83.黒猫の妹
離宮の前庭からやってきたのは、猫耳を持った獣人の少女だ。
年齢は、10歳に届かないくらいに見える。
日本だったら、ランドセルを背負っている年頃だ。
黒い髪を左右の耳の上で結い、二つ結びにしている。
柔らかそうなほっぺた。大きな瞳は、縦長の瞳孔で金色だ。
初対面の、でもどこか見覚えのある顔立ち。
獣人の少女の瞳は、狼たちに釘付けになっていた。
「この狼たちは……えっと……」
少女が、きょろきょろと周りを見回した。
この場にいるのは狼たち以外、私とルシアン、そしてエドガーだけだ。
エドガーは人見知りを発動中。見るからにおどおどしていた。
ルシアンはそつなく微笑んでいるが、長身の成人男性だった。
小さな少女からしたら、声をかけにくいのかもしれない。
「……お姉さん、初めまして。この狼は、王家に飼われている狼なんですか?」
消去法の結果、少女は私を選んだようだった。
礼儀正しく、子供特有の高い声で問いかけてくる。
年齢の割に、しっかりしている子のようだった。
「えぇ、そうよ。かわいいでしょう?」
「はいっ!! かわい、いえ、とてもかっこいいです!!」
素直に頷きかけた少女だったが、途中で発言を訂正した。
狼は、王家の威信を表す存在でもある。
そんな狼に対し、素直にかわいいと言ってしまって良いのだろうか、と。
幼いながらも律儀に考え、慌てて言い直したようだった。
「ふふっ、そんな固くならなくても大丈夫よ。せっかくだし、狼を撫でてみる?」
「‼ 私なんかが良いんですか?」
遠慮する少女だったが、金色の瞳はキラキラとしている。
黒い尻尾も、興奮を表すようにぴょこぴょこと揺れていた。
王家の狼は、この国の住人にとって憧れの存在だ。
実際に目にしたら、その凛々しくももふもふとした姿に惹かれる気持ち、私はよく理解できる。
「今、私の傍にいる狼なら、人懐っこくて噛まないから安全よ」
ジェナは前日、ナタリー様にも撫でてもらったところだ。
陽気なジェナは来るもの拒まず。とてもフレンドリーな狼だった。
「こんな風に、頭の下から手を伸ばして、撫でてあげると喜ぶの」
「わふっ!!」
その通り! 撫でてもらうの大好きです!!
と言わんばかりに、ジェナが鳴き声をあげている。
人慣れしたジェナの様子に、少女のためらいも解けたようだった。
「じゃぁ、失礼しますね……」
とてとてと近寄ってきた少女が、ジェナに向かって手を伸ばす。
柔らかな毛並みに手が触れ、金の瞳が見開かれる。
「もふもふ……」
ほにゃり、と。少女の頬が緩んだ。
見ている私の表情もユルユル。
猫耳少女が無邪気に狼と戯れる姿は、かわいさのオーバーキル状態だ。
今ほどカメラが恋しくなった瞬間はないので、脳内メモリーを全力起動。
しっかりと記憶に焼き付けていると、少女がはにかんだ顔を向けてきた。
「すごい素敵です!! この子、すごく撫で心地が良いですね?」
「ありがとう。ブラッシングをした甲斐があるわ」
不審者一歩手前の表情を引っ込め、少女に向かって笑いかける。
ジェナ達狼は、私やエドガー達が定期的に毛並みを整えていた。
スリッカーブラシの導入によって、よりスムーズにブラッシングが実現。
狼たちの毛並みは一層艶やかになり、ひそかな私の自慢だ。
「お姉さんがお世話を? 狼番なんです―――――きゃっ⁉」
「くふっ⁉」
「っわっと!!」
ジェナがもっと撫でて、と。少女に向かって頭を突き出した。
驚きよろけた少女を、とっさに腕を伸ばし受け止める。
「大丈夫? びっくりさせてごめんなさいね」
「あ、ありがとうございます。……えっと、お姉さん、お名前は?」
「私? 私は――――」
「レティーシア様!!」
私を呼ぶ声。
離宮に勤めているメイドだ。
メイドの声に、腕の中の少女はびしりと身を固くしていた。
「……レティーシア……様……?」
少女の瞳が見開かれ――――――
「失礼をしてっ!! 申し訳ありませんでしたっ!!」
甲高い絶叫が響いたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「王妃であるレティーシア様と気づかず、申し訳ありませんでした……」
「レレナが謝る必要は無いわ。私のあの服装じゃ、王妃だなんてわからなくて当然よ」
王妃どころか、貴族令嬢に見えるかも怪しいラフさだったからね……。
むしろこちらが謝りたいくらいだ。
猫耳の少女――――レレナはどうやら、私のことを狼番か何かだと勘違いしていたらしかった。
離宮の前庭、置かれた錬鉄の椅子に向かい合って座った彼女は、猛烈な勢いで謝っている。
恐縮し震えるレレナの緊張をほぐすべく、ゆっくりと語り掛けていく。
「レレナは何も失礼なことなんてしていないわ。狼を撫でる手つきも、とても優しかったもの」
「で、でも私は、レティーシア様に思いっきり、寄り掛かかってしまいました……」
「あれくらい平気よ」
「ですが……」
「どうしても気になるのなら、もし私がびっくりして転びかけた時は、今度はレレナが支えてくれるかしら?」
「……はい!! わかりまし……」
レレナの言葉が立ち消える。
口を噤み、私と自分の体を見比べている。
小さな自分の体で、どうすれば私を支えられるか、真剣に考えているらしい。
真面目で律儀な性格のようだった。
「ふふ。レレナの、その気持ちだけで十分よ。しばらく、この離宮で一緒に暮らすんだもの。仲良くできたら嬉しいわ」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますっ!!」
勢いよくレレナが頭を下げると、二つ結びの髪が跳ね動く。
「お姉ちゃ―――クロナがご迷惑をおかけしたのに、私を助けていただきありがとうございます」
「気に負わなくて大丈夫よ。私が、やりたくてやっているだけだもの」
クロナ―――かつてこの離宮に勤めていたメイドのことを思うと、今も鈍く胸が痛んだ。
私を裏切っていたクロナだが、理由は幼い妹、レレナを守るためだ。
両親を亡くしているレレナには、クロナ以外頼れる身寄りがいなかった。
だから、罪を贖うため牢にいるクロナの代わりに、私がレレナを助けることにしたのだ。
「……レティーシア様、本当に私が、この離宮でお世話になっても良かったんですか?」
「離宮にはまだ、使っていない部屋がいくつもあるわ。陛下の許可も取ってあるから大丈夫よ」
「でも、ご迷惑じゃ……」
「ほうってはおけないもの。もし、レレナを放置して何かあったら、クロナだって悲しむわ」
「お姉ちゃん……」
レレナが、きゅっと小ぶりな唇を噛みしめる。
クロナは贖罪の一環として、ディアーズさんの悪行の一部を告白している。
――――ナタリー様の叔母でありながら、シフォンケーキの盗作を指示し、いくつもの罪を重ねたディアーズさん。
クロナの告白もあり、ディアーズさんは厳罰を受け、数十年先まで牢の中の住人だ。
しかし、ディアーズさんの縁者では処罰を免れた者も何人かいて、彼らは不平を抱えていた。
元々彼らは、獣人を蔑視している人間だ。
八つ当たりじみた暴力が、クロナの妹であるレレナへと向かう危険性があり……既に何度か、怪しい兆候があったのだ。
だから私は、レレナを保護するため、陛下にも働きかけていた。
レレナの身は守りたいが、彼女一人のために、何十人もの兵士を動かすのは難しい。
ならば、王城の中にあり警備の目もあるこの離宮に、レレナを招いたらどうだろうか、と。
そう提案した結果、陛下は許可を出してくれたのだ。
レレナは今日、付き添いの兵士と共にこの離宮を訪れたところだったらしい。
兵士が離宮の主である私への取り次ぎを待つ間、一人で離宮の敷地を見学していたのだ。
そこで偶然、私と出会い狼を撫でていたところ、兵士の訪問を受けた侍女が、私を呼びに来たという流れだった。
「この離宮にいれば、ディアーズさんの縁者だってそうそう手が出せないはずよ。
陛下たちが今、彼らに余罪がないか洗っているところだから、閉じ込めてしまって悪いけど、しばらくこの離宮に滞在してもらえないかしら?」
「わ、悪いなんてそんなことないですっ!! こちらこそ、よろしくお願いいたしますっ!!」




