『真紅の蝶』〜『爆弾』との邂逅
「おい、黒銀の、あの姿、見覚えないか?」
「ああ、懐かしいな。あの魔力と美貌と大きな胸……妻のルシーヌ……彼女に瓜二つだな」
神シロに答えながら、黒銀の目の友が笑みを零す。
神々はふっと肩を落とし、下界を覗き込んだ。
ーーその頃ゴクトーは、宿屋へ帰る道を迷いながら歩いていた。
◇(主人公のゴクトーが語り部をつとめます)◇
「ん?」
メインストリートの先に、鮮やかな点が目に入る。
朝に通った酒場の付近だ。
賑やかな笑い声が複数。
明らかに桃色姉妹の声だ。
もうひとつ、落ち着いた雰囲気の声もする。
あれは、今朝の?
ーー触らぬ神に祟りなし。
だろ?
瞬間俺は、気配を消した。
小さく肩を折り畳み、そろりと歩みを進める。
だがしかーーし。
「へん……ゴ、ゴクトーじゃん! い、一緒に飲もうよ!」
その言い方な。
真っ赤じゃん!
呂律、回ってないぞっ!
桃色姉妹の妹、ジュリに見つかった。
その場の視線が俺に集中する。
俺を見る姉アカリの表情がやたらと柔らかい。
逆に怖いんですけども……。
思ったが口には出さず。
彼女は淡々と妹を嗜める。
「ジュリ、口が悪いわよ……」
いつも冷静だな。
でも、その笑いかた……それだよッ!、怖いってッ!
俺の思いなど知る由もなく、アカリの視線が俺を貫く。
ジュリもこちらを見て笑ってる。
まさか……。
『ラッキー! 今日は、チラ見せチャンス!』とか、
思ってるんじゃないだろうな?
いや、まさかな。
でもその目、ちょっとギラついてるぞッ!
「俺はバカか?」
思わず声が漏れ出た。
一方でアカリは俺を一瞥、わざとらしくスッと目をそらした。
え、なに?
『今日のは地味すぎて、見せられない』的な……?
なんか、ちょっと眉しかめてたよな。
上下バラバラだったとか、そういう理由か……?
くっ……!
オシャレしてくれとは言わんが……言わんが……!
対照的な姉妹に俺のよからぬ”妄想”がーーひとり歩きする。
彼女たちの隣には、もう一人、今朝俺が見た女性が座っていた。
顔がすでに赤いその女性。
呑んでるな。 だいぶ。
観察したさ。
紅いシャツの胸元をチラリと覗かせ、
その女性は、前屈みになりながら愚痴を零す。
「あたいは悪くないんよ!
『B級』パーティーなのに頼まれたから参加してやったの。
今日は、家の使いが来るから無理だって、言ったのに……
そしたらもう頼まんってさ!
んな奴ら、こっちから願い下げだっつーの!」
彼女は眉を吊り上げ、テーブルをドン!と叩いた。
その声はまるで遺憾に聞こえたよ。
その女性は、フーフーと拳に息をかけながら俺をじっと”見詰める”。
藪から棒とはこのこと。
彼女が紫の髪を掻き上げ艶やかな紅い口紅を光らせる。
「あんたも飲みな。
今日はあたいが奢るからさ。
あんたギルドで、あたいの足を踏まなかったかい?
そうだ、あんただ。間違いないよ。良い面は忘れないんだ。
はは。これも何かの縁だわねん!」
バンバン!
「ほら、ここに座りなさいな」
勢い強いな。 叩いてるテーブル、壊れそうですけども?
指定されたのは、その女性の隣。
仕方なく腰を下ろす。
姉妹は対面、左にはジュリ、右にはアカリが座している。
隣の女性、 朝、目撃した『黒薔薇』の主に間違いない。
そう言えば、ギルドで足を踏んじまった彼女だ。
朝は思い出せなかった。
だが、今、その全貌が明らかになるーー。
ふ、その女性の姿を知りたいか?
焦らすぜッ!
ーーってか、ドラマかッ!
ツッコミが俺の唯一の取り柄、察しろッ!
思いながらも、一度冷静になって、二つの満月が重なりあう空をふと眺めた。
紺碧の夜空には星々の奔流が湛え、まるで”天の川”のように思えた。
頬を伝う空気もどこか冷たく感じた。
「ふうー」
ひとつ息をついた俺は落ちつきを取り戻し、彼女をじっくり観察した。
紫色の長い髪が月夜に照らされ、高貴な色を輝かせる。
鋭い灰色の瞳が僅かに潤んでいる。
印象的な紅い唇は艶っぽさと、気品を兼ね備えたように感じた。
こちらを見るその鼻筋は通り、白い肌は星の瞬きと相まって幻想的に映った。
くッ! とびっきりの美人だ。
そして、紅いシャツから溢れ出す、
たわわな胸と黒いレースーー名付けるなら『爆弾』が俺の目を奪う。
上下揃いの『黒薔薇』の所有者でもあった。
目が合うと魔女のような笑みも浮かべる。
ーーシャツの隙間から生き物のように『黒薔薇』がこちらを覗く。
「…っく! またか、また蜂になるのか」
思わず零し、今朝の妄想が頭を掠める。
度重なるーー『黒薔薇』妄想に戸惑うしかなかった。
手は震え、妄想眼”死線”は、落ち着かずに周囲を彷徨ってばかり。
『破壊力が凄いんデス』……って魔法なのか?
ヤバイ……即死しそうな『デス』ですけども。
なんちって。 もちろん、目はそらしたさ。
でも、運悪くーー瞬間、姉妹と目が合ってしまった。
動揺に気づいたのか、と思うほどのタイミング。
「怖いんですけども?」
小声で漏らす俺の心境は複雑。
そんな俺を他所にジュリが、ジロリと俺を睨みつける。
「へんたい…… 。じゃなかった、ゴクトーさん、エールでいいよね!」
頬を朱に染めながらのその一言。
思わず耳まで熱くなったさ。
ジュリ、なんだか上機嫌だな、と内心苦笑しつつ、目をはぐらかした。
そんな中、鋭い気配とともに、俺を射抜く視線の圧を感じる。
アカリだ。 それもジト目。
「ジュリ、いい加減、へんたいって呼ぶのは、やめなさい」
その言葉と表情が渋くて、少し気まずい。
アカリから目が離せなくなったのは事実。
彼女は、わかりやすい嫉妬を顔に張り付ける。
その表情は、何かを深く考え込んでいるようにも見える。
「だって今日、わたしには、お気にだから!」
ジュリの顔色は、にこやかな笑顔に変わりつつあった。
その顔、やめろッ!
口元で、すぐにわかるぞ。
ジュリが内心で”何か”を企んでいるように感じる。
そんな中、突然、アカリが前のめりに身を乗りだす。
「私は”アレ”で勝負するしかないわね……」
小さくそう言って眉をしかめた。
「っえ?」
ーーってか、なんの勝負ッ!
俺はその言葉にちょっと”ビビ”った。
そんな二人の心中を知る由もない。
この場にいることが全ての元凶。
精心的に追い詰められ、すでに”いっぱい、いっぱい”の状況。
だがこの後、俺の身に起きることは、今でも忘れられないーー。
話を戻そう。
いやな、俺の思いとは裏腹で 不意な行動に焦ったし戸惑ったよ。
『爆弾』が突然、俺の顎を撫でたんだ。
「ねえ、桃色姉妹、このイケメンをあたいに紹介してよ」
その直後、彼女の目はとろーんと胡乱になる。
艶かしい声と瞳だなッ!、と叫びたくもなる。
酔った勢いなのか、彼女は距離を詰めてくる。
ゴクリと固唾を呑むしかない。
当然だ。 緊張で身体はガチガチだよ。
誰だってなるだろッ!
『爆弾』が、こちらを見ている……気がするっ!
胸の『江戸っ子鼓動』が「今か今か」と、出番を待っているかのように「ドキドキ」と小さくつぶやく。
そんな緊張が俺を包む中、『爆弾』が微かに揺れ、生ぬるい風が頬を撫でた。
次の瞬間、ジュリの目に何かが宿ったーー気がした。
彼女が頬を最大級に膨らませ、言い放つ。
「この乳牛! 何しているの? わたしの邪魔をしないでーー!!」
ジュリが吼えたのは2度目ーー。
……ってか、狼でもあるまいし。
あ、言いすぎたな。すまん。
ジュリは紅いシャツの女性を一瞥し、険しい表情を向ける。
息遣いも荒いし、眉なんか、くっついちゃってる。
まるで敵意が滲んでいるようだな、なんて思うのだが。
そんな俺をジュリはジロリ。
「調子に乗るなよ、このスケベ」って、思ってる顔だなッ!
そして、次の瞬間ーーぷいっと背をむける。
いやいや……ジュリさんや、俺が悪いのかっ!?
そんな中、俺はもう一方の視線も気になる。
こちらも鬼気迫る圧力で、アカリがじっと見据えている。
アカリまで……何、考えてる?
今、ニマッって、しなかったかッ!
その目、やめてほしいんですけども?
俺の思いなどお構いなしに、
ふと、意を決したようにアカリが立ち上がった。
彼女は俺の正面に廻り込む。
「ん?」
そして身を屈め、顔を近づける。
次の瞬間ーー 『真紅』の下着がチラリ。
その瞬間意識を失いかけた。
息が詰まり、胸が痛む。
揺れる焦点がますます、視界を歪ませる。
カチリと脳内にスイッチの音が響く。
そしてーー自分の”癖”の世界に俺は入っていった。
【妄想スイッチ:オン】
──ここから妄想です──
それはまるで、今にも夜空に飛び立つかのようなーー
『真紅の蝶』。
「私たち、パーティーを組んでダンジョンに潜るつもりなの。
これでいいのよね……?」
挑発的な視線を投げ、俺が釘付けになっているのを確認する。
「……くそっ……仲間だと思ってが、舐めてた!」
どうしたものか? 突如、蜂の姿になった俺は地団駄を踏む。
「良かった……私、自信があるもの。この紅い翅にはね!」
『真紅の蝶』が翅を広げる。
「私の名は『真紅の蝶』ことブラ・アカノ。またね」
ひらひら〜
月夜に真紅の粉を煌めかせ、彼女は飛び去ったーー。
【妄想スイッチ:オフ】
──現実に戻りました──
『真紅の蝶』ことブラ・アカノが『妄想図鑑』に、紅残滓を残し、消えるように収まっていく。
俺は我に返り、意識を取り戻した。
「ブラ・アカノ?……ハッ!また収容された?」
思わず言葉が漏れた。
そんな状況の中だが、ふと背中に悪寒が走る。
俺を見るジュリの視線に気付く。
彼女の顔には焦りと苛立ちが入り混じる。
その瞳には涙も湛えているよう。
動揺は隠せず。
視線をあちこちに向けた。
姉妹の行動に翻弄されっぱなしだ。
俺の顔は熱つくなり、それは耳まで届く。
困惑していたその時。
妖艶な香りとともに紫色の細い髪が俺の鼻をくすぐる。
「あたいもイケメンと潜りたいわん……」
艶のある声が耳元で囁かれた。
その声の主、『爆弾』が場の空気を変える。
彼女が俺に”めまぜ”までしたのには、正直驚いた。
急展開だな、おい。
混乱が胸中を支配する。
自然と額にも汗が滲み出て頬に滴る。
「HAHAHA……」
うわずった苦笑いが、瞬間で場に消えていく。
俺を囲む三つ巴のバトル。
そのど真ん中にいる俺はどうしたらいい?
じわりとした『爆弾』の生温かさが俺の肩に当たる。
正直しんどい。
そんな俺は隣の動く気配が気になった。
『爆弾』を右腕で支えながら、紅いシャツの女性が唇を艶やかに滑らせる。
「あたいわね……これでもカルディア魔法学院の特別講師なのよん。
『冒険者』のランクも『A級』……損は、絶対させないわ!」
言い終えると、彼女はニマッと笑った。
甘く、どこか妖しい香りが俺の脳を刺激する。
そんな中、彼女はいきなり顔を近づけ、俺の頬に"ぶっちゅ♡”っと音を立てたながらキスをした。
「っな?!」
直後に彼女は舌舐めずり。
味はしょっぱいと思いますけども?
……ってかそうじゃねぇ。
汗、だくだし……って、言ってる場合かっ!
まるで蛇のような瞳が俺を射抜くよう。
自身にツッコミながらも、蛙のように固まってしまう。
顔には熱が籠り、視界がぼやける。
その時だった。
紅いシャツの彼女が突然、前屈みにーーブルルン。
大きな胸、つまり『爆弾』が揺れると空気も震えた。
そう名付けるに、相応しい爆発力がーー口紅の跡が残った頬をかすめる。
なんて、柔らかいんだ……ってか、違うだろッ!
これは妄想ではないんだぞっ!
『爆弾』にふいを突かれ、一瞬眩暈が襲った。
「……」
無言の反省、いや猛省。
自分のお愚かさに、ワナワナと震えたよ。
俺の戸惑いや羞恥を知ってか知らずか、アカリは目を細める。
「ゴクトーさん? その顔……?」
そう言って彼女は眉に皺を寄せた。
その目は俺と『爆弾』を交互に見つめ、内心穏やかではないことは察した。
見りゃわかるよ。
いつもは冷静なアカリが、あんな目をするんだから。
俺は思いながら肩をすぼめ、大きく息をついた。
緊拍した空気が漂う中ーー紅シャツの『爆弾』が一石を投じる。
「……あたいはパメラ。よろしくねん」
言葉だけだったのが、何よりだ。
また『爆弾』が揺れたら、今度は俺ごと吹き飛びそうで怖い。
言い終えると『爆弾パメラ』は、そのままテーブルに突っ伏してしまった。
寝息を立てるに彼女に「飲み過ぎだ」と軽くツッコンだ。
そんな俺にクールダウンの時がやってくる。
酒場の店主、犬種の獣人がエールを四つ、軽々と片手で持ってきた。
「お待ち!」
僅かな音を立てながらテーブルに置かれたエール。
苦味のある芳醇な香りが鼻をくすぐる。
シュワッ
稲穂色の炭酸が、白く泡立つ。
「エールが来たばかりなのに……」と、つぶやき、ため息をついた。
思わず視線を夜空に向け、星々の輝きを眺めた。
一方で、二つの満月がまるで笑ったかのように、俺には見えた。
月の不思議な魅力が俺の心に、どこか懐かしさを感じさせた。
話は変わるが、"桃色姉妹”から、飲みながら、
ここに至った経緯を聞き出す。
「一体どういうことなんだ?」
俺の問いに、姉のアカリが少し困った様子で話し始める。
「それがね……私たち、買い物を終えてこの辺りを通ったら、
ちょうどパメラさんが一人で飲んでたの。
で、『あっ! 桃色姉妹!』って呼び止められて……
私も宿屋の前で見かけてたから、
「あ、あの時はどうも」って挨拶を交わしたの」
「それで?」
妹のジュリが続けた。
「『飲もう』って声をかけられて、最初は断ったの。
でも、『姉妹は冒険者たちの間では有名よねん』とか言いながら、
やたら褒められて、挙句の果てにーー
『今日は、【神様】からの贈り物が、降ってきたの。奢るわ』って言われて……」
ジュリのその声には苛立ちも滲んでいた。
ってか、顔もな。
道連れにされたのは、俺、なんですけどもっ!
思っても口には出さず。
唯一の取り柄だ。
一息ついて口を動かす。
「半ば強引に付き合わされたってわけか……なるほどな」
うなずき、視線を打っ伏しているパメラに移す。
つまり、『爆弾』に俺の寄付が使われたわけだ。
朝は完全に目が逝っちまったからな。
深く考えるのはやめて、ヨシとするか。
自分にツッコミ、納得した。
目の前のエールを一気に飲み干す。
まあ、そんなわけでーーこの騒動もひと段落がついた。
時も随分と経ち、そろそろ帰ろうとパメラの背をゆすった。
しかしだ。
「それにしても、起きない……」
再び揺さぶるが、彼女はピクリとも動かない。
アカリとジュリもどこか困惑した表情を見せる。
その時だったーー「先生……?」
不意に後ろから若い男の声がした。
「「「???」」」
声の主に気づき一斉に振り返る。
そこにはちっこい青年が立っていた。
俺はこの時、まだ知らなかった。
これが手繰り寄せられたーー運命と宿命の糸だということを。
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