間章 不幸な痴漢の物語
ある日。
私とリリー、雀芽。それに天利やアイはとある喫茶店に集まっていた。
よく雑誌とかに取り上げられている喫茶店で、ケーキが凄く美味しいらしい。
なので、私達五人で少し前からここに来ようという約束をしていたのだ。
そして今、それぞれの手元には別々のケーキがきている。
どうせだし皆違うものを選んで、ちょっとずつ分け合うことにしたのだ。
「うわ、美味しそうだね」
私の手元にあるのは、チョコレートケーキ。なんていうか……うん。輝いて見える。
「そうね。流石、人気の店といわれるだけのことはあるわ」
そう頷くリリーは、ブルーベリーのケーキ。んー、あっちも美味しそうだなぁ。
「それじゃ、早速いただきましょうか」
「だね」
まず、天利とアイがフォークを動かした。ちなみに天利がいちごのショートケーキで、アイはチーズケーキだ。
それに続いて、私達もケーキを口に運ぶ。
「……なるほど、ね。これは雑誌にも取り上げられるわ」
納得いったという顔をする雀のケーキはマロンクリームケーキ。
私もまったく同意見だった。
甘すぎず、かといって苦みはない。そしてチョコレートの風味が口の中に広がる。
生地はふんわりしていて、もうなんていうか……幸せ。
「ねえ、リリー。それ、ちょっとだけいい?」
「ええ……はい」
リリーが自分のケーキをフォークで切り分けて、差し出してくる。
それを咥える。
「ん……」
途端、ブルーベリーの甘酸っぱさ。
これは……やばい。
「佳耶のもいいかしら?」
「うん」
私もケーキをリリーにあげる。
「……美味しいわね。佳耶と間接キスだから、なおさらに」
「あー……はいはい」
そんなことをしみじみ言われても困るんだけどね。
なんだか最近、どんどんリリーが変態になってる気がする。
……そしてそれに慣れてしまった私って……。
「今、なんでかリリシアが中年オヤジに見えたわ」
天利が呆れ気味に言う。
「あら、ひどい」
リリー。これは、言われたって仕方ないよ。
まったく……。
「……あ。そういえばさ」
ふと、アイが思い出したように口を開く。
「どうしたの?」
「中年オヤジで思い出したんだけど、この間痴漢にあったんだよね。もちろん警察につきだしたけど」
†
それは、私がバスに乗っている時のことだった。
丁度通勤の時間帯で、バスの中は人で一杯。
幸いにも私は一番後ろの窓際の席に座れていた。
窓の外を流れていく風景を見ている。
と――不意に、太股に何かが触れる感触。
隣の人の荷物でもあたっているのかな、と視線を向けると、そこには荷物ではなく、人の手。
そして、その手は、隣に座る中年の男性のものだった。
さら、と。
また手が動く。
明らかにわざとだった。
……これは、あれかな。
痴漢っていうやつ?
…………えっと、こういうときはどうすればいいんだっけ?
――そうだ。
前に明彦が言ってたっけ。
女の子に優しくない男は殴り飛ばされて当然、って。
なるほど。殴り飛ばすんだ。
†
「で、殴り飛ばしたんだよね」
そう話を終えたアイに、私達は……沈黙。
「あれ、どうしたの皆?」
「……いや。それ、その後どうしたの?」
天利が尋ねる。
「警察がきて、私が捕まりそうになった」
容疑は暴行罪だ。間違いない。
「でもちゃんと事情を説明したら、きちんと分かってくれたよ。それで、次こんなことがあったら、普通に大声をあげればいい、って教えてもらった」
「……とりあえず皆見は帰ったら説教ね」
溜息をついて、天利は呟く。
「にしても、痴漢ってどこにでもいるのね」
雀芽がぽつりとそう零した。
「あれ? その口ぶり……雀芽も痴漢、されたことあるの?」
「ええ。そういう佳耶はどうなの?」
「んー……私もあるけど」
と私が答えた瞬間。
「その痴漢は今どこにいるの?」
「殺気! 殺気出てるって!」
リリーの身体から滲みだす殺気。
「ちゃんとその痴漢は捕まえたから問題ないよ!」
とりあえず、どうにかリリーを宥める。
「……まったく。佳耶に痴漢だなんて……万死に値するわね」
「そういうリリーはどうなの?」
「私もあるわよ」
まあ、リリー綺麗だもんね。
「ってことは、この場にいる全員が痴漢にあったことがあるのね」
天利が心底呆れたように言う。
つまり、天利も痴漢にあってるってことか。
……うーん。
男ってどうしようもないんだなあ。
「ちなみに皆はどんな痴漢に遭ったの?」
†
腕を引っ張られた。
私が歩いていたのは、人のごった返す通り。どうやら何かイベントがあるらしく、いつもの数倍もの人がいて、普通に歩くのもままならない。
そんな状態だった私を、横から伸びて来た腕が狭い路地に引き込む。
なに……?
特に慌てずに、私を引っ張った相手の姿を確認する。
若い男だった。
それも、二人。
その口元に浮かぶのはいやらしい笑み。
「おいおい、すげえ上玉。しかも外国人だぜ」
……外国人。
国どころか世界も違うのだけれどね。
「とりあえずさっさと人のいないところ連れてこうぜ」
「だな。おい、テメェさわいだらどうなるか分かってるだろうな?」
「って、日本語分かりますかー?」
なるほど。
どうやら、彼らは私をどうこうしたいらしい。
……だったら、遠慮はいらないか。
こうして汚い手で掴まれているだけでも不快なのだ。
まず私の腕を掴む男の顔面を思いきり壁にぶつける。多分鼻の骨くらいは折れたと思う。
さらにもう片方の男の延髄に蹴りを叩きこんだ。
二人の身体が路地に転がる。
私は気絶した二人を見下ろしながら、携帯電話を取り出し、警察に連絡をとった。
†
「……やりすぎだよ」
「そうかしら?」
可哀そうに……とまでも思わないけどさ。女の敵だし。
でもきっとその人達、女性恐怖症くらいにはなったんじゃないかな。
うーん。まあ、リリーを狙ったのが運の尽きってことだよね。
†
「……?」
お尻になにかが触れた。
揺れる満員電車の中だ。そういうことがあっても不思議ではない。
しかし……それにしては、しっかり触りすぎなような気がする。
そっと振り返ると、にやにやした男性がそこにいた。
……うん。痴漢ね。
「この人痴漢です!」
その次の駅で、男は駅員に捕まった。
†
『常識人!』
雀芽の話に、全員が同時に言った。
「……いや。普通に普通の対応をしただけなのだけれど?」
†
異界研からの帰り道。
すっかり夜遅くで、人通りなんて皆無に等しい。
「遅くなっちゃったわね」
「そうだな」
一緒に歩くのは、嶋搗。
二人でどうでもいいような会話をしながら歩く。
そうしていると……正面から誰かがあるいてきた。
足取りからして、酔っぱらいだろうか?
酔っぱらいは嫌いだ。
そう思いながら、その人を避ける。
が……その人は、何故か私達に近づいてきた。
「おーい」
近づいて、その人が三十代ほどの男性であることが分かる。
「そこの二人、お似合いだねぇ」
呂律が回らない口で男性が言う。
「……無視ね」
「ああ」
嶋搗とその人の横を通り過ぎようとして――私と嶋搗の腕をその人が掴む。
「俺も混ぜてくれよぉ。実は俺、女も男もアリなんだぜぇ?」
言いながら私の胸に、そして嶋搗の……その……まあ、なんていうか……股間に、その人が両腕を伸ばしてくる。
気付けば、身体が動いていた。
その男性の腹を思いきり蹴りあげる。
かなりいい具合に入ったらしく、男性の身体がちょっと宙に浮かぶ。
さらに、男性の身体に連続三回の蹴りを高速で叩きこむ。激しい衝撃に、男性の身体がさらに浮かんだ。
とどめに、その男性の横っ面を、嶋搗が裏拳で殴りつける。
男性の身体は回転しながら地面に落ち、そのまま近くの電柱まで転がっていき、ぶつかってぴくりとも動かなくなる。
「警察に連絡する?」
「そうだな。あのまま放っておいても近所迷惑だろ」
「そうね」
†
「容赦なさすぎ!」
待とうよ!
なにそれいろいろつっこみどころが多すぎる!
「流石臣護さんね」
「悠希と臣護だから」
リリーとアイはどうしてそんな「まあ当然だよね」みたいな顔で頷いてるの!?
明らか過剰防衛だよね?
空中コンボとかやめてあげようよ!
†
普通に歩いていると、声をかけられた。
「ねえ、少し道をききたいんだけれど、いいかな?」
スーツ姿の男の人に声をかけられた。
「いいですよ」
「ここに行きたいのだけれどね」
男の人が簡略的な地図を出して、行き先を指さす。
「ああ、ここならこの先の角を曲がって二つ目の信号を右に行けばつきますね」
「そうか。ありがとう……ところで、もう一ついいかな?」
「はい?」
男性が顔を寄せてくる。
「お小遣いをあげるから、少しついてきてくれないかい? なあに、ちょっと手伝ってもらいたいことがあってね」
……。
「ちなみに、いくらですか?」
「これでどうかな? 好きなお菓子を沢山買えるよ?」
出されたのは、千円札。
……うん。
そっか。
あはは。
「嫌です」
「おや? どうしてだい?」
「いかにも怪しい人に、千円くらいでついていくわけないじゃないですか」
言うと、男の人の表情が少し引き攣った。
「まあ、そういわずにさ。なんなら二千円あげよう」
気易くその腕が私の肩に回される。
「大丈夫。小学校で知らない人についていっちゃ駄目と言われたのかな? でもおじさんはそんな怪しい人じゃ……」
――よーし。
覚悟はいいね?
今、貴方は、かなり許せない単語を口にした。
小学校?
そっか。
うん。よーく分かったよ。
その甘ったるい気色悪い言葉遣いとかさあ、千円とか二千円とか舐め切った金額とかさあ、果てには小学校?
……あは。
「私は、高校生だぁあああああああああああああああああああああああ!」
私は肩に回された男の人の腕をつかむと、そのまま一本背負いで男の人の身体をアスファルトに叩きつけた。
その後、ちょっと蹴ったり殴ったり蹴ったり蹴ったり殴ったり蹴ったり殴ったり殴ったりしてから、警察を呼んだ。
†
「……まあ、なんというか……ねえ」
切れの悪い様子で、天利が苦笑する。
「それは……ご愁傷様ね」
「まったく。私のどこが小学生なんだろうね!」
ああ、なんだか思いだしたら苛立ってきた。
「それはやっぱり――」
「なにか言いたそうだね、アイ?」
「ナンデモナイヨ?」
そっか。それならいいや。
「まあ、もうこんな話はいいよ。せっかくのケーキがまずくなるし」
「そうね。もう他の話題にしましょう」
「そういえば、この間――」
そんな風に。
平和に私達は時間を過ごした。
最後のやつはロリコンですね。絶対に。
え、後ろ? 後ろになにが――。
……待ってくれ。そのチェーンソーを一旦しまってギャアアアアアアアアアア!




