間章 婚約者・一
「……陽一さん?」
蒸し暑い夜。
滅多に鳴らないインターホンが鳴って、俺は玄関の扉を開けた。
そしてそこに立っていたのは……叔父の小暮陽一さんだった。
俺の父の弟で、現在の俺の保護者であり、元プロボクサーのサラリーマンである。
元プロボクサーと言うが、見た感じ身体つきはそう大きなほうではない。物腰も普段は穏やかで、何も知らない人からすればこの人が元プロボクサーだなんて信じられないだろう。
だが間違いなくこの人は元プロボクサーだ。俺がSWになるって切り出した時、本気の殴り合いの喧嘩をしたから分かる。
「よう、臣護。元気か?」
黒いシャツを着た陽一さんは気さくに挨拶すると、俺の肩を叩いた。
「相変わらずいい部屋住んでるな。この野郎」
「それはまあ、命張ってますからね」
「命、ねえ。まったくお前ってやつは……そういやこの間も酷い怪我しやがったな。お前が死んだら兄さんと義姉さんに俺が祟り殺されそうだから気をつけてくれよ」
金属生命体の一件の時も、陽一さんとは少し言い争いをした。
流石に身体中傷だらけ、肩に穴あけた姿を見て陽一さんも顔を青くして俺にSWを止めるように迫ったのだ。もちろん断ったが。
俺は俺として生きると決めたのだから。
「大丈夫ですよ。まだ死ぬ気はないんで」
「まだ、って……いつか死ぬのかよ。やめてくれ」
「人間誰しも、いつかは死ぬでしょう」
「ガキの癖に達観しやがって」
どこか呆れたように、陽一さんが苦笑した。
「ところで、今日はどうしたんです、急に」
いつもは来る前に連絡を入れてくれるのに、こんな突然来るなんて何かあったのだろうか。
以前に酷く酔って自宅まで帰れないからとここに来たことはあったが、今日の陽一さんは酒に酔っているという風でもない。
「あー、それは、な」
頬を掻いて、視線を彷徨わせながら陽一さんは物を噛んだように口を開いた。
「今日は……紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人?」
「ああ」
陽一さんが俺に……ねえ。
「誰ですか?」
「その……まあ、なんだ? 俺……結婚することにしたんだよ」
…………。
っと、思考が一瞬停止していた。
「結婚、ですか」
「ああ……」
陽一さんはずっと独身で母親――つまり俺の祖母に当たる人から挨拶代わりに結婚はまだかと問われていたが……そうか、ついに結婚するのか。
「おめでとうございます」
思った以上に自然に言葉が出た。
「あー、ども」
妙に頭の低い態度で、陽一さんははにかんだ。
「じゃあ、その紹介したい人ってのは……」
「ああ。その人だ。お前には紹介しておこうかと思って」
俺には?
まるで俺以外の人にはまだ伝えてない、みたいな言い方だが……。
「節子さんには伝えてないんですか?」
節子というのは祖母の名前だ。あの人は俺に自分の事を名前で呼ばせたがる。どうやら祖母と呼ばれることが気に食わないらしい。呼ぶと頭を叩かれる。
「母さんは、ほら。こんなこと言ったら今すぐに結婚しろって言いだしそうで怖いだろ」
「……それは確かに」
それこそ翌日にも結婚式に持ち込まれそうだ。
「相手が今少し忙しい時期でさ、結婚はもうちょっと先にするつもりなんだよ」
「そうなんですか。でも、そんなこと言ってたら、逃げられるんじゃないですか?」
「不吉なこと言うなよ」
肩を軽く殴られた。
「まあとりあえず、そういうことで紹介するな」
扉の陰へ陽一さんが手招きする。
「ほら、出てきてくれ」
「……はい」
――ん?
今の声……どこかで、聞いたことがあるような……。
嫌な予感がした。
それはもう、とてつもなく嫌な予感が。
扉の陰から、その人の姿が現れた。
そして……思わず目を見開く。
「臣護。改めて紹介する。この人が俺の婚約者のシェルトア=スェン=ターレミスさん。シア、こいつは臣護。俺の甥だ」
シェルトア=スェン=ターレミス。
頬が引き攣った。
「シアは外国の人でな。日本語は少し拙いが、仲良くしてくれると俺としては非常に助かる」
向こうは俺を見て驚いた様子はない。
俺が陽一さんの甥ってことは知っていたということだろう。
……それで、堂々と俺のところに来るとは……いい度胸だな。
外国の人?
は……よくもまあ、そんな嘘を。
シェルトアは、名。
ターミレスは、家名。
そしてスェンは――魔名。魔術師と認められた時に与えられる名。
シェルトア=スェン=ターレミス。三つの名の頭を繋げると、それは俺が普段から彼女を呼ぶ名前になる。
「彼女は今、医療関係の施設で働いてる。なんて言ったっけ……まあ、それはいいや。そういうことで、よろしく」
医療関係の施設。
どうやら上手く誤魔化してるみたいじゃないか。
ああ、確かに医療関係の施設で間違いないよな――異界研の医療棟は。
まったく……なんて悪い冗談だ。
「陽一さん。一つだけ言わせてもらう」
「ん、なんだ?」
酷い頭痛がしてきた。
俺が言うべき言葉は、決まっている。
あんたは俺が何を言うか、もう分かっているよな?
「俺は、陽一さんとその女との結婚には反対だ」
征伐部隊、前隊長。
虐殺の魔女。
シェルトア=スェン=ターレミス。
シスター。
彼女は、マギの魔術師。
そして――人殺しだ。
†
俺は陽一さんに反対の言葉をつきつけると同時、扉を閉じ、鍵をした。
しばらく陽一さんが扉を叩きながら叫んでいたが、全て無視した。
それから三十分ほど経って、インターホンがなった。
誰かは、なんとなく予想がつく。
俺はゆっくりと、玄関の扉を開けた。
「……感謝してもらいたいくらいだな」
そこにいたのは、予想した通りの人物。
陽一さんの姿はない。もう分かれたのだろう。
「陽一さんの前であんたを責めなかったこと。俺にしては気遣いがきいていたろう?」
たっぷりと皮肉を込めて、俺はその人――シスターに言った。
「……私と、陽一さんの結婚認めないは、過去あるからか? 私の過去、存じるからか?」
「下手な日本語はいい」
俺は……マギの言葉でそう告げた。
シスターの眼が細められた。
「――すみませんね。どうにも、私は日本語が上達しない」
「別に、外国人とやらに日本語を期待しちゃいないさ」
は、自分の台詞に笑ってしまう。
なにが外国人だ。
国どころか、目の前にいる彼女とは生まれた世界すら違うのに。
「……改めて問いましょうか、嶋搗臣護。貴方が私と陽一さんが結ばれることに反対するのは、私の過去を知っているからですか?」
「そんなことも分からないのか、あんた」
呆れを通り越して感動しそうだ。
「俺が何で認めないか……そんなの、別にあんたが過去になにをしたからというわけじゃない。人殺しだからって別に、俺はそれであんたを軽蔑したりはしないさ」
人殺しと言っても、シスターは言わば軍のようなところに所属していたのだ。
軍人が人殺しなのは、別に不思議なことじゃない。それが悪か善かは一先ずどうでもいい。
今の問題は、その過去に対するシスターの姿勢だ。
「俺があんたと陽一さんがくっつくのに反対してるのはな……シスター。あんたが、陽一さんに全部隠してるのが気に食わないんだよ」
目の前の女の顔を睨みつける。
「マギの人間であることも、昔どんな仕事をしていたのかも、今どこで働いているのかも、なにもかもを隠して結婚? ふざけるなよ」
俺はこれでも、陽一さんには感謝してるんだ。
あの人は両親が死んだ俺を一も二もなく引き取ってくれたから。
だから、陽一さんには不幸になって欲しくない。
「今のあんたと結婚したら、陽一さんは絶対に後悔する。だから、反対してるんだよ」
まさかのシスター登場。
シスターというキャラができて、結構すぐに思いついた話。




