95.猫は国王より強し
陛下と軽く会話を交わしつつ、並べられたお菓子を口にする。
ピンクにオフホワイト、紫にミントグリーン、レモンイエロー。
カラフルでころんとした、それぞれフレーバーの違うマカロン。
ふっくらと、きつね色に焼きあがったマドレーヌ。
一口大のフルーツタルトに、紅茶を混ぜた渦巻模様のクッキー。軽くコリコリとつまめるナッツ類。
手掴みで食べられるお菓子を、甘いものを中心に用意してある。
たくさん種類を揃えたのは、陛下の好みが、まだよくわからなかったから。
幸い、陛下は次々と、お菓子を味わってくれている。
陛下の長い指が、白い皿の上から一つ。
マカロンをつまみ、口元へと運んだ。
唇が開かれ、マカロンが消えていく様を見守る。
「……うむ。こちらの白いマカロンもいけるな。甘いが、甘すぎないような……」
「バタークリームに、塩でアクセントを加えてあります。少量の塩を加えることで、より甘さが引き立ちます。お気に入りいただけましたか?」
「あぁ」
陛下のお言葉は短くて。
けど、そのそっけない反応も、マカロンを味わうのに気を取られているからかもしれない。
わずかに細められた碧の瞳は、小さな変化だからこそ、つい見入ってしまった。
……嬉しい。
陛下が、美味しそうにお菓子を食べてくれることが。
ほんの少しだけど、表情を緩めてくれたことが。
そんな陛下を近くで見ていられることが、かすかに胸を騒がせた。
「………」
落ち着かなくて、マドレーヌへと手を伸ばす。
香り高いバターが、口の中へと広がっていく。
生地はしっとりとしつつも軽く、やわらかく甘く崩れていった。
うん、美味しい。
自画自賛してしまう。
バターと小麦粉の甘さは、幸せを運んでくれる魔法だ。
ついもう一個、と。手が伸びる美味しさだった。
間に紅茶をはさめば、いくらでも食べてしまえそうで-ーーー
「レティーシア」
「ごほほっ!!」
むせた。せきこんでしまった。
マドレーヌの欠片が喉に張り付く。
飲み食いに気を取られ、陛下の声に驚いてしまった。
「いきなり声をかけ、悪かったな」
「いえ、失礼しました。今、陛下は、なんと仰ろうと?」
「おまえの紅茶のカップに、薔薇の花びらが入っている」
「あら、ありがとうございます」
一枚の花びらが、紅茶にさざ波を起こしている。
少し行儀は悪いけど、つまんでよけることにして――――
「えっ?」
花びらへと伸ばした私の手が。
陛下に強く、握られていた。
「……陛下?」
どうしたのだろう?
指に当たる、固く滑らかな皮膚の感触。
やや骨ばった、長い指が。
陛下が私の手を捕らえ、離さないのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日、レティーシアが薔薇園に現れた時。
グレンリードは視線を奪われてしまった。
「グレンリード陛下、御機嫌よう。本日は薔薇園に招いていただき、光栄に思いますわ」
礼にあわせ、ふわりと舞う金の髪。
そこに咲く薔薇飾りは淡いピンク。
ドレスの色合いも甘く上品に、華奢な体を包み込んでいた。
礼を終えたレティーシアが顔をあげ、グレンリードを見た。
紫の瞳は明るく、紫水晶のように煌めいている。
白い肌に、ほんのりと薔薇色の唇。
薔薇の髪飾りが映え、美しいと――――
「……陛下?」
「……あぁ、よく来てくれた。歓迎しよう」
挨拶を返しつつも、レティーシアから目が離せなかった。
彼女の姿をじっと閉じ込めるかのように、グレンリードは目を細める。
どの色の薔薇飾りを贈るか悩み、政務の合間を縫ってわざわざ、銀狼に化けて色を見繕いにいったが……。
(おかげで予想通り、いや、予想以上に……)
グレンリードの唇が、ひとりでに動いていく。
「……な…………」
「? 何でしょうか?」
「髪飾りとドレス、よく似合って―――――」
「にゃぁっ!!」
はっとした。
声をした方を見ると、グレンリードも知る庭師猫の姿があった。
(こいつも、よくわからない猫だ……)
レティーシアと会話(らしきもの〉を繰り広げる庭師猫に、グレンリードは軽く脱力した。
狼の姿でレティーシアの離宮におもむいた時、庭師猫とは何度も会ったことがある。
とはいえ人間の姿で、顔を合わせるのは初めてのはずなのだが……
(……こいつ、私の正体に気づいている……?)
庭師猫はグレンリードに近寄り、にゃあと鳴き声を上げた。
見上げてくる瞳が、何を言おうとしているのかはわからなくとも。
ある種の気安さ、慣れがあるのは間違いなかった。
「薔薇園の中へ入りたいのか?」
「にゃにゃっ!!」
『その通り』
と言わんばかりの顔で、匂いで、庭師猫がじっと見てくる。
庭師猫の言葉はわからなくとも、グレンリードには特別な鼻がある。
言葉が通じない相手でも、ある程度の意思の疎通は可能だった。
(ここで追い返すわけにも、いかないだろうな……)
庭師猫がグレンリードの正体に感づいているのなら。
うっかり機嫌を損ねると、レティーシアにグレンリードの秘密をバラしてしまうかもしれない。
その気になれば、庭師猫一匹程度、排除するのは簡単だとしても。
この庭師猫は、レティーシアがかわいがっている。
グレンリードとしても、狼の姿の時、気安く背中に上ってくる庭師猫の軽い体を、それなりに気にいっているのだった。
(猫は時に、国王より強い生き物だからな……)
小さくうなずき、庭師猫に許可を出してやる。
するとレティーシアが驚き、そして。
(笑った……)
人の姿のグレンリードの前では珍しい、柔らかな微笑み。
(なぜ、今、そのような表情を私へ向ける?)
わからなかったけれど。
グレンリードは自らの表情を感情を隠すように、踵を返し薔薇園に向かったのだった。




