85.多頭飼いの心得
白身魚のトマト煮込みを作った後、私は食堂で夕食をとっていた。
レレナには、自室で夕食を食べてもらっている。
初めての環境に緊張していたせいか、レレナは疲れ気味のようだった。
私や、初対面の離宮の使用人と一緒の食事では余計に気疲れするかもと思い、料理を自室に運ばせることにしたのだ。
「そろそろレレナも、食べ終わった頃かしら……?」
食後のデザート、紅茶のアイスクリームを口に運ぶ。
紅茶の香りが牛乳の甘さと混じりあい、ミルクティーのようで美味しかった。
アイスについてはストロベリーアイスを筆頭に、フレーバーの研究改良を行っている。
はちみつ、ブルーベリー、さくらんぼにアプリコット。
色んな味のアイスを作ってみたけど、一番受けが良かったのがこの紅茶味のアイスだ。
『とけるとろける紅茶』と、ジルバートさんも絶賛していた。
「レティーシア様、今よろしいでしょうか?」
紅茶アイスの余韻を楽しみ、食堂を出たところで獣人の侍女が声をかけてきた。
レレナと同じ山猫族である彼女にレレナの夕食の配膳を任せ、様子を見るよう頼んであったのだ。
「レレナは、食事を食べてくれましたか?」
「はい。完食されたのですが……」
言いづらそうに、声が小さくなっていく。
どうしたのだろうか?
「……泣いてしまいました」
……泣くほど嫌いな料理が何かあったのだろうか?
だとしたら、悪いことをして――――
「ふんぎゃあっ!!」
「にゃにゃあっ!!」
何事⁉
猫らしき叫び声と共に、どったんばったんと走り回る音がした。
音は次第に近づき、一匹の小さな影が飛び出してくる。
「にゃあっ!!」
「いっちゃん⁉」
ヘルプミープリーズ‼
といった勢いで、いっちゃんが私に向かって飛びあがってきた。
咄嗟に受け止め、抱きしめる。
するといっちゃんを追うように、黒猫が姿を現した。
「……初めて見る猫ね」
離宮には、山猫族の伴獣である、数匹の猫が寝起きしている。
しかし、目の前の猫のような、真っ黒な子は見たことが無かった。
黒猫はぶわりと尻尾をふくらませ、いっちゃんを睨みつけている。
どうしたものかと思っていると、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
「待って――――レティーシア様っ⁉」
レレナだ。
走り回っていたせいか、髪や服がところどころ乱れている。
レレナはこちらに頭を下げると、慌てて黒猫を抱きかかえた。
「レティーシア様、申し訳ありませんでした!! メランがご迷惑をおかけしてしまってっ……!!」
黒猫はメランと言う名前のようだ。
メランとレレナ、そしていっちゃんの姿を観察する。
幸い、メランにもいっちゃんにも、怪我などは無さそうだった。
「その子、レレナの伴獣かしら?」
「亡くなったお父さんの伴獣です。今は、私が世話をしていて、一緒にこの離宮に連れてきてもらったんです」
「そうだったの。慣れない環境で、興奮してしまったのね」
「はい、少し目を離した隙に、申し訳ありませんでした……。好奇心旺盛で活発な子で、でも他の猫と喧嘩することは滅多に無いはずなんですが、暴走してしまったみたいで……」
なるほど。
それなら仕方ないことかもしれない。
私はいっちゃんを見つめた。
「いっちゃん、どこか痛いところは無い?」
いっちゃんは首を横に振った。
次いでもう一問、メランと走り回る途中で、何か家具が壊れたりしてないか聞くと、いっちゃんは再び首を横に振った。
「わぁ、すごいです。賢い猫なんですね」
「……実はこの子、猫じゃないのよ」
「え?」
レレナがぽかんと口を開いた。
うん、わかるよその気持ち。
私だって、初めていっちゃんに会った時は、ただの猫にしか見えなかったもんね。
「この子、庭師猫という幻獣なの」
「庭師猫……この子があの……。初めて見ました……」
「この離宮の人間はこの子が庭師猫だと知ってるけど、庭師猫は数が少ない幻獣だから、離宮の外にはあまり存在を広めないで欲しいの。……お願いできるかしら?」
「わかりましたっ!!」
こくこくと、猛スピードでレレナが頷いている。
その腕の中で、黒猫のメランも少し落ち着いたのか、逆立った毛がおさまってきていた。
「この子、いっちゃんというのだけど、見た目は猫そっくりでしょう? 猫っぽいけど、猫じゃないいっちゃんのことを、メランが威嚇するのも仕方ないわ」
離宮の他の猫も、最初はいっちゃんのことを遠巻きにしていた。
今でこそ一緒に日向ぼっこする姿を見かけるけど、当初はあからさまに警戒していたのを覚えている。
いっちゃんは器が大きいというか、苺と食事を邪魔しないかぎり怒ったり喧嘩を売ることは無いので、メラン側に慣れてもらいたいところだった。
「メランといっちゃんについては、時間が解決してくれることを期待しているわ。レレナも、見守ってもらえないかしら?」
「はい。今後はメランがいっちゃんをいじめたりしないよう、しっかりと気を付けますね」
ぺこりと頭を下げたレレナが、メランを連れて退出しようとした。
「レレナ、待って。もう一つ聞かせて欲しいことがあるの」
「何でしょうか?」
「今日の夕食、何か苦手な料理があったのかしら?」
「それは……」
レレナが口ごもった。
「誰だって苦手な料理や味付けの一つや二つあるもの。あらかじめ言ってもらえれば、避けることも出来るし、教えてもらえないかしら?」
まぁ、野菜全部食べられません、とか。
極端な偏食は困るのだけど。
レレナの性格的に、そういうことは無さそうに見えた。
「あの、その、違うんです。お料理は全部美味しかったんですけど、白身魚を食べた時、つい涙が出てしまっただけで……」
え、私が作った料理が原因?
などという感情を表に出さないように注意しつつ、レレナの説明を聞いていく。
「まさかこの離宮で、故郷と同じ白身魚の料理が食べれるなんて思わなくて、びっくりして涙が出てしまったんです」
「……そうだったの。驚かせてしまったのね」
頷き、それ以上の質問はしないことにする。
レレナはきっと、驚いただけじゃなく……懐かしくなってしまったのだと思う。
今日作った白身魚のトマト煮込みはレレナの好物だと、クロナに聞いていたのだ。
歓迎の気持ちを込めて作ったけど、レレナに故郷を思い出させ、一種のホームシックを引き起こしてしまったようだった。
気丈に振る舞っていても、レレナはまだ子供だ。
やはり、しっかり気を付けて見守っていかないと、と。
私は再確認したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「いっちゃん、さっきは大変だったわね?」
いっちゃんを抱え自室に戻った私は、機嫌を伺うように語りかけた。
先ほど、メランと追いかけっこをしていたのは、先にメランが仕掛けたからだ。
巻き込まれたいっちゃんを、労わってあげたかった。
「うにゃうにゃ~~~」
部屋には私といっちゃん、それにルシアンしかいなかった。
安全な場所だと認識したいっちゃんが、私の腕から降り立つ。
抱っこで乱れた毛並みを直すため、しきりに毛づくろいをしていた。
……うーん。
いっちゃんはそこまで、メランのことを気にして無さそうだけど、わかりにくいだけでストレスはあるのかもしれない。
多頭飼いの際は、先に住んでいた猫の様子を伺い、ケアをすることが必須だ。
いっちゃんのために、何ができるだろうか?
考えていると、いっちゃんがとてとてと書き物机へと歩いて行く。
軽く姿勢を落とし、ばねを使ってジャンプした。
「珍しいですね。こいつは、弁えている猫だと思っていたのですが……」
ルシアンが呟いた。
彼の言葉通り、いっちゃんが私の机の上、プライベートゾーンとでも言うべき場所にのっかるのは珍しかった。
不思議に思っていると、机の隅に置いてある紙束をぺしぺしとしている。
「それ、私のレシピを書き留めたものだけど……読みたいの?」
「にゃっ!!」
頷かれた。
いっちゃんの右手が、ページをめくる動きを真似している。
可愛すぎだった。
「わざわざレティーシア様の手を煩わせるとは……不届きものですね」
「きっと、いっちゃんなりの思いやりよ。爪で紙を傷つけないよう、配慮してくれてるんだわ」
椅子に座り、順番にページをめくってやる。
さすがにいっちゃんも文字は読めないはずだけど、レシピ帳には簡単なイラストも描いてあった。
じっと見つめていたいっちゃんが興味を示したのは、ある意味予想通りのページだ。
「苺ジャムのクッキー………」
「にゃにゃにゃっ‼」
ぽすぽすと、クッキーの手書きイラストをいっちゃんの肉球が押していた。
ついで、イラストといっちゃんの口の間を、肉球がいくども往復する。
「明日、苺ジャムクッキーを作って欲しいってことね?」
「にゃっ!!」
いっちゃんの瞳が輝いた。
……多頭飼いのコツは、先住猫にも配慮をすること。
私はいっちゃんのために、追加でクッキーを作ることになったのである。
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