虎獣人オブニビアの双子
「おい、白狼虎……何やら不穏な動きが……」
エルフ神ロアは、下界に注視した。
「ああ、『メデルザード王国』で、魔族が動き出したな」
白狼虎こと、獣人神オブニビアも目を向けた。
「お二人はあの子たちを。わたくしがこちらを見張っております」
エルフ神ロアの妻、女神ロカベルはある獣人姉妹に注視した。
(*神々のイラスト)
***
話は少し逸れるーーここは『永劫の残影』と呼ばれる、もうひとつのパラレルワールド。
ズードリア大陸ほぼ中央に位置する『メデルザード王国』
ゴクトーたちがいる『アドリア公国』から東に位置する国である。
(*メデルザード王国の位置)
夜の帳が降りたその城下街コンラッドに、乾いた風が吹き抜ける。
薄暗い路地裏で、ティグルは獲物を追い詰めていた。
胸の奥で脈打つのは、怒りと焦燥。
獣の血が全身で騒ぎ、直感が叫ぶ。
「待つだにゃっ!」
追うのは、街に潜む闇の密売人。
痩せた身体で素早く立ち回り、虎獣人であるティグルの猛追を何度も躱す。
「ぬにゃあっ!」
彼女の苛立ちが頂点に達したとき、ティグルの持つ*魔導銃から爆発的な火花が散る。
それは彼女の感情に呼応する、制御不能な衝動だった。
火花は路地の壁を焦がし、地面をえぐり、爆ぜる炎が路地に赤い光を広げる。
逃げ道を塞がれた密売人は転倒し、絶望の声をあげた。
「ぐあぁ!」
密売人が悲鳴をあげて転倒する。
ティグルは荒い息を吐きながら、彼に歩み寄った。その瞳は燃え盛る炎のように輝いている。
「これで……逃げられにゃいら」
息を荒げ歩み寄るティグル。その背に、冷ややかな声が落ちる。
「ティグル、衝動に任せては駄目だ。証拠を失う」
振り返れば、月光を浴びて立つのは双子の姉グルガ。
灼けるような橙の髪、琥珀に光る瞳。その冷徹な美しさに、空気が張りつめた。
「グルガ……」
ティグルは不意を突かれ、言葉を失った。
グルガは冷静な足取りで近づき、転倒した密売人に冷たい視線を投げかける。
「彼の懐には、にゃたちが探している……帳簿があるはず」
グルガはそう言って、細い指先を密売人に向ける。
すると、周囲には透明な光の結界が張り巡らされ、彼の動きを完全に封じた。
「まったく……火炎弾に帳簿まで巻き込まれるところだった」
その言葉にティグルは、ばつが悪そうに耳を伏せる。
「にゃはティグルとは違う。感情に流されることはない。理性と計略こそが、にゃたち獣人の強さだ」
姉グルガの言葉は、いつも妹ティグルの胸に鋭く突き刺さる。
「わかってるだにゃ。でも、アイツの顔を見てたら、どうにも我慢できなくなったんら」
ティグルは不貞腐れたように答えた。
「ティグルのその無鉄砲さが、時にはにゃたちを危険に晒す。
にゃたちはこの街の秩序を守る者。感情に流されるようでは務まらない」
グルガは密売人の懐から無傷の帳簿を取り出すと、ティグルに手渡した。
ティグルは姉の言葉に反発しながらも、どこかで彼女の存在を必要としていた。
「これで今夜の仕事は終わりだ。さっさと本部に帰るぞ」
グルガの言葉に肩を落とすティグル。
妹ティグルは衝動的で、感情のままに動く。
一方、姉グルガは冷静沈着で、常に最善の策を練る。
二人はよく似ていながら正反対の双子だった。
***
夜は明け、空が白み始める。
任務を終えた二人は、長老の叱責を受ける。
そこはティグルとグルガが所属する、*メデルザード王国国家安全保障組織(Kingdom of Medelzard National Security Organization)通称【KOMNSO】の本拠地。
「今回はギリギリでしたね。もしグルガがいなければ、帳簿は燃えていたでしょう」
現役を退いた獣人族の長官が、ため息まじりに小言を落とす。
「すみません、次からは気をつけますにゃら」
(*ティグルのイラスト)
ティグルは素直に頭を下げた。
グルガは何も言わず、ただ静かに長官の話を聞いている。
(*グルガのイラスト)
「亜人国家フィルテリア、*五長老の一人……オブニビアの孫のお前たち二人は、まさにこの街の光と影だ。ティグルのような衝動的な力も必要だが、グルガのような冷静な判断力も不可欠だ。だが、バランスを欠けば、どちらも凶器となる」
長官はそう言って、二人に厳しい視線を送りながら紡ぐ。
「ティグル、君の力は計り知れないが、制御できなければただの破壊者だ。
グルガ、君の理性は素晴らしいが、冷たすぎる。たまには心に従って動くことも覚えなさい」
「ティグルには力を制御する難しさを、グルガには心を閉ざしすぎる危うさをーー」
二人は沈黙したまま、長官の言葉を胸に刻み込んだ。
***
その日の夜、ティグルは自室の窓辺で空を眺めていた。
満月と三日月がまるで夫婦のように寄り添う。
グルガの言葉と長官の言葉を胸に、彼女の心はどこか悠遠に揺らぐ。
「にゃらは、ただの破壊者にゃのか……」
その時、部屋の扉が静かに開く。
振り返ると、グルガがそこに立っていた。
「起きていたにゃら?」
グルガはティグルの隣に並び、同じように夜空を見上げた。
「ティグルに話がある」
グルガの口から出た言葉は、いつもと違い、少しだけ感情がこもっているように聞こえた。
「今回の件で、ティグルの行動を非難した。謝るつもりはないが、少し言い過ぎたかもしれない。ティグルの力はにゃには、無いものだ」
ティグルは驚き、グルガの顔をまじまじと見つめた。
「……どういうことにゃら?」
「ティグルの衝動的で膨大な魔法は、にゃには使えない。にゃの魔法は、対象を封じ、動きを止めるもの。それは相手を傷つけることはないが、敵を完全に無力化する力もない。ティグルの爆発的な力があってこそ、にゃたちは敵を捕らえることができる」
グルガはそう言って、初めてティグルに弱い部分を見せた。
「にゃらは、グルガがいてくれないと、すぐに暴走しちゃうにゃら。いつもグルガが止めてくれるから、にゃらは安心して暴れられるんだにゃ」
ティグルは照れくさそうに言った。
「…そうだ。にゃたちは二人で一つ。だからこそ、お互いを補い合わなければならない」
グルガは静かに頷き、ティグルの肩にそっと手を置いた。
***
翌日、街の至るところで、魔力が不安定になり、謎の現象が起きていた。それはコンラッドの街ーー全域を覆う異常な魔力の波動。
「これは呪詛? 強力な精神干渉呪詛。街全体が標的になっている」
見回りをしていたグルガは事態を察知し、すぐに長官に報告した。
「犯人は、おそらく魔族、それも*魔族四天王の一人ーー南のゾルザックだ。
強力な精神干渉呪詛を得意とし、人々の心を操る。街の住民を狂わせるつもりだ」
「どうすればいいんだにゃ?グルガの封印魔法でも、街全体を覆うのは無理にゃよね?」
ティグルは焦りを隠せない。
「そうだ。だからこそ、にゃとティグルの力が必要だ」
グルガは冷静に答える。
「にゃがゾルザックの精神干渉呪詛の核を見つけ、それを一時的に封じる。その隙に、ティグルが核を破壊するんだ。ティグルの爆発的な魔導銃でしか、あの強力な呪詛の核は破壊できない」
「わかった。やってやるだにゃ!」
ティグルは意気揚々と答えた。
二人は特殊な魔道具を操り、魔力の流れを辿った。
「コツコツ♪ にゃたちの神ーー コツコツ♪ 白狼虎よ♪ コツコツ♪
我と妹ティグルの姿をこの世の全ての眼から外したもう。今、その神代の力をここに示せーー!」
グルガが『古代魔法』を奏し、彼女たちの姿や【覇気】は見えなくなった。
彼女たちは頷き、街の地下深くに潜むゾルザックのアジトへと向かった。そこは複雑な魔法陣が張り巡らされた、おぞましい空間だった。
「やはり、ここにいたか」
グルガはゾルザックの姿を捉えた。
禍々しい紫色の体躯。顔には突起した鉄の鋲が飛び出していた。
角は無いが、その手足の爪には異様に長い。
ゾルザックは巨大な魔法陣の中心で、街の住民の精神を操ろうとしていた。
まだグルガとティグルに気づいていない様子。
「ティグル、準備はいいか」
グルガの言葉に、ティグルは大きく頷いた。
「いつでもいけるだにゃ!」
グルガは全魔力を集中させ、ゾルザックの魔法陣を封じようと試みる。
彼女の額には汗が流れ、その顔は苦痛に歪んだ。
ゾルザックの呪詛が強大で、封印は容易ではない。
「くそ、あと一歩…!」
グルガは歯を食いしばり、必死に耐える。
「グルガ!」
ティグルは彼女の苦しむ姿を見て、胸が締め付けられる。
彼女は衝動に任せ、ゾルザックに向かって突進しようとした。
その瞬間、グルガの声が響く。
「待て、ティグル!まだだ!」
彼女は必死に叫び、ティグルの暴走を止めようとした。
しかし、ティグルの感情はすでに制御不能に陥っていた。
「にゃらは、にゃを守るんだ!」
ティグルはそう叫び、自らの魔力を解放しようとした。
その時、グルガの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「ティグル、やめろ…!」
彼女はついに耐えきれず、絶望の叫び声をあげた。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン」
「……違う。守るのはにゃじゃない。にゃらが……未来を守るんだ」
グルガの頬を涙が伝う。
ティグルはその涙を見て初めて、姉の覚悟を悟った。
「……大丈夫。にゃらのことはーーあの子が支えてくれる」
「……あの子?」
ティグルの耳がぴくりと動く。
「……従姉妹の、アリー。にゃたちと同じ血を継ぐ、優しい子だ。
いつか会えたら……どうか、守ってやってくれ」
グルガの声は風に溶け、手の温もりが離れていく。
「いやだにゃ!グルガを置いてなんて行けないにゃ!」
だが叫びは届かない。
炎のように輝いていた橙の髪は、光の中へと消えーー。
「グルガぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
妹の慟哭だけが、地下の空洞にこだましたーー。
***
下界を覗き込む女神ロカベルがつぶやく。
「あの呪詛で時空のねじれに……」
彼女の顔には焦燥と嫌悪が入り混じっていた。
***
ゾルザックのアジトをオブニビアの双子が壊滅させてからーー3ヶ月後のこと。
ここは【KOMNSO】、獣人の長官が口を開く。
「ティグル、やはりここを去るのか?これからどうするんだ?」
「一度、フィルテリアに帰って、考えるにゃ……今までお世話になったんだにゃ」
ティグルはそう言い残して、【KOMNSO】を去っていった。
***
それから2年後。
ズードリア大陸北東、獣人が治める国*『フィルテリア』ではーー
『S級冒険者』となったティグルが旅たちの準備を始めていた。
「くれぐれも力を制御すること。暴走しないようにね」
祖母、長老の一人である虎獣人のオブニビヤがティグルに声をかけた。
一瞬、ティグルの頭に、姉のグルガの声が思い出される。
『従姉妹の、アリー。……どうか、守ってやってくれ』
ティグルは心の中で「わかってるんだにゃ」と、答えながら笑った。
そして、彼女は祖母に振りかえった。
「ばあちゃん、いってくるんだにゃ」
ティグルの声がフィルテリアの青空の響いたーー。
────
【文中補足】
*魔導銃ーー魔力を込め発射できる魔導具。概、銃身が長い物と短い物がある。長い物は『マジックガン』と呼ばれ、短いものは『ピストル』と呼ばれている。主に『狩猟』のギフトを与えられたものが使いこなせる魔導具として知られる。
*メデルザード王国国家安全保障組織(Kingdom of Medelzard National Security Organization)ーー冒険者ギルドや商業ギルドとは違った王国の公的機関。
警察と軍を合わせたような諜報機関でもある。
**魔族四天王ーー四方を守る高位魔族、堕落した4柱の神々を指し、魔王を守護する。勇や魔力に優れた4人を指す。
*南の『ゾルザック』ーーかつて神々の一柱「月神ゾル」の血を引く長男として生まれながら、堕落し、魔の力に染まった存在。『太古の大戦』にて封印されたものの、魔王ガーランド三世の呼び声に応じ、ふたたび地上に姿を現す。
*『フィルテリア』ーー東のオドリュー海沿いに位置する【亜人国家】。
王政ではなく、長老達五人の【合議制】によって、治められている。
* 五長老ーー最長老の猿人サバス、龍人ミデル、鳥人バックス、 魚人ネルミア、そして彼女の祖母、虎人オブニビアの五人が、国家を取りまとめている。
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