忍び寄る影
「おい、黒銀の、あやつを見てみろ!」
神シロが下界を注視しながら、黒銀の目の友ことトランザニヤに指差す。
「ふむ。あれは兄の末裔、魔王の眷属……魔族と呼ばれるもの……」
トランザニヤの表情が曇る。
「まさか……人間の姿に?」
女神東雲も驚きながら神眼を凝らした。
神シロの唇がわずかに動く。
「とうとう動き出したか……」
「しかし、まだ、兄の孫は直接は動いてないようだ」
「……魔王ガーランド三世か……」
トランザニヤの声に、神シロは腕を組みながら右手で顎を撫でる。
何かを考えながら遠くを見つめていた。
「……まだゴクトーが接触するには早すぎる……早すぎるんだ!」
トランザニヤは悲観するかのようにーー下界を覗き込んだ。
神シロと女神東雲も心中穏やかではいられず、同様に下界を覗き込む。
■神シロの視点■
神シロは静かに下界を見つめていた。
神眼には、魔族たちの小さな動きが、
大きな戦乱の兆しへと繋がる未来の線として映っていた。
彼は今、何よりも「時機」を見極めようとしていた。
ゴクトーの介入はまだ早い。
だが、手をこまねけば、魔王の血筋が先に動き出す。
この世界の均衡を守るため、
今はまだ“動かざる時”と見定める冷静さが必要だ。
神シロの眼差しには、決断の重みに耐える覚悟が宿っていた。
▲女神東雲の視点▲
東雲の神眼は、下界に渦巻く気配を繊細に感じ取っていた。
恐怖でも、怒りでもない。
彼女が覚えたのは、ただひたすらに“胸騒ぎ”だった。
この世界で生きる者たちの命が、名も無き誰かの涙が、
音もなく引き裂かれていく未来が見える気がした。
女神として、母として、
彼女にはそれを黙って見過ごすことなどできなかった。
ただ祈るだけでは足りない。
けれど、手出しもできないーーその狭間で彼女は苦悩していた。
△トランザニヤの視点△
トランザニヤは黒銀の目を細めた。
下界で起き始めた異変、その輪郭には見覚えがあった。
「またか」ーー古の記憶が、彼の中で疼く。
かつて自らが封じた“何か”が、再び目覚めようとしている気配。
そして、それに呼応するように魔王の末裔が動き出す。
これは偶然ではない。
因果が巡る音が聞こえる。
彼にとって、これは単なる観察ではなく、
古の罪と責任に向き合う時でもあった。
目の奥に宿るのは、神としての義務と、個としての贖いの覚悟だった。
***
ーーそして。
神々が不安の眼差しを落としたその下界では、すでに別の鼓動が鳴り始めていた。それは宴の喧騒に紛れて響く、不吉な笑い声。
ワインの芳香に混じり、誰にも気づかれぬまま漂う、血と硫黄の匂い。
そこは『*アドリア公国』ーー辺境伯が治める地。
煌びやかな邸宅に、楽団の旋律と拍手が響き渡る。
だがその裏で、目に見えぬ“魔の影”が人々の背に覆いかぶさろうとしていた。
***
『アドリア公国』辺境伯、*イイダル・コス・ハルツーム卿は、
豪華絢爛たる邸宅の大広間にて、貴族たちを招き寄せていた。
煌びやかな燭台が天井を照らし、壁には華麗なタペストリーが飾られている。
その邸宅では盛大なパーティーが催されていた。
白い長テーブルには白銀の皿が並び、その上には貴重な魔物の肉料理や、
この地ならではのスープ、果物などが客たちの目を喜ばせる。
辺境伯は、その風格を漂わせながら優雅に身を翻す。
ゆっくりとした足取りで、壇上に立つ。
彼は深いグレーのローブを羽織り、その袖口には金糸の刺繍が煌めく。
片手に芳醇な香りのワインを握りながら、彼が口元を緩める。
「新しいダンジョンができたことで、
この辺境の地が栄えることに感無量の喜びじゃ」
口元の白鬢を撫で付け、さらに紡ぐ。
「今日は忙しい最中、我が邸によく来てくれた。
ゆっくり、料理と酒を味わってくれ!」
彼は高らかに声を上げ、宴の乾杯の音頭を取った。
「諸君、この夜を祝して、乾杯! 未来に向けての希望と栄光に、乾杯!」
それを掲げた瞬間、白髪まじりの髪も軽く靡く。
豪奢なシャンデリアの光がそのルージュ色を、
ゆらりと揺らすかのようだった。
魔力が集まるそのグラスが、わずかな紅光を放つ。
貴族たちは一斉に杯を掲げ、祝福と期待の念を込めて、その酒杯を高く掲げた。
「「「乾杯!!!」」」
一同が会し、掲げたワインを口にする。
その期を待ってたかのようにーー
招かれている*カルテットの弦楽器が美しい音色を奏でる。
貴族や豪商が集う中、談笑が会場を賑わせる。
そんな中、煌びやかな紺のローブを靡かせ、辺境伯に近づく貴族がひとり。
その男性は見るからに老獪、かつ威厳を漂わせる。
「ハルツーム卿、ダンジョンの探索状況はいかがですかな?」
「これはこれは……*マヌカン伯爵、ようこそおいでくださいました」
辺境伯は恭しく会釈した。
「うむ、そう畏まらんでも良い。ところで……卿に頼みたいことがあるのだが……」
「はて? 頼みとはなんでしょう?」
「ダンジョンの利権についてだな……」
その言葉に辺境伯の耳が微かに動き、顔色が変わる。
「場所を変えましょう……ちょっとここではなんですから……我が書斎で」
「うむ」
辺境伯はマヌカン伯爵とともに大広間を後にした。
***
「ごきげんよう、*アルザック準男爵様」
「ほう……マヌカン伯爵家のご長女、メリアル殿ではないか。お久しぶりですな」
貴族たちの社交パーティーともなれば、形式張った挨拶の裏に、結婚を見据えた駆け引きが当然のように行われる。
煌びやかなドレスに身を包んだ令嬢たちは、この機を逃すまいと笑顔を振りまき、場内を蝶のように舞っていた。
そんな中、ひとりの令嬢が他とは一線を画す異彩を放っていた。
「ふふ……我が下僕、リンクスが倒された? ふふ、あの子もまだ半人前だったようね。でも……“ゴクトー”とかいう子、少し面白いわ」
艶やかな碧の髪が揺れ、金虹の煌めきを宿す瞳が、妖しく冷ややかに細められる。カルテットの重奏に合わせ、彼女は踊り始める。
黒のドレスはしなやかに宙を舞い、豊かな胸元が艶やかに揺れる。
その姿には女王のような威厳と、抗い難い色香が共存していた。
彼女の名はーー『リュミエール・マヌカン・ネルル』。
表向きはマヌカン伯爵家の次女として社交界に出入りする、上流貴族の女性。
ーーしかし、その正体は*魔族四天王の一角にして、高位存在の*北の『ドルサード』。
そして今。
彼女は“七星の武器”が眠るとされる、新ダンジョンの情報を探るべく、人間社会へと潜入していた。
その狙いはただ一つ。
この地上に魔族の影響力を広げ、神々の末裔たちへ復讐の業火を灯すことーー
その美貌も、社交性も、すべては仮初の仮面にすぎない。
本来の姿は、金虹の瞳を持つ魔性の魔女。
その瞳は、見るだけで人の欲望を読み取り、支配する力を宿していた。
彼女の纏う香気は、魔界でのみ咲く禁断の花ーー『ネルル・ローズ』の芳香。
その香りを吸った者は、たちまち陶酔し、一時的にこの世の悦楽を超えたーー“昇天”の幻覚すら見ると言われる。
「ごきげんよう」
彼女がひとたび声をかければ、男たちは一瞬にして理性を焼かれ、膝を折る。
「おお……女神様……」
そうつぶやいたその男の瞳は、すでに焦点を失っていた。
リュミエール、いや、北の『ドルサード』はそっと微笑む。
その唇の奥に隠されているのは、破滅と支配の甘美な毒であることを、まだ誰も知らない。
大広間の客たちは正気を失っていく。その瞬間、彼女は本来の姿を表す。
漆黒のドレスに包まれた肢体は、見る者すべての視線を絡め取る。
頭頂からのぞく角を隠すことなく、彼女は堂々と、艶やかな唇を舌で舐める。
「ふふ……天界の神々には、地上の美酒の味など、わからないでしょうね……」
この宴の裏で、新たなる時代の扉が開かれるとも知らず、客たちはただ酒を煽り、戯言を語っていた。そして、誰も気に留めぬ貴族がまたひとり、彼女の下僕となった。
その男は空想の呪文を唱えながら、天井に手を伸ばしていた。
「くくく……魔族がいつか、世界を変える……」
アルザック準男爵のその言葉に、『ドルサード』は笑みをこぼす。
「いまいち、七星の武器の情報はつかめなかったけど……まぁいいわ。新たな下僕も見つけたし、きっとマヌカン、あのタヌキ親父が何かを掴んでくるでしょ」
アルザック準男爵を従え、彼女は歩き出す。
そして、艶やかな唇をつぶさに動かす。
「ふふ……天から指を咥えて見てなさい……トランザニヤ」
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