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妄想図鑑が世界を変える?【異世界トランザニヤ物語】  #イセトラ R15    作者: 楓 隆寿
第0幕 序章。 〜妄想図鑑と神代魔法士〜

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白刃(ハクジン)契約譚






 

 ダンジョンーー太陽と月が寄り添う不思議な空間。

 

 遠方には聳え立つ、大きな遺跡。


 アタック前、リリゴパノアパーティーが立ち寄った湖畔。


 湖面には昼と夜が同時に映り込み、

 金色の陽光と銀色の月明かりが、波紋の中でゆっくりと溶け合っていた。


 時折、逆さに映る遺跡の影が揺れ、湖面に小さな光の粒が舞うように散っていく。

 

 テントを張った簡素なキャンプに、波紋の音が静かに寄せては返す。

 焚き火の橙色の揺らぎが、水面に淡く反射し、きらめく光が風に揺れる葉の影と溶け合っていた。


 仲間たちはすでに眠りにつき、それぞれの寝息が重なり合って心地よいリズムを奏でている。


 眠れずにいたアカリは焚き火から少し離れ、湖面を見下ろせる場所に立っていた。

 その表情は凛として、落ち着きを見せている。


 だが、胸の奥底では、何か鋭い棘のような感情が静かに疼いていた。


 『リリゴパノア』ーー初めてのダンジョンアタック。

 パーティ─は、きっとこれから幾多の戦いを乗り越えていくだろう。


 だが、その未来を思うほど、過去の記憶が、ふと鮮やかに甦る。



 

 *** 


 

 風情をまとった『ヤマト』国の都城。

 

 春の夜、淡い月明かりに照らされた石畳の道を、桜の花びらが静かに舞い降りていた。

 

 提灯の灯がやさしく揺れ、遠くから三味線の音がかすかに響く。

 

 その光と影の狭間に、刀と魔法が共存する国の息遣いがあった。

 しかしその奥底には、妖魔の影が静かに忍び寄っていた。


 筆頭家老の父、巫代長門(ミシロナガト)公の屋敷は城下の中心に構えている。

 

 母・美里(ミサト)は御殿医として知られ、薬草の香りを絶やすことのない女性だった。

 

 異国生まれの義兄、長良(ナガラ)は西方の海から漂着し、長門に引き取られた青年。 

 青い瞳と異界の知識は、この家に新しい風を吹き込んだ。


 長女の朱里(アカリ)は九歳。

 父譲りの凛とした眼差しと母譲りの優しさをあわせ持ち、書物を好む少女だった。

 妹の樹里(ジュリ)は四歳で、いつも朱里の後ろにちょこんとついて歩く、花のような笑顔の子だった。


 そんな日常が、ある雨の夜、静かに崩れた。

 

 玄関先に、泥にまみれた小さな影が倒れていた。

 それは白い毛をした子犬だった。

 雨水と血に濡れ、か細い呼吸を繰り返す。


 朱里は息を呑み、叫ぶように母を呼んだ。


「お母様、この子が…!」


 美里はすぐさま御殿医の技をふるい、薬草をすり潰し、回復魔法を込めて傷を癒した。

 緑色の光が子犬の体を包む。

 やがてーー子犬はゆっくりと瞼を開き、弱々しく尾を一度だけ振った。


 朱里の胸の奥が熱くなった。


「…生きてる」

 

 彼女はその瞬間、心のどこかで決めていた。



 ーーこの子は私の友達だ、と。


 朱里は「かる」と名づけた。

 

 だが母は首を振り、冷静に言った。


「家老の屋敷に、不衛生な犬を置くわけにはいかぬ。御殿医である私の立場すら危うくなる。明日には里親を探しなさい」

 

 父の長門公も同意した。


 朱里は唇を噛み、かるを抱きしめた。

 温もりが、小さな心をどうしようもなく締め付けた。


 そこへ長良がそっと声をかけた。


「朱里ちゃん…山の古い神社、覚えてる? あそこなら誰も来ない。毎日通えば、かるは君の犬のままでいられる」

 

 その言葉は夜明けの光のように、朱里に希望を与えた。


 翌日、朱里と樹里はかるを抱き、霧に包まれた山道を登った。

 森は深く、妖気がひっそりと漂っていた。

 苔むした鳥居をくぐると、朽ちかけた神社が静かに立っていた。

 そこにかるを寝かせ、小さな小屋を作り、食べ物と水を置いた。


 それからの日々、朱里は毎朝夕、神社へ通った。

 かるは元気を取り戻し、朱里が来るたびに飛びつく。

 その毛は柔らかく、匂いは土と草の混じったやさしい香りだった。


 朱里はかるに話しかけた。


「お父様は厳しいけど、本当は優しい人。お母様は忙しいけど…きっと、私たちのために頑張ってる。樹里は…もう、本当にかわいい妹。そして、長良兄様は…私に色んな話をしてくれるの」

 

 かるは首を傾げ、じっと耳を傾けていた。

 その瞳は、すべてを理解しているように。


 ある日、小さな魔物が森に現れた。

 牙をむくそれに、かるは低く唸り、朱里と樹里の前に立ちはだかって吠えた。

 魔物は逃げたーー今思えば、それはあの日の予兆だったのかもしれない。


 そしてーー運命の夜が訪れる。

 

 朱里が神社を訪れると、灯りが揺れ、見知らぬ人影が動いていた。

 盗賊だった。しかも魔法を使う一団。

 その頭目、鬼面の仮面を被った男が朱里を捕らえた。


「家老の娘か…高く売れそうだな」


 刀が喉元に突きつけられ、恐怖で体が固まる。


「…助けて!」

 

 次の瞬間、白い影が闇を裂いた。

 

 かるだった。

 

 小さな体で男の足に食らいつき、離れない。


「離せ!」


 男の手から魔法の矢が放たれ、かるの体を貫いた。

 赤い血が地面に咲く花のように広がった。


「かる!」

 

 朱里は縛られたまま叫んだ。

 

 かるは、なおも必死に縄を噛み切ろうとした。

 だが盗賊の蹴りが飛び、かるは地面に叩きつけられる。


 朱里は必死で縄をほどこうともがいた。

 やっと駆け寄れた時、かるの体は冷えかけていた。

 その瞳だけが、まだ朱里をまっすぐ見つめる。


「どうして……どうしてあなたが……」

 

 かるは最後の力で、朱里の手に鼻を押し付け、尾を一度だけ振った。

 そしてーー静かに、動かなくなった。


「かるぅぅぅ!」

 

 朱里の声が森に響き渡った。


 その瞬間、長良が現れた。

 抜刀と魔法で盗賊を薙ぎ倒し、朱里を抱き寄せた。


「朱里ちゃん…無事でよかった…」

 

 長良はかるの亡骸をそっと抱き上げ、朱里の腕に戻した。


「かるは……君を守ったんだ」


 葬儀は静かに行われた。

 父は無言で目を伏せ、母は薬草を供えながら「飼っていれば…」と唇を震わせた。

 樹里は朱里の手を握り、声をあげて泣いた。

 長良は黙って祈りを捧げた。


 朱里はかるの墓前に膝をつき、涙の中で囁いた。


「ありがとう……かる。また……いつか会おうね」


 

 ーーその「いつか」は、思ったよりも早く訪れた。

 

 神シロは朱里の前で、ゆっくりと両の掌を広げた。

 

 その手のひらに、淡い光の球ーーかるの魂が静かに漂っている。

 その光は鼓動のように脈打ち、朱里の胸の痛みに呼応するかのようだった。


「朱里、この魂は……お前を守るために生き、お前を守るために死んだ。

 ならば、ワシはその想いを途切れさせはせぬ」


 神シロの周囲に、古代文字の光輪が幾重にも広がった。

 空間が震え、星の海に波紋が走る。

 低く、しかし力強い声で詠唱が始まった。


(あま)の彼方、常世(とこよ)の門よーー

 今ひとたび、絆の名において開け。

 生を超え、死を越え、

 この魂を契約の鎖に結び直す。

 (ちぎ)れぬ誓いの炎よ、白刃となりて降り立て!」


 その言葉に呼応するように、光球が裂け、白銀の炎が吹き上がった。

 

 朱里は思わず目を覆ったが、熱さはなく、ただ胸の奥に温もりが満ちていった。

 炎の中から一歩ずつ現れたのはーー白い毛並みに銀の光を帯びた獣。


「……かる……?」

 

 朱里の声に、その瞳がやさしく細められる。

 かるは静かに歩み寄り、額を朱里の胸に押し当てた。

 その瞬間、朱里の胸の奥に言葉にならない確信が宿った。


 ーーこれは、もう二度と失われない絆だ。


 神シロは告げた。


「召喚獣としての名を授けよう。

 お前の影であり、刃であり、永遠の友ーーその名は『白刃(ハクジン)』」


 白刃は尾を一度だけ振り、朱里の手を舐めた。

 朱里は涙をこぼしながら微笑む。


「……おかえり、かる」


 星の海がゆっくり閉じ、神シロは静かに消えていった。

 

 夜明けとともに朱里は目を覚ました。

 枕元には、小さな白銀の光が揺れていたーーそれは、彼女だけが呼び出せる召喚獣の姿だった。


 かるは再び朱里のそばに帰ってきた。

 命は尽きても、絆は終わらない。

 春風が吹き、桜の花びらが、白い獣の背にそっと舞い落ちたーー。




 ***


 

 焚き火の音が耳に戻る。

 白刃は彼女の足元に静かに横たわり、湖面に映る星空をじっと見つめている。

 その存在感だけで、アカリ(朱里)の心は揺るぎないものに変わる。


 「明日から、きっと大変になる。でも……私はもう、迷わない」

 

 その言葉に、白刃がわずかに耳を動かす。

 まるで「任せろ」と言っているようだった。


 アカリは湖面に映る月を見上げ、静かに息を吸い込む。

 仲間たちとともに、この先どんな深淵が待ち受けていようともーー彼女はもう、影のリーダーとして歩む覚悟を決めていたのだったーー。






 挿絵(By みてみん)





 


 第0幕完





 お読みいただき、ありがとうございます。

 第0幕完結です。

 引き続き第1幕をお楽しみください。

 

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