7-21
「時間は残されておらぬ。しかし臣護よ、別れを告げる時間くらいならば、あるぞ?」
「は、やめろよ」
笑い、後ろ髪を引く感傷を振り払う。
「そんな柄じゃないさ、俺は」
「……ふ」
じじいも、短く笑った。
「おかしなものじゃのう。このような時に、どうしてだか、人生で一番自然な笑みが浮かぶ」
「どっか、箍が外れたんじゃないのか?」
「かもしれん」
異界研の屋上から、街を見下ろす。
本当に、ひどいことになっている。
こりゃ、この事件が解決したとしても、人が住めるようになるのには時間がかかるな。
「……《魔界》か」
自分達でつけた呼称ながら、この光景を見ていると、それが本当に似合っている。
正に今眼下に広がるのは、魔界とか地獄とか冥府とか、そんなこの世のものとは思えない惨状だ。
「なんのために、あんなもんがあるんだろうな?」
「さて、のう。人には及び知れぬ領域の話じゃ」
確かに。
そもそも俺達は哲学者でもなんでもないし。そんなこと考えても全くの無駄だ。
俺達がすべきことは哲学なんかではなく、それぞれの武器を手にとり、許容できない運命を倒すこと。
「ま、ぐだぐだ言ってても始まらない。さっさと行くか」
片手を突き出して、魔力を集める。
加速魔術により、一点に向かっての加速。
魔力が圧縮され、空間を歪めていく。
「そうじゃな。では、反撃の号砲を放つとするか」
そこに、じじいの力が加わる。
空間から色が失われ、黒に塗り潰される。
黒は増殖し、そして……巨大な黒い球体を形作った。
「狙いはどうする?」
「決まっておろう?」
ま、そうだよな。
俺とじじいの黒の魔術が……呑みこまれたら最後、二度と戻ってこれない闇が、放たれる。
黒い砲撃。
それは一直線に――《魔界》の柱に向かう。
到達。
柱のど真ん中を黒の魔術が貫いた……かと思ったその瞬間。
軌道が歪み、柱を僅かに抉り、黒い砲撃は虹色の空へと消えた。
そうして、僅かに削れた部位も、すぐに再生してしまう。
「黒の魔術すら逸らすか。まったく、やってられんなあ」
「どんだけ馬鹿げた量の魔力が込められてるかが今ので実感出来た」
黒の魔術すら歪める。
常識じゃ考えられない。
黒の魔術は、ありとあらゆるものを消滅させる。
それが逸らされたと言うことは……あの柱は、常に黒の魔術に限りなく近い強力な力場でも纏っているのだろう。
本当にふざけているな。
「どうすりゃいいと思う?」
「単純じゃ」
じじいは、空を見上げた。
「あの虹の空の向こう。根源を叩く。まあ、根源があの柱より叩きやすいという希望のもとでの話じゃな」
「でも、その希望にかけるしかないだろ」
「うむ」
あの空の向こう、ねえ。
はは。
心底嫌だな、それは。
あの向こうにどんな世界が広がっているのか、想像も出来ない。
「まあ、しかしあの空の向こうに行くにしても、根が邪魔じゃな」
空から突き出す根からは、次々に異生物が落ちて来ている。
あの根のどこに、あれだけの異生物が潜んでいるのだろう。
「なら、まずはあの根から落とすか」
「うむ。そうすれば、地上の戦いも有利に運べるようになるじゃろう」
頷き、俺とじじいは地面を蹴った。
身体が空を舞う。
眼下では、異界研からSWの波が街へと広がっていく。
†
臣護さんと翁が空にのぼっていく。
……私が行っても、あの二人の前では足手まといにしかならない。
ならば、私は……地上の敵を討ち滅ぼそう。
魔導水銀の刀を握り締める。
駆け……否。
翔け出す。
魔力による推進を得て、私は空を翔けた。
街に並び立つ高い建物の隙間を縫う高速飛行。
と、目の前に巨大な鳥が現れる。
大鳥の口が開き、そこに眩い炎の塊が見える。
火を吹くのか……。
進路は変えない。そのまま大鳥に突っ込む。
大鳥の口から、炎が放たれる。
私は……空中を蹴った。
正確には、空中に作り出した魔力の足場を蹴ったのだ。
それによって強引に飛行の軌道を変え、間一髪で炎を避ける。
「――天地悉く、――」
刀を振るう。
「――切り裂け!――」
魔力が刀から放たれ、それは巨大な刃となって、大鳥の首を切り落とした。
そのまま、大鳥の体が地面に落ちる。
その姿を見届けもせずに、私は近くのビルの壁面にへばりついていた巨大な蛇の群れに魔術の炎をぶつける。
蛇達が燃えながら、ぼろぼろと落ちていく。
と、その蛇がへばりついていたビルを押し倒して、巨大な影が三つ現れる。
竜だ。
アースではファンタジーの中にだけ生きる空想の生き物。
マギには竜はいるにはいるけれど、ここまで大きくない。
その竜が三匹、私に向かってその顎を開く。
「――天地悉く、――」
魔力を集める。
まず一匹目の竜が私に食らいついてきた。
牙を避けて、その巨大な眼球に、刀を突き刺す。
と同時に、
「――切り裂け!――」
魔力刃を放つ。
逆の眼から、細切れになった脳漿らしき緑の血液まみれの肉片が飛び出す。
刀を引き抜いて、跳ぶ。
直後、私を狙った竜の牙が、倒れ行く竜の顔面を噛み潰す。
竜の亡骸の、首から上が破裂するように飛び散った。
凄い顎の力……。
まあ、当たらなければ意味はないのだけれど。
思いながら、刀に魔力を込める。
さあ、まだまだ。
こんなところで足を止めるわけにはいかない。
†
ジャケットの裏側に大量にしまい込まれている魔力カートリッジを数本纏めて握り、取り出す。
どれもこれも、最高級の超容量カートリッジ。普通に私の財産じゃこんな大量に手に入れられるものじゃないんだけど……今回は、M・A社の方から無償の提供された。
つまり、やり放題ってこと。
「出血大サービスだよ!」
叫びながら、目の前の道をうじゃうじゃと埋め尽くす人型の異生物に向かってカートリッジをばらまく。
直後。
巨大な爆発が、異生物を吹き飛ばす。
びちゃり、と。
頬に緑色の肉片が飛んできた。
「気持ち悪っ」
慌ててそれを拭う。
「あべべべべべべべべ!?」
その私の隣にいる明彦の顔面に、何度も何度も緑色の肉片がぶつかる。
「ちょ、ぺっ! ぺっ! なんで俺だけこんなにピンポイントにぶつがっ!?」
喋ってる最中も明彦の顔面に肉片はぶつかる。
「……日頃の行い?」
「いやいや、え、オレだって毎日誠実に生きてますよ!?」
「……」
「なんだその笑いを堪えている態度は!」
「面白い冗談だね」
「冗談じゃねえよ!?」
明彦の声を聞きながら、爆発で切り開かれた道を見る。
不意に、地面が揺れた。
――道が砕ける。
地面の下から、巨大な何かが飛び出してきたのだ。
それは……。
……。
…………。
「明彦」
「なんだ?」
「あれ、なに?」
「でっけえダンゴムシ」
うん。だよね。
どっからどう見ても、ダンゴムシだ。巨大で身体が緑色の。
うーん……なんていうか、あれだね。
「キショい」
「同感だ」
身近に実際にいる虫だから、むしろその気味悪さが際立っている気がする。
すると、巨大ダンゴムシが身体を丸める。
「……あれ、なんだろう。嫌な予感がするよ?」
言いながら、カートリッジを一本、投げて爆発させる。
爆煙が晴れて……無傷の巨大ダンゴムシ。
見かけどおりに硬い……。
ぐらり、と。
その時、巨大ダンゴムシが、動いた。
丸まったまま。
ぐらり、っていうか……ごろり。
うん。つまり……、
転がり始めた。
私達のいる方向に。
「……うわあ」
こんな映像、どっかで見たことあるなあ。
ほら。
なんか映画とかで、迷宮の狭い道とか進んでると前から岩が転がってきたりする、あれ。
あれそのものだ。
うわあ、貴重な体験かも。
とか呑気に思ってる場合ではない。
「っ、アイアイ、逃げるぞ!」
「う、うん!」
あんなのに潰されるなんて冗談じゃないよ。




