マグナスの葬儀
ーーその日、ズードリア大陸北方の島国『トランザニヤ』では、かつてない静寂が国を包んでいた。
空は鈍色に沈み、風すらも音を立てず、遠く聳える雪山の白さがまるで喪に服しているかのようだった。
白亜の王都・アルクレインの大聖堂。
そこは普段、結婚式や戴冠式など喜ばしい儀式に用いられる場所だった。
しかし今、祭壇には一人の男の絵が厳かに立て掛けられていた。
マグナス・ファン(公爵)・トランザニヤ。
トランザニヤ家の次男。
勇猛果敢、武を以て大陸を守る者として多くの将兵に慕われ、
そしてーー討伐隊を率いてヒドラの脅威に挑んだ男。
その死は、ただの戦士の死ではない。
“王に次ぐ者”として国家そのものの象徴でもあった彼の死は、小国トランザニヤにとってまさに血の喪失だった。
大聖堂の重厚な扉が開かれる。荘厳なるパイプオルガンが低く、地を這うような音を奏で始める。
参列者たちは一斉に立ち上がり、深い黒衣に身を包んだ王族、貴族、将軍、神官たちがゆっくりと頭を垂れる。
天井には壮麗なステンドグラス。だが、その七色に輝くステンドグラスにもわずかなひびが入っていた。
マグナスの生前、彼が愛したという“蒼穹と焔”を描いた一枚が、沈んだ光の中でもかすかに輝いていた。
玉座の間ではなく、あえてこの聖域が葬儀の場とされたのは、彼の生前の希望だった。
「我が死は、玉座の前で誇り高く飾るものではない。ただ、皆の祈りの中で灰となれれば、それで良い」
その言葉が残されていたという。
棺の側には、兄であり現王爵ーーオブリオ・ロイ・トランザニヤの姿。
彼の銀髪は風に乱れず、直立不動の姿勢を保っていた。
しかし、その瞳は明らかに赤く、そして深い哀しみを宿していた。
足元には、末弟ドミナスがひざまずいている。
袖口を握りしめ、決して涙を流すまいと耐える姿。
彼の眼差しには、哀悼とともに、これから何かを成し遂げねばならないという決意があった。
マグナスの棺は、黒曜石と金細工によって作られていた。
蓋には彼が生前用いていた大剣【獣裂】が十字に飾られ、
その周囲を囲むように、彼の部下たちの名を刻んだ石板が並べられていた。
神官が静かに聖句を詠み上げる。
パイプオルガンの旋律は次第に高まり、参列者の胸に深く沈み込む。
「ーー古き始祖の血を継ぎし者よ。いま、その魂を天の神々へと還す」
その言葉に合わせて、棺に手を添えるドミナスだった。
震える指先で、兄の胸元に自らの魔導石を置く。
「兄上……僕は……あなたの背中を……忘れません。
あの日、雪山で手を取ってくれたこと。……僕は、あなたのように……」
言葉は途中で途切れた。
オブリオが近づき、そっと弟ドミナスの肩に手を置いた。
「ドミよ……お前がその言葉を胸に抱く限り、マグナスは生き続ける」
兄弟の静かな対話を見守る人々。
中には、涙を拭う将軍もいた。
やがてーー国王として、オブリオが前に立つ。
堂内は水を打ったように静まり返る。
彼はゆっくりと視線を巡らせ、深く、重く、言葉を発した。
「マグナス・ファン・トランザニヤ。彼は剛勇の士にして、我が血族の大将軍。だがそれだけではない。己が命と引き換えに、国を、民を、そして未来を守った英雄である」
その言葉に、大聖堂の奥から一斉にパイプオルガンが響いた。
まるで、重なり合う無数の魂が昇天するかのように荘厳な旋律が空間を満たす。
オブリオは深く一礼し、そして祭壇のそばに進み、ゆっくりと【桜刀】を抜いた。
「兄としてーー王としてーーこの誇り高き魂に、最後の礼を捧げる」
その刃は、宙を裂き、煌めく蒼光を放った。
魔力が場を包む。
そして、古より続くトランザニヤ家の葬儀の儀式が始まった。
それは【封魂の誓い】ーー魂を天界へ送り返すための祈りと、遺志の継承を示す儀式である。
オブリオの詠唱に呼応するように、彼の【始祖の血】が波打つ。
棺の上に浮かび上がる青白い魔法陣。そこにマグナスの魂が古代文字で刻まれていく。
“我が名は、マグナス・ファン・トランザニヤーー”
音にはならない残響が、確かに参列者の胸に届いた。
そして、魔法陣の光は静かに消え、棺は青白い炎に包まれ始めた。
「叔父ちゃま……」
オブリオの娘エマは、指を重ねながら目を瞑った。
瞼から溢れる涙が彼女の頬をつたう。
それは“火葬”ではない。
始祖の血族にのみ許された、天に還るための“霊昇の火”。
青い炎がすべてを包み、やがて、マグナスの姿は空へと還っていった。
最後に残されたのは、彼の大剣【獣裂】だけだった。
それは今後、王宮の宝物殿に安置されることとなる。
儀式が終わる。
パイプオルガンは最後の和音を鳴らし、音を止めた。
誰もが立ち尽くす中、オブリオは祭壇に跪き、手を合わせ、静かに祈る。
ドミナスもまた、兄の背中に追いつこうと、そっと拳を握りしめる。
兄の遺志。
そして、始祖の血を継ぐ者としての責務ーーそれはこれから、彼らが歩む道へと託されていく。
しかし、マグナスの遺体は未だに発見されてはいなかったのである。
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