兄、ナガラ
神々は下界を覗き込む。
「ここからは天の声として、このシロが紡ごうぞ!」
黒銀の目の友の表情は、曇ったままだった。
***
アカリとジュリはズードリア大陸から遠く離れた島国で育ち、平穏な日々を送っていた。
ある日、姉のアカリが耳にした名前は義理の兄の名「ナガラ」。
その名は大陸で唯一の『SS級』冒険者として知られ、その噂はあまりにも大きな影響を与えていた。
ある日突然、姉が言い出したーー「私は冒険者になる」と。
その言葉に妹ジュリは驚き、戸惑いながらも、姉とともに国を離れる決意をした。
***
『ヤマト』の国は、ズーラシア大陸から海を挟んだ島国。
煌びやかな独特の文化と”武士”が治める国。
さらにこの国は”鎖国”をしていた。
『ヤマト』の国を治めるのは、大将軍の神代正嗣。
この国は代々、大将軍職を務める*神代家が治めていた。
アカリとジュリ姉妹の【巫代家】は、『ヤマト』の国でも名家の家柄で神代家の分家にあたる。
魔力にも恵まれた【神代一族】。
中でも特に、【刀術】と【扇子舞踊術】を合わせた、その固有の技術ーー【舞刀術】は国中で有名だった。
姉妹の父母は、国の中では重要な役職を担っていた。
父は『筆頭家老(ヤマトの国の要職)』という重鎮。
国ではNo2の地位に就いている。
一方母は、国最高位の【御典医(大将軍を診る専門医師)】として名を馳せていた。
だが、【巫代家】には男子に恵まれなかったため、養子を迎えることが決まった。その養子は異国から来た人物で、すでに二十歳を超えていた。
その養子は人柄も素晴らしく、父は【舞刀術】、母からは【薬学】をみっちり仕込まれる。
そして、【神代魔法】まで伝授され瞬く間に、その実力を磨き上げていったーー。
***【養子の性格と技量】***
ある日、呼ばれた御前試合。
ナガラが圧倒的な実力を見せたのだ。
此奴の器量と才覚……いずれ、この『ヤマト』を……
背負うことにもなるやもしれんな……。
『ヤマト』国主、大将軍神代正嗣は思いながら「さらに、鍛錬に励むが良いぞ」と、表情を変えることなく、自ら携えていた【桜刀】を差し出す。
「将軍様、もう『ヤマト』には、やり合う奴も、いねぇがな……はっはははは」
跪くことさえせず、泰然自若のナガラは独特な笑い声をあげて拝領した。
*
名家である『巫代家』も、いくつか【桜刀】を所有していた。
父は、【桜刀】を前にナガラに諭した。
「お前に教えておかねばならんことがある。 古の時代から、数えるほどしか存在しないーー『七星の刀匠鍛冶師』たちによって鍛えられた武器【桜刀】。
それは人神より賜りし、受け継がれた技術なのだ」
父は真剣な眼差しで続けた。
「七星の武器の中でも、特にーー【桜刀】は唯一無二。並び立つ武器などない。『兼松桜流』『黄金桜流』の二流派だけ……心に留めおけ」
その言葉はナガラの胸に深く刻まれた。
【桜刀】は、ただの刀ではなく、魔力を宿した伝説の武器としても知られていた。
使用者の魔力に応じてその切れ味は増し、時には【属性魔法】すら纏う『魔刀』。 古の対戦で魔王と呼ばれたガーランドすら倒した名刀。
ナガラは父から傑作、細身の刀身が白く輝くーー【黄金桜一文字】。
さらに、城主から賜った黒曜に閃くーー【兼松桜金剛】を手にしていた。
この二振りの刀は国宝級、まさに『ヤマト』では至宝であった。
*
ーー当時。
姉アカリが物心ついた頃、妹はまだ幼く教育を始めていなかった。
だが、ナガラ(養子)がいた。
彼は優しい言葉遣いで、学んだことを姉妹に教え、やがて彼女たちの“最初の先生”となった。
「兄上、この字は何と読むの」
アカリが和装の裾をそっと摘まんで、立ち上がった。
ナガラは天を仰いで、ふっと笑う。
「アカリちゃん……これは朱里って読むんだ。君の名だぞ」
「にーに、わたちにも」
ジュリが背伸びして、その書物を覗き込む。
そんな日々が続く中、ナガラは姉妹たちの面倒見もよく、特にアカリには、丁寧に舞刀術を教えていた。
「そこから扇子を返し、魔力を高めるんだ」
「こう?」
「そうだ。上手いぞ!」
「はっはははは」
不器用な笑い方をするその養子を、まるで本当の兄のように姉妹は慕っていった。
*
また、父からも名代ーーつまり家督を継ぐことも許された。
父『ナガト』より、ふた文字取って、その時から彼の名は『ナガラ』となった。
ある日、ナガラはさらなる高みを目指し、父に武者修行の旅に出ることを願い出た。
「この世を見聞してまいれ!」
父からの許しを得てナガラが旅立ってから既に、15年もの月日が経っていた。
けれど、母の死と父の体調悪化を知ってか知らずかーー彼は戻らなかった。
そして、時代は静かに動き始めていた。
***【ヤマトの国で過ごす姉妹】***
アカリは過去を振り返り、想いに耽る。
「ナガラ……あの兄様は今、何処にいるのだろう?」
アカリの言葉にジュリは目を伏せた。
「あの人が生きていたら……」
二人の胸に去来するのは、再会への淡い希望だった。
冒険者となり養子の兄を探し出すこと……。
彼女たちは遠い異世界の国で育ち、その土地の風習に触れながらも、日々を過ごしてきた。
兄との絆は深く、姉妹にとってかけがえのない存在なのは言うまでもない。
***【姉妹の旅立ち】***
きっかけはこうだった。
『巫代家』の家督を継ぐはずだったナガラが戻らない。
家老を務める『品川家』が事態を動かした。
長男太朗に『巫代家』の長女を娶る縁談を進め、婚儀は目前に迫っていた。
ーー嫁入りの三日前。
「家督を継いでくれるなら、うちに住めばいいのに!」
妹ジュリはぶつぶつと文句を言いながら、姉アカリの嫁入り支度を手伝っていた。
「『巫代流舞刀術』や『神代医師薬学』、『神代家の歴史』の巻物、『神代魔法書』の秘伝書、さらに『大和酒』、『大判金貨』ーー黄金桜流の【桜刀・黄金桜千貫】まで、こんなに持っていくの? ネー」
嫁入り道具には『巫代家』の家宝や書物が含まれていた。
「任せたわ!」
アカリの声にジュリは仕方なく、大きく息をつき頷く。
忙しなく準備するジュリを他所に、アカリの姿は急に見えなくなった。
他方、婚儀の準備で巫代家に詰めていた、『 品川家』の武士達が話をしていた。
「この間、久しぶりにな、ナガラ殿の名を聞いたぞ」
「ほぅ、それは真実にござるか?」
「ああ……ナガラ殿は、大陸一の冒険者になったらしいぞ」
「わしらでは、とても太刀打ちなどできん、猛者やったからなぁ……納得だぎゃ!」
「しかしなぁ、冒険者に、どれほどの価値があるというのだ?」
「わからん……でも、あの御仁、異国出身だと聞いた……」
「そうだがな……あの、ナガト殿の名を譲り受けたほどなのだぞ!」
「巫代の家を継げば、この国の大将軍にも、なれたやもしれぬのに……」
その会話を偶然耳にしたアカリは驚愕する。
彼女の表情は、まるで何か特別な瞬間を捉えたかのように輝く。
大きな赤碧の瞳は驚きで見開かれ、まつ毛がほんのり震えていた。
彼女は息を飲み込む。
額に手を当てて、考えるように黙り込んだ。
そして顎を指でなぞりながら、
「兄様なら、どうするかしら……」
そう口に出した瞬間、アカリは動いた。
姉の嫁入り道具を整理する妹ジュリの元へすぐに駆け寄りーー突然の宣言。
「私、冒険者になって、ナガラ兄様を探すわ!」
眉も少し上がり、期待と興奮が入り混じった表情を見せる。
その時、ジュリの顔に同時に浮かんだのはーー唖然と驚き。
「っえ? ちょっと待って、 お嫁入り、どうするの!?」
そう言ってジュリも眉間に皺を寄せ、慌てた。
けれどそれも束の間。
彼女は姉の性格をよく知っている。
「ネーの意志は、曲がるわけないよね」
話が終わると、ジュリはため息をつき、月を見上げた。
それこそが、姉妹の運命を変えたことの始まりだった。
その夜、ふたりは静かに旅支度を整えた。
風に揺れる風鈴の音が、まるで出発を促すかのように響いていた。
旅支度が整ったアカリが声を詰まらせポツリ。
「……ジュリ、もう後戻りはできないよ」
「うん。だけど、ネーと一緒なら、どこへでも行ける」
その言葉にアカリはそっと妹の手を握った。
月明かりが差し込む門に立ち、ふたりは家を振り返った。
「私たちの旅は、ここから始まる」
その言葉とともに、姉妹は静かに門をくぐり抜け、見慣れた町並みを背に歩き出した。
***【魔王の計略】***
だが、その運命はすでに見えぬ影に注がれていた。
海を挟んだ裏側……誰も立ち入らぬ禁域の地で、ある者の鋭い目が怪しく真紅に光る。
彼は七色の眩い気配を感じていた。
まごう事なき“宿敵”の気配。
黒き霧が渦巻き、大地が唸りを上げる。
ーーその者の名は、かつてズードリアに災いをもたらした赤髪のガーランドの末裔、魔王となったガーランド三世。
彼の復活は、決して偶然ではなかったのだ。
*
姉のアカリは優雅な笑みを浮かべ、長い桃髪を風になびかせながら、妹のジュリに耳を傾ける。
一方、妹のジュリは無邪気な笑顔を輝かせ、純粋な好奇心と無垢さを醸しだしながら、旅の算段を話して聞かせた。
だがその時ーー突然、平和な時間を打ち破るかのように、遠くの空に黒い雲が渦巻き始めた。
いきなり雷鳴が轟き、空が暗く沈む。
稲妻が鋭く地面を裂き、空気に緊張が走る。
閃光が眩しく瞬き、まるで空そのものが破裂しそうな錯覚。
その瞬間ーー二人は眩暈を覚え、足元が崩れるように揺らぎ、意識を失ってしまうのだった。
***【パラレル・ワールド】***
彼女たちが目を開けたとき、世界は一変していた。
周囲には見たことのない建物や風景が広がり、七色に光り輝く街並みはどこか懐かしさと神々しさを同時に感じさせた。
空には異様に歪んだ雲が浮かび、冷たい風が彼女たちの肌を撫でる。
アカリは戸惑いの表情を浮かべ、「ここは……?」とつぶやく。
一方ジュリは何かの直感を覚えたように、表情を険しくし目を細めた。
「ここは……ヤマトじゃないの? まるで違う国のよう……」
彼女の声は静かだが確信に満ちていた。
母より以前、聞いた記憶が2人の脳裏を掠めた。
『古代魔法には時空を捻じ曲げる、禁じられた呪詛がある』と。
姉妹は瞬間的に感じ取る。
ーーこれは呪詛によって引き起こされた、時空の”ねじれ”ではないかと。
魔王が放った呪詛は、姉妹をパラレルワールドに巻き込んだ。
彼女たちは周囲を見廻し、確認する。
今までのヤマトとは似ているようでーーどこか違う。
彼女たちの冒険は、運命の歯車を狂わせてしまったのである。
しかし失われた時間はもう戻ってはこない。
新たな運命と向き合わねばならないのだ。
運命の糸に、手繰り寄せられてるような……。
その時、ひときわ強い予感がアカリの胸に迫った。
暗い影は、確実に忍び寄っていた。
姉妹はお互いの目を見つめ合い、未来を変えるための決意を静かに固めた。
涙を飲み、恐怖に打ち勝ち、未知の世界に足を踏み入れる覚悟を胸に抱き、新たな冒険の一歩を踏み出した。
果たして、彼女たちの運命はどうなるのか。
しかしこれがその後、宿命を背負う姉妹たちのーー狂ってしまった歯車を噛み合わせることになるとは誰も知らない。
いや、天上から覗く神々だけはーー知っていたのかもしれない。
時空の”ねじれ”に抗い、世界と自らの未来を変えるため、二人は静かに、だが力強く歩み続けるーー。
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