8.手紙の主の悪あがき
『父上に君の婚約破棄と国外追放について報告したところ説教を受け、君に対し僕がいかに残酷な振る舞いをしたのか思い知らされてしまったよ。もう手遅れかもしれないが、君に謝り、今後の方針について相談したいんだ。だから今夜、会ってはくれないだろうか? おしゃべりな貴族たちの目を避けるため、所定の場所に来て欲しい。目立たない様、従者は1人か2人程度にしてくれ』
手紙で指定されていた待ち合わせ場所は、王都の西地区にある遺跡群だ。
傾いだ石柱や、地面から露出した石造りの建物の残骸が並ぶ静寂な一角。
夜ともなれば人影もなくなり、月光に照らされるばかりの寂れた場所だった。
王都という一級地で、遺跡が壊されることも無く残されているのは、この遺跡が遥か古の、我が国の栄光時代の記念碑的な存在であるからだ。
私たちの国の名は『エルトリア王国』というが、他国からは『小エルトリア』と呼ばれることも多かった。
なぜそんな呼び名があるかと言われると、歴史上の大国、『大エルトリア帝国』と区別するためである。
西方大陸の半ば以上を支配した大エルトリア帝国は、今も各地へと大きな影響を残していた。
最もわかりやすいのが、現在の西方大陸で使用されている言語だ。
各国で最も多く使われているのは、エルトリア語とその派生言語である。
エルトリア語は地球でいう英語のように、国際的な場での第一選択言語となっている。
西方大陸各地には、大エルトリア帝国の影響が色濃く残っているのだ。
そして私たちの国は、かつての大エルトリア帝国の帝都があった場所にあった。
大エルトリア帝国の最盛期はおおよそ千年ほど前。
その後は暗君が続いて国が分裂したりして……………詳しくは省くが、その流れの果てにあるのが、私たちの住むエルトリア王国なのである。
現在のエルトリア王国の領土は、大エルトリア帝国最盛期の10分の1以下。
誇れるものと言ったら長い歴史と、王侯貴族階級の魔術師率の高さくらいのものである。
魔術師になれるほどの魔力の持ち主は、数百人に1人ほどしかいないというのが通説だ。
だが、魔力というのは遺伝性があるようで、両親が魔術師の場合、子供は結構な割合で優れた魔力を備え生まれてくるのである。
ついでにいうと得意な魔術系統というのも、血統の影響が濃く出るのである。
大エルトリア帝国の支配者階級には魔術師が多く、その裔である我が国の貴族もまた、魔術師の率が高かった。
だからこそ、我が国の貴族は歴史と血統を重んじるし、平民への差別感情が強く出やすいのである。
現在の我が国の貴族の魔術師の率は、おおざっぱに2割前後。
平民や他国の王侯貴族の魔術師率が1%以下なのを考えると、なかなかの割合なのだった。
ただし、魔術師の血が一滴も入っていない平民の中にも、突然変異的に高い魔力の持ち主が生まれることはある。
とても少ない確率だが、なんせ平民は数が多い。
0.1%以下の確率であろうと、母数が大きければそれなりの数が出るわけで――――――――
「お嬢様、お相手がいらっしゃったようです」
ルシアンの囁きに、意識を内側から外側へと切り替える。
こちらへと近づいてくる人影に、私は目を凝らした。
「ごきげんよう。やっぱりあなただったのね」
やってきたのは王太子フリッツ―――――――ではなく、栗色の髪の少女。
スミアだった。
「…………どういうことよ?」
瞳を鋭くしたスミアが警戒心もあらわに問いかけてきた。
その刺々しい口調と雰囲気は、フリッツ達の前での無垢で愛らしい姿とは別人だった。
「やっぱりってことは、あなたをここへ呼び出したのが、フリッツ殿下では無いって、最初から分かっていたっていうの? ならどうして、呼び出しに応じたのよ?」
「手紙の主は、どうせあなただろうと予測がついていたんだもの。私の方も、ちょうどあなたと二人で話したいと思っていたから、都合が良かったのよ」
「でたらめを言わないで。手紙の筆跡は、殿下が私にくれた手紙を元にして、殿下の筆跡をまねたものよ。なのにどうして、殿下の書いたものじゃないってわかったのよ?」
「手紙の内容に決まっているでしょう」
フリッツの性格を考えれば、私に謝りたいなんて手紙を書くとは思えなかったのである。
フリッツはスミアへの恋心のせいで、持ち前の視野の狭さが悪化していたのだ。
そんな彼が、いくら父親である国王陛下に諭されたからと言って、こんな短期間で改心し私への謝罪を申し出るなんて、とても信じられなかったのである。
………というか、そもそもの話として。
フリッツが短期間で自分の非常識さを自覚し、私へ頭を下げられる人間だったなら、公衆の前での婚約破棄からの国外追放宣告という、馬鹿な行いはしないはずである。
「スミア、あなただって殿下のお人なりはよく知ってるでしょう? あの殿下が、あんな殊勝な手紙を私によこすわけないじゃない」
「………っ!」
「数日前までの私なら、殿下の婚約者であることに執着していたから、私にとって都合のいい言葉が並べられた手紙にも騙されていたかもしれないけど……………、あいにく、今の私は殿下への情も執着も何も無いわ」
前世の記憶が戻った衝撃と、その直後のフリッツのうつけさを目の当たりにしたことで、フリッツへの未練は全くと言っていいほど無くなっているのだ。
そんな状態であの手紙を受け取れば、怪しむのが当然なのだった。
「それで、スミア。殿下の名を騙ってまで私を呼び出して、何が目的なのかしら? おおかた見当はついているけれど、さっさと話してもらえないかしら?」
威圧感をこめスミアへと笑いかけると、スミアにビクリと怯えられてしまった。
………………失礼な。
今は『弱々しい男爵令嬢』の演技をする必要も無いはずなのに、ちょっと大げさすぎない?
「………っ。偉そうにしないでよ! だったら言うわ! 貴族籍を返上し、平民になってくれないかしら?」
「嫌よ。なんでそんなことしなきゃいけないのよ」
………正直なところ、前世の記憶が蘇った今、貴族としての責任を投げ出し、身軽な平民として生きたいという思いがないわけでは無かった。
だが、レティーシアとして17年間生き、公爵令嬢としての義務と誇りを叩きこまれてきている以上、簡単に投げ出せるものでも無いと理解しているのだ。
「ふふっ、わかってないのね? これはあなたのためを思って言っているのよ? 私が殿下に頼み込んで、『私を虐めていたレティーシアが怖いから、虐めの罰として平民に落として欲しいです』って言えば、どうなるかわかっているでしょう? そうなる前に平民に下る方がマシだと思わないかしら?」
勝ち誇るようなスミアに、少し頭痛がしてきた。
こちらが目障りなのは理解できるが、どう考えてもやりすぎである。
「………本気で言っているのかしら? 私を無実の罪で平民に落とすなんて、今度こそ全力で公爵家に喧嘩を売ることになるのよ? そんなことしたら国がどうなるか、少しは想像できないの?」
「殿下の私へのベタぼれっぷりを知らないの? 私が殿下に頼み込めば、どんな願い事だって聞いてくれるに決まっているわ」
「……………そうかもしれないわね」
スミアの言葉を否定しきれないのが、頭の痛いところだった。
フリッツはうつけで、今の彼は恋に盲目状態である。
国外追放の件と同じように、無理やり私を平民へと落とすことがないと、そう言い切ることができないのが正直なところだ。
「あなたが熱心に頼み込めば、殿下も頷くかもしれないわね」
「そうでしょ? わかったでしょう? だったら、大人しく自分から平民に――――――――」
「ニルッツ村」
「………!」
私の一言に、スミアの笑顔が強張った。
「あなた、王都で生まれ育ったって言っていたけど、嘘でしょう? 本当の故郷は男爵領にある小村、ニルッツ村であってるわよね?」
「…………………」
問いかけへの返答は沈黙。
だが、歪んだスミアの表情が、何より雄弁に私の言葉が正解だと語っているようだった。
「あなたの嘘はそれだけじゃないわ。男爵家の血を引くなんて大嘘。あなたの両親はどちらも、れっきとした平民じゃない」
「…………っ、どうしてっ⁉ どうしてそのことを知っているのよっ⁉」
「最初から、おかしいと思っていたからよ」
鍵は、魔力の遺伝性についてである。
「魔力というのはその量の多寡も性質も、大きく血統に依存するものよ。でも、あなたの父親……であるはずの男爵家当主の祖先にも血縁にも、あなたのような光の魔術の使い手はいないはずよ」
「………それの何がおかしいのよ⁉ たとえ家族に誰も光の魔術師がいなくても、光魔術の素質を持った子供が生まれた例はあるわ!!」
「突然変異は否定しないけれど……………でも、色々と不自然な点が多すぎると思わない?」
「何がよっ⁉」
「希少な光魔術の使い手であるあなたが、いきなり男爵家の血筋に生まれた点。そんなあなたが13歳になるまで、一切貴族社会に知られていなかった点。貴族としての教養も常識もなく男爵令嬢にすぎないあなたが、王太子であるフリッツ殿下へと近づけた点」
平民育ちの貴族の隠し子が実はすごい才能の持ち主で、王子さまに出会い運命の恋に落ちる。
……………前世の創作物で何度も目にした王道のパターンだが、いざ現実に目の前でやられると、なかなかに胡散臭さが匂い立つのだった。
「一つ一つは、珍しいとはいえあり得ないというほどでもないけど、偶然が重なりすぎよ。裏に何かあると疑うのは当然でしょう?」
おそらく、一連の主導者は男爵家当主と、陰険眼鏡イリウスの実家であるイレガー公爵家だ。
わが家と政治的に対立しているイレガー公爵家からしたら、フリッツの婚約者が私であるというのは、面白くない状態だったはずである。
そんなところへ遠縁である男爵家から、貴重な光魔術の素養を持った少女が見つかったと報告を受けたのだ。
その少女を男爵家の令嬢として偽り聖女の再来と宣伝し、公爵家のバックアップの元、王太子であるフリッツへと近づける。
………きっと、駄目で元々で行われた企みだったのだと思う。
だが幸か不幸か、フリッツは無垢で愛らしい少女を演じるスミアに騙され、ほれ込んだのだ。
そこまではおそらく、イレガー公爵家の青絵図通り。
だが、その後の大衆環視の場での婚約破棄はきっと、イレガー公爵家や、陰険眼鏡の予想外だったのだと思う。
推測になるが、あの日、私に階段から突き落とされたとフリッツに吹き込んだのは、スミアの独断だったはずだ。
おそらくスミアは少しでも早く、目障りな私を排除したいと焦っていたんだと思う。
だからこそ、背後についていたイレガー公爵家や陰険眼鏡に相談もせずあんな杜撰な嘘をついたのだ。
その結果、彼女の言葉を信じたフリッツが暴走し、公衆の前での婚約破棄という暴挙へと及んでしまったのである。
…………推測の上に推測を重ねた形だが、大きく外れてはいない自信がある。
あの日、陰険眼鏡はいっそ面白いくらい動揺していたのだ。
ならば、あの日の出来事は彼にとっても、予想外だと考えるのが自然だった。
「そんなわけで私は元々、あなたのことを怪しんでいたの。それで調査させてみたら、ニルッツ村と、あなたの素性へと行き当たったということよ」
「……………ずいぶんと、簡単に言ってくれるじゃない」
ぎりり、と。
スミアが唇を噛みしめていた。
「私の生まれ育ちの偽装は、かなり念入りに行われていたはずよ?」
「大規模な嘘をついた以上、必ず証拠は残るものでしょう? 私の従者たちは優秀だから、時間の問題だったのよ」
胸を張り、ここぞとばかりに従者たちの功績を自慢しておく。
ルシアンを筆頭に、私の従者には優秀な平民が多かった。
平民の暮らしや行動原理をよく知るのは、やはり同じ平民である。
そんな彼らの力と、それにお父様の培ってきた公爵家の伝手や権力を駆使したのである。
こと平民関連の調査としてはかなり優秀な布陣だったはずで、実際にスミアの素性へと行き当たったのだった。
「スミア、あなたがこれ以上、こちらへと干渉しようとするなら、容赦はしないわよ? 今、あなたがまがりなりにも殿下の婚約者として認められてるのは、下位とはいえ貴族の血筋であるからだもの。この国の身分差別の根強さは、あなただって理解しているはずよ。あなたが実は男爵家の血筋を引いておらず、国中を騙していたと殿下や陛下が知ったら、どうなるかわかるでしょう?」
「………っ、はったりよっ!!」
スミアが叫んだ。
「私の素性について証拠を掴んでいるなら、さっさと公表するはずでしょう⁉ なのにあんたが公表しないってことは全部嘘!! 本当は確かな証拠なんて何もなくて、全部はったりに決まってるじゃない!!」
「……………往生際が悪いわね」
ため息をつくと、ルシアンが懐から折りたたまれた書類を差し出してくる。
できる従者なルシアンに感謝しつつ、私は書類の文章を読み上げていった。
「スミアこと本名メロウ。17年前、ニルッツ村で父グリアダと母ディールセンの三女として生まれ―――――」
読み上げていくごとに、スミアの顔色が青色を通り越し、蝋のように白くなっていく。
詳細に語られる自分の素性に、こちらの掴んでいる情報の精度を理解させられたようだった。
「――――――――これでわかったでしょう? こちらがその気になれば、いつだって貴族詐称の罪を告発し、あなたを追い詰めることができるのよ」
「……………嘘よ」
スミアの唇が、震えながらも開かれた。
信じられないと、信じたくないと。追い詰められた瞳が見開かれている。
「なんでどうしてよっ⁉ どうしてなのよっ⁉ そこまで調べ上げて‼ 私のことなんていつだって蹴り落とせるくせにっ!! どうして今すぐそうしないのよっ⁉」
「だって、意味がないじゃない?」
わめくスミアに対し、諭すよう説明してやる。
「あなたの素性を掴むのがあと一月早かったら、秘密裏に殿下にお知らせしてたとは思うわ。でも公表することは無かったと、私はそう断言できるわ」
「なんでよっ⁉」
「だって、間抜けすぎるじゃない? 身分を偽っていたあなたを純真無垢だなんて持ち上げ、王太子であるフリッツ殿下が溺愛していたなんて………王家の、そしてこの国にとって醜聞以外の何物でもないわ」
「………っ!!」
「それにもし、あの婚約破棄の日の直前に知っていたとしても、結末は変わらないはずよ。だってそうでしょう? あの時あなたの素性を告発したところで、フリッツが私との再婚約を選択するとも思えなかったんだもの。あなたを告発したところで残るのは、騙された愚かな王太子という悪評と、王太子が公爵令嬢である私を、ひいては公爵家を蔑ろにし侮辱したという事実だけじゃない」
肩をすくめてやる。
「そしてそれは、今だって同じことよ。今更あなたの素性を告発したところで、フリッツと王家の看板に更に泥を塗るだけなんだもの。これだけやらかし悪評を重ねたフリッツに、新しくまともな婚約者が来るとは思えないでしょう? だったらあなたが婚約者のままである方が、まだマシだと思ったのよ」
スミア自身の人となりはともかく、背後には陰険眼鏡のイレガー公爵家がついているのだ。
自らの素性をイレガー公爵家たちに握られている以上、スミアも自分勝手なことはできないはずで、操り人形も同然だ。
それに我が公爵家だって、私が理不尽な国外追放を受け入れることで、王家へと大きな恩を売っているのだ。
陰険眼鏡達にやりたい放題させるつもりはないし、お父様なら十分抑え込めると信じられた。
「スミア、今日ここに私を呼び出したのだって、どうせあなたの独断なんでしょう? そのことは陰険めが………イリウスへ報告するつもりよ。そうすれば、あなたへの監視も一層強くなるはずだから、今後の振る舞いについて、よく考えておいた方がいいわ」
スミアへと伝えるべきは伝えた。
踵を返し、ルシアンを連れてこの場を遠ざかろうとしたところ―――――――――
「実力行使と来たわね」
四方をとりかこむ、光の壁が立ち上がった。
ため息をつきつつ、背後へと振り返る。
光り輝く立方体の中に閉じ込められた私を、スミアが血走った目で見ている。
「全部あんたが悪いのよっ!!」
「で、それで? 何がしたいのかしら?」
「その壁はあんたの魔術じゃ破れないわ!! 閉じ込められて足止めされてる間に、こっちは応援を呼んでくるから待ってるといいわっ!!」
「私を口封じするつもり? 悪あがきがすぎると思うわよ?」
当然だが、スミアの素性については公爵邸にも書類を残してある。
もしここで私が殺された場合、犯人は一目瞭然だった。
………もっとも、素直にやられてあげるつもりはないんだけどね。
光の壁はおおよそ、5メートルくらいの立方体を形作っていた。
上空も閉じられており、密閉状態の結界である。
スミアは性格はともかく魔力量だけは優秀なはずであり、目の前の壁の強度も高いはずである。
そんな壁を破るには、強力な衝撃を加える必要があった。
しかしネックが、閉じ込められ逃げ場がないことである。
炎やかまいたちといった派手な魔術を使えば、その余波で私も死んでしまうのだった。
「………じゃあ、一つ試してみることにしましょうか」
ルシアンが背後に下がったことを確認すると、前方の壁を見据えた。
扱うべきは水の魔術。
劇的に改善された魔術効率によって、本来苦手であるはずの水の魔術を駆使することができるのだ。
集中、集中、そして詠唱。
目標は前方、勝ち誇るスミアからやや逸れた、そして遺跡にも当たらない角度で。
――――――――――発射。
「えっ…………?」
ぽかんと口を開けたスミアの前で、光の壁がひび割れていく。
そこにあるのは穴。
使用した魔術は、先日使っていた『整練』の水バージョン。
魔術により生み出した水を自由に形を変え、操る術式だった。
水を細く細く圧縮し圧縮し解き放つ――――――――――
――――――――――前世で見た、ウォーターカッターの真似事だ。
光魔術を操るスミア対策として練習していたのが、役だった瞬間だった。
「そんな、嘘でしょう………?」
わけがわからないといったスミアの目の前で、光の壁が粉々に砕け散ったのである。
お読みいただきありがとうございます。
たくさんの方に読んでもらえているようで、日間恋愛ランキングの1位に入っていました。
感想もいただいており、大変うれしい限りです。




