『ロカベルの魔法薬材と薬店』編 2 〜妄想魔獣と女神のようなエルフ〜
「しかし、なかなか出会わんな。もう目と鼻の先におると言うのに」
神シロは天上の雲を指で”ちぎり”ながらぼやく。
「あなた、そんなせっかちでは……ふふ、その性格、ジュリが受け継いでますわね」
神シロの妻、女神東雲が笑みを溢す。
「彼女は……”教授”らしくないからな……だが、頭は切れる。もし、ゴクトーが彼女を”眷属”にできれば、奴の運命も変わる……」
黒銀の目の友こと、トランザニヤが真剣な表情で下界を覗く。
「見ものだな」
「ええ」
相槌を打つ神シロと女神東雲も、ビヨンド村の薬屋を興味深く注視した。
その頃、ゴクトーは──『ロカベルの魔法薬材と薬店』の店内。
居住空間であるミーアの部屋の前に立っていた。
◇(主人公のゴクトーが語り部をつとめます)◇
「おおーー広い……」
思わず声が漏れた。
部屋に足を踏み入れると、まず目を引くのは大きな出窓だった。
綺麗に束ねられた純白のカーテンが、
外から差し込む柔らかな光りを和らげ、
部屋全体に落ち着いた無垢をもたらしていた。
「これ綺麗にゃ!」
そう言ってアリーは窓辺の小さな観葉植物に手を触れる。
いくつか飾られたその植物は、繊細な緑の葉が空間に爽やかな香りを添える。
そんな中、ジュリがふと見上げる。
広々とした天窓が、青空を切り取るように部屋を照らしていた。
天窓から降り注ぐ橙の陽色は、ジュリの桃髪を絹糸のように輝かせる。
その光りは床に敷かれた大きな起毛のラグに反射し、そのふかふかな質感をも際立たせていた。
一方のアカリは、愛くるしい杢目の脚を持つ、低いテーブルの木の感触を確認しながらーー
「これは明灯の魔導具よね?それも癒しタイプの最新式だわ」
そう言って、その上のぼんやりと薄緑色を照らし出す魔導具を指さす。
魔導具の控えめな光が部屋を穏やかに包み込み、夜になってもここが快適な場所であることを感じる。
俺は顔が熱くなりながらも、思考を逡巡させた。
あまり、ジロジロ見ない方が良いか……。
だがな。
女性の部屋に足を踏み入れたのは……何しろ初体験だ。
自身で葛藤を繰り返しながらも、結局。
興味津々で部屋の隅々まで見て回った。
仲間たちもそれぞれ、呑気に部屋のあちこちを見て回る。
そんな中、ジュリが口を開く。
「すごい魔導書の数ね。これ古代文字が書かれてるわね。わたしじゃ読めないけど」
思わず声の方に目をやる。
部屋の奥、出窓の横には大きめの本棚が三つ並び、そこには魔導書が隙間なく並べられていた。
いずれも整理整頓が行き届き、一冊一冊が大切に扱われていることが伝わる。
そんな中、本棚の隣の椅子に腰掛けながら、アリーが突然、声を上げた。
「この机と椅子、高そうにゃ」
そう言う彼女の表情は満更でもない様子。
無駄のないデザインの机と椅子。
どちらも使いやすさと美しさが両立していた。
書類や筆記具は綺麗に整頓されており、ここで集中して作業をしている様子が目に浮かぶ。
一方でアカリが右側の出窓のそば、小さなキッチンを眺めながらつぶやく。
「ここは使いやすそう」
彼女の言葉に目を向ける。
キッチンはシンプルながら実用的な造り。
その一角に存在感を放つのは、『5ドア冷蔵魔導具』。その堂々たる佇まいは、ここがただの居住空間ではなく、冒険者としての日常を支える拠点であることを示していた。
全体的に整然としつつも、温かみが感じられる空間。
ここが『A級』冒険者、ミーアの部屋であることを、如実に知らしめた瞬間だった。
仲間たちを眺め、部屋の主、ミーアが少し照れながら促した。
「どうぞ、適当に掛けて……」
彼女の言葉に、俺たちは思い思いの場所に座る。
アカリは感動したように言の葉を落とす。
「綺麗で素敵なお部屋ね……」
足を崩してラグに、”女性座り”した。
”女性座り”は、両膝を一方に流して座る女性特有の座り方。
背筋を伸ばす彼女の気品と、どこか艶っぽさが際立つ。
彼女の顔には、部屋の心地良さに安心した表情も浮かんでいた。
そんな俺はふとアカリの視線が気になる。
目が合う彼女がお構いなしに、片方の足を少しずらした。
(■ダー様、今日は買っていただいた例のオレンジです)
うわぁっ!オレンジ!
アカリさんや……無防備に座り過ぎでは?
思っても口に出せるわけがない。
そこから視線をはぐらかす。
耳まで熱を持ったが、思わずアリーに視線を向けた。
アリーはラグの柔らかさにうっとりしながら、
「これ、“ふっかふか”にゃーー」
そう言ってゴロゴロと寝転がる。
彼女の声は少し、夢見心地な感じ。リラックスしてる雰囲気も漂わせる。
そのメタリックブルーの瞳は、すでにどこか遠くを見つめていた。
ミーアがアリーの頭を撫でながらつぶやく。
「可愛い……ご機嫌そうで、何より」
彼女の目はまさにハートになっていた。
一方で、リズム良く腰を下ろし「いいわねーーこういう部屋。ミーア、あとで魔導書見せて──!」と、ジュリもラグに”女性座り”した。
その瞬間、俺の目にチラッと飛び込む対照色ーー。
(◆金色の紺のレース、この色ならネーにだって負けないんだから!)
ってか、紺に金?
ジュリさんや……座り方ッ!
今の絶対わざとでしょッ!
胸中は複雑。
■アカリと◆ジュリの想いが伝わるからだ。
この時ばかりは、”心読のスキルは要らないです”と頭をよぎった。
動揺を抑えきれず、危うく妄想スイッチがオンになりかける。
部屋に漂う空気にはアカリ、ジュリの”プレッシャー”が重くのしかかった。
部屋に差し込む陽がゆらめき、温度の上昇を肌で感じる。
天窓に目を向け深呼吸。
気を落ち着かせ、俺はラグに胡座をかいた。
そんな俺を他所に、"ぐぅぅぅう”と誰かの腹の音が響く。
その音を確かめ、ミーアが優しく言の葉を並べる。
「みんな、お腹空いてるね……うちが何か作るわ」
そう言って普段の落ち着いた雰囲気を醸す。
そして、ミーアがさりげなく紡ぐ。
「みんなもその格好じゃーー先ずは、シャワーを浴びて、着替えな……」
その言葉尻が終わらないうちに、俺はさっと立ち上がった。
ミーアの気遣いに応えるべく、空気を少しでも軽く、と。
気を配りながら口を開く。
「パン屋ならもう開いてるはず。パンを買ってくるよ。俺がいると、着替えづらいだろうから……」
言いながらも少し照れくささが心を満たす。
すると、アリーが瞳をキラキラさせながら答えた。
「僕も行くにゃ!全然、汚れてにゃいから!」
元気な声とともに手を挙げた。
今更ながらアリーが汚れていないことに気づく。
彼女の衣服は見た目にも清潔で、どこか不思議なほど整っていた。
そんな思いが巡る中、アカリが零す。
「あ、あのダー様……血だら……」
だが、俺はすぐにそれを左手で遮り制す。
彼女は何か言いかけたが軽く頷き、言葉を飲んだ。
その言葉は俺の血まみれの格好ーー
心配が含まれていたのかもしれない。
けれど、怪我をしているわけじゃない。
しかも早朝だ。まだ人通りもまばらな時間。
すれ違いさえしなければ……。
そう思いながら声をかける。
「わかった、アリー……行こう!」
軽く笑ってみせ、アリーと一緒に部屋を出て、階段を降りて行く。
降りた先では、ミンシアが白衣を無造作に羽織ったまま、薬材を扱う手を止め、こちらをじっと見つめている。
その瞬間ーー彼女の寝巻き姿に俺の心は貫かれた。
やはり魔性のエルフ。魔族なんじゃないかと疑いたくなる。
それぐらい彼女の周囲には【妖艶覇気】が漂っていた。
顔に熱が籠り、血が耳にまで昇っていくのがわかる。
バクバク音を鳴らす動悸が、俺の口を勝手に滑らす。
「あの、ア、アリーとちょっと、そ、そこまでパンを買いに……」
「そ、そう……坊や着替えは?」
「ない」
「そ、そうなの? い、いってらっしゃい!」
言葉の途切れが微妙に引っかかるのだが。
聞きたいことを飲み込んだような彼女の声色。
俺は返事もそこそこ、アリーに手を引かれ逃げるように店を後にした。
ロカベルの店を背にし、少しだけ空を見上げ、深呼吸して路地へ向かう。
振り返ると、窓越しにまだこちらを見ているミンシアの姿があった。
思い返すだけで、眩暈がし、胸がざわつく。
「鼓動、今は、動くな!」
思わず声が漏れた。
不思議そうな顔で覗き込むアリーを他所に、そのまま二人で歩き出す。
部屋にいた時と違ってーーやけに心地良い風が吹いているように感じた。
ゴ~ン… ゴ~ン…
どこからでも見える時計台の短い針は、7オクロックを指し示す。
雲ひとつない晴れやかな朝。まだ村も静かな刻を湛えていた。
アリーが軽快な足取りで細い路地を進む。
「ゴクにぃは、方向音痴のスキル持ちにゃからね。僕が先導しゅりゅ……」
俺の手を引く小さな彼女の手は温かく、それが妙に安心感を与えてくれる。
自分が方向音痴のスキル持ちなのは自覚している。
だが、こうして小さな背中を追いながら歩くと、
不思議と少しだけ要らんスキルが、格別に愛おしく感じられる。
思わず口角を上げながら歩いた。
そんな俺の胸中を知る由も無く、
アリーはさっさとメインストリートへ抜けていく。
そんな幸せな時間も束の間、やがて、目的地にたどり着く。
アリーが振り返って俺を見る。
「ゴクにぃは、この角の路地で待っててにゃ。
……その格好にゃと、店の人がびっくりすりゅよ」
「わかったよ、アリー」
金貨が入った小袋を出して、アリーの小さな手にそっと乗せた。
ノビの実家、パン屋ーー『ケロッグ・フロッグ』に、アリーは堂々と入っていった。
パン屋の前で待つ間、俺は路地に並ぶ家を眺めていた。
土壁の家が規則正しく並び、出窓には鉢植えや干された洗濯物。
その平和な光景に目を奪われつつも、心はどこかそわそわしていた。
ミンシア、普段あの格好なんだ。
ほんと魔性エルフの姉妹だよな……。
つい先程の光景が頭に浮かび、再び耳が熱くなる。
思わず頭を振った。
そんな中、短めの黒髪を靡かせ、片方の瞳をブルーに輝かせながら、ちんちくりんの女の子が店の前に立った。
「ここのパンはうまいのだ! そして、たみの好物なのだ! ビシッ!」
母に向かってVサイン。
「だからと言って、無闇にあの魔法を使ってはダメよ」
そう言って母親は長い黒髪をピンで止め直し、身綺麗に衣服を整えた。
親子ともに和装の服。かなり珍しい。
パン屋に子供連れの親子が入って行く。
まだ5歳ぐらいだろうか?
*オッドアイのたみちゃんかーー可愛らしいな。
そう言えば、あの子は今、どうしているのだろうか?
その光景が孤児院を想起させ、心が鷲掴みされた。
しばらくして、アリーが大きな布油紙袋を抱えて戻ってくる。
「お待たにゃ!」
彼女は自信満々にそう言って紙袋を俺に手渡す。
それを受け取り、気を取り直して戻る道を二人で進む。
アリーと何気ない会話を交わしながら歩く。
次第に俺の心は少しずつ、落ち着きを取り戻していった。
店に戻ると、正装に着替えたミンシアの姿は凛としていて、
先程までの自分が、バカみたいに思えてくる。
彼女は俺たちに気づき一言。
「お帰り……坊や、その格好で平気だったの?」
「あ、大丈夫……した」
彼女に返しながら、恥ずかしくなった俺は足早に店に入った。
階段を駆け足で上り、部屋の前で深呼吸。
トントントン
ドアを開けると、シャワーを浴びたばかりのミーア、アカリ、ジュリの三人が揃って出迎えてくれた。
その瞬間、まるで丘陵に佇む花の群生地に迷い込んだようなーー華やかな香りが広がる。
良い香りに気持ちが昂る。
目はかすみ、意識が朦朧としてくる。
カチッとした音が脳内を巡る中、
次の瞬間ーー俺は自分の”癖”の世界に入っていった。
【妄想スイッチ:オン】
──ここから妄想です──
「待て待て待て。どこを見ればいいんだオレは……」
”死線”が思わず漏らした。
「サーチ、頼めるか”死線”?」
「主が望むなら、仕方あるまい……あいわかった」
ミーアに先ず、”死線”が的に突き刺さる矢のようになる。
「『BB(ボヨン・バスター級)』、
『黒のバックスキンスウェード男爵』が主の眷属化を望んでいるようだ」
「黒のバックスキンスウェード男爵? 女性だよな? 初耳だな」
「ははは、そのうち鼓動が図鑑に記すさ、主」
「そうか」
俺の返事を聞いて、すぐさま”死線”が紡ぐ。
「アカリだが、『オレンジの気球』がこちらに睨みを利かせているぞ。
さらに対となる『オレンジの帆船』も、
チャイナスリット港から出航したようだ。気をつけろよ、主」
「いやいや、考えるな。わかった、気をつける」
「ジュリにも気をつけることだな、主よ」
「そんなにか?」
「『小谷山』と名乗る大将がアピールするような姿勢で、
蹲踞してるぞ。まるで相撲取りだ」
「スライムの変化系魔物か?」
「多分な、ちょっと待て、あれはその取り巻きか?
陣を張っているのは『紺トラスト将軍』だ。
彼は『金の刺繍』が入った華やかな旗を掲げ、待ち構えているぞ」
「うむ。そうか、気をつけるよ。ご苦労」
【妄想スイッチ:オフ】
──現実に戻りました──
「お安いご用だ」
そう言って”死線”は『妄想図鑑』にふっと消えた。
”死線”に引っ張られるように、
残りの者たちも吸引されるようにシュッと収まった。
俺は我に帰り、意識を戻した。
「強そうなのが揃ったな……」
思わず声が漏れる。
動揺しない方がおかしい。益々現実に近づく俺の妄想。
何せ死線は俺の目。直接映像が脳に届く。
そんな俺を他所にアカリが、柔らかな声で耳元に響きかける。
「ダー様ありがとうございます。アリーもね……」
気づけば彼女が密着している。
感触が熱を持って広がり、全身が痺れるようだ。
「あ、ああ……」
言葉にならない声が漏れる。
一方で、ジュリも負けじと反対の腕を引っ張り、"ぷにょっ”。
感情が入り乱れ、どうするべきかもわからない。
ただ、無言で耳が熱くなっていくのを感じながら、
胸中で思わずつぶやく。
……どうして、いつもこうなる?
何とかこの状況から抜け出したい一心で、
パンが入った布油紙袋をジュリに差し出す。
中身を覗き、確認すると、さっと腕を離す彼女の口元が綻ぶ。
その瞬間、思わず緊張感が緩んだ。
そんな中、黙っていたミーアと一瞬目が合う。
やんわりと微笑む、彼女のひとことが俺を救ってくれた。
「リーダー… どうぞ…シャワーを使ってくだい。
ジュリさんはパンをお皿にお願いします。その間にスープと何か作りますね」
その気使いの言葉に感謝しかない。
ミーアさんや、あなたはきっと、いいお嫁さんになれるよ。
…あの”むにゅ”さえ、なければね。
あ、ひとこと余計か……。
思いながらもシャワーを浴びに行こうと廊下に出た。
ようやく、冷静さを取り戻す時間ができた。
だがーー。
「っ……?!」
ドアを開けたその瞬間、目に飛び込んできた光景に全てがひっくり返された。
視界に飛び込んできたのは、湯気に包まれた美しい曲線。
そこには緑の長い髪を濡らした、ミンシアともまた違うエルフの女性がいた。
湯気越しでも、まるで女神の彫刻のように整っているのがわかる。
自然の造形美という言葉では、片付けられない魅力を感じた。
”ドンブラコ” ”ドンブラコ”
まるでリズムを刻むかのように揺れている。
彼女は何の疑いも持たず、魔法の歯磨きを持ったまま、こちらに向かって話しかける。
「あらミーア、珍しいわね。一緒に入るの? ミリネアお姉ちゃんも嬉しい……」
澄んだ声が耳を打つ、その瞬間、心臓が張り裂けるくらい脈を打つ。
彼女の無邪気な言葉がかえって刺さる。
ど、どうすれば……い・い・い・んだ……。
こ、これは……?
理性は限界を迎え、俺はただ、その場に立ち尽くすしかなかったーー。
────────────
【文中補足】
*オッドアイーー色違いの瞳。膨大な魔力を保有するものが多い。
『魔眼』とも呼ばれている。




