑を見て、笑っていたわ。ダー様も同じね》
俺の様子を見て、右隣のアカリが口を綻ばせる。
アカリの思考が俺に伝わり、胸中は戸惑いと疑念が渦を巻く。
俺の『妄想図鑑』ーーアカリに見られたってことか?
……ってか、師匠も『妄想図鑑』を見ていた? ありえない。
『妄想が癖って、お前変態だな。はっはははは』って、笑ってたんだぞッ!
師匠のその変な笑い方が脳裏をよぎる。
今まで妄想は、ジュリにしか見られたことがない。
それもダンジョンでの”悪魔付き”とのあの一戦で見せた、
《具現想霊》神代魔法ーー奥伝の斑だけだ。
一方、俺の困惑顔が気になったのか、パメラがさらに追い打ちをかける。
「ゴクちゃんはあたいのよん。アカリちゃん」
「ダー様は私を選んでくださいますわ。パメラさん」
低い声で牽制し合い、二人の間には目に見える程の火花が散っていた。
逃げるように視線を泳がす。
その瞬間、目が合うジュリは、あからさまにムスッとしていた。
(わたしなんか、へんダーに選ばれるはずないよね。だって、この二人みたいに積極的じゃないし……大きな胸も無いし……)
彼女の思考が手に取るようにわかるのは複雑。
このスキルに手を焼きながらも、重すぎるそのコンプレックスが心に刺さった。
うつむくジュリがしばらく黙る。
「わたしは、自分らしくでいい」
対面に座る彼女は小さく囁き、軽い笑みを浮かべる。
どこか吹っ切れた様子に少しだけ俺の心も軽くなる。
話を戻そう。
料理が運ばれてくるまでの間、俺たちはダンジョンでの話で盛り上がった。
真っ先にジュリが口火を切る。
「そういやさ、ダンジョンの最後の階層でパメラさんの、あの揺れ、やばかったよね!」
パメラは「ふふん」と鼻を鳴らし、胸を押さえながら答えた。
「当然でしょう?あたいを誰だと思ってるのよん。大魔導士、パメラ・ルシーヌ・カルディア様よ?」
「へぇぇぇ〜!自分で言うと……ちょっとダサいにゃ……」
ジュリの隣でアリーが素直につぶやき、パメラがぎくっとした表情を見せ、口を尖らせる。
「ちょ、アリーちゃん!そ、そういうのは心の中だけで言うのよん!」
その言葉を聞いた一方で、アカリが褒める。
「でも、パメラさん、ほんと凄かったですわ。あの『爆弾』の”ブルルルン”……魔物が吹き飛んでーー圧倒されましたわ」
「ま、まあね……当然よ」
パメラはちょっと口元を緩め、照れるように耳を赤くした。
こうして、笑って食事を囲める日が……ずっと続けばいい。
ふと、そんな思いが胸をよぎった。
再び胸の奥に、言葉にできない何かが芽生えた。
それは新たな1ページが『妄想図鑑』に加えられたかのようだ。
晴れやかな気持ちが徐々に俺の不安を取り除く。
「ダー様?」
アカリの小声で我に返る。
「どうしましたの? さっきから?」
その言葉にも気づかぬほど、頭はいっぱいだった。
「いや……なんでもない。ちょっと、ありがたいなって思っただけさ」
「ふふ……それならいいですわ。でも、無理はなさらないでくださいね」
「……ああ、ありがとう」
そんな俺たちの会話に、パメラが口を尖らせて割り込んできた。
「こらこらこらこら! あたいの前で甘やかすのは禁止よんっ!!」
「パメラ……その言い方が既に甘えてる感じなんだけども……」
「なっ!? だ、誰がっ!」
いいな、この雰囲気。ほんとに、こういう時間がずっと続けば……。
そう思う傍ら、”おすすめ”されたタリアータパスタがくるのを待っている。
仲間たちの表情も穏やかだ。
陽が頂きに達するちょうど良い昼飯時。
村人や冒険者たちが次々と食堂に訪れる。
ノビの妹、サーシャが金髪を靡かせ、忙しなくテーブルで注文を取っていた。
アリーが垂れ耳をピクッと動かし、鼻をクンクンさせる。
彼女は自前のフォークを強く握りしめた。
その瞬間、厨房から渋い声が聞こえた。
「待たせたな。パスタあがったぞ」
振り向いたサーシャは厨房に入っていく。
「これ、お兄ちゃんのところよね?」
「ああ、ちょっとサービス盛りだ」
(*ムッキムッキの食堂のマスターのイラスト)
マスターの声が聞こえてすぐ、娘のマリアとサーシャが湯気の立つパスタを運んできた。
「「お待たせしました」」
その酸味と甘味が混じったような香りに一瞬息を呑む。
一皿ずつ丁寧に運ばれる料理にアリーが「にゃー!」と。
小さく喜びの声を上げ、ゴクッと喉を鳴らす。
「……にゃふ……おいしそ〜……」
ぱっと笑みを浮かべるアリーの表情がなんとも愛らしい。
その仕草に和やかな空気が漂う中ーー“ぐぅうううう”
突如、響き渡る腹の音。
全員がその音の発生源ーージュリに視線を向けた。
腹の音は聞こえなかったふりして、仲間たちにうながす。
「いただこう……」
その一言にジュリはほっとした表情を見せる。
だが、彼女は耳まで朱に染まっていた。
全員で短い祈りを捧げる。
「「「「「「いただきます!」」」」」」
それぞれがフォークを手に取り、パスタを口に運び始める。
トマトの酸味と牛肉の香ばしい香りが広がり、テーブルには幸福そうな表情が並ぶ。
いきなり、アカリがパスタをクルクルとフォークに巻き、俺の口元に差し出す。その行動に一瞬固まった。
……ちょっと待て、アカリ、いやデス姉さん。
これ、全員が見てるんですけども……。
内心戸惑いながらも口を大きく開けてしまう。
一方で、それを見たジュリがフォークを握る手をピタリと止めた。
(なんで?ネーだけ。そんなのズルい。でも……これ以上目立ったら、さっきのお腹の音のことまで……)
ジュリはパスタを口に運ぶのも忘れてうつむいてしまう。
目の前のパスタを食べつつ、横目でチラリとジュリの様子を窺う。
その動揺ぶりがむしろ微笑ましい。
隣のアリーは、無邪気に声をかける。
「ジュリねぇ、食べにゃいの? 冷めちゃうにゃ」
「っえ!? 食べる、食べるから!」
急いでフォークを動かし、ジュリがパスタを口に運ぶ。
焦りすぎたのか、口にトマトソースが少し付く。
「……ジュリ、ソースついてるぞ」
咄嗟に声が漏れ、手を伸ばしてナプキンを差し出す。
俺にしては気遣いができたと思う。
彼女は一瞬目を丸くしたが、すぐにひったくるように受け取った。
「いいの!!自分でできるから!!」
ナプキンを押し付けるようにして拭う仕草は、可愛らしくもありジュリらしい。
仲間たちの顔にも自然と笑みが溢れていた。
誰かが気に病めば、誰かが笑い、気持ちを分かち合う。
これがリリゴパノアのスタイル。
仲間たちって良いもんだな、と改めて思う。
心のどこかでずっと探していたものが、今ここに少しだけあるような気がしていた。
そんな俺を他所に左隣のパメラが動く。
「はい……ゴクちゃん、あ──ん……してんっ」
彼女がパスタを巻いたフォークを、艶やかな声とともに差し出す。
その瞬間、嫌な予感が頭をよぎる。
案の定、空気が読めない男が「先生──オラにも、”あ──ん”して欲しいんさ」と。
アリーの隣でノビがさらに大きく開口する。
「貴様に食わせてやると思うのか!この馬鹿者があああああ!!」
パメラが拳を震わせながら怒りを顕にする。
彼女は左手でしっかり、『爆弾』を押さえていた。
仲間たちがほっとしたような表情を見せる。
騒つく食堂には異様な空気が漂う。
(*ノビの妹サーシャのイラスト)
偶然、厨房から出てきたサーシャが、恥ずかしそうに小声で尋ねる。
「お兄ちゃん、もしかして……先生を?」
「そうなんさ……」
ノビは照れくさそうに頬を掻きながら"ヘラヘラ”と笑うだけ。
その答えにジュリがフォークを止めて、目を丸くした。
一方、心中穏やかならぬパメラがいきなり声を張る。
「貴様!何を……立場をわきまえろ。歳も離れ過ぎだ!」
頬を朱らめ、なぜか俺を一瞥するのが気になる。
場の空気があらぬ方向に流れていく中、ノビが節目がちに言葉を落とす。
「でも、歳ならサーシャだって、離れた人と……」
「ちょっとぉ!お兄ちゃん、皆さんの前で恥ずかしい!」
妹のサーシャはそう言って顔を朱に染め、厨房の方をチラリ。
ノビはまるで軽い冗談のように大声で言った。
「おめえが先にオラと先生のこと、言うからなんさ。
親父は認めでるみでーだから……はやく嫁に行けばいいんさ!」
サーシャが慌てて「お兄ちゃん!声、でかい!」と小声で言い返す。
お互い顔を赤くして、言葉を交わす兄妹。
ふと天井を見据えながら、朝見た夢を思い出す。
兄妹か……確か、あの少年たちは俺を兄と……。
なぜかそれは俺の心にちくっとした痛みを感じさせた。
不思議な感覚で、まるで前世の記憶のような感覚。
いや、前世での俺は渋谷の街を歩いてた。
この記憶もどこか曖昧。
俺は境がわからなくなってきていた。
そんな俺を他所に、黙って聞いていたパメラがサーシャに尋ねた。
「マスターには、奥方様がいらっしゃるの?」
その言葉にアカリがノビとサーシャ、さらにパメラを一瞥して紡ぐ。
「年齢は関係ないですわ。仮に奥方様や側室がいても……私は気にしない」
アカリの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
一方のサーシャは小声で答える。
「奥さんはマリアが小さい時に病いで、亡くなったらしいのです……」
彼女はどこかきまずそうだ。
次の瞬間、ジュリがフォークをカタッ…と置き、身を乗り出す。
「なら平気じゃん!!奥さんがいるなら、あれだけど……」
彼女が言い添えるが、その瞳はどこか揺れていた。
答えるサーシャの声はさらに小さくなり、
「そうなんですけど……」と。
顔が朱に染まっていく。
突然、ガタッと立ち上がるアリーが、いきなり魔導銃の一撃のような発言。
「強いオスは嫁をいっぱい取りゅにゃ!嫁いっぱいが強い証にゃっ!」
言い終えると耳をピンと立てた。その口元にはトマトソースがべったりと付いている。
見た目は可愛いが、周囲をざわつかせる。
必然、村人や冒険者たちの視線が集まる。
片付けをしながらサーシャが厨房に戻り、一旦場が落ち着く。
窓の外を眺めながらほっと息をつく。
仲間たちも少し落ち着きを取り戻したようだ。
だが、空気が全く読めない男が再び動いたーー。




